アンの誕生日 は なぜ”Middle March”?(改)
1)誕生日が決まるまでの推移
アン・シャーリーの kindred(ヨセフを知っている一族)の一人として描写される人物は、1917年に出版された ”Anne’s House of Dreams” で初めて描かれます。
その人物の名はマーシャル・エリオット夫人(初登場時の名前はコーネリア・ブライアント)。
名前だけでなく、その異彩を放つ人物造形からも半世紀前のロンドンで活躍した女性作家、ジョージ・エリオットがそのモデルであると思われます。
この作家には、 ”Middle March” という代表作がありますが、このタイトルとアン・シャーリーの誕生日が重なって見えるのは、私だけではないでしょう。
モンゴメリは、1936年に刊行された ”Anne of Windy Willows” で、アン・シャーリーと同じ誕生日と置いた「小さなエリザベス」を描くまで、アンの誕生日を曖昧にしています。
”Anne of Green Gables” ではただ「3月」とだけ記され、1915年に出版された ”Anne of the Island” では ”In mid-March” とその時期が絞り込まれます。
しかし、エミリー・シリーズを構想し始めた1911年ごろには、エミリー・バード・スターの誕生日である5月19日をブロンテ姉妹の二人から、つまり5月28日が命日であるアン・ブロンテと、12月19日が命日であるエミリー・ブロンテから取ったのと同様、アン・シャーリーの誕生日もただの「3月」ではなく何月何日という内々の設定がなされていたと考えられます。(『ブロンテになりたかったモンゴメリ』ll-3 ヒロインの誕生日を参照。)
”Anne of the Island” は、1913年に見つかったシャーロット・ブロンテの恋文のニュースから、モンゴメリがまたたく間に書き上げたアン・シリーズ4作品の最初の1冊ですが、そこでアンの誕生日が初めて ”In mid-March” と置かれていること。
そして、次なる作品 ”Anne’s House of Dreams” で初登場したエリオット夫人が、シャーロット・ブロンテの代表作 "Jane Eyre" の主人公が仮の名とした「ジェイン・エリオット」に因んだ筆名で ”Middle March” を著したジョージ・エリオットを彷彿とさせること。(詳細は『アン・シリーズは続くよどこまでも』をご参照ください。)
この2点のことから、モンゴメリの創作年代の割と早い時期、少なくとも1913年前後には、アン・シャーリーの誕生日は ”In mid-March” ということが決定されていたと考えられます。
その後1935年前後になって、その頃まだ10歳前後の女の子だった現英国女王のエリザベス2世が、シャーロット・ブロンテと同じ誕生日《4月21日》であることに気づいたモンゴメリ。
シャーロット・ブロンテの次姉であるエリザベス・ブロンテと現エリザベス女王が同じ名前であることからも、エリザベス・ブロンテの月命日である15日をアン・シャーリーの誕生日と確定し、 ”Anne of Windy Willows” で「小さなエリザベス」がアンと同じ誕生日であると描いたのでしょう。(合わせて『もう一人の《小さなエリザベス》〜女王陛下との数奇な巡り合わせ』もご覧ください。)
2)なぜ”Middle March” なのか:沼考察
ジョージ・エリオットの本名はMary Anne Evans。
ミドルネームが、eのつくAnneです。
ジョージ・エリオットが描いた ”Middle March” は1830年前後の英国の架空の町の出来事を描いたお話ですが、エリオットが居たCoventryという実在の町がモデルとされています。
ところで、”Middle March” というタイトルのMarchという単語については、
という3つの意味がありますが、通常は1番目の「行進する」という意味でタイトル解釈が試みられている模様。
しかし、私は2番目の「国境。辺境。」に注目したいと思います。
Marchには、次のような意味あいがあるからです。
ここから、エリオットは ”Middle March” をブロンテ姉妹が居たHaworth近郊の町と設定したのではないか、という想像が広がります。
Haworthは、スコットランドとの境界から南へ、ウェールズとの境界から北東に控えた地域、すなわちヨークシャー地域にある町です。
”Middle March” は、二つのMarchのMiddleにあるHaworthやその近郊を巧みにイメージさせるタイトルではないでしょうか。
”Middle March” 第41章には、唯一具体的に描かれた当時の鉄道に関する次のような描写があります。
ManchesterとLiverpoolの間をつなぐ鉄道には「ブラッシング(原文表記Brassing)」という駅も町も実在しません。
よく似た名前の実在する町、例えばBrassingtonという町はありますが、ManchesterからもLiverpoolからもかなり離れています。(上記地図参照)
従来の解釈でミドルマーチのモデルとされているCoventryは、Brassingtonからさらに南にあるので、ManchesterとLiverpoolの間のどこかの町までCoventryから駅馬車(乗合馬車)で移動する距離の方が、鉄道列車に乗って移動する距離よりもずっと長くなってしまいます。
逆に、Middle MarchがヨークシャーのHaworthに近い町であると考えれば、ラッフルズの駅馬車での移動距離と、その後の鉄道での移動距離の関係は不自然ではなくなります。(上記地図参照)
「ブラッシング(原文表記Brassing)」という地名は実在のよく似た町の名から一部分借りたものだとしても、実在の場所とは無関係であると考えるべきでしょう。
また”Middle March” には、
といったヨークシャー近辺の地名が登場しますが、Coventryをモデルとすると、これらの町は少々離れ過ぎているのは、上記地図からも明らかです。
また、ジョージ・エリオットの ”Middle March” とシャーロット・ブロンテの ”Shirley” は、自らの知恵と行動で住む世界を向上させたい貴族的主人公の女性( ”Middle March” のドロシア・ブルックと ”Shirley” のシャーリー・キールダー)と、彼女とは対照的に受動的にしか行動できない年下の女性( ”Middle March” のドロシアの妹 シーリア・ブルックと ”Shirley” の親友キャロライン・ヘルストン)が描かれているという点でよく似ています。
これ以外にも、二つの物語には次のような大きな共通点があります。
”Shirley” はGomersalやBirstall近くのLiversedgeで起きたラッダイト運動を描いた物語であり、その舞台となった地域の生活や歴史を知ることができる作品です。
一方、エリオットの ”Middle March” は ”Shirley” の時代から十数年後を描いていますが、 ”Middle March” の第3章でラッダイト運動に触れた箇所があったり、 本の副題が ”A Study of Provincial Life(地方生活の研究)” であったりする点からも、両小説には類似の要素が見られます。
”Middle March” は、シャーロット・ブロンテの ”Shirley” に着想を得たエリオットが、よりリアリスティックな視点でヨークシャーのとある町の出来事を再創作した物語である、そう私には思われるのです。
両作家の Kindred Spirits(心の同類)であることをひっそりと自負していたモンゴメリは、このような関係性をアン・シリーズに取り込もうと、(シャーロット・ブロンテをモデルに描いた)アン・シャーリーのkindredとして(ジョージ・エリオットをモデルとした)マーシャル・エリオット夫人を登場させ、アンの誕生日を ”Middle March(3月の半ばごろ)” と確定したのでしょう。
〜nobvkoより〜
ちょうどひと月前に、夫からの生体腎移植手術をしました。
これからもボチボチと記事をアップできたらと思っております。
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