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赤毛のアン ヨセフの真実 / 第三部 ウィルが「盗んだ」指輪


第6章 青春の光と影

第1節 ポリーという愛称

これまでお話してきたように、シャーロット・ブロンテのお話からインスパイアされたイメージで形作られた舞台設定と、これからお話するように、モンゴメリ自身の思い出が余すところなく注ぎ込まれている『赤毛のアン』。
そのマニアぶりは "Anne of Green Gables赤毛のアン" だけでなく、アン・シリーズ全般に渡って物語の細部に埋め込まれていくわけですが、シャーロット・ブロンテが生前最後に出版した "Villetteヴィレット"は、少女時代のモンゴメリに強い印象を残した作品だったようです。

モンゴメリが10代半ば頃、 "Pollieポリー"という愛称で呼ばれていたことはモンゴメリの日記などから知られています。
しかし、彼女のフルネームはルーシー・モード・モンゴメリ。
"Lucyルーシー"とも "Maudモード"とも直接的な音の繋がりがないので、日本人にとってはちょっと不思議なニックネームではないでしょうか。
モンゴメリが「ポリー」と呼ばれていた頃、いつも一緒にいた ”Amanda  Macneillアマンダ・マクニール ”という女の子のあだ名は "Mollieモリー"でした。
「ポリー」というのは、由来はわからないけれどペットのオウムに付ける伝統的な名前だそう。
そして、モリーの ”M”もポリーの ”P”も「唇で発音する音」であるため、Maryの愛称がPollyになったりするのだそうです。
このような慣習から、モンゴメリのミドルネーム「モード」の"M"から彼女の愛称が「ポリー」になったことが類推されるのですが、いつもお喋りに夢中な女の子ペアに、”Mollie &Pollieモリー アンド ポリー”とオウムを連想させるようなあだ名をつけることで、同年代の男の子たちはからかっていたのかもしれませんね。

しかし、モンゴメリは「Pollieポリーと呼ばれるのが好き。」と当時の日記に書いています。
「ポリー」はオウムとは違う何かに因んで、積極的に「呼ばせた」愛称だったのかも知れません。

そういえば"Anne of Green Gables赤毛のアン"の3章で、マリラに名前を聞かれたアンが

「いいえ、あの、あたしの名前ってわけじゃないんですけれど、コーデリアと呼ばれたいんです。すばらしく優美な名前なんですもの。」
「アンという名を呼ぶんでしたら、eのついたつづりのアンで呼んでください。」 

『赤毛のアン』村岡花子訳 3章より

と頼む印象的な場面がありますが、そこから、少女だったモンゴメリの様子が思い浮かんでくると言ったら想像しすぎでしょうか。

幼い頃のモンゴメリは、ルイーザ・メイ・オルコットの愛読者でした。(詳細は『ブロンテになりたかったモンゴメリ』1章をご参照下さい。)
1870年に出版されたオルコットの"A Old-Fashioned Girl昔気質の少女”には、Pollyポリーという主人公やMaudモードというサブキャラが登場しますが、自分のミドルネームと同じ名の少女が描かれていることで強い親近感を抱いたであろうモンゴメリは、凛々しく描かれている主人公ポリーに対しても、次に述べるような理由から深い縁と憧れを感じたはずです。
オルコットの「ポリー」は作中 ”Little Pollyリトル・ポリー”と呼ばれていますが、その17年前である1853年に出版されたシャーロット・ブロンテの "Villetteヴィレット"にもポーリーナという少女が登場して ”Little Pollyリトル・ポリー”と呼ばれています。
おまけに、オルコットのファーストネーム「ルイーザ」が、 "Villetteヴィレット"の主人公の名付け親として物語の冒頭から登場する "Louisa Brettonルイーザ・ブレトン"夫人と同じであり、物語を読み進めていくと、その夫人のミドルネームがLucyルーシーであることがわかるのですが、それはまさしくモンゴメリのファーストネームと同じでした。
その夫人の名をもらった "Villetteヴィレット"の主人公が、自らと同じルーシーという名前であることは、オルコットの子供向けのお話だけでなくシャーロットの大人っぽい小説も既に読んでいたであろう多感な少女には、シャーロット・ブロンテとオルコットを自分と繋ぐ何か運命的なものと感じられたに違いありません。
その一方で、 "Villetteヴィレット"の主人公ルーシー・スノウが内向的な性格で寂しい境遇の女性として描かれ、そのラストも一人で生きていくというストーリーには、10代のモンゴメリはどこか歯がゆさを覚えたことでしょう。
対する "Villetteヴィレット"のポリーは、とても気が利く愛らしい女子で、音楽を嗜みピアノを奏でる彼女の周りには若い男性たちが群がります。
モンゴメリの場合は音楽ではなく文学的素養が魅力だったようですが、ティーンエイジャー時代に異性からかなりモテていたとの自負があったことは、彼女の日記からもわかります。

もともと、同じLucyルーシーという名の従姉妹が家の真向かいに住んでいたことで、ミドルネームで呼ばれたがっていた少女モンゴメリ。

「いいえ、あたしの名前ってわけじゃないんですけれど、ポリーと呼ばれたいんです。」
「eのついたつづりの "Pollieポリー"で呼んでください。」

と家族や周囲の友人たちに求めた姿が想像されるのではないでしょうか。

そんな "Villetteヴィレット"に登場するポリー(ポーリーナ)は、舌足らずな喋り方の、学校へは行かずに家庭で教育を受けた美しい乙女として描かれていますが、”Rilla of Inglesideアンの娘リラ”のリラ・ブライスも、15歳になっても兄姉が入学したクイーン学院には行かずにずっと炉辺荘に居たことや、ケネスとの会話では舌足らずな喋り方になりがちな、美しい娘であったことと符合しています。

第2節 ”Anne of Avonleaアンの青春”を彩るシャーロット・ブロンテ

アン・シリーズの第二作目になる”Anne of Avonleaアンの青春”でも、アンの周辺の人間模様はシャーロット・ブロンテに依っていました。
例えば”Anne of Avonleaアンの青春”で新たに投入した "Doraドラ"や "Davyデイビー"、 "Paul Irvingポール・アーヴィング"という子供キャラがそうです。
DoraドラDavyデイビーの双子がGreen Gablesグリーン・ゲイブルズに預けられますが、二人はシャーロット・ブロンテの"Shirleyシャーリー”の "Dora Sykesドーラ・サイクス"と "David Sweetingデイヴィッド・スウィーティング"(あだ名がDavyデイヴィ)という恋人たちの名前に符合しています。
16章でDavyデイビーは「神学の迷路」からアンによって助け出されますが、 "Shirleyシャーリー”のDavyデイヴィは助祭司(副牧師)なので、この辺りにもモンゴメリのユーモアの小悪魔が出没していることがわかります。
また、小さな詩人Paulポールは、シャーロットの"Villetteヴィレット"に登場する "Paul Emanuelポール・エマニュエル"教授と同じ名であり、Paulポールを主人公Anneアンの生徒とすることで、"Villetteヴィレット"でのPaulポールが主人公Lucyルーシーの先生であるという関係性を逆転させています。

余談ですが、Paul Irvingポール・アーヴィングIrvingアーヴィングについては、『ウォルター・スコット邸訪問記』を著した”Washington Irvingワシントン・アーヴィング "に因んでいると思われます。
ワシントン・アーヴィングは、米国人として初めて世界の文壇で認められた作家であり、今でも東海岸で読み継がれている『リップ・ヴァン・ウィンクル』や『スリーピー・ホローの伝説』を著しました。
ワシントン・アーヴィングがウォルター・スコットのアボッツフォード邸を訪問した時期に、スコットが執筆中だったのが『ロブ・ロイ(赤毛のロイ)』という物語であったのも実に興味深い符合でしょう。
赤毛のアンの物語の中で、成人したPaul Irvingポール・アーヴィングがアメリカで活躍する詩人となったり、Diana Barryダイアナ・バーリーの夫の名がFredフレッドであるのは、この辺りの繋がりからと思われます。

シャーロット・ブロンテと”Anne of Avonleaアンの青春”の間には、もっと沼深い符合があります。
シャーロットは、生涯に3人の男性を振っていることが研究者から指摘されていますが、実はその3人に因んだ人物を"Jane Eyreジェイン・エア”と"Shirleyシャーリー”に登場させているのです。
"Jane Eyreジェイン・エア”の St.セントジョンが、シャーロットが22歳の時に振ったヘンリー・ナッシーをモデルとしていることは前述した通り。
23歳の時に振ったDavid Bryceデイヴィッド・ブライスという助祭司は、先ほど触れた"Shirleyシャーリー”のDavid Sweetingデイヴィッド・スウィーティングの原型であり、さらにシャーロットが35歳の時に振ったJames Taylorジェイムズ・テイラーは、"Shirleyシャーリー”のキャロライン(2人の主人公のうちのひとり)の実父James Helstoneジェイムズ・ヘルストンの原型であることは、名前の符合だけでなく、彼らの性格描写からもわかることですが、まだあまり知られていないようです。
しかしそこに気づいたモンゴメリ。
シャーロットが描いた"Jane Eyreジェイン・エア”のSt.セント ジョンを、"Anne of Green Gables赤毛のアン" ではアンの生家の地名「ボーリングブローク 」に、"Shirleyシャーリー”のDavid Sweetingデイヴィッド・スウィーティングを”Anne of Avonleaアンの青春”の双子のDavyデイビーに、そして"Shirleyシャーリー”のJames Helstoneジェイムズ・ヘルストンを”Anne of Avonleaアンの青春”のJames A. Harrisonジェイムズ・ハリソンとして登場させます。
助祭司Sweetingスウィーティングの明るくて軽いけれど誰からも愛される、歳の割に子供っぽいキャラクターは双子のDavyデイビーを彷彿とさせますし、「若い女性に結婚してはいけない」と教え示す「危険信号の一つ」であるJames Helstoneジェイムズ・ヘルストンは、モンゴメリ流のユーモアで描かれた「結婚してはいけない」だらしのない男、Harrisonハリソンさんと対になっています。

それから”Anne of Avonleaアンの青春”18章のトーリー街道のネーミングも、シャーロットの"Shirleyシャーリー”に出てくる「トーリー党」という保守派の政党名からですが、これがモンゴメリの手に掛かると、

"Mr. Allan says it is on the principle of calling a place a grove because there are no trees in it,"
「アラン牧師が言いなすったけど、木が一本も生えていない場所を、わざわざ『なになに林』なんてよぶのと同じことですって。」

『アンの青春』村岡花子訳 18章より

という冗談に仕立てあげられます。
トーリー党の紋章には、大きな木が一本描かれています(ウィキペディア「トーリー党」参照)が、アンの訪ねたトーリー街道には「自由党のマーティン・ボヴェじいさんが住んでいるきり」で、「保守派のトーリー党」の支持者は一人も住んでいないことを「木が一本も生えていない場所」と表現しているのです。

相変わらずアンの周辺にはシャーロット・ブロンテ ネタが散りばめられている”Anne of Avonleaアンの青春”。
その終わりから二つ目の29章には、次のような描写があります。

「アンは『夢の家』という言葉が口から出たとたんに、その文句が気に入ってしまい、早速、自分の『夢の家』をも計画しだした。それにはもちろん、色の浅黒い、気位のたかい、憂鬱そうな顔をした、理想的な主人がいなくてはならない。」

『アンの青春』村岡花子訳 29章より

このいかにもバイロン風な「理想的な主人」のイメージは、Jane Eyreジェイン・エアのロチェスターそのものではないでしょうか。
しかし、その後こう続きます。

「ところが不思議なことに、ギルバート・ブライスも、そこにうろうろしていて、アンを手伝って、額をかけたり、庭の計画を立てたり、そのほか、気位のたかい、憂鬱そうな主人公(拙注:原文ではヒーロー)なら威厳にかかわると考えるであろうような、雑用にいそしんでいた。」

『アンの青春』村岡花子訳 29章より

このようなユーモラスな描写があるからこそ、アン・シリーズは単にシャーロット・ブロンテのオマージュに終わらないモンゴメリ独特の物語となっているのです。

第3節 投影された22歳の死別体験

大好きなシャーロットとその作品から湧き上がったイメージで軽快に書き進められた"Anne of Green Gables赤毛のアン" とは異なり、”Anne of Avonleaアンの青春”は難産だった様子が書き終わった翌月に文通相手のウィーバーに宛てて書かれた文面から伝わってきます。

「もし、残りの人生がアンという’暴走する馬車’に引きずられてゆく運命だとしたら、アンを創造したことを痛烈に後悔するでしょう。」

『「赤毛のアン」を書きたくなかったモンゴメリ』梶原由佳著 p.19~20

これは、「モンゴメリは本当はアン・シリーズを描きたくなかった」ということでは決してなく、’暴走する馬車’だった幼いアン・シャーリーを、落ち着いた乙女へと成長させることにまつわる創作上の苦悩を吐露したもの。
そして、そうする上で欠かせない、Kindred Spiritsキンドレッド・スピリッツという概念の深化を模索していたからなのです。
Kindred Spiritsキンドレッド・スピリッツについては後の第8章に譲るとして、ここでは引き続きブロンテ姉妹やその作品との関連を見ることにしましょう。

モンゴメリは16歳と半年になって少し大人びたアンを、シャーロットよりも落ち着いた性格だった妹のアン・ブロンテの作品に求めました。
例えば、13章の "Hester Grayへスター・グレイ"のエピソードは、アン・ブロンテが22歳の時に体験した想い人William Weightmanウィリアム・ウェイトマンとの死別と、モンゴメリ自身も22歳の時に想い人WillウィルWillie Pritchardウィリー・プリチャード)と死別したことが重なっていることから、その共通体験を初めて物語に埋め込んだものと思われます。
アン・ブロンテはその死別体験を処女作”Agnes Greyアグネス・グレイ"で昇華していますが、モンゴメリは男女を入れ替えて女性が22歳で亡くなるエピソードとしてHester Grayへスター・グレイを置いています。
なお、GrayとGreyはスペルが異なりますが発音も意味(灰色)も同じです。

アン・ブロンテが ”Agnes Greyアグネス・グレイ" で「グレイ」という名を用いたのは詩人の ”Thomas Grayトマス・グレイ” の名からであることは、アン・ブロンテの次の作品 "The Tenant of Wildfell Hallワイルドフェル・ホールの住人” で主人公ギルバートが想い人のヘレンに伝えた ”kindred spirits同じ思いを持つ魂” という概念が、トマス・グレイの ”Elegy Written in a Country Churchyard 墓畔の哀歌(1750年)” に詠われた "kindred spirit" をオマージュしたものであることからも推察できます。
kindred spirits同じ思いを持つ魂” というワードを世界に知らしめたモンゴメリですから、もちろんこの関係性を知った上での「Hester Grayへスター・グレイ」のネーミングであったのでしょう。

村岡花子さんが「恋の蕾」と訳した、”Anne of Avonleaアンの青春” 19章で描かれるギルバートの ”sentiment in the bud” がアンによってすぐに切り取られてしまう関係性は、アン・ブロンテの2作目 "The Tenant of Wildfell Hallワイルドフェル・ホールの住人” 8章にある同様の ”bud” のエピソードをオマージュしたものであることは、以前『ブロンテになりたかったモンゴメリ』で指摘した通りです。

"The Tenant of Wildfell Hallワイルドフェル・ホールの住人” のギルバートは、 

「僕が感情をこめたり、機嫌を取り結んだりしそうになったり、言葉や視線にわずかながらも愛情の兆しが見えたりすれば、その瞬間に僕は彼女の態度の急変で罰せられました。《中略》やっとの思いで芽吹いたつぼみを一つずつ無情にも摘み取っていたのです。」

『ブロンテ全集9』p.91 アン・ブロンテ 著 山口 弘恵 訳 みすず書房 1996年

「僕は目の前の幸運を感謝して享受しながらも、未来にはこれ以上のものをと願い、期待することを忘れはしませんでした。しかしもちろん、こうした夢は僕だけのものにしておきました。」

『ブロンテ全集9』p.124 アン・ブロンテ 著 山口 弘恵 訳 みすず書房 1996年

と語っていますが、モンゴメリの描くギルバートも ”Anne of Avonleaアンの青春” で、

「ギルバートはまだ少年期を脱したか脱しないに過ぎないが、人並みの夢は抱いており、その未来にはいつも、大きな澄んだ灰色の目、花のように美しい、優美な顔の少女がいた。ギルバートはまた、自分の未来をその女神にふさわしいものにしなければならないと、かたく決心していた。《中略》しかしギルバートは思っていることを言葉にあらわそうとしなかった。このような感情を明かそうものなら、アンは情容赦もなく、それを蕾のうちに切りとってしまうであろうし ── あるいはギルバートを軽蔑するにちがいないからだった。それがなにより辛かった。」

『アンの青春』村岡花子 訳 19章より

と悩んでいます。 
このように、ヒロインに向けて芽生える恋心が蕾(bud)のうちに摘み取られてしまうという、二人のギルバートの悩みはまさに同じもの。
しかし近年の全文訳だの完全版だのと称する訳本では、”bud” を「蕾」と素直に訳さず、その比喩を表現していないものばかりであるのは残念です。

アン・ブロンテ、そして自分自身の青春を投影して成長したアンを描いたモンゴメリでしたが、”Anne of Avonleaアンの青春”の執筆が終わった1908年8月から丸5年もの間、アン・シリーズの筆は止まっています。
1911年の結婚とそれに伴うオンタリオ州への引っ越し、そして1912年の出産という大きなイベントが続いたことがその理由ではないことは、 ”Kilmeny of the Orchard 果樹園のセレナーデ(1910年)” 、 ”The Story Girl ストーリー・ガール(1911年)” 、 ”Chronicles of Avonlea アンの友達(1912年:短編集で「アンの物語」ではない)” や ”The Golden Road黄金の道(1913年:ストーリー・ガールの続編)” が、その間に出版されていることからわかります。
そしてモンゴメリの日記には、1913年9月1日に ”Anne of the Islandアンの愛情” の執筆が始まったことが記されていますが、そこには何か特別なきっかけがあったのでしょうか。
次章からはその謎を解き明かしていきます。

第7章 シャーロット・ブロンテの恋文

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第1節 ”Island ” を離れて運命の人を知る

1913年7月29日。
シャーロット・ブロンテに関する世紀の大スクープが、イギリスの代表的新聞「タイムズ」によって報じられました。
1842〜43年にベルギーのブリュッセルへ留学していた際に出会ったエジェ教授に宛てて、シャーロットがイギリスから書き送った手紙のうち4通が発見され、世界に公開されたのです。
そこに綴られていたのは既婚者である教授への恋心でした。
それまでは、"Villetteヴィレット" で描かれたルーシーとポール・エマニュエル教授の恋愛は、作者であるシャーロットとエジェ教授の関係とは似て非なるものであり、シャーロットのエジェ教授への気持ちは生徒と先生の枠をはみ出るものではなかった、という解釈が一般的に受け入れられていました。
シャーロットが亡くなって2年後に、当時の人気作家でシャーロットとも親交のあったエリザベス・ギャスケルが『シャーロット・ブロンテの生涯』を描いて以来、定説となっていた道徳的なシャーロット像。
それがこのスクープによって一変し、研究者たちは堂々と自説を提示し始めます。

もちろんモンゴメリもすぐにこのニュースを知ったはずですが、なぜか日記には全く触れられていません
しかしその1ヶ月後の9月1日に、長らく止まっていたアン・シリーズの3冊めとなるAnne of the Islandアンの愛情” の執筆がスタートし、それが1915年に出版されると、そのあと立て続けに ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家(1917年出版)” 、 ”Rainbow Valley虹の谷のアン(1919年出版)” 、”Rilla of Inglesideアンの娘リラ(1921年出版)” を世に送り出すことになります。

このビッグニュースからモンゴメリはどんな着想を得たのでしょうか。
それは、自身の分身とも言えるウィリー・プリチャードとの大切な思い出、既婚者となっていたモンゴメリの秘めざるを得ない思いを、アンの結婚の時間軸と重ね合わせることで、アンの物語に埋め込んでしまうことでした。

1891年8月26日、一年間過ごしたプリンス・アルバートからプリンス・エドワード島に戻るその日に告白され、その後の6年間にわたる文通が1897年4月2日のウィリー・プリチャードの死で終わるまでに交わした二人のやり取りは遺されていません。
熱烈なラブレターの往復だったのかもしれませんし、そうではなかったのかもしれません。
もしかすると、ウィル(ウィリー・プリチャード)が他界したことで彼への想いがより深くなったのかもしれません。
何れにせよ、ウィルが他界した後も、モンゴメリは彼の姉のローラ・プリチャードと交流を続け、1930年には40年ぶりにプリンス・アルバートを訪ねた折にローラと再会もしていることからもわかるように、ウィルはモンゴメリにとって終生特別な人であり続けました。
モンゴメリは、叶わなかった道ならぬ恋を最後の小説 "Villetteヴィレットのなかで成就、昇華させていたシャーロット・ブロンテに倣おうと、Anne of the Islandアンの愛情” 以降の作品ではアンからギルバートへの戸惑うことない恋心を表現し始めます。
最初からウィルをモデルにギルバートを描いていたことは、最後までモンゴメリだけが知っている秘密であった訳ですが、その思いの証拠となる時間軸を物語に埋め込むことで、ウィルを失った実人生を空想世界で再構築しようとした・・・そうとしか思えないほどの一致が見られます。

第2節 アンとギルバートとフィリパ

18歳と半年になったアンが、憧れのレドモンド大学で勉学と猫と崇拝者たちに囲まれた4年間を過ごす ”Anne of the Islandアンの愛情” 。
この物語の最後で、22歳のアンは病に倒れたギルバートの報を聞き、自分の本当の思いに気づきます。
このプロットには、モンゴメリ自身が22歳の時にウィルをインフルエンザで亡くした死別体験が重ねられていることは、以前『もっと「赤毛のアン」を描きたかったモンゴメリ』や『ブロンテになりたかったモンゴメリ』で指摘した通りです。
そして「22歳の死別」を免れて相思相愛を確認したアンとギルバートが、前述したへスター・グレイの庭を共に訪れているのも興味深い符合でしょう。
二人はその後すぐには結婚せず、ギルバートは医科の道へ、アンはサマーサイド高校の校長の職に就き、3年間の文通の末に結ばれます。
この文通期間の物語は、21年後の1936年に出版された ”Anne of Windy Willowsアンの幸福” で描かれますが、「3年間の文通」という筋立ては、シャーロット・ブロンテの "Villetteヴィレット" のラストシーンから取られたもの。
アンの結婚の前にその3年の月日を挿入することで、モンゴメリはウィルとの思い出をアン・シリーズの時間軸に埋め込むことに成功するのです。
これについては第8章 「1891年の夏の夢」でお話しすることにして、まずは ”Anne of the Islandアンの愛情” に見られるシャーロット・ブロンテ作品のオマージュやモチーフを幾つかご紹介しましょう。

本来ならアンが16歳で入っていたはずのレドモンド大学に、遅れること2年。
アンとギルバート(とチャーリー・スローン)は、プリンス・エドワード島のお隣ノヴァ・スコシャに渡り、英領植民地時代にさかのぼる古雅な街キングスポートにある大学の門をくぐります。
アンはそこでクイーン学院の旧友プリシラと再会したり、フィリパ・ゴードンという天真爛漫で綺麗な女学生と出会いますが、フィリパはアンの生家のある「ボーリングブローク」の出身でした。
この地名は前述の通り、歴史上の人物ヘンリー・St.セントジョンの別名と同じであり、またSt.セントジョンと言えばシャーロットのJane Eyreジェイン・エアの主要登場人物になります。
アンはプリシラと "Old St. Johnオールド・セント・ジョン” という木陰の多い史跡墓地を歩き、墓銘を読んでは空想に浸りますが、そこで親友となるフィリパと出会います。
そして、アンの最初の下宿先の住所も “Thirty-eight St. John’s Streetセント・ジョン街三十八番地” 。
どうやらモンゴメリは、「ノヴァ・スコシアの架空の場所にヘンリー・St.ジョンにちなんだ名前をつける」ことを好んだようです。

さて、アンの親友フィリパの造形は、シャーロット・ブロンテの "Villetteヴィレット" に登場するジネブラ・ファンショーからと思われます。
ファンショーは、"Villetteヴィレット" の主人公ルーシー・スノウと同じ船に乗って英国からベルギーに渡る最中に、ヴィレットという町にある寄宿学校をルーシーに教え、自身もそこに住むことになる英国人女学生。
Anne of the Islandアンの愛情” のフィリパも大学の2年目以降はアンとプリシラ、そして2年から編入することになったステラ(彼女もプリシラと同様、クィーン学院の同窓)の4人で「パティの家」という下宿に入りますから、同じ屋根の下に住むという設定が似ています。
ファンショーが相当の美人であるところもフィリパと共通した特徴ですし、派手でフワフワしたところやお金に本当の意味で困ったことのないお嬢様なところも、大金持ちの家の娘フィリパと似ています。
しかし、貴族との結婚を実現するために勉学そっちのけで実行に出るファンショーの積極的な性格を真面目なルーシーが煙たがるところは、お茶目なフィリパを愛しているアンと異なるところ。
また、念願通りに貴族と結婚したにも関わらず身を落としていくファンショーとは対照的に、アン・シャーリーの影響を色濃く受けたフィリパは、最後には金持ちのボンボンではなく愛する貧しい牧師と結婚し、自身の人生をたくましく歩いていく女性になります。
愚かだけれど憎みきれない"Villetteヴィレットのジネブラ・ファンショーを、モンゴメリはより肯定的に、アンに触発されて成長したフィリパ・ゴードンとして描いたのでしょう。

"Villetteヴィレット" のラスト近くで、ファンショーがルーシーに宛てた手紙が読まれるのですが、 ”Anne of the Islandアンの愛情” のラストでは、フィリパが機転を利かしたお陰で死の淵にいたギルバートがアンの気持ちを知り、生還するというストーリーの仕掛けとしてフィリパの手紙が置かれています。

第3節 ジェムシーナ伯母さんとジャコバイト

アンやフィリパが移り住む「パティの家」に、家政の担い手としてやってきた "Jamesinaジェムシーナ" 伯母さんは可愛らしい白髪のおばあさんで、まだまだ危なっかしいところのある若いアンたちに様々な知恵を伝えます。
そのJamesinaジェムシーナという名前はJamesジェイムズという名の女性形。
Jamesは、この後のシリーズで登場する "Jimジム " 船長やアンの長男 "Jemジェム" と同じ名前です。
旧約聖書では "Jacobヤコブ" のことであり、新訳聖書では ”Jamesジェイムズ" と書かれていると、こちらのサイト様にありました。
このJacobヤコブ(またはJamesジェイムズ)のラテン語名がJacobusで、これがジャコバイトの語源となっています。
つまり、モンゴメリはJamesジェイムズに因んだ名前の人物をたびたび登場させることで、マシュウの墓にアンが白バラを植えるエピソードと同様、「スチュアート朝を復興しようとしたジャコバイト」を暗に示しているのです。
ちなみにスコットランド王 James2/7世や James3/8世こそが、イングランド、スコットランド、アイルランドの3王国の正式な国王であるとする運動だった為、Jamesジェイムズ → Jacobus(ラテン名)→ Jacobite(ジャコバイト)と呼ばれることになったとのこと。
しかしプロテスタントの国である英国は、カトリック信仰を止めようとしなかった Jamesジェイムズたちを再び国王として迎えることはありませんでした。
「私という人間が旧式」と言いながら、古き良き知恵をさりげなく教えてくれる "Jamesinaジェムシーナ" 伯母さんには、モンゴメリが抱く祖父母や曾祖父母が生きていたハノーバー朝 (1714年〜1901年)時代への思慕が込められています。

この他にも、ギルバートの女友達 "Christine Stuartクリスチン・スチュアート"の苗字が、アン女王のStuartスチュアート家と同じであり、色々な意味でアンをヤキモキさせるように置かれていること、アンたちの二番目の下宿先の持ち主の名前「パティ」が、ブロンテ姉妹の父と長男の名である「パトリック」の女性名の省略形であったり、パティの同居人(姪っ子)の名前がブロンテ姉妹の母と夭折した長女と同じ「マリア(またはマライア)」であったりするなどの、ちょっとした符合が散りばめられています。
Missパティの語調を強めた次のようなセリフ、

「それはつまり、あんたがほんとに愛するということですか、それとも、ただ、この家のようすが気に入った程度のことですかね?【中略】娘というものは自分の母や主イエスを愛すると言うのと寸分変わらぬ調子で、蕪を愛するなどとは決して申しませんでしたからね。」

『アンの愛情』村岡花子訳 10章より

には、まるでシャーロット・ブロンテの弟パトリック・ブランウェルが、愛していたのに裏切られたロビンソン夫人という既婚女性に対して放ちたかった言葉のようにも受け取れる、ブラックなユーモアが漂っています。

2020年12月7日追記:第2章3節「アン・シャーリーの誕生日」で触れたロイ・ガードナーは、ご存知の通り ”Anne of the Islandアンの愛情” でアンと2年間も付き合った末に振られてしまうレドモンド大学の学友ですが、彼の役回りはそのまま、シャーロット・ブロンテの "Shirleyシャーリー” でシャーリーに振られてしまうサー・フィリップ・ナナリー准男爵に符合しています。

「行状のすべてにおいてイギリス的な紳士であり、もちろん家系と富においては、彼女が要求しうる資格をはるかに越えていた」

ナナリー准男爵は、シャーリーの親族からは最も望ましい結婚相手と思われていた人物であり、その点でアンとお付き合いしていたロイと似ています。
ナナリー准男爵もロイ・ガードナーも、「主人公シャーリー」が結婚相手は地位や富では選ばない、ということを表現するための「咬ませ犬的キャラ」でした。

第8章 1891年の夏の夢

柳モリス
ウィリアム・モリス “柳の枝”

第1節 振られた三人男、おじいさんになる

シャーロット・ブロンテはその生涯で3人の男性、Henry Nusseyヘンリー・ナッシーDavid Bryceデイヴィッド・ブライスJames Taylorジェイムズ・テイラーから求婚され、お断りした彼らをモデルとした人物を自身の小説に登場させていたことや、モンゴメリが "Anne of  Green Gables赤毛のアン" や ”Anne of Avonleaアンの青春” で、彼らをモチーフに物語を綴っていたことは既に書きました。

モンゴメリは、シャーロットが振った三人の男性からよほどインスピレーションを得ていたようで、 ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” では彼ら若者とは「真逆」の、古稀をとうに過ぎた老人が3人登場しています。
それもただ名前を同じにしたのではなく、実在した3人が仮に生きていた場合の年齢が、物語に巧みに織り込まれているようです。

まず、James Taylorジェイムズ・テイラーはジム船長(James Boydジェイムズ・ボイド)として。
「ヨセフを知っている一族」の名付け親であるMissコーネリアが、8章で彼の年齢を「七十六なんですよ。」と言っています。
実在のJames Taylorジェイムズ・テイラーは1817年生まれと言われており、 ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” 8章の時間設定である1891年に彼が生きていれば74歳になっていることから、ジム船長の年齢とほぼ一致しています。

Henry Nusseyヘンリー・ナッシーは、ジム船長と「何年も『灰色の鴎丸』で一緒に航海した」Henry Pollackヘンリイ・ポロックとして24章に登場。
実在のHenry Nusseyヘンリー・ナッシーの生誕年は不明ですが、1816年生まれのシャーロットの親友Ellen Nusseyエレン・ナッシーの兄なので、 ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” 24章の時間設定である1893年にはシャーロットが生きていた場合の77歳より、数年上と考えられます。
76歳のジム船長の「古い仲間」であるHenry Pollackヘンリイ・ポロックは、実在のHenry Nusseyヘンリー・ナッシーとほぼ同じ年齢に置かれていることがわかります。

そして、ヘンリイとジム船長が船乗り仲間という設定も、Henry Nusseyヘンリー・ナッシーをモデルとしたJane Eyreジェイン・エアのSt.ジョンと、ジム船長とは「真逆」のような性格だった実在のJames Taylorジェイムズ・テイラーが、共に「振られた後、海を渡っている(インドに赴いている)」ことに因んだようです。

さて、三人目のDavid Bryceデイヴィッド・ブライスはというと、そのままの名前でギルバートの大伯父Dr. David Blytheデイヴィッド・ブライス老医師として登場しています。
Anne's House of Dreamsアンの夢の家” 7章でブライス老医師はアンのことを「あの髪の赤い女はどうやら美人じゃないか」と妻に語りますが、シャーロット・ブロンテを元型とするアンを美しいと褒めているところが、いかにもなセリフです。
また、8章のMissコーネリアのセリフ「もしディブ先生が医者じゃなくて牧師だったらあんな無茶は赦しておきはしませんよ。魂の痛みは胃の痛みほど苦にはなりませんからね。」は、実在のDavid Bryceデイヴィッド・ブライスが副牧師であったことを匂わせています。
アンは ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” 29章でこの老医師を「八十近くにもなる人」と言っていますが、29章の時間設定は24章と同じ1893年。
1811年生まれとされる実在のDavid Bryceデイヴィッド・ブライスが、その年まで生きていれば82歳。
他の二人と同様に、 ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” の老医師と実在の人物の年齢もほぼ一致しています。

シャーロット・ブロンテに振られた3人の若者を、今度はおじいさんとして ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” の時間軸に埋め込むことができたのは、さぞや愉快なことだったでしょう。

第2節 夢の家の在りか

'”Myself, I think the book is the best I have ever written not even excepting Green Gables or my own favorite ’The Story Girl.’  But will the dear public think so? ” (拙訳:私としては、『赤毛のアン』やお気に入りの『ストーリーガール』と比べてみても【拙注:『アンの夢の家』は】一番の自信作。でも、世間様はそう思ってくれるかしら?)

"Selected Journals of L.M. Montgomery Volume II : 1910-1921"  p. 222

モンゴメリが ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” を「『赤毛のアン』と比べても一番の自信作」と当時の日記に綴っていたことは、まだあまり知られていないようです 。(『もっと「赤毛のアン」を描きたかったモンゴメリ』第8章や、『ブロンテになりたかったモンゴメリ』II-3「ヒロインの誕生日」参照。)

8月の午後、25歳のアンはグリーン・ゲイブルズの屋根裏部屋で、翌月に挙げるギルバートとの結婚式とその後についてダイアナと話しています。

「【前略】あたしの新家庭の場所はすっかり決まったのよ」
「おお、アン、どこなの? ここから近いところだといいけれど」
「近くはないのよ。それが欠点なの。ギルバートはフォア・ウィンズ(Four Winds)港に住むことにしたのよ----ここから六十マイルはなれているの」

『アンの夢の家』村岡花子訳 1章より

第4章「原郷の地」では、プリンス・エドワード島のアヴォンリーは、英国スコットランドのボーダーズ地方を流れるツイード川流域の古メルローズのイメージから、モンゴメリが描き出した空想世界であると書きました。
アンとギルバートが新婚時代を過ごす ”Four Windsフォア・ウィンズ" という港も、アヴォンリーから60マイル離れていることから、60マイルは約100km、アヴォンリーの原郷の地・古メルローズから直線距離で北に100kmに位置するスコットランド北東岸のアーブロースという港町が、 ”Four Windsフォア・ウィンズ"のモデルではないかと思います。
既に第4章でご紹介したように、アーブロースはスコットランドが1320年にイングランド王国からの独立を宣言した際、アーブロース大修道院長がその独立宣言を記した場所であり、 ”Forfarshireフォーファーシャー" 州(1928年以降はアンガス州に改名)にあります。
Forfarshireフォーファーシャーのアーブロースは、ウォルター・スコットの初期三部作の一つ ”The Antiquary好古家”の舞台である ”Fairportフェアポート” のモデルと言われている風光明媚な港町。
架空の ”Four Windsフォア・ウィンズ" も ”Fairportフェアポート” も、実在の ”Forfarshireフォーファーシャー” と同様「F」から始まる地名になっています。
スコット一流のロマンティックなお話である『好古家』では、主人公オールドバックの住む元巡礼宿泊所だった広い屋敷と、スコットランドでもっとも由緒ある家系の一つであることを誇りにする、自称ジャコバイトのアーサー卿が住んでいるお城が、それぞれ歩いて行ける距離に置かれており、その中間にある海岸の切り立った崖ではアーサー卿の娘の結婚につながるエピソードが描かれています。
モンゴメリはこれと良く似た情景のなかに、アンたちの新居を置きました。
やがてアンとギルバートが長男誕生後に移り住む漁村グレン・セント・メアリと、そこから歩いていける灯台守のジム船長が住むFour Windsフォア・ウィンズ岬と、その中間にある海岸のクリーム色の小さな家で二人の新婚生活が始まるのです。

Four Windsフォア・ウィンズ"は、英国スコットランドのForfarshireフォーファーシャー州アーブロースのイメージを土台にして、そこに自身がよく知る港の風景を重ねたのでしょう。

ウォルター・スコットの『好古家』にはこのほかにも、ブロンテ姉妹やモンゴメリの作品と共通するモチーフがいくつかありますが、その具体的な箇所についてはまた別の機会にご紹介できればと思います。

参考文献:『好古家』ウォルター・スコット著 貝瀬 英夫訳  2018年 朝日出版社

第3節 船長と教授

次に、 ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” のジム・ボイド船長と"Villetteヴィレット" のポール・エマニュエル教授の符合について見ていきましょう。
モンゴメリは、主人公アンにとってのより深いところで繋がっている友人、ジム船長を

「ジム船長には話術家として生れつきの才能がある」
「みんな生活手帳にざっと書きとめちゃあるが、わしにゃそういうことをちゃんと書く才がないでな。きちんとはまる文句にぶつかり、紙にうまくそれを並べられさえすれば大した本をこさえられますがな」

『アンの夢の家』村岡花子訳 9章より

という風に描いています。
これはポール・エマニュエル教授の、

「即興の才」を「完全に持っている人」
「ムッシュ・エマニュエルは、叙述家タイプではなかった。しかし私は、彼が、書物にも滅多に見られぬほどの精神の財宝を、無頓着に、何の気なしに、ふんだんにばら撒いて語るのを聞いたことがある」
「そいでも、小生にはそれを書き留めるちゅうことができんのだ。」
「機械的な骨折り仕事ちゅうやつが嫌いでね。身をかがめてジッと座っとることが嫌なんだ。しかし性に合った書記になら、喜んで口述できるんだが。マドモアゼル・ルーシーは、もし頼んだら、書き取ってくれるかね?」

『ヴィレット』青山誠子訳 第33章より

といった特徴ととても似ています。
Anne's House of Dreamsアンの夢の家” 20章では、ジム船長の恋人マーガレットとの「五十年以上も」昔の死別が語られますが、同章の設定上の年代は1892年なので、その50年前は1842年。
これは、シャーロット・ブロンテがブリュッセルに留学してエジェ教授と出会った年代と重なります。
彼女の最後の作品"Villetteヴィレット" では、ポール・エマニュエル教授に実在のエジェ教授がほぼそのまま投影されていますが、エジェ教授には死別した婚約者マリーがいたそう。
"Villetteヴィレット" のエマニュエル教授にもジュスティーヌ・マリという死別した婚約者が置かれ、その事情が語られた物語上の時間軸は、シャーロットが留学した年である1842年と推定されます。
つまり"Villetteヴィレット" では、婚約者と死別したエマニュエル教授(エジェ教授を投影)がルーシー(シャーロット自身を投影)と出会ったのが1842年頃に置かれ、 ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” ではジム船長がその頃、婚約者と死別したと置かれているのです。
モンゴメリはジム船長にエマニュエル教授を色濃く投影しつつ、アンとの間に50歳ほどの年齢差を置くことで、恋愛感情を抜いてなお一層深く繋がる友人として描いたことが、この時間設定の符合から見て取れます。

第4節 ヴィジョンが見える人

さて、"Anne of Green Gables赤毛のアン" から ”Anne of the Islandアンの愛情” までのアン・シリーズでは、マシュウ・クスバート、ダイアナ・バーリー、Missバーリー(ダイアナの大伯母)、アラン夫人、ステイシー先生、Missラベンダー、ポール・アーヴィング、ポールの父(Missラベンダーの夫となる)、この8人がアン・シャーリーのKindred Spiritsキンドレッド・スピリッツとして描かれました。
ところが、 ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家” に登場するKindred Spiritsキンドレッド・スピリッツは、このような「気が合う人々」とは少し異なるようです。
その代表格であるジム船長は、若い時分に体験したある不可思議なヴィジョンについて語った際、真剣に耳を傾けるアンに ”the race that knows Josephヨセフを知っている一族" 同士であると告げます。

「もしある者がこちらと意見が一致し、物事についてほぼおなじ考えを持ち、冗談口にも好みが一つだとしたら、その人間はヨセフを知ってる一族に入る」

『アンの夢の家』村岡花子訳 7章より

というジム船長の言葉から、 ”the race that knows Josephヨセフを知っている一族" とはKindred Spiritsキンドレッド・スピリッツのようなものと受けとめるアン。
新居の過去の住人であるMissエリザベス・ラッセルにキンドレッドを感じたアンは、それとは異なる強さで、丘の上に身を隠すように離れ住むレスリー・ムアに惹かれてゆきます。
物語が進んでいくと、レスリーの未来の夫になるオーエン・フォードが登場し、”kindred infinite同類の無限” についてアンに語るのですが、これまでのKindred Spiritsキンドレッド・スピリッツとは似ているようで、どこか異なる「ヨセフを知っている一族」とはどのような概念なのでしょうか。

ヨセフは、旧約聖書の「創世記」に登場する「主の恵みと共におる者」。
「姿がよく、顔が美しかった」ヨセフは、既婚女性から何度誘われてもそれを拒んだ人物として、西欧社会では「貞節を守る」象徴として知られています。
モンゴメリは、旧約聖書の「出エジプト記」冒頭にある「ヨセフのことを知らない新しい王」という記述をもじって、 ”the race that knows Josephヨセフを知っている一族" というユーモラスなワードを創ったことが推察されます。
「溺死した恋人に五十年間、誠を尽くしてきた老いたる」独身者ジム船長は、まさにヨセフのように貞節がなんたるかを知っている人物と言えますが、私にはそのことだけが ”the race that knows Josephヨセフを知っている一族" の条件であるとは思われません。
それよりも、アンの「小さな家」の先の住人Miss Elizabeth Russellエリザベス・ラッセルが、「昔から心霊を見る習慣があった」19世紀のロマン主義詩人、James Russell Lowellジェイムズ・ラッセル・ローウェルと同じRussellという名であること。

2021年7月14日追記:"Anne of Green Gables赤毛のアン" 2章の冒頭2行の詩は、ジェイムズ・ラッセル・ローウェルの『サー・ローンファル』からの引用です。

『赤毛のアン』 山本史郎訳 注釈 p.508 原書房 2014年改訂版)

そして、ジム船長の生活手帳を書き起こして本にしたOwen Fordオーエン・フォードが、ウォルター・スコットと同時代の社会改革者で晩年に心霊主義に傾倒していたRobert Owen《ロバート・オウェン》と同じOwenという名であるあたりに、ジム船長の昔話に漂う不思議な空気と通底するものを感じます。

聖エイダンのヴィジョンを見たいにしえの聖クスバートのように(本稿第4章2節参照)、そこにはいないはずの人やものが見える----いわゆる "Visionヴィジョン" が見える人がこの世には存在していて、そんな不思議な能力を「人知れず」持っている人物を、疑うことなくそのまま受け入れることができる人々が ”the race that knows Josephヨセフを知っている一族" ということではないでしょうか。

第5節 kindred spiritsキンドレッド・スピリッツと ”the race that knows Josephヨセフを知っている一族"

モンゴメリが"Anne of Green Gables赤毛のアン" で描き出したKindred Spiritsキンドレッド・スピリッツ---村岡花子さん訳では当初、「気が合う」「仲間」「心が通じ合ってる」と訳され、シリーズ2巻目の”Anne of Avonleaアンの青春”の途中から「同類」と訳されるようになった言葉---は、シャーロット・ブロンテのオマージュと思われます。

もちろん、ロマンティシズムにカテゴライズされる詩人たち---トマス・グレイやジョン・キーツが "kindred spirit(s)"という言葉を詩に詠んでおり、ブロンテ姉妹もそこから想起したものを自らの経験に映し出して作品を描いたのでしょう。
エミリー・ブロンテは詩の中で、「親族」という意味で "kindred"のワードを用いています。
アン・ブロンテは2作目の『ワイルドフェル・ホールの住人』(1848年出版)で、主人公ヘレンに対して物語の語り手でありもう一人の主人公であるギルバートが "kindred spirits同じ思いを持つ魂”と伝えています。
シャーロットは、出世作Jane Eyreジェイン・エア(1847年出版)で "kindred"の文字を6回、そのほとんどを「親戚」の意味で使っていますが、終盤の33章ではジェインの台詞として次のように用いています。

"I want my kindred: those with whom I have full fellow-feeling."(拙訳:欲しいのは身内、心から同胞と感じられる人。)

“Jane Eyre” シャーロット・ブロンテ著 33章より

"Shirleyシャーリー”では ”kindred”という言葉は使われていませんが、『教授』では4回、「血統」や「家族」の意味で使われています。
そして最後の作品となった"Villetteヴィレット"(1853年出版)では、計3回。
最初は「親戚」の意味で用いられますが、終盤の35章では次のように使われています。

”But a close friend I mean---intimate and real---kindred in all but blood.”(拙訳:だが、わしは親友のことをいっているのだ---親密な、本当の友達---血の繋がりの他は何もかもピッタリ合っている人だ。)

”Villette” シャーロット・ブロンテ著 35章より

このポール・エマニュエル教授がルーシーに伝えた台詞にある friend、intimate、real 、kindredのワードはそのまま、"Anne of Green Gables赤毛のアン" でアンが次のように用いています。

”A bosom friend---an intimate friend, you know---a really kindred spirit to whom I can confide my inmost soul”「腹心の友よ---仲のいいお友達のことよ。心の奥底をうちあけられる、ほんとうの仲間よ。」

『赤毛のアン』村岡花子訳 8章より

しかしモンゴメリの描いた”kindred spirits”は、ダイアナやマシュウ、アラン牧師夫人、ポールなど会ってすぐに心が通じ合う人たち全てを指しており、「ぽっちりじゃないわ。この世界にたくさんいる」と置かれた点が、想い人ただ一人のことを指していたシャーロットやアン・ブロンテの ”kindred(spirits)”とは異なる点です。

それが、 ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家”ではジョン先生やジム船長、 Missエリザベス・ラッセル、Missコーネリア、オーエン・フォードなど「今はもう、あるいはまだそこにいない人々」を普通に身近に感じることができる人、そうした能力をひっそり持つ人を自然に受け入れることができる人たちへと変化します。
そして、モンゴメリの”the race that knows Josephヨセフを知っている一族"という概念で、Kindred Spiritsキンドレッド・スピリッツはより深められたのです。

繰り返しになりますが、モンゴメリは1913年7月末のシャーロット・ブロンテの「4通の手紙」というビッグニュースによって彼女のエジェ教授への恋心を知った上で、「エジェ教授が投影されたエマニュエル教授」が元型であるジム船長を、「シャーロット」を元型としているアンの想い人ではなく”the race that knows Josephヨセフを知っている一族"、深化したKindred Spiritsキンドレッド・スピリッツと置いています。
アン・シリーズでは一貫して、シャーロットとその作品を熱烈にオマージュしているモンゴメリですが、Kindred Spiritsキンドレッド・スピリッツ恋愛や結婚の対象ではないという「一線」は譲れなかったようです。

そこで気になるのが、モンゴメリ自身のKindred Spiritsキンドレッド・スピリッツ
"Anne of Green Gables赤毛のアン" の出版が決まる少し前に、文通相手のマクミランに宛てた手紙にはこう書かれています。

「ええ、結婚生活においては、類似点が見つかるのは望ましくないというあなたの意見に賛成です。頭で考えるときには、類似点がなければならないと思うでしょうが、現実はまるで違います。わたしの意見では、友情には似ていることが当然必要です。でも、恋愛には似ていないことが是非とも必要なのです。もちろん、わたしは結婚したことがありませんから、この問題についてのわたしの結論が絶対的なものだとみなすことはできません。でも、観察したことから判断して、わたしは次のような結論に達したのです---わたしが知っている最も幸福な結婚をしている幾組かのカップルはお互いに全然似ていない者同士なのに、非常によく似た者同士のカップルの中には不幸な結婚生活をしている人たちがいる、と。こういうことになるのは、お互いに友情関係ではとてもウマが合うことに気付いた二人が、一足飛びに、結婚生活でも全く同じであろう、いや、一層うまくゆくだろうとの結論に飛びつくからだと思います。物の見方が似ているために、結婚という親密な関係に入ると、お互いにしっくりゆくかわりに、衝突してしまうのです。」

『モンゴメリ書簡集 I G.B.マクミランへの手紙』ボールジャー、エパリー編   
宮武 潤三、宮武 順子 共訳 篠崎書林 1907年4月1日の手紙より抜粋

この手紙が書かれた時、モンゴメリはまだユーアンと結婚していません。
「恋愛には似ていないことが是非とも必要」「わたしが知っている最も幸福な結婚をしている幾組かのカップルはお互いに全然似ていない者同士なのに、非常によく似た者同士のカップルの中には不幸な結婚生活をしている人たちがいる」とはっきりと書いているモンゴメリにとって、この4年後に結婚するユーアンは”the race that knows Josephヨセフを知っている一族"ではなかったはずです。
ところが、1922年のマクミラン宛の手紙には、夫ユーアンがモンゴメリのkindred spiritsたちと一緒にMuskoka(マスコーカ)の森の中でキャンプしている白昼夢が綴られています。

この夢には何が表象されているのでしょうか。
結婚した後で、ユーアンは”the race that knows Josephヨセフを知っている一族"になったということかもしれません。
第一次世界大戦で自分の教区の住人に多くの戦死者がでた辺りから、彼の精神は病み始めたと言われています。
戦争で亡くなった「今はもうそこにいない人々」の魂を感じているような言動が、ユーアンに現れ始めていたのかも知れません。
しかし、こう考えることは出来ないでしょうか。
夫ユーアンが白昼夢に登場したというのは、本当に登場した別の ”the race that knows Josephヨセフを知っている一族" をカモフラージュするための嘘だった、と。

第6節 Josephian comradeヨセフ的仲間

モンゴメリは16歳の一年間を、再婚した父のいるサスカチュワン州プリンス・アルバートで過ごしましたが、その時ウィリー・プリチャード(ウィル)と出会います。
Will(ウィル)は、モンゴメリが14年後に描き出すアン・シャーリーのような「赤毛で緑の目」だったそうですが、ギルバートのように「ゆがんだ口許(『赤毛のアン』中村佐喜子訳 15章より)」をしていました。
モンゴメリは"Anne of Green Gables赤毛のアン" の15章と25章で、ダイアナに計3回、ギルバートのことを”Gil”ギル”という愛称で呼ばせていますが、その ”Gilギル” が Willウィルのフランス的名である ”Guilleギル”と同じ音であることは、以前『ブロンテになりたかったモンゴメリ』で指摘した通りです。(『ヨーロッパ人名語源辞典』梅田修著 大修館書店 p. 240参照のこと。) 

ウィルと彼の姉ローラ・プリチャードと三人で、本を読んで話し合ったり遊びに出かけたりするうちに、ウィルと特別な気持ちを抱き合うようになったモンゴメリですが、義母と上手くいかずにプリンス・エドワード島へ戻ることになります。
ウィルと離れ離れになる1891年8月26日に、ウィルから手渡された手紙で「君を愛している。これからも」と告白されたことが、当時の日記に綴られています。
ウィルはその6年後、1897年4月2日にインフルエンザに罹って亡くなりますが、彼から告白された1891年の晩夏を、モンゴメリはAnne's House of Dreamsアンの夢の家でギルバートとアンが結婚式を挙げる9月の時間軸に重ねました
大学を出てすぐの結婚ならば、物語の時間軸上では1888年となったところを、そこに「3年間の文通」を挿入することで、1891年の結婚としたのです。
その上で、

「できればいつ、どこであたしは式を挙げたいかおわかりになる?夜明けなの---壮麗な日の出、庭にはばらが咲き匂う六月の夜明けなの。」

『アンの夢の家』村岡花子訳 3章より

と、式直前にも関わらずアンに言わせているモンゴメリ。
ダイアナもフィリパも6月の結婚式だったのに、アンの結婚が9月だったのは、モンゴメリ自身がウィルの8月末の告白を受け入れたイメージの中に置いたものだったからに違いありません。
大好きなシャーロット・ブロンテが秘密の心情を小説に描き出したように、モンゴメリはウィリー・プリチャードとの秘密の思い出を、 ”Anne's House of Dreamsアンの夢の家”の時間軸に埋め込んだのです。

アンにとってギルバートはkindredではない、と置かれていることから、ウィルもモンゴメリにとってのkindredではなかったということになるのでしょうか。
しかし、モンゴメリとウィルとの関係は、彼の死で終わりを迎えたわけではありませんでした。
ウィルの死から20年後に出版されたAnne's House of Dreamsアンの夢の家を、モンゴメリはウィルの姉ローラ・プリチャードに献呈しています。
さらには、ウィルと出会い、そして別れた1891年から39年後には、ローラ・プリチャードを訪ねてもいます。
モンゴメリは、シャーロット・ブロンテのJane Eyreジェイン・エアの様に、遠くにいるウィルと感応しあっていたからこそ、彼の姉との現実世界での関係も絶やすことなく続けていたのかも知れません。
そうだとしたら、いくら望んでも結婚相手にはなり得ないウィルは、まさしくモンゴメリのkindred spiritsキンドレッド・スピリッツの定義の適格者であったと言えるでしょう。
モンゴメリはローラ・プリチャードと再会し、ローラとウィルが昔住んでいた家を共に訪ねたときのことを綴った1930年10月12日の日記で、

Will was with me, a jolly, Josephian comrade: 
(拙訳:陽気なヨセフ的仲間のウィルが私のそばにいた。)

”The Selected Journals of L.M.Montgomery VOLUME IV: 1929-1935”
メアリー・ルビオ & エリザベス・ウォーターストン編 P. 80より

と記し、合わせてウィルとローラと共に過ごした1891年の数日間の思い出を次のように書いています

Anyhow we held hands and he "stole" the little ring I wore---the little ring I wear yet---the ring that is never off my hand day or night.  It is an amazing thing about that ring---it was a mere thread of gold when Aunt Annie gave it to me when I was twelve---it was a still slenderer thread when I gave it to Will---and when it came back to me after his death.  It has never been off my finger since.  And it has never worn out.  I would not know my hand without it.  I want it on my hand when I die---when I am buried.  It is a symbol of something---I hardly know what---but something old and sweet and precious and forever gone.(拙訳:手を握り合った拍子にウィルは私が身につけていた小さな指輪を「盗んだ」---その小さな指輪を私は今もまだはめている---昼だろうが夜だろうがその指輪をつけたまま。信じられないくらい大切なもの---アニーおばさんから十二歳でもらった時にはただの金色の糸だったのに。ウィルにあげた時にもそれはまだ細い糸でしかなかったのに---ウィルが亡くなって指輪が私の手元に戻ってきてからは、ずっと外したことがない。それは色褪せない。それ無しではいられない。死ぬ時もはめていたい。埋められるその時までも。それは何ものかの象徴---それがなんであるのかはわからない---思い出の、甘く大切な、永遠に去ってしまったもの。)

”The Selected Journals of L.M.Montgomery VOLUME IV: 1929-1935”
メアリー・ルビオ & エリザベス・ウォーターストン編 P. 80より

Josephian comradeヨセフ的仲間”と日記に書かれたウィルは、やはりモンゴメリにとっての”the race that knows Josephヨセフを知っている一族"だったのです。
そして、ずっと一つの指輪で繋がっていたのです。


〜「第四部 秘密の時間軸」へ続く。〜

*ギルバートの名前の由来を考察しました。新記事「『赤毛のアン』と『マーミオン』〜後編」をどうぞご覧ください。

♪拙記事のアイディアを参考にされる場合は、参照元のご明記を・・・♪

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