*←閃きがあったらマークをつけることにした

おはよう。書く。今朝のトイレでの腸から受け取ったメッセージと閃きを書こうと思う。メッセージは波動だった。波動という言葉は、実感はあるのに、頭の方はどうも掴みかねているところがあった。閃きはラジオのチューニングの様なものであることが分かったこと。自分は好んで低い波動にチューニングするのを習慣、つまり低い波動に合わせてばかりいたので、表面上は取り繕い続けていたが、調子が悪い時に隠しきれずに自分の中から低い波動の言葉が飛び出すのではないだろうか。例えば私の場合「4ね」や「気ちがい」だ。この言葉が溢れ出る時はとても辛い。では、どうすればいいのか?今書いてきた中に答えがあったが、低い波動にチューニングしない練習することだ、言葉やテキストはもちろん、その手の空気も読んだらもなるべく早くその場を離れることだ、読めるんだから気付けるだろう。

低い波動は不満に集まる、退屈に寄ってくるのだ。退屈な人に向けた、集まりやネットを見始まったら赤信号だな。最初は力技でも特訓でも構わないから「楽しみだ」「ありがとう」にできる限り早く気持ちを切り替えて、ちょっと無茶でも高い波動にチューニングする必要がある。

これは長く誰かの顔色を伺ってきたことによる弊害ではないかと想像する。内面に不満がある人を見つけては、チューニングし続けてしまったのだから。不満や退屈に寄らない、気づいても即チューニング変更、そのうち「え?あったっけ?」と気づかなくなればこっちのもんだ。やってみよう。でも力技や特訓だけでは疲れるから、時間もかかるだろうし、効率をよくするために自分の中の不満や退屈も見つめなければいけないな。ないものを見つけたら、自分で工夫してみよう。まとめ。昨日の疑問「どうして体の声との対話を茶化して話すのか?」答え、「茶化す波動に身を置いているから」。茶化さず話す工夫と、茶化さない波動にチューニングできるように特訓することが必要だ。低い波動を特に見捨てるとかそんなのではなく、人は人、お節介に興味を持たないことだ。〜現在までの私はお節介。今日はここまで。読んでくださってありがとう。どうかよい1日を。



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