2025.02.01から インド クンブメーラ
2月になった。
ラムギリババジとハラギリババジとサシーの3人3様の生き方に翻弄されている。それはそれでイイ経験に成る。宗教について実践を通した学びが得られている。インドの宗教の占める割合はとても高い。
インドのこの土ぼこりの気候とガンジャで身体が完全にやられている。それに咳が加わってきた。みんな殆どの男性はこの土ぼこり、咳、そして殆ガンジャにやられている。女性はその辺の衛生にはかなり気を使って切り抜けている様に思う。女性でガンジャをしている人は見かけない。咳をする人も見かけない。
ガンジャを控えてたら少し回復してきた。体調を崩して精神的に少し落ち込んでいる。
クンブメーラを離れる事も出来るけれど、それはしたくないな。インドをもう少し楽しみたい。毎日のヒィンドー的な生活をする事で修行に成る様に感じる。まだ取り組める体力はある様に思う。
先ずは健康第一で乗り切っていこう。体力作りをしたい。柔軟やクライミングがしたくなる。しかし、犬も牛も人間もみんな寝ている。頑張り過ぎるのはこの風土には合わないのかもしれない。そんな理由を付けて自分も犬や牛の様に寝ている。ヨガの様な有酸素運動が発展したのが解る。無酸素運動では身体が壊れてしまう様に感じる。
宗教に付いて考える時間が取れた。
理性、合理性、倫理の英訳が難しい。
家族も友だちも外的要因
。幸福は内的要因。
人は何も持たずに裸で母親から1人で産まれてきた。そして何も持てずに1人で消えていく。この世に残る人の自分への思い出も諸行無常。直ぐに消える。自分の祖父母の想い出も殆ど消えている。
若い時は家族よりも友だちが大切だった。その頃の自分の家族に対する考えは中世のパトロンの様な関係に感じていた。
実際に家族は自分への勉強には無償で資金を出してくれた。
大学に入ってバイトをする様になると家族への感じは変わっていった。感謝と有り難さの感じになっていった。血縁を考える様に成った。
大学を卒業し、就職をし、世間一般的の様に家族を持つ様になった。自分は婿養子に成ったけれど、その事はあまり気にしなかった。自分の両親はかなり衝撃だった事を後から聞いた。両親にとってはかなりな問題だったんだと感じた。
自分は石井が鈴木変わるだけと考えていた。なんの変化も生きる上で感じなかった。二文字の変化にぐらいしか考えていなかった。
宮城県に住んでいるのだから、東京に戸籍があるよりも便利かなぐらいにしか思っていなかった。姓名判断では石井よりも鈴木のが良さそうらしかった。
自分の下の娘も姓名判断で鈴木のままにしたらしい。
結婚をして急に親戚が増えた。
自分の父は早くから両親を失って、北海道の帯広から東京にやって来た。自分は母方の親戚しか知らない。母方の保坂家しか知らない。石井家の事は帯広に住んでいた事しか知らない。
正月に親戚が保坂家に集まる。自分はお寿司を食べて、お年玉を貰えるのが嬉しかった。石井家とも親戚関係があったらどうなるのだろうと思った。
小学校の低学年ぐらいまでは正月にはおめかしをして保坂家に行った。バスを中野駅で乗り換えて、池袋にいった。
その頃の中野駅はまだ闇市の雰囲気が残っていた。ガード下には屋台が並んでいた。バスもボンネットバスだった。バスには車掌さんが大きながま口の様な鞄を首からぶら下げてバスの中を歩いていた。車掌さんがお客の乗り降りの場所を把握しているのが不思議だった。
母の姉の家族がスバル360に乗ってやってくる様になった。バスに酔う自分にはとても羨ましかった。
結婚をして、子どもを持ち、段々と家族も増えてきた。
働き出してからは友だちは増えなかった。仕事ばかりの生活で人間関係が他に見つけられなかった。
クライミングを始めたら友だちが増えた。
その頃の仙台にはクライミングジムが無かった。仙台でクライミングを始めても長い冬を何年も越せる人は限られていた。長いラッセルでたどり着いた所はアイゼンとバイルとプレートアブミの世界だ。フリーだけにしかクライミングの魅力を感じられない人たちの殆どは冬に耐えられなくて消えていった。
自分がクライミングを始めた時に大日岩は既に作られていた。自分にはレベルが高すぎた。グレードテールなどの日向どころか、シャンデリアなどの日陰でのトップロープでも打ちのめされた。2、3手でターザンになっていた。
東北では長いラッセルか、全く登れないでターザンだけのクライミングしか無かった。
東北では冬は山スキー、夏は沢登りが最適だった。敢えて東北でクライミングをするのは変人が多かった。
東北でライミングをしている人とは全員が顔見知りだった。みんな変人だった。まともな人はいなかった。
11月3日の文化の日にはみんなで明神でドンチャン騒ぎをして長い冬を迎えた。
段々と家族が増えていった。しかし、保坂家との親戚関係は今はほとんど無くなった。保坂家はみんな関東に住んでいた。
自分は娘が2人だけだった。それでも指数的に親戚が増えている。親戚は量も質も今の友だちよりも濃い人間関係になってきている。
「友だちは減っていくけれど、家族は増えていく」
この事は昔からのクライミングの友だちがクライミングをしなくなり、孫が増えていく事で気が付いた事だ。友だちよりも家族が自分なは大きな存在なっている事に気が付いた。
自分の友だちに対する考え方が、大学と今とではかなり異なる。
どんな宗教も先祖を大切にする事が解る気がしてきた。
多磨霊園にある石井家のお墓はもうすぐなくなる。
小さい頃は桜の季節にお墓参りをしていた。笹塚駅から京王線で多磨霊園で降りる。帰りにお茶屋さんでみつ豆を食べるのが嬉しかった。京王線が甲州街道を踏み切りで横切っていた時代だ。笹塚駅で鈍行が急行に抜かれるために停車していた頃だ。
話しが代わって、
神即自然とは
人は自然と一体である。自然とどの様に関わるかが問われている。
意識や目的は自然には存在しない。何もかもが必然だ。因果関係がある。
自由になる事は自然を理解する事。自然を理解すれば、感情さえも理解する事が出来る。自分の人生をコントロールが出来る様になれる。自然には偶然は無い。合理的、必然だけが存在する。自然の道理を理解し、自然に自分を合わせていく。盲目的に祈るのではなく、自然の道理を理解し、行動していく事が大切だ。
善と悪は報酬と罰ではない。自分の本性と自然を理解する事だ。善も悪もない。
理性で自然を理解する事が大切だ。
儀式や祈りでなく、理性、法則、科学に従って生きる。いかに法則、自然、神を理解するかだ。
自由、幸福になるには自然を理解する事。その為には精神と身体の同一が大切。
理性によって感情をもコントロールする。真の自由に成れる。
理性と感情。自分の本質や自然を理解すると感情から自由になる。自然と一体に成る。自然と一致する。
法則を理解し、自発的に受け入れる。善悪を選ぶのではなく、必然的に理性で生きる。自然との合理性を選ぶ。その事で感情に振り回されなくなる。自由になれる。
自由と必然性。
自然との調和。
話しが代わって。
夫婦別姓はどうなんだろう。
日本の戸籍は産まれて、結婚して、亡くなるまでがしっかりと管理されている。生まれてから亡くなるまでを確認出来るのは世界でも珍しい事らしい。
夫婦別姓だと戸籍がとても面倒な事になる様に思う。戸籍上は同じ姓にして、戸籍以外の免許証などは元の姓で運用出来る様にした方が複雑にならない様な気がする。
同性婚や一夫一婦制でない結婚にまでも踏み込んだら戸籍の必要性があるのだろうか。家族や血縁なども議論しなければならないと思う。
父と娘が結婚する事も有りなのかな。
AI パープレキシー
映画「まどか まきこ」
映画「おしのこ」
映画「銀河英雄伝説」
映画「メタルスキンパニックマドックス」
映画「トップをねらえ」
2025.02.01土
昨日はサシーは直ぐに家に戻っていった。
ハリギリババジのテントでのんびり。ハリギリババジは穏やかに鎮座している。とても自分に気を使ってくれている。
ラマギリババジの所で寝る。ラマギリババジが優しくなってきた。
グルーとチェラ 師匠と弟子の事。
映画「バイオハザード」「ガンダム」
ココはWi-Fiが無いので連絡がなかなか取れない。
水30₹を買う。ボラれた。スマホの電卓に数字を打ってから交渉するのがお互いに良さそうだ。
朝の体調は少しは良くなっている。咳も少くなった。
沐浴に行く人たちが家に戻っていったので、沐浴に誘われなくなってしまった。
朝はのんびり。
ハリギリババジの所にブドウと梨を買って行く。
絵を描いてくれとラマジーに言われた。
写真をみて描くことにする。
絵を描く。ジープの絵。
絵を描いてくれとまた言われた。目や鼻が難しい。ペンで描いて淡彩にする。ペン画は余り好きでない技法だ。水彩画らしい透明感の絵にはなるが説明的な絵になってしまう。
サシーが来てサシーの知人のミラジーの所に行く。
ラムギリババジのマッサージをズーとする。ラムギリババジは自分を見定めようとしている感じがする。
みんなは歌を歌っていたけれど自分は寝ていた。
夕食を食べて、また寝る。
2025.02.02日
沐浴に誘われた。沐浴の場所は人が少なくなったので近くで出来る様になった。道の封鎖が解かれた様だ。それでも混んでいる。
沐浴から帰って来てチャイとビスケットを戴く。
のんびりしているとラムギリババジが来た。サシーの所に今晩は泊まる事を伝えた。
身仕度を整えて、テントを出ていこうとしたら、ラムギリババジからマネー、マネーと言われた。
写真やポスターやテント内の備品のお金などを自分が払っている事を説明しても、なんか通じない。サシーの話も出てきて混乱するばかりだった。
もう、これはムリと考えた。ラムギリババジとの関係は修正は出来ないと感じた。全ての荷物を持って、ハリギリババジの所に向う。
どう考えてもラムギリババジはお金に囚われている感じが拭いきれない。ボケてきたのかと感じるほどだった。
ハリギリババジの所に行く。ラムギリババジの所を出てきた事を伝えた。荷物を置かせて貰えた。水や食事もくれた。スカーフもくれた。
コレからはハリギリババジのテントにズーといる事になった。
絵を描く集中力がない。
ハリギリババジの動きを見続ける。ズーと座っていて、参拝者に灰を上げている。とても大変そうだ。身体を動かしたくなる。朝から横たわる事もあまりしないでお布施に応えている。
サシーが来た。朝の事を話した。普通の放浪に切り替えないでこんどはハリギリババジのお世話になってクンブメーラにはいる事にする。
サシーに500₹。ガンジャを買うらしい。
自分がインド人のお金の価値感を壊している様で気が引ける。物価が日本の5分の1ぐらいに感じる。
日本も欧米人やアジア人が円安なのでやって来てくる。底辺の底辺の階級の人たちは物価が上がって疲弊しだしているらしい。日本に来る移民の人たちは円安で大変なのだろうに物価高が加わる。日本に居るメリットが無くなっていると思う。日本が嫌いにならないとイイのだけれど。
パリやミラノに行った事がある。街の移民の人たちは完全に街や国に対しての愛着心もなくなっているのを感じた。アフリカからの人たちだと見た目から解る。スリや偽装ブランドの販売などの犯罪に走り出していた。法律を守ろうとする意識はほとんどなかった。シンジケートのルールに縛られている様だった。
役割を決めて集団でスリをしていた。警察もその集団を取り締まりをしようとは全くしていなかった。
移民は受け入れる体制がしっかりとしないままで、受け入れるべきではないと感じる。お互いに不幸になる様に思う。溝が深まる様に感じる。
今の日本にやって来る移民の人たちは日本語が話せる人がかなりいる。移民に来る国の中では能力のある人たちだと思う。その人たちを単なる単純労働のコンビニの店員や肉体労働に従事させるのはどうなのかと思う。移民に来る国はその能力の有る人たちを迎えている。その国の為でなく、お金の為だけで将来への蓄積がなされない。その国の大きな損失になると思う。
ウインウインでは無い。
技能を実習しているとは思えない。使い捨ての様な扱いをされては、親日の心が養われるとは思えない。更に家族と何年も別々に過ごすのはどうなのだろうとも思う。
人間は優しくされれば、優しさが返ってくる。粗雑に扱われれば粗雑は倍になって返えされる。
ウィンウィンが大切。
魚をあげるのではダメだ。魚の釣り方を教える事が大切だ。
インフラを作って債務国にするのもダメだと思う。
日本は国土に対して人口が多いのだから少子化で人口が少くなるのはイイ様に思う。人手が足りないのは仕方ない。我慢すればイイ。江戸時代の人口は今よりももっと少なかった。他国の不幸で今までの便利さを維持するのは傲慢だと思う。我慢すべきだ。
こんなに便利な日本は本当に必要なのだろうか。子どもの頃はこんなに海外旅行や国内旅行が出来る老後が過ごせるなどとは思ってもいなかった。
明治時代のお雇い外国人の制度はとても素晴らしいと感じる。物を買うのではなく、知識を買うところが日本らしい。ポルトガルから買った2丁の銃を何十年後には魔改造をして、日本は世界有数の銃の保有国になっていた。
大陸から仏教を導入し、それを日本的にアレンジして神道と融合させた。
漢字からカタカナ、平仮名を創り出した。表意文字と表意文字の混合に漢字の音訓など日本の文章には視覚的にも美しさが感じられる。
日本は他国の文化を柔軟に受け入れて、自分のものにしてしまう寛容さを感じる。
違いを対立としてとらえるのではなく、とても器用に融合させてきた。
「和」を大切にしてきた。
携帯のガラパゴス化から負けてから久しい。スマホに取って代わられた。ウイニーなども開発する土台があったのに活かしきれなかった。
日本は少子化のピンチをチャンスに出来るのだろうか。世界に先立って少子化になる日本と中国を世界は見つめている。
グローバル化により日本の独自性は消えてしまうのだろうか。日本の強みを発揮していけるのだらうか。
人を殺すための生産性どころか破壊しかもたらさない軍事費を2倍にするのは信じられない。
技術で発展した日本は教育にお金を掛けるべきだ。「和」の精神があれば暴力はいらない。問題が見つかれば、寛容さで融合させていけばイイ。
このテントにいる人たちはどのくらいの階層なのかも解らない。
他のテントと比較察すると中流な様に感じる。英語が話せないので上流ではない様に思う。
サシーはダウンタウンに行った。
新月が暗く成りかけた空に浮かんでいる。
スマホを無くしかけた。
22:00から夕食。美味しく感じる。
2025.02.03月
5:00頃から起き出す。
ゴホゴホはまだ治らない。
沐浴に行く様だ。
20人ぐらいが
ハレハレーマハジ
と言いながら、見物客の間を各お寺のグループが先を争う様に、人混みをかいくぐり足早に駆け抜けて行く。付いていくのが大変だ。似たようなお寺のグループなので間違ったお寺のグループに付いていかな様にしないとならない。
息をハァハァしながらフロートの橋を渡った。対岸での沐浴場に着いた。
バナラシでは対岸は聖域でないので聖域と不浄の差がハッキリしていた。ココでは違うらしい。
自分は沐浴は諦めて自分らのグループから離れない様にするのが精一杯だった。ハリギリババジが沐浴を終えて、体中に灰を塗っていた。
テントに戻るのも大変だった。ヒィンドーの服でなく、洋服だったので列に入れて貰えない様な検問所もあった。警察が止めるのもムシしながらまた対岸に渡る。
遂にハリギリババジを見失しなった。ハリギリババジのアメリカからのお客さんも彼らを見失ったらしい。2人で検問場所を適当に抜けながら鉄道を目指す。鉄道に近づいてようやっと地理が掴めた。
なんとかハリギリババジのテントに到着。ハリギリババジのテントのグループも着いたばかりらしく、テントの前でみんなで最後の歓声をあげていた。
ハリハリ マラージ
暫し、テントでのんびり。
沐浴でハリギリババジから貰った布を落としていた。
絵を描いているとサシーが来た。
沐浴にいく。第3の目を入れて貰う。10₹。
ラマギリババジの所に行く。余り行く気がしなかったけれど、特別な日なので行った方がイイとの事。
ラマギリババジは話し掛けてくれなかった。
テントの仕切りが取り払われていた。換気のためかな。閑散としていた。なんか斜陽を感じた。
500₹をお布施してハリギリババジの所でのんびり。
☆
ワシントンに住むアメリカ人と帰る。日本にも良く行くらしい。今回の日本ではお遍路をレンタカーでするらしい。
幾らぐらいで泊まっているのだろう。ココには旅行業者的の人に連れられてきたらしい。
クンブメーラの継はバナラシ、そして、日本に行くらしい。
ルールのゆるさとかたさ。世界の中でのそれらが極端な国に行くと言っていた。
インドも列に並ぶ光景を見る様になった。
欧米人的な容貌なので、自分の様な東南アジア系よりもインド人との距離感が出来てしまう様に見えた。
ハリギリババジはお布施を受け取らなかった。
シュークリエス ハンニバル ありがとう
サシーの政党の友だちの所でのんびり。隣の小学生と英会話。会話になった。父が中学の数学教師らしい。その父は15:30ぐらいにはもう家に戻っていた。
途中にドネイトを食べてサシーの家に17:00に着く。
明日は自分がスープラーメンを作らせて貰う事にした。
三日月
2025.02.04火
サシーはバイクの修理。自分はのんびり。
スープラーメンを作る。
昼食も夕食もスープラーメン。
液体ガンジャを買いに行く。20₹。羊かんを少し柔らかくした様な感じ。
ミルクと甘味料と液体ガンジャをグルグルとかき回すだけ。
眠いのでエフェクトしたのか、しないのかが良く解らない。
夜中に気持ちが悪くなった。胃がおもく、頭もクラクラする。
もう半月。
2025.02.05水
胃が気持ち悪い。頭もクラクラする。
咳も出る。
ガンジャ。1000₹。
サシーはタクシー稼業。家でのんびり。
サシーとクンブメーラに行く。サシーはなんか荒れている。ケンカをして警察に行ったらしい。
ハリギリババジのテントに行く。
夕食を食べて寝る。
下痢で夜中に何回もトイレ。
2025.02.06木
身体が壊れてきた。遂に下痢になってしまった。お腹も痛い。水分を取らないとダメかな。食欲が無い。
水20₹、サトウキビ40₹。
ひなたぼっこ。
2025.02.07金
お腹は良くなった。頭はまだボーとしている。咳もまだ出る。しかし回復はしている様だ。精神も前向きになっている。このカオスの世界を受け止める事が出来る様になってきた。
寧ろ、このカオスがいつまで続くのかと心配になる事もある。インドも西洋化が激しい。イギリスに統治されていた頃と階級制度や生き方は余り変わっていないのだから、このカオスはまだまだ続くのかもしれない。
それを考えると明治維新は凄い。完全に中央集権制にして、日本を統一し国民全体が欧米式な生き方をしている。
毎日の生活の中において、衛生面や宗教的な儀式なども受け止められる様になってきた。階級については悩む所だ。ココの階級の差は激しい。
江戸時代では士農工商穢多非人の階級制度を保つ事によって何百年も戦争をしないで済んだ。その階級制度が財閥や世襲議員や地主もしっかりと存在するが親ガチャは薄れている。階級の流動性は感じる。
インドの敵国は何処なのだろう。中国は敵国らしい。インドはヒィンドーが中心に生活がまだまだ回っているのを感じる。
江戸時代は神道と仏教と儒教が中心。
今は民主主義と科学が中心。ネットが広がっている。国境の壁も低くくなっている。
昨日の下痢は古いお菓子を食べたからなのか。インドの気候では「勿体ない」が当てはまらない事もある様に感じる。
それにしてもゴミのポイ捨てとそれを清掃しなければならないこの階級組織はなんとかならないものか。この階級組織が崩れる事はヒィンドーが崩れる事と同様に感じる。
そしてヒィンドーも徐々に変化している。
明治維新はもの凄い速さで地方分権的で封建的な政治体制から、富国強兵を目指した中央集権制に移行した。幕府と朝廷が大きな争いをする事もなしに廃藩置県を成し遂げた。
日本はアジアでの覇権国を目指した。そして想定していなかったアメリカと戦争をする事になった。それまではアメリカと貿易をしていて、たくさんの資源やエネルギーをアメリカから輸入していた。資源とエネルギーを封鎖されたら、叶うわけないのに、何故かアメリカと戦争をした。富国強兵で戦いの成果で評価される軍人が政治を握る様に成ったからだと思う。
第2次世界大戦からの敗戦を経て、
GHQの支配を経て、
朝鮮戦争やベトナム戦争を経て、
日本はアメリカの属国と言われながらまた先進国に入る事が出来た。
先進国とは?
島国日本だから日本は国民意識を持てたのかもしれない。
インドは未だに発展途上国だ。インドも周りを海に囲まれて、北はヒマラヤが鎮座している。島国に似ている。しかし、未だにインドは発展途上国なのを感じる。欧米的でもない。
この違いは何故なのだろう。何でインドはまとまれなかったのだろう。日本はまとまれたのだろう。
欧米化と先進化は必ずしも一致しない。
人間は先進国を目指しているのを感じる。安全で快適な生活を目指している。安全と衣食住の確保。科学の発達。便利な世の中を目指している。そんな生活を幸福と感じている。
人の命は地球よりも重い。
先進国では人の命が重い。
大日本帝国を含め、独裁国家は独裁者があたかも自分が神として振う。
大日本帝国は植民地に成らない様に、アジアの覇権国を目指して、富国強兵を目指した。廃仏毀釈として国家神道を推し進めた。天皇を神とした一神教に進んだ。
一億玉砕に向かった。「和」の心を捨てて「天皇陛下万歳」の世界に突き進んだ。
天皇は玉砕しなかった。戦後の天皇は人間宣言をして君主てして生き残った。
民主主義は愚衆政治に翻弄されてきた。ヒットラーも民主主義から総統になった。
それでも独裁主義よりは民主主義のがイイと思う。
民主主義には多神教の様な寛容性、他者を受け入れる「和」の心がある様に思う。
人や動物や生物をも越えて、全ては宇宙、自然である。
スピノザの神即自然にいき着く様に感じる。
スピノザはレンズを磨く技術を持っていた。レンズ磨きに精神を統一する事に寄って哲学への邁進も出来た。生計も建てる事が出来た。知識人も訪問したらしい。
子孫は残らなかった様だ。
スピノザは村八分にさせらられた事により出家したと同様になった。神即自然と言う悟りに至ったのだろう。
日本は技術の向上を目指し、世界がその技術を必要とする国に成れると思う。今も辛うじて成れていると思う。
日本の技術を宇宙や海洋に広めれる事が大切だと思う。そうすれば日本は空母やイージス艦をアメリカから買って世界に自衛隊を展開しなくとも済むと思う。
日本の技術は核も作れる事は世界中の国が承知の事だ。1年以内で作れるらしい。
日本の技術を発展させる。そして日本の技術が輸入出来なくなったら世界は大変な事に成る様にすればイイ。全ての国が日本の技術を必要不可欠する技術大国日本にすればイイと思う。
軍隊は必要無い。
子ども食堂の設立や運営費用は規模によって異なるが、一般的に以下のようなコストが掛かるらしい。
☆子ども食堂の運営費用☆
初期費用(設備・改装など):数百万円程度
年間運営費(家賃・食材費・人件費など):100万〜500万円程度(ボランティア主体の場合は安くなる)
☆イージス艦と子ども食堂の比較☆
例えば、**イージス艦1隻(約1,700億円)**の費用をすべて子ども食堂に使うと仮定すると:
年間運営費500万円の子ども食堂を支援すると仮定
→ 34万軒の子ども食堂を1年間運営可能
年間運営費500万円の子ども食堂を100年間運営すると仮定
→ 3,400軒の子ども食堂を100年間運営可能
全国に約7,000軒の子ども食堂があるとされるので、その約半分を100年間維持可能らしい。
また、イージス艦は運用コストも高く、例えば年間数百億円の維持費がかかる。この維持費を子ども食堂に充てるだけでも、全国の子ども食堂の運営を大幅に支援できる。
結論
イージス艦1隻の費用があれば、全国の子ども食堂を長期間支援できる規模の資金が確保できる。
国からその様な支援を受ければ、日本に感謝するはずだ。
大学も同様だ。研究が保証されれば、日本に感謝するはずだ。
なのに、イージス艦は日本の防衛にとって重要な役割を担っている。「軍事費を削れば教育費や社会福祉に回せる」との意見は「平和ボケだ」との理論とも言えない様な意見で議論を結論づけてしまう人がいる。
東京を破壊する国などいるのだろうか。
九州や北海道を侵略して植民地にしようとする国など存在するのだろうか。
竹島の様に小さい島を侵略して、軍事施設を作り出す国はいるのだろうか。
アメリカが実際に日本を属国にしていると考える人たちもいる。
どちらにしても、ウクライナとロシアなどの様に負の連鎖を起こしたら、日本が鎖国を解いて、富国強兵に走っていった道を歩む様になると思う。
核などを作ったら、その維持費だけで子ども食堂が日本全国に設置出来る。
空腹で実際に困っている人たちもいる。
南海トラフ地震のが起きる確率は高いと思う。能登半島地震での復興の現状を考えると、震災の準備を出来る限り備えた方がイイ。
他国からの侵略よりも南海トラフ地震が起こる確率のが高いと思う。
人を殺す準備よりも、減災に取り組むべきだと思う。
なんで軍事費を2倍にするのだろう。教育費の少なさが小保方さんの様な事件を起こしたのだと思う。。
外交や経済の知識の無い政治家が軍備に頼る様に感じる。
世襲議員の様な経済界の言いなりになっている政治家が多い様に感じる。
2021~2022年度の東京大学の総収入は約2,641億円で、その内訳は政府からの運営費交付金が約934億円(35.1%)、自己収入が約812億円(30.5%)、外部資金(研究助成金や寄付金)が約917億円(34.4%)。
ハーバード大学の2019年度の総収入は約6,062億円、スタンフォード大学は約6,742億円、オックスフォード大学は約2,201億円。 これらの数字と比較すると、東京大学の予算規模はこれらの大学よりも小さい。また、東京大学の基金(エンドowment)は2023年3月時点で約440億円。ハーバード大学の2019年度の基金は約4兆5,023億円、スタンフォード大学は約3兆470億円と、桁違いの規模だ。
なのに、2022年の日本の軍事支出は約460億ドル(約6兆403億円)で、世界第10位。
どう考えても日本の教育費は少な過ぎる。
ハリオーム
のんびり。肉を食べないので瞬発的なパワーが出せない様に感じる。絵を描いても直ぐに飽きてしまう。
新大久保 ハニマルカフェ 爬虫類
サシーが母と妹と娘2人と旦那さんとでやって来た。
Filial piety
Enduer hungry
Put up with sleep
沐浴に7人で行く。車は通行手形があるので沐浴の側まで行けた。
生理の時に沐浴はダメらしい。12歳らしい。医者かアーティストに成りたいらしい。
車を停めた所が混んでいた。車が移動出来ないので、ガンガの水をお土産として持ち帰るタンクを露店を広げて売っていた少女に少し移動して貰った。階級制度なのか当然の様に少女は露店を移動した。お布施30₹を上げた。
ラムギリババジの所に行く。和やかには接する事が出来た。
ハリギリババジの所に歩いて戻る。
夕食は少くしてもらった。胃液が逆流している。
2025.02.08土
6:00。
まだ下痢だ。咳も良くならない。
のんびり。絵を描く。
寝床の掃除。かなり土ほこりが溜まっていた。
長期のインドはいかに健康第一な生活をするかだな。ヒィンドーの生活そのものが宗教に感じる。
電動の車イスの青年が来た。這いつくばってしか移動が出来ない。手を貸すこともなく普通に参拝していた。とても人懐こい人だ。
夜中に咳が出て止まらない。モンクが塗り薬をくれた。喉、鼻、おでこに塗る。たぶん、ミントが含まれているのだろう。スースーして鼻の通りが良くなった。かなり強力で鼻がヒリヒリする。
この様な医療を通してヒィンドーを学んでいくのかも知れない。食事を作ったり、このテントを建てるのもヒンディーなのだと感じる。
宗教は哲学の様に頭の中で論理を作るだけでは無い様に思う。この生活を通して悟りを少しずつ身に付けていく様に思う。悟りを目的に修行を励むのではなく、生活全般の中に悟りがあるのだろう。
解らないのはモンクにも、サドーにも上下がある。その上下はどの様に判断するのだろう。誰が決めるのだろう。
ハリギリババジはかなりな悟りに近づいたモンクらしい。どんな修行をしたのだろう。
2025.02.09日
6:00
まだお腹が緩い。タンも出る。回復がとてもゆっくりしている。良くなったり、ぶり返したり。年だからなのかな。シラフやマットを天日干しするかな。この部屋の空気も悪い様に感じる。
ココには植物が無い。本来は土ぼこりの世界なのだろう。植物の育たない土壌に、こんな大きなテーマパークを造って沐浴に来る。それもとんでもない数の人たちが神を信じて沐浴にやって来る。
とても不思議な世界だ。
7:00にもうハリギリババジを参拝に来ている。
バナナ1本10₹、トマト20₹で10個ぐらい。
水浴び、シラフを干す。下痢はよくテントの中は空気が良くない。
サシーが来た。父がバンクマネージャーをしていて、リタイヤーした友人の家でのんびり。中流と上流の中間辺りの階級かな。
インドで仕事を見つけるのは大変らしい。ダウンタウンではみんなチャイを飲み、タバコを吸いながら会話を朝から晩までしている。時間に追われながら働いている人を見た事が無い。子どもたちも路上で遊ぶか物乞いをしている。朝と夕方に学校に通っている子どもを見かけるがとても稀な光景に感じる。
インドのビジネスマンは日曜日だけが休みらしい。
街をウロウロしてサシーの家に向う。日曜日なのでクンブメーラを終えて帰宅に向う人の数が常識を越えていた。駅に向う道は車は入れない。車道をもの凄い人の数が押し合いながら駅に向かっている。3kmどころの長さでないらしい。疲れ切って路上で寝だしている人もいる。カオスだ。
その周りの道路が封鎖されていない車道では隙間を見つけては、先に入ろうとして車が1台しか通れない所に車が2台、それにバイクが加わりどうにもならなくなる。それでもその隙間を今度は人間が割り込む。50cmの隙間を作るのに30分も掛かる。ルールが無い様に感じられるが、50cmの隙間を70cmにしながら時間を掛けていくとなんとか動ける様になっていく。その幅を広げる人が通行人の中から自然と出てくる。そこがとても不思議だ。その交通整理をボランティアでしてくれた人は何故かそのボランティアが気に入ってその後も交通整理をし続けていた。
なんらしかのルールが自然に湧いてくるのが不思議だ。
もうすぐ満月になる月が浮かんでいる。
なんとかカオスを抜けてサシーの街に入れた。500₹でビールやツマミを買ってサシーの家でお疲れ様。サシーの弟がいた。夜遅く明日の仕事に向うらしい。ITの仕事をしているらしい。
下痢がまだ治っていない。かなり体力が切れている。
仙台では遭難事故が起こったらしいが、単なる下山報告の忘れらしかった。
二口な件、先ずは、大事にならないで良かったですね。
今回の件ではラインがとても有効に運用された様に思いました。
そこで提案です。
①会としてのラインの運用について
②登山計画と下山報告の仕方について
会としての話し合いの必要に感じました。
特に今回は岩佐さんがとても頑張ってくれたと思います。ラインによりタイムラグが生じる事なく状況の把握が出来たと感じました。
岩佐さんのラインと登山計画と下山報告の考えを聞きたいです。
そしてイロイロな意見がある程度上がったら、ちゃんとした会議を開いて会則としてまとめる事が出来ればと思います。
結局、山岳会のルールは話し合う事もなくドンドンと君主制の様に決められていった。
2025.02.10月
晴れ。寒さは無い。
起きると咳が出る。コレは寝具に原因がある様に思えてならない。ココでは外からの帰ったら、靴を履き替える。そのままベットに横たわったり、TVを観たり、ベットの上で食事もする。
日本では外から帰ったら、靴を脱いで家に入る。働いていた時は気楽な服に着替えるか、風呂に入るか、夕食を取って風呂に入る。外の服のまま寝室には入らない。寝る時は下着のままか、スェットに着替えて寝ていた。
寝室には外気が持ち込まれていなかった。インドは土ぼこりの中の服のままベットでくつろぐ。とても不衛生に感じる。お風呂も夜には入らない。朝の寒い時に身体を洗う。自分はこの朝の寒さの中の体を洗うのが修行に感じる。みんなもブルブル震えるのを堪えながら身体を洗っている。とても非合理に感じる。たぶん、ココの水は日本の様に豊富で無いのが原因かと思う。
日本のお風呂に横たわる文化は雨の多い日本ならではの特殊な文化なのかもしれない。日本には温泉も多い。水の豊かな文化を感じる。
まだあと一ヶ月以上をこの土ぼこりの中を過ごさないとならない。食事もだけれど衛生面に神経を向けていこう。
食事もココでは手を洗うのは食後だ。食事前はあまり手を洗う習慣は無い様に感じる。食事も左手を使う事もあまり拘らない様に感じる。インドでは左は不浄らしいがそれ程は拘りはない様には感じる。
クンブメーラに行く事になった。ラーメンをサシーが作ってくれた。スープが多いので美味しかった。
また、道が混んでいた。コレがまた続くのかと思うと嫌になったが昨晩程ではなく、程なくして混み方が少なくなった。
このままクンブメーラに行くのかと思ったら、サシーの大学に行く事になった。サシーは15年前ぐらいに卒業していたがその頃の先生がまだいた。3人のせんに挨拶をした。サシーの事を覚えているらしかった。大学の校門でチャイ屋をしているお婆さんもサシーの事を覚えている様だった。
そして、クンブメーラには行かないでサシーの家に戻った。
途中にマンゴーを食べた。20₹。まだ季節外れらしく甘くはなかった。マンゴーでは無く、パパイヤらしかった。
ガソリンを100₹入れた。
サシーの家でのんびり。ネットをする。
2025.02.11火
鼻がまだ詰まる。喉は少し良くなっている。コレからのまたあのトラフィックジャムの中を走るので少し不安。下痢は殆ど治った。しかし、まだ食欲は少ない。
500₹ お店の付け
60₹ ザクロなどフルーツのミックスジュース
140₹ ガソリン
35×4=140₹ ミルク
大学に寄ってハリギリババジのテントへ。そんなに混んでいなかった。
ミルクなど295₹を買ってラムギリババジの所に行く。だいぶ人間関係は改善してきたけれど、ラムギリババジのお金への考え方は余り変わらない感じがした。お布施としてミルクなどを渡したのに買ってきて貰ったと思ってお金を渡そうとしてきた。
ユーチューブ アットホームチャンネル
ハリギリババジのテントに着いたら、ハリギリババジは寝ていた。スズキと誰かが言うとワザワザ起きてくれた。2日間はどうしていたと心配してくれた。サシーのハウスに泊まっていた事を伝えた。
今日もたくさんの人が参拝に来ている。
満月。
夜中にサシーが来たが、また何処かに行った。
2025.02.12水
寒い。ジャケットを着る。そしてまた下痢だ。一進一退だな。困ったもんだ。
洗濯をする。洗濯が大行事になっている。
絵を描いているとサシーが来た。
ハリギリババジが灰を塗って貰っていた。布も掛けないで寝ていた。
どの様に性を感じているのだろう。
2025.02.13木
下痢が続く。食欲も無い。サンマ定食が食べたい。
絵を描く。路上のお店の青年が絵を描いて欲しいと言うので描いた。モデルをするのを飽きない時間で描かないとならないのでのんびりと描けない。1時間くらいでシャープで下書き、ペンで清書、それに淡彩で色を載せた。失敗ではないけれど納得はいかない。ペン画の感じが強くなってしまう。その絵が欲しいと言うのであげた。別な青年も描いてくれと言われたが集中力が切れてしまったので次回にしてもらった。ハリギリババジのテントでお昼寝。
サシーが来た。お昼を食べてサシーの家に向う。
ガンジャ1000₹。サシーはお金の感覚が乱れて来ている様に感じる。
サシーの家でのんびり。交通渋滞の大気汚染で喉が痛い。鼻も痛い。
路上で結婚式のパレードをしていた。トラックを装飾した山車の様なのと後に花婿の車があって、その間にライトの飾りが10本ぐらいキラキラしていて、そこで着飾った若者がデスコを踊っていた。男女が別々に踊っていた。インドの若い女の人はみんなとてもスリムで目が大きくキレイだ。なんで年を取るとみんなデブになるのだろう。この体型を維持しようしないのが不思議だ。花火も打ち上げていた。
満月が欠けてきていた。
夕食はチャパティ。美味しいのだけれど、食欲がわかない。野菜の散切りが新鮮で美味しかった。
友人の所に22:00頃に向かう。寒いので諦めて家に向う。喉が痛いので飴を買う。
ゴホゴホしながら寝る。
自分は宗教の教えを学ぼうとしているが、宗教は信じられない。自分は自分を信じる。自分が宗教だな。自分にはクライミング教が1番しっくりいていると思う。
クライミング教の開祖が出てきて欲しい。世界宗教に成ると思う。
直ぐにアルパイン派とフリー派に分裂しそうだな。
ハリギリババジの神はとても力がある。ハリギリババジが困難な修行を越えて得たハリギリババジの神の力を参拝にたくさんの人たちが来ている。ハリギリババジがどんな修行をしてきたのかを知りたい。
ラムギリババジの神は力が弱って来ている様に感じる。9年前は今の様にお金に縛られていなかった。宗教を信じていた。身体が老いを迎えているのに不安があるのかもしれない。ブッダは弟子に囲まれて亡くなっていったらしいがボケは無かったのだろうか。
サシーの神の力は成長している所だ。イロイロな人たちの神を観察している。自分の持っている能力を磨いている所だ。宗教の世界に入ってその力を磨く事も出来るし、宗教の教えを参考に自分を磨く事も出来る。何故モンクに成ろうとするのだろう。社会的承認欲求からなのかと感じる。モンクに成ったらサシーの能力が活かせるのだろうか。宗教はそんなに懐が深いとは思えない。宗教には枠がある様に感じる。「自分が宇宙ならば枠は無くて良くない!」と思ってしまう。
サシーに社会的承認欲求よりも自己実現のが相応しい様に思う。
自分は宗教の教えを学ぼうとしているが、宗教は信じずに自分を信じる方が合っているのを感じる。宗教の神秘には興味はあるのだけれど、自分にはその神秘は備わっていない様に思う。
しかし、事故に遭っても大参事に成らない事が何回かあった。運の良さが平均よりも少しある様に思う事があった。
また、利府支援学校で働いていた時に、生徒が自分に寄り添って来てくれるのを感じた事もあった。
一般の学校でも頭が良かったり、やんちゃだったり、何かを特別なものを持っている生徒が寄り添ってくる事もあった。
また、外国に行っても、日本国内でも自分に優しくしてくれる人がたくさんいた。中には自分を家に泊めてくれる人もいた。自分に優しく手を差しのべてくれるたくさんの人たちに会えた。
神秘と言う程の大きなものではないけれど、何かが普通よりも吐出している人たちと寄り添えるのを感じる事があった。
とても不思議な事の様に感じる。
出家をして完全に宗教を信じて神にその身を委ねる事は出来ない。
何も考えずに宗教に身を託して、宗教からの幸せを得る事も1つの生き方なのは解る。しかし、その神の力が弱くなった時に、それでもその神を信じきれるのだろうか。それだけの覚悟をその宗教に捧げられるかどうかを考えると自分にはその覚悟は無い。どんな宗教も自分の力よりも信じられる宗教は無いように思う。
クライミング教では直ぐにお金が無くなって修行が出来なくなる。窓拭きの仕事には年齢制限がある。
仏教が少し自分に光を差してくれた。しかし、自分には輪廻転生が信じられなかった。
輪廻転生があるとも、輪廻転生が無いとも言えない。無いの証明は出来ない。有るの証拠は無い。それならばそんな有る様な、無い様な解らない輪廻転生を考え、輪廻転生に縛られるのは無意味に感じる。
イロイロと考えると自分の宗教は科学だった。
またはアニミズムだった。
スピノザの神だった。
宗教は本当に最後まで信じて生きられるのだろうか。世界でキリスト教とイスラム教が広まっているけれど、どちらの宗教も一神教だ。一神教は理論上では他の神を認める事は出来なくなる。一神教には寛容性が無い。神が複数存在したら、その一神教のどちらかの神の力が弱くなる。他の神を力で抑え込まなければならない歪が生じる。そして、相手を封じ込める為に戦争になる。
自分には神を信じて全てをその神に捧げる覚悟は出来なかった。
事故に会って足が無くなった時に神は助けてくれるのだろうか。神を信じたら、その不幸は幸せになるのだろうか。祈るだけで幸せに成れるとは思えない。
しかし、自分を信じていたら、その事故は自分の因からの縁として受け止められる。因果応報として受け止められる。神をただ祈るだけはとてもその不幸は解消できないと思う。
自分を信じていて、何とか頑張ってそれでもダメだったら、その時は自分の選んた人生だと諦められると思う。
その不幸の苦をなるべく少く、なるべく早く無くす様にすればイイだけだ。
ただひたすら祈るよりも諦める方が楽だ。諦められると思う。
お金と免許を持っていれば、歩けなくとも自分の力で移動が出来る。歩けなくなったとしても、自分の身に付けた能力で人生を切り開いていける。そんな時の為に自分に希望に向かえる能力を身に付けていく努力が大切だ。神に祈っているだけでは、その希望は持てない。その能力も持てない。神に祈るよりもやるべき事がたくさんあるはずだ。
宗教を信じるよりも、自分を信じて、自分を磨き自分でなんとかする能力を身に付ける事がとても大切に感じる。
神が自分、自分が神。
自分を見つめ、自然を見つめる。
神即自然。
冬の吹雪の中に疲れ切って大の字になって横たわった事がある。寒さも怖さも無かった。とても気持ちが良かった。
人間の苦への恐怖は教育で育てられたものなのかもしれない。
痛みや喉の渇きは耐えられないと思う。般若心経を唱えるとこの世は幻想になるかどうかは解らない。
映画「メッセージ」
映画「ダ・ビンチコード
アインシュタインの言葉に「科学の無い宗教は盲目だ」がある。
この地球には生まれた環境で生きるのがギリギリな人たちがいる。その人たちの中には運命によっては、苦しさだけを背負って自然淘汰されていく人も多い。インドでもそんな子どもをたくさん見かける。インドの戸籍は正確だとは思えない。
自分は恵まれた環境に生まれたと感じる。自分の環境には努力をすればするほどレベルの高い教育を受けられた。
自分の努力と親の助けで、そのレベルの高い教育でしか就けない仕事に就けた。誰でもが就ける仕事ではなかった。
その仕事の内容は自分の能力ではアップアップだったけれど、なんとかクビに成らずに退職まで漕ぎ着けた。
親ガチャでない世界はとても大切に思う。
この世の中は教育を受けられる環境の差が激し過ぎる。環境が悪ければ教育を受けるどころか生きる事も出来ない。
人間だけでなく動物にも当てはまる。インドでは飼い主のいない犬がウロウロしている。餌を求めてゴミをあさってウロウロしている。飼い主のいる犬は飼い主にシッポを振って餌を貰っている。犬は人科からかなり離れた科なのに何であんなに人間にシッポを振って寄り添うのだろう。科が違えば弱肉強食の関係になると思うのだけれど、殆どの犬はシッポを振って人間に寄ってくる。自ら人間の奴隷に成るかの様にシッポを振って寄り添ってくる。不思議だ。
猫は人間が猫の奴隷の様に、当たり前の様に餌を貰っている。気が向いた時に寄り添ってくる。
家畜はまるで機械の様に育てられる。産まれると直ぐに親から離されて狭い檻の中に入れられ、たらふく食料を与えられ、そして殺され肉と成る。
ペットでもなく、家畜でもない動物は地球からドンドンと減少している。
植物も同様だ。人間の食料や材料にならない物は地球の隅に追いやられる。
人間は地球のガン細胞の様に世界中にはびこり、他の細胞を駆逐し、その細胞を増やし続けている。自利利他の精神が無い。宇宙は自分であり、自分は宇宙である考えが欠如し過ぎている。自分が神の様に振る舞い続けている。
アインシュタインの言葉がある。
"Science without religion is lame, religion without science is blind."
欧米と日本の自然にはかなりな違いがある。
欧米は乾燥している。水が少ない。砂漠を横断する時に1つ1つのオアシスを丁寧に結び、星を見つめ太陽の傾きを計算して行けばゴールにたどり着ける。知識を正確に結んでいけばなんとかゴールにたどり着ける。
日本は水が豊富だ。その水が創り出す自然から得られる恵みがとても豊かだ。自然はとても豊かな恵みを提供してくれる。
しかし、その自然は時には災害をもたらす。自然から得た恵みを意図も簡単に破壊し尽くす。地震や噴火や台風などの災害は図れない。
全ての生物は自然のもたらす破壊をただ受け止める事しか出来ない。為すすべが無い。災害が過ぎるのをただ待つしか無い。
天変地異は人間の想定を遥かに超えている。運命に身を委ねるしかない。
欧米は罪と罰を意識して生きる。そこには白黒のハッキリしたルールがある。境界が明確に決められている。個と個の境がハッキリしている。
日本は和を考えるて生きる。ルールは空気によって絶えず変わる。個より集団が優先される。中唐が良しとさとれる。
この違いは長い風土から育てられたどうしようもない違いなのだろう。
自己責任としてクライミングを認める文化。
諸々の問題を考えてクライミングが禁止される文化。
科学が地球をグローバル化してきた。科学は宇宙も生命も解き明かし始めている。
今の地球は人間が多過ぎる。家畜も農耕作物も多過ぎる。ほんの一握りの一部の人間だけが権益を得ている。ヒエラルキーの歪んだ世界になっている。
政治が宗教や教育を利用して一部の富を独占している。利益の再分配よりも、更なる利益の向上にその富を利用している。
神話を利用して一部の人間だけが豊かになるヒエラルキーを作り出している。
教育も神話だ。
ホモサピエンスは村を作り農耕を始めた。村は村をまとめより大きな社会を形成してきた。その形成の過程で歪んだ上下関係が生まれる。歪んだ上下関係の形成には争いは避けられない。大きな社会にはヒエラルキーは必要不可欠だ。
人間はこのヒエラルキーから逃れられない。
サシーも宗教よりも「自分を信じている。」と言っていた。
025.02.14金
喉がまだゴホゴホする。下痢は治った様だ。疲れは消えない。だるさがまたある。
サシーの家でひなたぼっこをしながらネット。
サシーはバイクタクシー。
イヤホン100₹を買ってきて貰った。
2025.02.15土
昨日と似たような体調。
ヌードルの朝食を食べてクンブメーラに向う。
ガソリン120₹、サトウキビ80₹。お菓子10₹。サシーが財布を落とした。
大学にいって友だちと会ったり、交差点で友だちと会ったりとウロウロ。
スコーンのテントで昼食を食べて、ハリギリババジのテントでのんびり。
ラムギリババジの所でものんびり。サシーは街に買い物。
ラムギリババジはかなり歳を取っているのを感じる。斜陽と言うのかな。テントには弟子が1人しかいなかった。たった弟子が1人しかいないのでよけいにテントのガラーンとした様子が引きだっていた。何部屋もカーテンで区切られていた建物が柱だけになって広々としている。ココに一時期は50人ぐらいが寝泊り、食事をしていた。諸行無常を風景からも感じる。
クンブメーラもテントをたたんでドンドンと空き地になっている。何週間か前は歩くのも大変な混み具合いだった道路には犬が散歩をしている。
ラムギリババジがイスを建物から持ってきて沈みゆく太陽を眺めている。どんな気持ちで眺めているのだろう。太陽が沈んで暗くなっていってもまだイスに座って遠くを見つめている。
火事があったが、直ぐに鎮火した。ハリギリババジのテントの直ぐ脇だった。消防車がサイレンを鳴らしてイロイロな方向からやってきた。
テントの中で横たわっていると13人の集団がやって来た。
静まりきったテントが急に慌ただしくなった。
サシーは別なテントでの食事をしたく思っていたがラムギリババジのテントでの食事にして貰った。チャーハンの様な質素な夕食だった。ダルに飽きてきた自分にはライスが美味しく感じられた。
女性がラムギリババジのテントで、男性はラムギリババジのテントに移動。
何故かペットボトルにタンを吐くのはダメ。仕方ないのでその都度、ゴミ箱に行く。コッチのが空気感染になりやすいと思う。
道理が通じないのが宗教だ。
満月が欠けてきている。
2025.02.16日
タンがまだ出るが良くなっている。
散歩をして沐浴。朝の沐浴は寒い。日本は夜に風呂に入る。インドは朝の沐浴なのはなんでなのだろう。水を節約させる為に、インドでは朝に沐浴をする様に思う。寒いと短時間になる。
欠けた満月が浮かんでいる。
サシーがオピニュームを持ってきた。前にマッチ棒に付いていた茶色のヤツだ。チャイ20₹。
ハリギリババジのテントでガンジャもする。せっかく体調が回復しだしたのにどうなる事やら。
昼寝をして散歩。ミカンを買う。100₹。
ハリギリババジにお布施。
のんびりしているとサシーが来た。サシーの家に向う。サシーはオピニュームが効いているのかのんびりと走っていた。
自分のオピニュームの効き目はほんの少し身体に力が付いてきた感じ。聴覚が少し立体的に感じられた。お腹の調子はイイ感じ。食欲が出てきた。
頭は少しフラフラするかな。
ガンジャ。900₹。ブドウ100₹。ホオヅキの様な果物。とても酸っぱい。
バイクを修理屋に置いて、サシーの家まで歩く。サシーは両親とケンカをしたらしく、また修理屋に歩いて戻る。修理屋のエンジンのミッションを直すのを見ていた。凄い技術だ。本能で構造を理解してトントン、カンカンして直していく。分解した順番がしっかりと頭の中に整理されている。ナットなども簡素な道具で緩めていた。
たったの300₹だ。信じられない。サシーの友人がオーナーらしい。
靴の修理屋さんがいた。縫い針は5₹らしい。
やや交通渋滞の中をラマギリババジのテントへ。弟子が1人だけいた。
その後、5人家族が泊まりにやって来た。
サシーはミルクを買いにいった。
ハリギリババジのテントに行く。テントに入る前に自分の足音か何かで判断して、スズキカミングと言ってくれた。
修理屋さんやハリギリババジなどスピリチュアルな事がインドにはある。
ココでは神の存在が感じられる。
2025.02.17月
昨日のオピニュームのお陰で体調がイイ。タンはまだ出るが下痢は治った。
朝に沐浴。
自分の所属している山岳会のルールの決められ方が自分には民主的には感じられないので提案を出したけれど、いつもの様に殆ど反応がなかった。更にまたルールが加わった様だ。なんかルールも会計も話し合う事もなく決まっていく。異常だと自分には思えるのだけれど、誰もなんの反応もしないのは何故なのだろう。
この会はどんな終末を迎えるのだろう。
黒伏の橋の撤去前にはこの会の存続の光がほんの少しだけれど見えた。たぶん、これ以上は会員は増えない。この様した人たちの決められていくルールに従うしか方法が見出だせない。
どんなエピローグがこの会に待っているのだろう。
自分のこの会の前に所属していた会では会計報告もされていない。自分がその会に所属しているのか、していないのかも解らない。
もう会の所属は時効かもしれない。しかし、かなりな自分のお金があったのだけれど、、、。
宮城県にやって来たのが1981年。ハーネスを買って、ロープを着けて登攀をするようになったのが1985年。登攀をしだして40年。イロイロなエリアに、イロイロなパートナーと行ったな。
絵を描く。肌の色の実験。緑か青をどんな風に加えればイイのだろう。
サシーが家に戻っていって、また戻ってきた。
サシーが電話で声をあげていた。サシーとダウンタウンに向う。スピードを出すのでバイクから降りる。
サシーの20年前の住んでいた家に行く。かなり古い。サシーの父と祖父は先生らしい。この大学を作ったらしい。教育学部らしい。
しかし、大学の管理者が不正をして大学が傾いているらしい。
街で買い物。ミルク268₹。野菜など。
ラムギリババジのテントに行く。お客さんが15人ぐらいいた。マッサージをしていた。
新聞社で働いている人らしい。子どもが英語を話していた。物怖じしないしっかりした子だった。
ハリギリババジのテントに行く。とても混んでいた。サシーと2人で部屋を借りて恐縮だった。
咳がまだ出る。
2025.02.18火
サシーはバイクタクシーの仕事。自分は疲れているし、バイクが危険に感じるのでハリギリババジのテントにいる事にする。
のんびり。
昼に沐浴。
絵を描く。ペン画を描いてあげたら水のペットボトルをくれた。絵画で初めての収入。
孫の写真を見て絵を描く。肌の色が難しい。インド人は肌の色が黒いのでどこまで黒くしたらいいのか悩む。
夕食は量を少しにして貰えなくて残してしまった。ダルばかりなのでムリしても食べられなかった。日本食ならば食べれたな。
蚊やハエが多くなってきた。道路も湿り気が出てきた。感染症に気を付けないとダメだな。
2025.02.19水
体調は良くはなっている。タンは出る。
サシーが来てまたバイクタクシーの仕事に行
った。
絵を描く。ペン画だと色が濁らないけれど、面白さがない。ペン画でない水彩画を描ける様になるには色の混ざり方を全て覚えないとならないのかも。特に、肌色は緑や青を隠し味として入れるらしい。めちゃくちゃ練習をしないと!!!
イヤホンが壊れた。
下痢が再発。
2025.02.20木
まだ下痢。何故か、日本の家族も下痢が蔓延しているらしい。
絵を描く。ペン画でない風景画。
山岳会の会費を立て替えてもらえたのだろうか。会費を年末に払うのは可能なのだろうか。
サシーが来た。自分に家に来て欲しそうだったが、ハリギリババジの所にいる事にした。
サシーのバイクが動かなくなった。サシーもテントに泊まる事になった。
2025.02.21金
半月が浮かんでいる。完全な半月だ。朝焼けもキレイだ。
咳が出る。下痢も少しある。
朝の散歩。
沐浴はしなかった。
サシーとラムギリババジのテントに行く。弟子が1人だけ。ラムギリババジがバナナをくれた。
沐浴。
まだ少し下痢。
花輪を買いに行ったが売っていなかった。
ハリギリババジの所で昼食。塩辛い。水も少し不安。
バイクを押し引きをしたら動いた。ダウンタウンに行く。修理代500₹。修理のパーツがあるのが不思議だった。
サシーが家に行くと言い出した。なんとかクンブメーラに戻る事にして貰った。
クンブメーラから駅までを歩く人たちがたくさんいた。15kmあるらしい。子どもも老婆も荷物を頭に載せたり、担いだりしながら歩いていた。観光ではなく、宗教だとしか思えない。
ラムギリババジのテント野菜など250₹をドネイト。
まだ下痢だ。
ハリギリババジのテントに戻る。ハリギリババジに充電器を貸す。
サシーがテントに来た。家に帰るらしい。
夕食をまた完食出来なかった。体力が無くなっている。足がフラフラする。食事を考えないとダメかな。水も水道からの様な悪い水がある様に感じる。
2025.02.22土
下痢はまだ治らない。心は元気なのだけれと、体が付いていかない。
サシーが来た。
Sienna がマヌーの家に置けなくなった。デイビットの家でなんとかなりそうかな?BrockやMateoも心配して連絡をくれた。アドバイスをくれた。
サシーが来た。バイクタクシーをしている。
ハリギリババジはヒィンドーのお寺を作りたいらしい。みんなが食事と住めるお寺をお布施で運用したいらしい。
サシーはお金の為建てるのだと言っているのかな。良く理解が出来ない。
ハリギリババジは放浪をしながら、最後は駅で息を引き取りたい。川に身を流して貰いたいと話していた。この9年間で変化した様だ。
ハリギリババジもラムギリババジも変化している。お金がかなり絡んでいる様に思う。
インドが変化しているのか、2人が変化しているのかは解らない。
確かにインドは変化している。殆どの人のお腹がかなり出ている。女性は男性よりも肥満が目立つ。たぶん、女性は家に居る事が多いからなのだろう。どちらにしてもインドのチャイは甘い。お菓子もただ砂糖を固めただけの様に思う。
男女共に若者がいない。若者の宗教離れなのかもしれない。
ガリガリに痩せたリキシャがいない。自転車の力車も浅草寺にある観光用の人が引っ張る形式の力車も無い。全く消えていた。
バイクや三輪車に代わった。自家用車もかなり増えている。
インドに初めて来た時はインド国産の自動車が殆どだった。このインド国産車は敢えて形式を変更しないらしい。このインド国産車しか無い。
理由は動かなくなったら、動かなくなったインド国産車のパーツを取り変えて使うらしい。その証拠に街の空き地にはコレでもかと言うサビサビの古いインド国産車が放置がされていた。どれもみんな同じ形式だった。
インドで変化しないのはのゴミに対する考えだけに感じる。街はゴミであふれている。ゴミを片付けるのは貧しい階層の人たちだ。みんなゴミをゴミ箱に捨てない。衛生面で使い捨ても根づいている。
チャイのコップを陶器にしたり、プラスチックを使わない様に国は勧めているらしいが全く浸透していない。このままではカースト制は無くならない。それよりも、日本が士農工商穢多非人制度を廃止できたのがとても珍しい事なのだろう。日本人の寛容さで何もかも融通して日本独自のものにしまう能力が特異なのだろう。「和」の心なのだろう。
このクンブメーラもこのまま雨季になると水の底に沈んでいく。このゴミは誰も回収はしない。ガンジス川の水と共に流れていくのだろう。
9年前にインドの北の北ラダックやダライ・ラマが避難している街に行った。街のゴミは燃やされればイイ方で、殆どのゴミはゴミ収集車が回収して、ガンジス川に流されていた。絶壁の下にガンジス川は流れている。ゴミは溜まらない。聖なるガンジス川はその上流の上流から汚染されていた。
インドはどの様に変化していくのだろう。
ハリギリババジのみんなに安心して食べて住むお寺を作りたいとの想いは解る。しかし、それでは根本的な解決に成らない。
それはお布施ではなく、国が税金を使ってやるべき事だ。個人がいくら頑張っても、個人には信頼が無い。個人にはその運営を何代にも渡って引き継いでいける信頼が無い。
しっかりとした制度で成り立っている国ならば、その信頼と期間は個人を遥かに超える事が出来る。
藩で運営されていた地方分権の幕藩体制は廃藩置県などを通して中央集権制に変わった。明治維新で各藩が1つの日本と言う国にまとまる事に成功した。教育も義務教育として1つにまとめた。標準語も教えられた。
日本は東洋を捨てて、西洋化に向かった。知識人はチョンマゲも帯刀も捨て、鹿鳴館でダンスをした。265年間の平和を続けた江戸幕府に終止符を打って、鎖国制度を解いた。
天皇を頂点とする大日本帝国憲法を作成した。欧米に大日本帝国と認められようと西洋化に努めた。幕藩体制を捨て、朝廷を京都から江戸に持ってきた。
欧米に見習い、富国強兵を目指し、日清日露戦争に進んだ。
不平等条約を破棄して
脱亜論を解いて
大東亜共栄圏での覇権国を目指した。
資源もエネルギーも無い日本は海上封鎖を受けて敗戦。神風は吹かなかった。神風は「天皇陛下万歳」と言って海のもくずになって消えていった。
天皇は人間になって生き残った。
極東軍事裁判で極刑になった人たちは「天皇陛下万歳」と言って絞首刑台に向かったと言う話は真実なのだろうか。
インドは1つに未だにまとまりきれていない様に思う。カースト制を利用したイギリスの統治体制が根強く残っている。地方毎に分断されている。宗教もイロイロな宗派に分かれている。コレを1つにまとめる事は不可能に近い。
日本は戦国時代を通して織田信長が天下統一を目指し、豊臣秀吉が天下を統一し、徳川家康が天下統一された国に他国からの影響を排除した。貿易を禁止した鎖国政策を行なった。他国の影響を受けない日本の独自の文化を創り出した。江戸は300年間の平和を通して、八百八町の繁栄を保った。世界一だと言われる百万以上の人口を保ち独自の文化を創り出した。庶民の文化をも創り出した。庶民の識字率も世界一だったらしい。
寺子屋の存在は凄い。何で日本は庶民にまで文字がいき渡ったのだろう。海外の多くは文字は支配階級だけのものだったらしい
この事は日本の独自の特徴に思えてならない。稲作に関係するのだろうか。
アジアの諸国も鎖国政策を取ったらしいが、日本の様には成らずに西欧の植民地に成っていったらしい。とても不思議だ。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人の功績がなければペリー来航後の日本はインドや中国の様に欧米の植民地に成っていたと思う。第15代将軍徳川慶喜も面白い人に感じる。良く大政奉還をしたと思う。日本が内戦を続けたら欧米の思う壺にはまってしまったと感じる。
お寺を作るのではなく、寺子屋を作るのがイイと思う。インターネットがあるので寺子屋を作るのは難しくないと思う。どの様に組織を運営するかがポイントだと思う。
初めは大きな建物は必要ない。子ども食堂の様な施設で十分だ。運営技術の習得と人材の育成に努めるのが大切だと思う。
公文の様に寺子屋を全国展開をして、人材を育成してする。ヒンディー教を土台とする公明党の様な政党を立ち上げる。ヒンディー教の教えと教育の浸透に努める。そんな教育で育った人材と知識を農畜産物や鉱物資源に利用する。個々人に適した実験的な教育をしていく。その過程で本格的な産業を立ち上げる。雇用の育成に努める。
ハリギリババジの資金と人脈があればこの構想は可能に感じる。
国体の様な大きな人工壁は必要ない。箱物は要らない。クライミングジムの様な施設で十分だ。
その施設では食事とベッドとシャワーが提供される。そして教育が受けられ、仕事も見つけられる。
農畜産業の振興にも取り組む。寺子屋での食事だけでなく、生活全部の可能な限りの自給自足に取り組む。
ブックオフの様な不用品の売り買いもずる。自動車や電気やネットや家具などの修理もする。
その技術も伝承される実践的な職業訓練も行なう。
仕事の技術を身に付けたら、仕事も提供を受けられる。
子育ては祖父母や年上の子どもが行なう。
その施設に行けば老若男女関係なしに、いつでも自分の活躍できる場が提供されている。豪華絢爛なお寺はいらない。自分を高めたい人たちが集まれる場の提供をすればイイ。
施設を利用するには決まりがある。
必ず全員が平等に作務を行う。トイレも清掃する。地域の清掃にも取り組む。作務を通して自利利他、感謝の心を養う。相手を仲間と考える様になれば差別は無くなると思う。形式ばった教えはいらない。
人間は優しくされれば優しい人間になる。
寺子屋の様な小さな組織で、その様な活動を通していけば、階級の無い寺子屋が作られていくと思う。その寺子屋がまとまっていけば1つのインドが出来ると思う。国民意識が芽生えると思う。
威厳のある巨大なお寺には階級が生まれる。
小さなお寺でいいから、衣食住と教育と仕事が見つけられる地域に根付いた施設をたくさん作る事が大切に思う。
イギリスの作った階級制度に根ざした統治体制を壊し、上下関係のないインド人として1つにまとまれる。
そんな寺子屋ができれば、民主的な選挙が出来ると思う。賢い人が集まる必要は無い。能力の無い人でも、自利利他の心を養えば良い。人数が多くなれば、選挙で国を動かせる。汚職を発見した時は公表をしてつぶしていく。小さな汚職を無して行けば、大きな汚職にもたどり着ける。積み重ねと人数で蔓延した政党を寺子屋が倒せる。
初めは家内制手工業でイイ。衣食住が提供されるのでその様な産業でも利益を出せると思う。農畜産物も同様だ。多少の機械の導入も可能だと思う。集約的な作業もこなしていけると思う。
この構想が論理的で無いのは判るけれど、、、。
革命。
ソ連、朝鮮、中国、カンボジアは大変そうだ。ベトナム、ラオス、キューバはどうなのだろう。
社会主義には独裁が必要不可欠だ。
「兵士たちの連合赤軍」で共産主義の限界を知った。「18の墓標」などたくさんの事件関係者の本を読んだけれどどの様な理論であの様な事件に発展したのかは理解が出来なかった。簡単に説明出来る理論ではないとは感じた。たくさんの因とたくさんの縁が複雑に結び付いてあの様な果に至ったのだろうと感じた。
その後にオーム真理教の事件があったが、仕事とクライミングが忙しくて本を買いあさる事はしなかった。
読んだとしても共産主義と同様に自分には理解は出来なかったと思った。
どちらも高学歴な人たちが至った事件だった
高度な洗脳やプロパガンダはそれが洗脳やプロパガンダだと気づかない。
人間は産まれて消えていく。生物は自己の内部で新陳代謝を繰り返し、成長し、老いて消えていく。生物自体も進化発展衰退の新陳代謝を繰り返し消えていく。
解らないのは意識だ。意識は何処で生まれ、何処で消えるのだろう。心臓と手足も本能で動く。意識は殆ど存在しないで本能で動いている。
細胞も子孫も指数関数的に増えていくのも不思議だ。
インドの選挙はどうなっているのだろう。日本の様に選挙権が家まで送られているとはとても考えられない。
ハリギリババジはみんなに安心して食べて住むお寺を作りたいとの想いは解る。その為には教育が大切だ。お寺が住居と食事を提供するよりも、しっかりとした選挙が出来る様に、しっかりとした知識を身に付けられる寺子屋を作るべきだと思う。インターネットがあるので難しい事ではないて感じる。
食事や住居を提供するのは、魚を提供するのと同じだ。魚の釣り方を教えないと根本的な問題は解決しない。
先ずは戸籍の整備だと思う。魚を捕る道具を揃える事だと思う。
インドの汚職が酷いらしい。9年前は警察が普通に汚職をしていた。インターネットがあればその汚職も防げると思う。
ハリギリババジが作るお寺で食事と住居を提供するだけでなく、教育や生産的な活動が行われるとイイと思う。
今のインド人は食事や住居などの安全よりも働いたり、勉強を身に付けたいと思っている人たちが多いと思う。
お布施で運営するのではなく、自分らで生産して余剰を販売していく集団を目指せばいいのかな。
またはクラウドファンディングなのかな。
どちらにしても国から税が取られる。ホントは衣食住の安全や医療や教育や職場の提供などは税を取る国がすべき事の様に思う。
全くの「自分の感想」でしかないけれど、
インドの政治は格差や階級を壊そうとはしていない感じがする。お金持ちが政治を世襲する。その家族が軍隊や警察、または宗教に就く。
ハリギリババジは階級に関係なく、自分の力で修行をし、その修行の成果としてこの宗教の地位を得たのかもしれない。
特殊な人だから、その生き方に共感してお参りにたくさんの人がくるのかもしれない。
ハリギリババジがどんな風にこの地位を得たのかを聞き出せないのがとても残念だ。
9年前は法衣を身に付けていた。今は見た目は裸に灰を塗っている。それで身軽になれたのだろうか。
自分には宗教と言う衣は羽衣には思えない。その宗教が巨大であればあるほどその世界は巨大な力を持つ。力には序列が付けられる。自分が学歴のヒエラルキーに組み込まれた様に、宗教のヒエラルキーに組み込まれているのを感じる。もしかしたらハリギリババジもヒエラルキーから抜け出したいと心の底では感じているのかもしれない。その事によりヒエラルキーから抜け出たお寺を作りたくなったのかもしれない。
神話の神がどんな神なのか。軍事なのか、宗教なのか、学歴なのか。自分は自然の仕組みを合理的に理解する科学がイイ様に感じる。その科学も倫理が無いと原爆も生命をも作り出せる様になってきた。
ホモサピエンスが誕生してからの時間の長さを、考えると、人間が文字を発明して知識を伝承する事が出来る様に成ったのは最近の事だ。その短い期間での科学の発展は凄まじいものを感じる。
「人の命は地球よりも重い」の理性よりも、「自分は自然であり、自然は自分である」の考えが解りつつも、煩悩に支配されてヒエラルキーの頂点を目指してしまう。
人間はヒエラルキーでなく、風船の様な世界を目指していけないものか。宇宙は風船の様なものらしい。膨張しているらしい。
ほんの一部の者だけしかヒエラルキーの頂点に到達できない。そしてヒエラルキーの頂点を目指し熾烈な争いを展開する。頂点に立った者も疲弊してしまう。
疲弊するよりも、自利利他を目指してみんなで協力し、切磋琢磨していくのが楽しい様に思う。
風船の世界はみんなが手を取り合う。膨張し過ぎると爆発をしてしまう。力の弱い者へもみんなで協力して手を差しのべてまとまらないとならない。とても微妙な関係が必要不可欠。膨張し過ぎない事が大切。また力を抜き過ぎるとしぼんで飛べなくなる。
風船でないヒエラルキーは一部の者だけが高みに行けて、その他の者は底辺で上からの重さに耐えるだけ。下部の耐える力にも限界があるのでヒエラルキーの大きさには限界がある。
風船は重力を無視しているので不可能だな。引力と遠心力を工夫できれば出来るかも。
そもそも何で宇宙は広がってあるのだろう。
何で宇宙はあるのだろう。
独裁主義と民主主義の構造に似ている。どちらも高みには限界がある。自由に高みを目指せる羽衣は存在しないのだろうか。人間は月にまで行けた。
科学の諸行無常はどんなのだろう。
膨張して爆発するのか、しぼんでしまうのか。波の様に膨らんだり、しぼんたりを繰り返しすのか。
移民を受け入れるのではなく、移民が出る根本がを直さないとならない。
少子化のために移民を受け入れるのはなんの解決にもならない。少子化になる原因を直さないとならない。
移民も少子化ももっと先を見通した計画を立てていかないととんでもない事になりそう。もうなってしまった様にも感じる。
自分の年金が心配だ。
政治家は有権者数の多い老人が嫌がる政策は取ろうとしない。目の前に年金制度の破綻が予想されているのに抜本的な政策を提示しない。国が信用出来ない。
インターネットの速度にも国は付いていけていない。ホリエモンやウイニーの事件では行政も司法も従来の固定観念から抜け出せなかった様に感じた。三権分立になっていなかった様にも感じた。
移民の人たちも日本を信じていない様に感じる。そんな状況で日本への感謝の心など育たないと思う。
移民が出ない様にする事と移民を受け入れる事は長期的に考えたらどちらがイイのだろう。
インドのゴミを集める階層の人たちよりも、もっと階層の低い階層の人たちはどんな生活をしているのだろう。
今回の放浪では売春を全く見かけなかった。
不思議だ。
ココでは睡眠欲だけがやたらに満たされていた。牛も犬も人間も路上などいたる所で寝ている。ひなたぼっこをしている。
2025.02.23日
Sienna の件がイロイロと複雑になっているがなんとかなりそうだ。
マヌーが奥さんと上手くいかなくなって車中泊になったらしい。デイビットとマティオとブロックが連絡をくれた。たぶん、Sienna はナンバープレートが無いので駐車場だけてなく移動方法も考えないとならない。
イロイロと調べているとマヌーの家にそのまま置ける様になってきた。
バラッシ
散歩をする。
ラーメンを売っていた。
サトウキビもブドウもアイスクリームも売っている。自分だけ食べるのは気が引けるので食べない。下痢もしている。体力を付ける事も必要かもしれないが食べない。
夕食はなんとか完食。
ハリギリババジに参拝に来たグループに付いていった。スマホを見ながらテントを探している。お目当てのテントがアプリで探せるらしい。
ハリギリババジに参拝に来るグループは同じ様なテントを参拝する。目指すテントはハリギリババジのテントと同じ大きさになる様だ。
下痢は続く。
寝ていて冷や汗をかいていた。
2025.02.24月
下痢は続く。吐き気もある。こんな症状に身体が慣れてきた。辛さはさほど感じない。身体が洗浄されていく様な気持ちになれる。
オレンジ色の太陽の近くに三十日月が浮かんでいる。太陽の光が強くなると月が消えていく。
絵を描いているとたった3年前に絵画を初めたと言う少女が話し掛けてきた。スマホに保存している作品を見せてくれた。コピーでなく、オリジナルらしい。アイデアがイイ。イロイロなタイプの作風で1人の人に思えない。ダイナミックさはコレからの身に付けていくのだろう。
絵画の学校に通っているらしいので、豊かな家庭らしい。英語も流暢だ。インドの奥深さを感じた。
クンブメーラの空気が湿り気を持ってきた。大地も湿り気を持ち始めた。水たまりが見られる様になってきた。クンブメーラの幕がもうそろそろ閉じられる。
ゴミを散らかしたまま幕は閉じられる。このゴミは12年後はどうなっているのだろう。12年後のクンブメーラはどんなクンブメーラになっているのだろう。
80歳。
空気が湿って来た。地上近くの青空にモヤが見られる。水蒸気を感じる。
相変わらずの下痢だ。喉のイガイガは少なくなった。鼻の詰まりは無くなった。呼吸がしやすく成った。
シートがガンジャを勧めてくる。
散歩をして沐浴。
お金持ちはクンブメーラを離れていく。貧しい人たちが目立つ。この人たちはコレからのどうするのだろう。段々と水溜りが増えている。今まで寝ていた場所も湿ってきている。
昼はとても暑い。湿っているはずなの空気なのに土ぼこりが酷い。
サシーから連絡がきた。ラムギリババジの所にいるので、ラムギリババジの所に向う。
サシーはハリギリババジとケンカをしたらしい。お金をあげると言われて怒ったらしい。サシーはイロイロな人と問題を起こす。困ったもんだ。
ラムギリババジの所でコレからの帰国の大まかな計画を立てた。サシーは計画を立てて行動をしない所が多い。文書にして確認をした。
タケが成田までのバスのチケットを買った。なんと空港のホテルまで予約してしまった。
ホテルは空港温泉だ。こんな所の温泉に泊まる人はどんな人なんだろうと思いながら横目で見た温泉だ。
フィリピンの大まかな計画を立てた。
2025.02.25火
晴れ。しかしきんとん雲の様な小さな雲が5個ぐらい浮かんでいる。地平線の辺りはモヤが掛かっている。
下痢が慢性化している。体調が悪いと感じない。鼻も詰まっていない。この土ぼこりでも心地良く呼吸が出来る。瞑想の呼吸に近づける。喉のタンはムリして何回も履けば後は暫くは出ない。寝ている時にタンが溜まるようだ。
1番の体調の問題は寝てばかりで運動をしない事だ。クライミングがしたくなる。歩けばいいのだけれど、この土ぼこりと騒音でめげてしまう。
ラムギリババジのテントに行く。バナナを11本。100₹。30₹で買えるらしい。
ラムギリババジは師匠で、ハリギリババジはたぶん弟子の関係だと思うが力関係が逆転して、仲が上手くいかない様だ。どちらもお金に振り回されている様に感じる。
この2人の弟子やお客はどの様な気持ちなんだろう。どの様な宗教観なのだろう。
自分の様に学歴が生活をより良くしてくれると考え、勉強したのと同じなのだろうか。宗教の何を信じるのだろう。どの宗教も教えは同じ様に感じる。それよりもその宗教に所属する社会的所属、社会的承認欲求がどのくらい満たされるかだと思う。
日本の学歴観は義務教育でしっかりと受け付けられる。
ラムギリババジのテントには女性が5人男性が2人泊まっていた。
明日はハリギリババジのテントに泊まった方がイイ様に感じた。
ラムギリババジの兄がテントにいた。
ラムギリババジは60歳になっていないらしい。3人兄弟で真中らしい。
夕方に家に帰っていった。
ラムギリババジと2人になった。自分は寝てばかりだった。人もいないし、道路にも面していないので落ち着く。
ラムギリババジのあの時のマネー、マネーと言った行動は何なのだろう。不思議だ。自分の勘違いではない様には感じる。
夕方になるに従って雲が増えてきた。インドに来て久し振りに見る曇り空だ。
サシーがバイクタクシーを終えて帰ってきた。3000₹を返してくれた。
サシーの母親が旅行に反対して昨日の計画はチャラになった。
サシーは計画が立てられない。直感で動いている。能力があるのでその直感でなんとかなる。でも、周りの人たちはそれに振り回されてしまう。人間関係がギクシャクしていまう様だ。
サシーはサラリーとドネイトは違うと言う。しかし、契約をするか、しないかだけの違いだと思う。
方法が違うが結果は同じ。契約するかしないかなどは物質にはなんの関係ない。心の問題だ。紙や言葉でのやり取りは人間が創り出した心、神話でしかない。虚構だ。実際にお金が移動するのとは関係のない事だ。嬉しい気持ちも、感謝の気持ちも、して貰えると助かる気持ちも、気持ちでしかない。心の中の事で、お金の移動、物質の移動には関係ない事だ。
現実に起こった事はお金が移動した事、紙にインクが付いた事だけだ。感情や契約はなんの意味もない人間が安心出来る様に作り出した神話だ。
お金も紙切れでしかない。
お金と併せて有名なのがピラミッド。結局は電子、原子に行きつく。
お金が移動する事は存在する。感謝の心が物に代わったのがお金だ。人間が紙を勝手に感謝に値段を付けた。お金はとても便利だ。持ち運びが楽だし、交換、保存が出来る。価値の基準にもなる。
仮想通貨も出てきた。日本銀行が仮想通貨を発行して欲しい。
銀行が許さない。賄賂の横行している政治と経済も許さない。
アマゾンが儲かる。日本銀行が本気を出せば、今ならアマゾンを抜ける。ビットコインを作った人はアマゾンに住む日本人的な名前の人だったらしい。
心とか意識は何なのだろう。機械にも心がある様に感じる事がある。車に乗る時にトントンとハンドルに挨拶をする。車はそれに応えてくれる様に感じる。
お金のない社会はお互いが信用できる大きさの組織でしか存在しない様に思う。そんな組織は現代にはもう存在しない。
お金のやり取りでもない、物々交換でもない、信用だけで成り立っていた時のとても小さな組織の中での事だ。
縄文時代はお互いに信用しないと生きていけない。感謝するとか、しないとかの次元ではない厳しい時代だったのだと思う。
災害で自然淘汰される。そのの覚悟が常に存在する時代。その世界ではお互いが助け合い、協力して精一杯生きていくしかない。災害が襲ってきた時には最後は運命に頼るしかない。自分を信じるしかない。未来などは考えても仕方ない。今を楽しむ。今を生きている事に感謝する。
自然は計り知れない巨大な存在だった。
この世に産まれただけでも奇跡に近かった時代だ。
現代は命の尽きる事がとても尊い事の様に扱われている。そして命の尽きる光景が身近に存在しなくなっている。
日本では病院で身体にコードを巻き付けられながら息を引き取る。
家畜はこの世の片隅で目立たない様に屠殺され、製品となって世に出荷されている。
その他の動物は環境の変化に耐えられなくて絶滅したり、減少している。
人間は正義の名の下に人間も殺している。ボタンを押すだけで一瞬に何十万人も殺した。正義の名の下に今も人は人を殺している。
日本では国民が選挙で選んだ法務大臣の指示で人を殺している。
防衛大臣は人を殺す準備や練習をさせている。
国の年収が120万円だと起きるか、起きないか解らない非生産的な事に1年に24000円が消えていく。1ヶ月に2000円も消えていく。
計算が会っているのかな。疑問になるほど高い。セコムよりも高そう。
年収の最頻値は300万円。これも問題。
1200000
12000
100
人間は全人類を何十回も絶滅できる程になった。
日本では人を殺す準備に対して、賛成の人が半分以上いるらしい。殆ど議論もしないで軍事費は2倍になるらしい。
ソ連の崩壊で、力で力に対抗する時代は終わるのかと思ったが終わらなかった。何でNATO は解散するどころか参加国が増えたのだろう。
NATOを存続して加盟していくのならば、ソ連の崩壊後にウクライナが直ぐに加盟すれば良かったのかもしれない。知識人は何でその辺を指示しなかったのだろう。NATO が解散されていたら、ウクライナの戦争はなかったかもしれない。
日本もアメリカと同盟を結んでいる。ソ連も中国も朝鮮もその事で攻めて来ていないのは確かだろう。
アメリカがイロイロな
国に軍隊を配備している。USAドルが世界の基準の通貨である間は横田基地は無くならないのだろう。
日本の軍事力は世界○位らしい。それに対して教育費は世界✕位らしい。
自分は人を脅す為に銃を見せびらかしている人とは仲良くなれない。寧ろ嫌悪を抱く。狩猟で銃を持つ人には憧れる。しかし、反社会の人たちの様に、自分の貧弱な理論を力でごり押しをする生き方をしている人には哀れを感じる。自分の理論をしっかりとしたものにしたくなる。
自分も働いていた時に虎の威を借りていた。
知識が豊富で合理的に考えられる人には近づいてみたい。その人の生き方を知りたくなる。そして自分の考えに示唆を示して貰いたくなる。
秋保の住職、自分の家のお寺の住職に住職を選んだ考えを聴きたい。
世界ではまだ日本の技術は信頼されていると感じる。憲法9条が有るのに何で日本は軍事大国を目指すのだろう。
日本は貿易封鎖をされたら1年も持たない。
仮想敵国を作るより何で目の前に迫っている南海トラフ地震に備えないのだろう。神戸阪神大震災は東日本大震災に活かされなかった。東日本大震災の経験と全く能登半島地震に活かされていない。
不思議だ。
銃を作る人、銃を売る人、銃を配る人、銃を持つ人など人を殺す準備をしている人たちにガンディーの映画を観て貰いたい。
もう、力に力の時代でない。人間が創り出してきた力を安心、安全、豊かさに向けて欲しい。人間は性善説でやって行ける時代だ。それには軍事よりも教育だ。
お客さんが3人きた。全部で9人。
寝ていると更に増えていた。
2025.02.26水
寒い。鼻と喉はまだ正常ではない。
ガンガに沐浴。ココはまだ混んでいる。
そうめんを売っていた。
キュウリ10₹を買う。美味しい。
のんびりとラマギリババジの所に向う。
バナナ100₹。1本10₹。をお布施に買う。ボラれているらしい。
ラムギリババジの所でのんびり。サシーがいた。弟子は家に戻る様だ。サシーがバイクで送っていった。のんびりする。蚊がいるのでテントの外でのんびり。
弟子が3人来た。弟子もいるのでハリギリババジの所に戻る事にする。
サシーは家に戻る。
2000₹。サシーもお金に振り回されている。サシーはガンジャにも汚染されている。
下痢は少し回復してきた。お腹が洗浄された感じがする。下痢になれた。
ハリギリババジの所に戻る。戻る時のラムギリババジの態度が冷たく感じた。やはりラムギリババジとは元には戻れない。
ハリギリババジの所に戻る。優しく迎えてくれる。人間関係はとても落ち着く。お客さんもとても多い。人間観察が楽しい。ただし、ココの空気が土ぼこりで良くない。テントには蚊がいる。どうしても刺されてしまう。ハリギリババジは裸なのに何ともない様だ。
夜中に起きる。冷や汗をかいていた。タンもまだ出る。
2025.02.27木
蚊がいる。
ネットの帽子を被る。
絵を描く。下絵はイイのだけれど、彩色が難しい。目鼻が微妙に違うので描き直しをする。そうすると絵が濁りだす。
写真を見てサンティの孫の絵を描き終わる。目鼻が難しい。直すと濁るので納得がいかないが絵を渡す。
セーにも似顔絵を頼まれた。
サシーが身体を洗っているとやって来た。ラムギリババジの所にいくらしい。自分はココに居る事にする。
サシーとシーがウイスキーを買ってきた。インドではアルコールはガンジャよりも不道徳な物。昔の日本のシンナーみたいに見られている感じがする。
水溜りで蛙が鳴いていた。
殆どのお寺が解体されている。ココは偽りの世界なのだろう。アトラクションは無くなったがゴミは残される。
2025.02.28金
湿気がある。寝汗をかいた。
蚊がうるさい。ネットの帽子を被るが、裸にネットがふれる所を蚊が見つけようとしている。うるさい。
咳とタンが少し。下痢は無い。
サシーは近所の人とケンカをしたらしい。警察も来たらしい。今日はクンブメーラに来られないらしい。
テントを解体し始める。ハリギリババジが自分にバックを預ける。全財産が入っているバックだ。少し緊張する。
ハリギリババジは疲れたのかウイスキーを飲み始めた。かなり呑む。自分にもくれた。
ハリギリババジか隣りのテントの人ともめだした。
管理者の様な人が2人きた。初めは強気でコッチを注意していた。管理者は無線機も持っていた。ハリギリババジが動画を撮リながら管理者に抗議をする。隣りのテントの人とケンカになりだした。ハリギリババジが相手を叩いた。ポスターも破いた。ヤバイと思っているとレンガや棒を持ち出した。みんなで両者を止めている。
どちらも引かないがそのうち管理者はハリギリババジ側になっていった。
隣りのテントは壊された。
相手のテントが勝手にテントを建てたらしい。ハリギリババジの柱を使っていたのが問題らしい。少しぐらい貸してもイイ様な気もする。
2人のケンカが収まらない。その内、警察が2人来た。更に警察、更に警察で6名にもなった。
警察もハリギリババジ側になってきた。
ケンカの目処が付いて、みんなで何故か写真を取った。警官も入っている。自分も入る様事になった。
コレがインドだな。
ハリギリババジの知り合いのテントに移動。昼食。このテントも骨組みだけになっていた。水も出ない。
バナラシに向う。高速の様な道路で快適。 高速料金はどうなのかは解らない。やはりインドは発展している。道路が凸凹していない。
バナラシの駐車場に着く。ハリギリババジは酔って寝ているのでのんびり。チャイ。
ガソリン1000₹、車代1200₹。サシーの情報の6000₹とはかなり違う。
ホテルが満室でお寺の近くの家に泊まる。ココはゲストハウスだった。ホテルではない沈殿の雰囲気がイイ。いくらなのだろう。ドミトリーの様なのもあるらしい。
近くにはもっと良さそうなお寺があった。自分は公園でもイイと思う。
ゲストハウスになった。ココは電気がある。トイレも水もある。ベッドもある。カギも掛かる。蚊がいる。
クンブメーラは宗教の世界だ。宗教が全面の世界だ。ベナレスは宗教とお金が入り交じっている世界だ。都会に行けばお金の世界になるのだろう。日本は明治維新からお金の世界を踏み始めた。
クンブメーラの世界から離れるとインドの宗教離れを感じる。ベナレスはクンブメーラにいたような年代の人よりも若者が多い。都会ではもっと若者が多いのだろう。お金のある者はお金を得る為に建物の中にいる。路上にはいない。路上にいる者は自分の未来を探している者なのかもしれない。
ハリギリババジもラマギリババジもインドでの宗教の生末を感じているのだろう。自分が育てられて、育ってきて、目指してきた宗教がお金によって壊れてきている。自分がどんなに努力しても、お金の広がる速さや強さは圧倒的な力で迫ってきている
国や宗教や人に頼っていては限界を感じた時に建て直せない。
ハリギリババジはお金を請求しない。
屋上からは下町の巨大ブランコのアトラクションの歓声が聞こえる。
クンブメーラよりは少し西洋化したインドの音楽が鳴り響いている。インド人は音楽が好き過ぎる。うるさい。車やバイクもけたたましい。危険を注意するのではなく、オレ様がお通りになる様な感じで鳴り続ける。
日本の大名行列の「下にー、下にー」の様な優美が欲しい。
この混沌がたまに楽しめなくなる事とあるが、暫くするとまた経験したくなる、楽しく感じる様になる。
屋上は風があって蚊が少なくていいのだけれど、ハリギリババジと同じベッドになった。蚊が多い。
階段の横目で寝る事にした。モスキートネットだと刺されはしないけれどめちゃくちゃ羽音がうるさい。刺されるか心配で起きてしまう。
シラフカバーだと息苦しくなるが分厚いので音が少ない。余りの蚊の襲撃にめげてシラフカバーで寝る。
2月が終わる。
69歳だな。体力が無くなっているのを感じる。
アジアを旅行すると下痢になる事は何回もある。今回はその下痢がなかなか治らない。
ヒィンドーのテントでズーと暮らしているので、自分のペースで生活が出来ない。食事も全てが提供される物、特に水が時々、水道の水でない時もある様だ。
しかし、ウンチが白
くなるまででの下痢にはならなかった。
ガンジャや車の排気ガスや土ぼこりで喉と鼻もやられている。
どちらにしても、自分ではなかなか自覚が出来ないが新陳代謝ものんびりしだしたのだろう。
現実を認識しながら余生を楽しもう。
考える時間が多いので、宗教などの自分の考えをまとめる事が出来た。
Wi-Fiが無いのでユーチューブが観られない。良い事なのだろう。
明日はベナレスに移動だ。
新しいステージの始まりだ。