忘れるし、間違う自分を目指す
自然にしていたらそうなる。
好きなものだけ見るということは、いろんなものが落ちていってしまうということだもの。全部拾わないと申し訳ないとか、無責任とかそういう思いを振り払うにはそれが一番だと思う。
というのも、なにがしたいか分からなくて苦しむのはもう充分だからだ。
自分のしたい、したくないに関わらずガムシャラに生きていた時代を羨ましくさえ思う。いつから好きだと思っていたものの舞台裏を覗くようになってしまったのだろう。
そんなことを考えていても仕方ない。
世界はどんどん回転して、完璧になっていくだろう。それに敬意を表して、忘れるし、間違う自分を目指すことにしてみる。
その方法は、このnoteを時々覗いてくれている人には、わたしがなんと言うか大方想像がついているかもしれない。そう、いつも言っているヤツだ。生涯食生活にこだわって、腸内を元気にし、おへその下に意識を置いてリラックスしてその声を聴いてそれに従って生きるのだ。
ああ楽しい、なるほどね、たいへんそうだけどまずはそれからじっくりやってみる…
と、言った具合に、それが腸との対話だ。そうすると手で金塊を鷲掴みしたように、指の間から時間は溢れていってしまうのだけど、いくばくかのお金は残る。それにきっと自分は頻繁に間違える。その時こそ、ああ、わたしは目指している通りに生きられているんだなぁと安心できるのだと思う。
今日も腸から受け取るままにキーを打って、こんな文章が浮かびました。
現在腸はこの段階に↑成長(整腸?)しました。
相変わらずの低収入で、こんな気分でいられるのが奇跡のように感じます。
なんだか色々大丈夫な気にすらなってきました。
見てくださってありがとうございます。どうか素晴らしい1日を。