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自己紹介(私が歩いてきた道)

はじめましてこんにちは。
2児の母をしておりまして、社会に適合しないマインドを持ちつつギリギリラインの所で社会人を23年も送っておりました。
入社した当初、同期に「1番に辞めそうだね」と呟かれつつも1番長持ちしました。
そうはいっても収入も必要なので転職や求人を眺めるも『やっぱりもう雇用されるのはなんか違う気がする・・』の思いが拭えず只今人生の夏休みしております。

好きなことは主に自然とホロスコープと心のこと、アートと音楽。
ここら辺に塗れて今生きています。

それでは私の自己紹介・・いや自伝?始めますね。


生い立ちから10代

千葉県の真中、自然豊か過ぎる田舎で育ちました。
田んぼに囲まれた土地で育ちましたが不思議と田舎育ちと思ったことはありません。え?
フツーに進学しフツーに就職してフツーに生きておりましたが段々生きづらさを思い始めます。
田舎なのに若干裕福めな家であったためぬるま湯過ぎてのほほんと生きてましたが虚無感はハンパなかったです。
母が厳しすぎました。
余りにも厳しすぎて小学校の頃に「お母さんのようには絶対ならない・・お母さんと同じことするなら結婚しない」と誓いました。

20代


ということで私の行く手には見えない母の目が絶えず付きまとい、自分で自分を監視してはダメ出しをし、がんじがらめにしておりました。
20代半ばで6年付き合った彼との別れを機にいろんなところが綻び始めます。
時を同じくして妹から言われた言葉。
「お姉ちゃんてお母さんソックリだよ」
・・・!!!あんなに忌み嫌っていた人と同じだって?!と戦慄を覚えたのを今でも覚えています。
そこからそこはかとない焦燥感がいつも付きまとっていました。

30代


新しい出会いもなく仕事に打ち込む日々。
この頃には何故か仕事だけはできるようになり、30代節目と思い新たなステージを求め仕事の異動をお願いしました。
そしてそこからの10年は色濃いものでした。。。
主に官公庁システムに携わる手堅いIT職場に居りましたがついに元締めの霞ヶ関勤務となり、職場の仲間にも恵まれ楽しい毎日。
けれど、いつもどこかにある焦燥感と生きづらさ。
その原因も薄々わかってはいたものの何をどうしていいかもわからな日々。段々心の仕組みに惹かれていきました。
周りからは「結婚しないのか」「売れ残り」のレッテルを貼られつつも
「そういう問題じゃない、私にとって結婚はそんな単純なことじゃないんだよ・・」
と心の底では思ってました。
ここら辺から段々今の自分へと歩いてきたように思います。
心理学を学んだり、瞑想、ボディワーク、カウンセリングいろんなことに取組みました。

世間が正しいと思っていた他人軸から少しづつ少しづつ自分の人生を生きようとし始めると・・今の夫が職場に異動してきました。
気が付くと一緒に飲み歩くようになり出かけるようになり、いつしか付き合うようになりました。

半面それでも「母のようになってはいけない」という自分で自分にかけた呪いはまだ続いてました。
年齢的にも結婚して家庭を築きたい想いはあるものの、まだまだ母のようにはならないと言い切れる自信がありませんでした。
自分が握りしめている想いがクリアにならないと母にはなってはいけない。でないとまた母と同じことをしてしまうから。
そんな思いを根底に抱きつつも久方ぶりの彼氏と久方ぶりな交際を楽しんでおりました。
もう30代も半ばだし子供も望めるか分からないしこのままでいいや。(その頃は高齢不妊と世間がうるさかったのです)
ただ一緒にいるだけで十分、事実婚でいいんだ~ と呑気に思ってましたが、その日は突然やってきました。 

病気になりました。

結構なインパクトのある病気で怖すぎて毎日正気ではいられませんでした。
「今後についてをご家族と話したい」と医師から言われましたが、またここでも母に責められる・・ダメな奴だからそうなるんだ・・また罵られる!!  と恐れた私は彼と話を聞きたいと申し出ました。
すると医師は「この手の話は破談になったケースもあるからなるべくご両親と・・」と言われましたが強く彼を希望し
「それでダメになるならそれまでの彼です」と何故か腹を括って伝えました。

結局両親にも告げ、病院の待合室で初めて彼と両親は対面し、そのままみんなで病状と今後の治療方針説明へ。
なんとも奇妙な彼の初紹介でした。

それからは両親の看護と彼の付き添いの元、無事手術も成功し再発もなく今に至っております。

その後彼と結婚し、母娘問題に取り組みつつも翌年には子供を授かり、その子が「女の子」とわかった時はとても感慨深かったです。
今まで歩いてきた道のりと子供が出来ただけでもありがたかったのに、私が今度は母親の立場として娘に接することができるのか。。母娘問題の卒験みたいだなと襟元正したのを覚えています。 

ということで神のような夫と出会ってからは生き直したかのように毎年何かがあります。人生のスイッチが入ったのかな。
それまで停滞していた私の人生がウソのように毎年何か新しいことをしております。
その後も第2子の長男を迎えられ、結婚出産育児を一通り終えたので次は何があるのかな~・・と思いきや
なんと今度は社会人を辞めました。

40代


育休も2回過ごすとなんといいますか、かなり世界が違って見え。
今まではサラリーマンとビジネス街が当たり前、そこが慣れ親しんだ自分の世界で全てだったのに。
そこは実はとっても極一部の狭い世界なだけだったことが分かりました。
育休をして初めて世界はいろんな人の層で出来てると体感しました。
知ってはいたけどわかってなかった。
2回目の復帰後はそんな社会人世界に再び身を置くも、全然フィットせず。社会人ルールも守れず。守る気にもならず。
灰色の満員電車に乗って毎日過ごしてましたが、これはもう辞めよう と。
私のことをよく知らない上司に評価され、魅力的だと1ミリも思っていない仕事に従事する毎日はどうなのかな、と。
ただそれなりな安定した給料と待遇が約束されているだけ。でも一生会社に従っていなくてはいけない。
職場の仲間にはいつも恵まれ、周りは気ごころ知れた良い仲間たちばかりだけど、仕事はもう全く楽しくない。
自分が身を置いている環境に文句をいうぐらいであれば辞めようと思いました。

ということで、安定した給料を、手堅い生活を。
子育て始まったばかりで手放すのはめちゃめちゃ勇気が要りましたが、社会人卒業しました。

そして今に至ります。
不思議なことに辞めようかなと思い始めてから、あれほど切望していたのに1人として現れなかった同じ方向を見ている面白い人たちとポツポツ知り合えるようになりました。
これを書く、この場に連れてきてくれた友達にも逢えました。
これから何するかも、どうなっていくのかも、何も決まってないけど・・
今歩いている道は間違ってないんじゃないかと思っています。
母娘問題も人生の大半を費やしたけど、心の勉強を重ねる内に分かったことは全部自分が握りしめていた被害者意識と思い込みだったことも分かりました。
お母さんが大好きな星の元に生まれたもので大事過ぎて握り潰していただけでした。

そんな私が今年大きく舵を切りました。
自己肯定感が低すぎて世間の(母の)正解ばかり求めて生きていた私は、自分の人生を自分で運転し始めております。

ということで主に私のメインストリームをまずはご紹介しました。
そんな道を辿ってきた私がこれから綴る日常のあれこれや、ホロスコープ、心のこと
よければお付き合いください☆

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