うちのおせちとお雑煮の話
うちは両親ともに東北の出身だった。
東京に出てきてから結婚しているので子供たちは東京しか知らないのだが、こういう家庭であると「みんなやっていると思っていること」のいくつかが実は東北の風習であった、ということがたまにある。
その最たるものがおせち料理だ。
我が家では、おせち料理を食べるのは大晦日だった。
夜、紅白が始まる頃には祖父母、両親、兄弟、近所の親戚、最大十一名ほどがそんなに広くもない居間に集まる。
長方形の掘りごたつの上にお重に詰められたおせちやたくさんのお皿が並び、今年あった「我が家の十大ニュース」なんかを話しながら夕飯兼宴会がはじまる。
物心ついたときからそうだったので、私にとっては当たり前のことだった。だがあるときふと気づいたのだ。
おせち料理って普通、年が明けてから食べるのでは?
そうして調べてみたところ、大晦日におせちを食べるのは北海道や東北の風習であるらしいと知った。気づいたのは中学生くらいの頃だっただろうか? 誰かに突っ込まれる前に自分で気づいてよかったね。多感な時期に笑われたら無駄に傷ついていたことでしょう。
もっとも、祖父母が亡くなると我が家のその風習も廃れ、おせちは元日に食べるようになっていった。
となれば実家を離れた私も大晦日におせちは出さないし、いまや大晦日のおせちは「こういうことをしていて、それを当たり前だと思っていたんだよ」という話のタネとしてだけ、残った。
お雑煮。
母の作るお雑煮を教わった、と言おうか、一緒に作るようになったのは二十歳前後の頃だったか。
昔は飾り切りなどもしていたが、その頃になると母もあまり手の込んだことはせず、輪切りにした大根、にんじん、椎茸、鶏肉を市販の比内鶏スープ(ここに秋田が残っている)で煮て、焼いた角餅を入れて三つ葉を乗せる、といった感じだった。
私もそれを踏襲し、ひとり暮らしをはじめてからも年末には比内鶏スープを探したものだ。
そして、いまとなっては、比内鶏スープは一年おきである。
家人が関西で、白味噌のお雑煮を食べていたと言うからだ。
もっとも家人にこだわりはないようで何でもいいと言うのだけど(餅も角餅でも全然かまわないらしい)、私が興味を持って一年おきに白味噌を買っている。
ただ正直、これで合っているのかはよくわからない。家人の話が曖昧で、「白味噌で、里芋が入っている」くらいしか情報がないのだ。
調理のチャンスも二年に一度、なかなかピンとくる白味噌の雑煮は作れない。
来年に乞うご期待。