Weekend
「病んでいない自分」には何も魅力が無いような気がして、病む。
書いててすごく馬鹿らしいなと思う。贅沢な悩みだと思う。病んでいる自分がアイデンティティーになってるのってクソダサい。私から「病」の要素を取ったら何も残らないような気がして、すごく、ほんとダメになりかけた時が一回だけある。一回、だけじゃないかもだけど…。
考えまくることを放棄した。毎日を生きやすくなった。「しょうがない」「どうしようもない」「まぁいっか」「ほどほどに」って思う/言う回数が多くなった。
でも…
何かが足りない。過去を振り返るのは、ちょっと今はやめておきたい。足りなくて、でも何が足りないのかよく分かんなくて、だからとりあえず自分を変えてみたりしたくて迷走中。今までの自分を一回脱ぎ捨ててみようかなって思ったりしてる。………相変わらずダサい。クサイ。
本当は何が伝えたいのかよく分からなくなってしまう。しゃべるのがとにかく下手。分からなくて悩んで袋小路に陥ることの一歩手前でなんとかなってる。目を開けてるけど何も見てなくて心の声に従って淡々と生きているだけ。病んでない私は病んでいる。
二元論ばかりでクソだなと思う。同じような恰好ばかりでつまんないけど個性ばっかり主張するのもしゃらくさくてシケててダサい。じゃあテメエはなんなんだと言われましてもただ目と耳と鼻と口と両手、両足がある物体です、ぐらいにしか思わない。そしてその物体も同じように個性を主張する布生地をまとって食欲と睡眠欲と性欲とに従って毎日スケジュール帳を細かくチェックしながら息している。スマホ。だいぶ害悪で便利なヤツ。インスタ。安っぽい魅力いっぱいの作品もどきがうようよで画面酔いするけれど憑りつかれたようにダブルタップしてしまう。本当にいいね!って思う時なんてきっと100分の1くらいだと思いたいよね…。なにが自分にとって「いいね!」なんだろう。服、コスメ、顔、スタイル、歌、ネタ、食べ物、犬、猫、他には他には他には……。結局ここら辺の同じような写真が毎日更新されていってる。その似たようなものたちの変化で毎日を感じるってだいぶ、うん…。
傷つけたくない。自分が散々傷ついてきたからこそ自分の愛する人は傷つけたくない。それなのに自分の言葉や振る舞いのひとつひとつが全て「不正解」な気がしてならない。もう一人の自分はそれが「正解」か「不正解」か常にジャッジしてる。どうやら「不正解」ばかりみたい…。漠とした不安でいっぱいで、「正解」が欲しくて、でも「正解」を決めるのは私じゃない(もちろんネットの意見や誰かの意見も)ことは分かる。何が「正解」かは相手が決めること。委ねてしまおう。いや、寧ろ「正解」とかもないのかもしれない。二元論嫌いとか言っときながら二元論に囚われる自分、つくづくいやぁだ。
私には愛嬌がない。不愛想。笑顔がヘタクソだ。貼り付けた笑顔はすぐに分かる。無邪気な笑顔が可愛い人がうらやましくてたまらない。可愛い人ってずるくない?うらやましい。本気で笑ってる時の自分の顔は綺麗じゃないから本当にイヤ。本気で笑ったらブスになっちゃうよ、ね?
自己肯定感、というか自分を信じてあげられない自分が嫌だ。何が言いたいのか本当に言いたい事とか意味わかんないし、でも書き出したらすっきりするからこんなのをくちゃくちゃ書いてるんだけれども。本当は重い課題をこれ書いてるくらいのスピード感で終わらせちゃって本当にやりたいことに注力したいんだけど、その本当にやりたいことも見失っている状態。「何がしたいか」より「何ができるか」で考えた方がラクなんだろうけど、「何がしたいか」を明確にして突っ走るのが、きっと私が一番輝ける生き方なんです。きっと。色々ブッ壊すことになるんだろうけど。
で、こんな文章を書いたりするといつもきまって思うのが、私はただ「おセンチ」な状態に浸りたいだけなんじゃないかって思う。「病んでておセンチな自分」が大好きなだけなんじゃないかって。だから誰かを好きになるよりそういう自分を守ることに精一杯なんじゃないかって。「メンヘラ」って言葉、無視できなくなってきた。
「愛されたかったら自分を愛すことから始めよう」「欲しいものを手に入れるだけではなれないよ なりたいような人には(宇多田ヒカル「キレイな人(Find Love)」)」っていう言葉の意味がものすごく分かる。人を愛する以上に自分を愛することの方がはるかに難しいよね。ね…。最近浪費がヤバい。モノを買うことでなんとかしようとしてる。変わらない何かを変えようとしてる。そんなことをしても何も変わらないのは明白なのに。
でもそんなに病んでいない自分がいることが分かるから、それがほんとにちょっとビックリ…。少し頭おかしい感じ。身体の方が敏感でしんどい。雨の日と前日は確実に頭が痛くなる。夜は息がしにくくなる。マジなんです。低気圧で苦しむ人たちを邪険な目で見ないで下さい…。「人間」よりも「ヒト」要素が強い人たちなんです…。むかつかないであげてください…。最近めちゃくちゃ歩いてるから体力ついてると思ってたけど普通に身体バキボキなんですけど…。身体は相変わらず冷えてるし固いし痩せてるけど太ったし。健康にいいもの食べる日が続いたらその反動でジャンキー生活が始まって…。でもそれを楽しめてない。食事が楽しくないのはあんまりよくないサイン。
人を楽しませてあげたい。人を笑顔にしたい。私の持ってるモノ全てをもってして。スポットライトが当たるステージによく分からん謎の仲間と立ってる自分の夢をよく見る。でも現実、私は本当につまらない人間なんです。病んでる時以外は常にネタ切れ。どこにも行きたくなくて低気圧(による頭痛)と戦いながら布団にくるまってじっとしてるワタシを見るのが好きな人なんているんでしょうか?(笑)服は何着ても全然キマらなくていっそのこと全裸の方が合ってるのでは?って極端な思考に走る自分はなんなんだろう、マジで(笑)それでもアパレル業界志望と言えるのか…。世の中には服が多すぎるんだよ。可愛いのも変なのも上等なのもボロいのも最近の私には全部同じにしか見えない。布にしか見えないよ...。纏いたいと思うものなんて何もないよ…。
顔と首を真っ白にするのも皮膚が呼吸できてない感じがしてやめたよ。首なんて炎症まみれだったよ、治ったけど。毎年夏になるとファンデーションしなくなる。どろどろになる。真っ白で人形みたいな肌じゃない自分の素肌にはあの赤いリップは似合わない。少しお休みさせてる。メイクも何がいいのか分かんなくなってきた。けどしないとスイッチ入んない。「ヒト」から「人間」になれるスイッチが…。
泣くことは精神的にも身体的にも良いことだなと思う。泣きたくて曲聴いたり、映画観たりすることもあるけど、そういう時はきまって泣く一歩手前の胸が苦しくて鼻の奥がツンとするだけで目から涙は零れ落ちない。逆に意味分からない時に涙がぽろぽろ出てくる時もある。そういう時は安心する。普段なかなか一致しない自分の中の矛盾(を私は「天使と悪魔」って呼んでる)が珍しく手を取り合って意気投合してるのかな、と思う。「一致」「一体化」「シンメトリー」「融合」「左右対称」とかが「美」だったり(「美」の多様性とは言うけど、やはり「絶対美」はあると思う)、気持ちいいのはそのためか。
「頑張ること」もやめた。頑張ったらその代償で2、3日は再起不能になる。(大丈夫な時もあるけど)自己判断で。一歩手前の一歩手間で休む。休むのうまくなってきた。休み上手なのが強みです(笑)
ニュース見るのしんどい。それ以上にそのニュースしか共通の話題がない状況はキツい。世も末どころか、もう終わってるので逆に生きやすい。物価高は苦しいけどその分モノを大事に使おうという気持ちは強くなった。自分がいつ死ぬか・殺されるか割といつも意識してるから逆に自殺しようと思わなくなった。
「大丈夫?」って聞かないで欲しい。大丈夫だし、大丈夫じゃないから。常にどっちもあるから。聞いて欲しい時は「大丈夫って聞いて?」って言うから。他人から言われる「大丈夫?」は毒にも薬にもなる。その時・その状況によって大丈夫の意味合いは変わる。(わがまま)
こういうフロー状態な文章を書くのはタイピングが向いてるけど紙にペンでバリバリ書くのも超好きだなとこないだ行った自己分析・ES作成セミナーで思った。でも今の感じだといつか紙とペンは高級品になりそうだね。嗜む物になるのはいやだな。紙とペンはわしわし使っていきたい。ジェットストリーム値上がりしないでください。
最近は「チェンソーマン」読んでません。バンタン聴いてません。赤リップつけてません。黒着てません。何着てもしっくりきません。けど苦し紛れに布を纏ってます。髪切ってません。ブスだけどそれなりに満足してます。痩せてるけど太ってます。なんも楽しくないです。でも毎日息できてます。ドキドキバクバクしません。でも安心してます。健康的に不健康です。恋してません。愛してます。病んでません。だから病んでます。
2023/05/13 23:42
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