2025.01.01〜甲斐駒ヶ岳尾白川本谷 兜岩 インド クンブメーラ


新年が明けた。今年も海外に行ける。先ずは1月2月のインド。家族との春休みのフィリピン。そして4月から12月の北アメリカ大陸。


来年も楽しそうな事がめじろ押しだ。健康第一と事故には気を付けて、全てを完登したい。


Siennaが買えて、使える様になるか?????



2025.01.01 水


☆甲斐駒ヶ岳尾白川本谷☆


☆西坊主ルート


の疲れが残っている。


晴れ。


ラジオが初日の出だと7:00ぐらいに言っていた。少しのんびりして、餅ラーメンを食べている。日の出はテントの中、おがめなかった。


相方はエブリまで戻る気が満々だ。自分はとてもムリだと思いながらも、相方を追っかけて下山して行く。

相方との敗退は自分の力量の無さで毎回起こる。今までの記憶では大きな敗退が3回ある。今回も含めて自分の力量の無さで起こった。体力の無さで起きた。

今回は事故による敗退ではないので、以前の2回よりは進歩した敗退なのかもしれない。それともガシガシと登れなくなったのかもしれない。

以前は肋骨、その次は手首。今回は体力の限界とヘッドライトなどの道具の不調。


懸垂が必要かと思っていた所もダブルアックスでなんとか降りられた。相方は普通にストックで降りていた。河原に到着。その後は河原を歩いたり、高巻いたりした。今回はトレースとヤマレコをたどっているので、足ズボもなく、尾根の登り口まで行けた。


相方が自分のヘロヘロさを心配して、ロープやガチャを持ってくれた。相方はなんとかエブリまで行きたい様だ。自分はヘロヘロで転んでばかりだ。手足だけでなく、疲れが腰にもきている。瞬間的なバランスが取れない。瞬発力が出ない。基礎体力が無くなっている。

相方は明日に仕事があって、出勤出来なかったらクビになると思えば歩ける様な事を言う。そんなギリギリなクライミングを還暦を過ぎたおじいちゃんたちがする事?と思いながらも後を追う。


尾根の登り口もダブルアックスなのでなんとか行けた。尾根は少し間違えたけれど、GPSとヤマレコで直ぐに修正が出来た。尾根の平らになる所で、ソロクライマーに会った。ロープは持っているようだけれど、とても身軽に見える。


尾根を降りて行く所で、廃虚になったクレーンの様な機械の写真を撮った。昭和13年頃に材木の運搬に使用していたらしい。尾根を降りて、岩のトンネルまで行けた。トラバースもなんとかダブルアックスで通過。出会いの入り口から垂壁を登って行く。ダブルアックスでないととても怖いのだけれど、相方はストックで登っていた。尾根は少し間違えそうになったけれど、なんとか河原に出る。


最後の垂壁を登り出す。手前には水もあるし、雪も少なく、平らなテン場があるのに、相方は最後の垂壁を登り出す。凄い体力と精神だ。残置ロープの辺りで、相方も疲れたのか、ロープを落としそうになっていた。


オームナムナラーイ


なんとか登山道から廃道に着いた。アイゼンを外して、暫しの休憩。放心状態になっていた。寝転ぶ。

休んでいると寒くなってきたので、アイゼンを外して歩き出す。ホントは直ぐにテントを張る予定だったけれど、水が無い。また、ひたすらヘッデンを付けなから歩き出す。トンネルを抜けても水は無い。たまに氷の滝があったが、水は得られない。ようやっと水が得られる所に着いた。

グーグルナビではエブリまで3.5km、45分らしい。それならばと、もうひと頑張りしてエブリに向かう事にした。

その後の休憩でグーグルナビを見るとまた、3.5km、45分と出た。エ~~何故!と思うが仕方無い。ココまで来たらひたすら歩く。テントよりもエブリには快適な空間が待っている。


ようやっと、エブリに到着。初詣の人たちに会った。修験者がお経の様なのを大声で唱えているのが遠くから聴こえる。自分には参拝に行く元気はもう無い。登山靴を脱いで、エブリでローソンまで向かう。車内に置いて置いていたカルピスウォーターや壊れ煎餅が美味しい。


ローソンに到着。

サンドイッチなどを買ってレンジで温めて食べる。美味しい。極楽を感じる。


21:40なので銭湯はやっていなさそうだ。明日は先ずは温泉に行く事だけを決めて道の駅で車中泊。


久し振りの乾いたシラフで熟睡。


2025.01.02木


晴れ。明るくなってもまだ寝ている。


相方はお腹が空いているらしく、コンビニで朝食を買った。自分は


☆韮崎のビッグ


で食材を買う。食パンにマッシュポテトにハムにキュウリ。マヨネーズで味付けをすれば、調理の必要は無い。美味しいし、安いし、時間も掛からない。食事の毎に毎回、コンビニに寄る必要もない。


☆温泉「韮崎 旭の湯」に行ったが正月休みだった。ココは炭酸が日本1。温度も温め、とてもイイ感じの温泉なので残念だった。


☆温泉「国母温泉」430円

に行く。サウナもあるし、源泉垂れ流しで良かった。久し振りの温泉で身体が伸び伸びした。1時間以上は入る。


☆登山店「エルク」


に行く。


相方はハーネスを買った。自分はノミックの石突を調べて貰った。自分のノミックは旧式なので合わないらしい。


店員さんはクライマー。韮崎にクライミングの為に移住してきたらしい。この辺には移住してきたクライマーがたくさんいる。


その店員さんが勧めてくれた


☆兜岩☆


を偵察しに行く。


ココの駐車場は狭い。10台ぐらいしか停められない。

トイレがあった。水もあった。

岩場はイロイロなエリアがあるらしいが高さが余りない。ボルトが5本ぐらいのルートが多かった。クライマーが2ペアーいた。


相方はスーパーに行って夕食を買ってきて、そのままスーパーの駐車場で食べ始めた。そして5分ぐらいで食べ終わった。温かい内に食べたいとの事だ。

自分は買い置きの食パンにキュウリとハムを挟んでマヨネーズで味付けをして食べた。マッシュポテトも旨い。

温かさはないけれど、コンビニへの移動を考えるとコッチのが楽チンに感じる。

2人ともガスで温める料理までする気にはならなかった。

吉野家も松屋も遠いいのでパス。


食欲は三大欲求のひとつ。なんかこの食事の仕方は三大欲求にしては味気ない気がする。相方は家でも食事時間が5分〜10分らしい。自分も働いていた時の給食はそんなものだった。


食事に掛ける時間を何か他の事に時間を掛ける人たちがいる。そんな時間が多い人は何か大切なものを目指している人が多い気がする。


自己実現。


自分は味盲なので食事にはあまり拘らない。家族はとても丁寧に料理をしてくれる。たぶん、高級レストランの味にも匹敵する美味しさ。見た目も色とりどりで華やかに感じる。

それなのに自分はこの家庭料理を堪能はするのだけれど、矢張り、胃の中に入ってしまえば同じかなと思ってしまう。

なので自分の作る料理は鍋が多い。麺つゆか、味噌での味付け。食欲が出ない時はそれにキムチの元を入れればなんとかなる。

ご飯が前日の残りで冷たい時はそのご飯も鍋に突っ込んで雑炊にする。放浪の食事はそんな感じだ。家での食事はいつも3品以上はキレイに盛り付けられて並んでいる。


家族との食事は日本の食の豊かさを感じる。


日本人は食をとても大切にしているのを感じる。食材を生かし、見た目も大切にする。食事前も食事後も感謝の心を表す。手を合わせてから食する。


日本人は三大欲求の中で睡眠欲に対する欲求を抑えている人が多い様に思う。朝は目覚ましを掛けてなんとか起きだす。通勤列車の中では吊り革にぶら下がりながら睡眠欲に耐えている人もいる。睡眠の時間を仕事や勉強に充てている人が多い。自分も中学3年から退職するまでの時間は無事に退職する為に捧げてきた。

高校の時には徹夜の勉強もした。


四当五落とかジャパニーズビジネスマンの言葉がある。


バブルが過ぎ、失われた40年になろうとするがジャパニーズビジネスマンは今も健在だと思う。

日本人は日本的な巨大な村社会を作り出した。クルクルとその巨大な組織の1つの歯車として定年になるまで動き回っている。定年になって給料が半分になっても組織と繋がった生き方をしている人たちも多い。


欧米は夏は陽が長いのでアフター5どころか仕事を16:00くらいに終えてクライミングをする人たちを見かける。

仕事も大切だけれど、生活の中に仕事とは別の大切なものを持っている。

仕事とは別なクラブの様な人間関係の組織が生活に存在している。


性欲はキリスト教によって世界的にかなりイビツな状態になっている様に感じられる。自分が男だからなのか、「性に対してもっと緩くてはダメなのかな」と思ってしまう。キリスト教では夢精をしてもそれは罰らしい。


1956年に自分は産まれた。その年に赤線が廃止された。それ以前の日本には赤線が存在していた。国がその枠内では性を糧にする事を公認していた。吉原はエンタメの最前線だったらしい。性に対して日本は西洋化してしまった。

そして、昭和の田舎では夜這いも普通あったらしい。

平安時代では源氏物語に見られる様に、夜這いが普通の風習だったらしいマザコンやロリコンも普通だったらしい。

戦国時代や江戸時代では衆道も普通だったらしい。日本の性は緩やかだった。

縄文時代は血が濃くならない様に、性に対して緩かだったらしい。普通に淫行が行われていた。他の血を取り入れて、血を薄くしていた。


農耕をしだして、余剰作物が生まれて、階級が生まれた。支配階級は性に対して倫理と言う神話を作りだしていったい。

日本はその神話が維持され続けて、世界中でも稀にみる長期の神話を作り出した。戦争でなく、神話で体制を繋げていった。


稲作が行われるアジアは緩やかだった。

麦よりも稲は何倍もカロリーの生産性がイイ連作障害の為に、休耕地を作る必要もなかった。2期作も出来た。

アンコールワットでは道祖神どころか、とても緩い、緩い倫理がお寺にたくさん装飾されている。

農耕は集約的な作業が要求される。神は恵みもくれるが、時には予期しない破壊ももたらす。その破壊に対して人間は祈るしかなかった。運命は天が握っていた。


キリスト教に飾られている装飾はマリアが年よりも若々しい。イエスキリストも欧米人ポイ。ステンドグラスから光が降り注いでくる。

イスラム教では偶像禁止だ。幾何学模様で囲まれる。具体でなく、抽象で神を感じる。

抽象は様々な人種や民族を1つにまとめる事が出来る。


因みにキリストが十字架に貼り付けされているけれど、布で隠されているのは、ユダヤ教で受けた割礼を隠す為らしい。


世界宗教にはキリスト教とイスラム教と仏教があるらしい。

キリスト教のカソリックでは夢精さえも罰になるし、離婚も出来なかった。人生なんか失敗だらけなのに、結婚に寄ってその後の人生が墓場で終わってしまうのを解消が出来ないのはどんなものか。


イスラム教は一夫多妻らしいけれど、1日に5回もお祈りをする。とてもきめ細かい戒律を守って日々過ごさないとならない。戒律を守ってさえいれば良いらしい。イスラム教はキリスト教よりも絶対的な神の存在を感じる。


キリスト教もイスラム教も一神教で絶対的な神がいる。その神にそぐわないものは受け入れない。絶対を崩すと他者を認める事になる。他者の存在は異端であり、その存在を認める事は許せない。地球は狭くなり、争いが続いてきた。


人類の人口は飽和に近づいている。子どもを2人までにすれば少しは戦争の回避が出来る様になると感じる。先進国は少子化で悩み始めた。


蟹の穴を考える時代になってきた。


アニメの「チ」にある様に、中世には魔女狩りが横暴していた。ダーウィンやガリレオもキリスト教の被害者だ。スピノザはその迫害をプラス思考で克服していった。レンズを磨きながら、エチカを創り出した。


自然が神。

宇宙は自分でもあり、自分は宇宙でもある。


ウジェン クンブメーラ 9年前。


聖書やコーランは紀元の初期にヨーロッパで作り出された教典だ。時代も地域もとても狭い世界感で作られた教えだ。

その教えが環境も時代も異なる世界中で信仰される様になって来ている。理屈でない。精神で信仰する。信じる者は救われる。そして、信じない者は人としてではなく、動物として扱わられる。一神教の神は絶対的なので他者を認める事が出来ない。寛容になるとその神は絶対的でなくなる。そしてその歪みが争いを引き起こす。


余剰作物を自分のものとして維持する為に、支配階級には宗教が都合が良かった。

武力で支配するには人数に限りがあったが、宗教はその範囲を神話によってその限界を超える事が出来た。

ホモサピエンスが世界中に分散していった。


世界宗教は地域や時代に根ざしたアニミズムや神話を越えて巨大化した。

封建時代の君主制から啓蒙制に代わるのかと思いきや、神話が世界を支配している。月にも足跡を残した。太陽に近づいている。

イカロスの翼はもうすぐ宇宙の果てに届こうとしているのに、神話が地球を支配している。理屈よりも信仰が幅を効かせている。不思議だ。


ロケールド


中世のキリスト教は科学も文化も後退させた。紀元前に栄えたギリシャ文明の知識を異端として封じ込めた。


ザビエルが日本の庶民に論破されたらしい。キリスト教を信じる人はその論破に対してどの様に考えるのだろう。その反論に対して反論をしないのか。反論が出来ないからなのかと感じる。


キリスト教もイスラム教の信者は合理性や科学に対して問うと途端に神秘的な心に変化してしまう。


なんでキリスト教を信じるのだろう。自分には窮屈にしか感じられない。イスラム教はもっとがんじからめな宗教に感じる。


仏教にも教典がある。しかし、個人の受け止め方でイロイロに解釈してイイらしい。仏教は中唐を大切にしている。絶対的でない所がイイ。

日本では神道と仏教が上手く合体して調和を奏でて、その教えが適度に合体して広まっていった。寛容性があり、自分なりに解釈して受け入れていくのがイイ。


絶対はあり得ない。


諸行無常。色即是空。


仏教は一神教なのか、多神教なのか。

神道は天皇を絶対的なものするので、一神教に近い様に感じる。


世界宗教になるには環境も人種も超えなければならない。絶対的な神でなければならない。なのでそこには歪が出てくるのは仕方無い。

しかし、数と数が集まり、その数が大きくなればなるほど、その大きな数は歪を克服してしまう力を持つ。

民主主義も資本主義も共産主義も神話なのかもしれない。人間は人と人の間を神話で繋がって人間になる。1+1=2かもしれないが、数式では表せない事が起こる事もある。


そこには理論ではなく、教えに従う精神論の世界が造り出されていく。


宗教は科学よりも勝る。


多神教は緩やかなのがイイ。

絶対的なものを盲目的に従うのではなく、その場所、その時間に合わせてたくさんの神から自分でその度、それにふさわしい神を選んでいく。

自分で適度な選択をしていくのは大変だ。どれに頼れば良いのかを迷う事もある。しかし、絶対的なものに縛られず、試行錯誤が出来る事は素晴らしいと思う。


独裁主義だと効率が良い事もあると思うが、そこには歪がいつかは出てくる。

民主主義のが長期的な視点で見れば最悪な状態は避けられると思う。


しかし、アテネもスパルタも愚衆に寄って滅んだ。


中唐なんだろうな。


諸行無常。


三大欲求の他にも排泄や好奇心や行動などの欲を人間は持っている様に思う。

管やコードに繋がれて、ベットに横たわって、新陳代謝をさせられている状態は生物と言えるのだろうか。

人間なのだろうか。人なのだろうか。動物なのだろうか。

生物なのだろうか。


意識があるか、無いかで生物にも物体にもなる。


スピノザが意識に付いてどの様に考えていたのかが知りたい。

自然が神なのはとても素晴らしい哲学だと思う。


意識とは何なのだろう。意識にエネルギーはあるのだろうか。

意識は波なのか、粒子なのか。意識は振動らしい気がする。


自分の家族は「ワクワク」を世界中に広めたいらしい。


「勿体ない」

「いただきます。ごちそうさま」


素敵な日本語だ。


「当たり前は有り難い」


「蟹の穴」

「エントロピー」

「色即是空」

「苦も楽も諸行無常」


宇宙は個でもあり、個は宇宙なのは確かだな。


宇宙は自分で自分は宇宙でもあるのは確かなので、絶対的な神のキリスト教やイスラム教よりも仏教や神道のが好きだ。

イスラム教はキリスト教よりも国家と連帯する所がとても多いので、戦争が起こる事が多いらしい。


神道も天皇家を神話で絶対的なものにする事によって、神風特攻隊まで作り出した。

スピリチュアルや精神論が個人を超えて、国や天皇を守る事を目指してしまった。人の命は地球よりも重いのだけれど、精神論で組織を優先する事も起きてしまった。


大日本帝国が敗北を認めたのも、ソ連が侵攻して来た理由が大きいと言われる。ソ連は共産主義を目指してているので、天皇などの上流階級は皆殺しにされる。

アメリカは上流階級を皆殺しにはしない。今までの組織を自分らに都合のイイ様に生残して利用する。

実際に天皇は残ったし、財閥や地主などの資本家も皆殺しにはならなかった。


世界宗教は自分の認識が間違っているのかとも思うが好きになれない。

聖書もコーランも紀元初期に人間によって作られた物だ。神道の古事記などもその当時の支配者に都合の良い様に創り出されたものだ。人間に作り出されたものだ。

大勢の人を暴力では支配するのが大変なので、宗教によって、神話によって支配階級が平民を宗教によって洗脳してきたのだ思う。宗教は組織をまとめるのに都合がいい。


村単位のアニミズムがふさわしい大きさな様に思う。

人がたくさん集まればとても大きな力が作り出される。しかし大き過ぎる事によって歪が出てくる。そして、力と力がぶつかって、どちらかがどちらかを支配する様になる。

縄文時代の村単位の大きさが何万年も存続が出来た原因なのかもしれない。それ以上では力と力の世界になり歪が出てくる様に感じる。


教師をしていても50人が限界で500人になるとまとまりが無くなるのを感じた。


人は理論ではなく、精神で動く。人と人によって人間になっていく。その人数が大きくなると分裂を起こす。単細胞生物が分裂していく様に。


多細胞生物は分裂を起こして細胞と細胞が連結してとても大きな生物になる。

生物と生物が連帯して世界を宇宙を造っていく。


無から宇宙は形成されたのだろう。


コンピューターゲームをのソフトを造ったのが神ならば、コンピューターを造ったのも神だし、その神を造ったのも神。

一神教の神も多神教も神も、視点の大きさでどちらも同じ気がする。


アメリカは世界の警察にはなれなかった。この世は理論で動かない。


科学も神話に勝てないのかも。


平和な世界がやってくる時はコンピューターゲームが終了した時だけなのかもしれない。

ソフトをリセットしたり、ソフトをプログラミングしたり、ソフトを動かしているのは科学なのか、神なのか。


自分が食べ終わるまで、相方に今晩の泊まる場所をネットで探して貰った。


コンビニで泊まる事にした。


2025.01.03金


明るくなってからのんびりとガチャ分けと食事。フロントガラスがガリガリに氷付いていた。それでも寒くは感じない。コンビニ前ならリラックス出来る。


☆兜岩☆


に向かう。8:00なのに駐車場がもう満杯になりそうだった。


☆二階☆

☆10a

☆11cクラック

☆11cハングクラック


☆大手門☆


に移動。


☆12a 全くダメ

☆11b

☆11b


15:00頃から日が陰って寒くなった。


仙台に向かう。高速が事故で凄い渋滞。相方が抜け道を知っていて、下道で上手く抜けられた。


仙台に着いたのは1:30を過ぎていた。夜間割り引きはされた様だ。


尿瓶

熟睡


新月


2025.01.04土


家族と食事。雑煮が美味しい。昨日のパンの残りも食べる。


家族5人で引っ越す前の地区にあるお寺のお墓参り。雪が今年はあまり積もっていないとの事。


お世話になっていた方の所にも新年の挨拶。新しい家族が会話を盛り上げていた。


帰りに白菜、長ネギ、玉ねぎ、御新香などなどてんこ盛りに渡された。


この家も老夫婦2人で暮らしている。辺りの家も老夫婦だけとか、1人だけの家が多い様だ。敷地には草が生えていたり、トタン屋根がサビサビになっていたりする家が多かった。

この町も大変だな。宮城県でも、東北でも、仙台だけしか人口が増えていないらしい。


車内の清掃。


家族と夕食。


家族の呑み会の送迎。


三日月


2025.01.05日


のんびり。


疲れて山の服の洗濯が出来なかった。


家族4人は盛岡へ新年の挨拶。


自分と家族3人は母への面会。


バンクーバーの片道チケットを買った。国際に対応していないカードでないと受け付けられないのでとても面倒だった。


2025.01.06月


映画「アナグロ」5.9

最後はお決まりの恋愛ストーリー。


年賀状を書く。ハガキなので墨絵の様にはならなかった。


郵便局でロン毛に振り込み。61万円。上限が50万円なので残りは明日。


モンベルでバックル ストックを直すのはインドから戻ってからにする。


スズランテープを買う。


インドの準備。


部屋の整理。


クスリと針と糸が見つかった。


長期のインドなのでエブリのバッテリーを外す。


エネオスに連絡が付いたが混んでいるとの事で問題が解決しない。全く不親切なシステムだ。電話代がドンドンと飛んで行く。


2025.01.07火


なんと日記など、など、全てのデータが消えてしまった。


落ち込みながらインドの準備。スマホも1台が見当たらない。


ボケボケ過ぎる。


ロン毛に残りの代金を振り込む。送料代金が全部で880円。銀行は儲かるな。

ペイペイなどのか安く振り込めるのかもしれない。


出光カードをガソリンスタンドでアプリに連動して貰った。少しは安くなるのかな?


エネオスへの手紙を書いた。トヨタファイナンスのシステムがダメだなと感じる。電話代がバカにならなかった。受け付けの人は親切だった。受け付けが出てくるまでひたすら待つのはとても不親切なシステムに感じる。メールにしてもらいたい。


部屋の整理。


2025.01.08水


晴れ。インドの荷物の最終チェック。クライミングギアがないのでとても軽い。どうしても余計な物を持ち過ぎてしまう。


スマホに電波が無くとも使える様に翻訳アプリにヒンディー語を入れた。


DELは、インディラ・ガンディー国際空港(Indira Gandhi International Airport) 。インドの首都ニューデリーに位置している。


Shashi Sharma の家


146c/15a, Nyay Nagar, kandhipur, Dhoomanganj, Prayagraj, Uttar Pradesh, India.

Postal code : 211011


空港からシャラムの家までの経路を調べる。


スマホも出てきて、たぶんチケット、ビザ、荷物も含めて準備完了。


家族のピアノの送迎。


家族に駅裏まで送って貰う。


寒いのでズボンを2枚重ね着した。Wi-Fiが飛んでいない。充電は出来る。少し寒い、暖房は入っている様だ。


バスに乗れた。バスの座席は半分くらい埋まっていた。

バスの中はゴホゴホしている人が何人かいる。自分も鼻水が出てきた。うがいをする。


2025.01.09木


寒い。風邪はまだ微妙。


電子カウンターで預け荷物の手続きが出来た。


チケットを貰う時点で紙ビザがないとダメらしい事が解った。受け付けの方がイロイロと取り組み、更にセブンイレブンの店員さんもイロイロと取り組んでくれて、なんとか紙のビザをゲット。自分のアカウントが複数あるので資料の保存場所を探すのが大変だった。

ビザをデータで作って、そのデータを保存して、そのデータをマルチコピーに入力して、そして紙で印刷。

自分でやろうとしたけれど、サッパリ出来ない。イロイロと助けて貰いながら、紙のビザを作れたので良しとする。


なんとかイミグレーションを通れてホッとする。


映画「まる」5.10c!

まるを描く画家の話。


映画「あの人が消えた」5.10a

宅配便のスピリチュアルな話。


映画「もしも徳川家康が総理大臣になったら」5.9

日本史で有名な人が政治に取り組む話。


映画「変な家」5.9

八ツ墓村の様な話。


映画「90歳。何がめでたい」5.10d

作家の話。


疲れていて映画になかなか集中出来なかった。


飛行機は8割ぐらいの混み方だった。機内食は美味しかった。ANNAは豪華に感じる。イヤホンでなくヘッドホンだった。非常口の座席なのでのびのび出来た。


疲れたので空港で寝る。

Wi-Fiが飛んでいない。換金も高そう。


楽天が使えた。グーグルマップも使えた。


フラットな椅子が無い。充電は出来そう。


2025.01.10金


7:00にトイレ、移動、空港を出る。さっそくタクシーの呼び屋が何人も何人もやってくる。地下鉄の駅まで付いてくる呼び屋もいた。


2000₹3600円を人に頼んでATMで降ろして貰う。


地下鉄60₹110円でニューディリーまで。この駅では現金のみ、カードは使えない。


地下鉄はキレイだ。しかし、地下鉄の駅の構内はインド的だ。英語も少ない。


ニューディリー駅にいくのも表示が少ないので解り難い。


街はモヤが掛かっている。


インド人を信じるよりはグーグル先生を信じるのが良さそう。チケットを買うのに2人も詐欺師がやって来た。

1人は見た目も話の内容も問題がなさそうで信じそうになってしまった。

感性も鈍ってきている様に感じる。バイク屋に乗せようとしてようやっと詐欺師なのが解った。

以前は自分の風体を見て、詐欺師はあまりやって来なかった。今の風体は正にカモ。カモがいると思ってイロイロな詐欺師が寄ってくる。


しっかりと信じられそうな場所にあるカウンターのある所でチケット210₹を買う。


12398 12:25 プラットフォーム6 発。

Prayagraj 20:25着


グーグル先生は407.7₹と言っている。なんか変だ。


待つしか無い。


たぶん、座席指定をしないとならないのだろうけれど、このカウンターでは出来なさそうだ。


先ずは列車に乗るだな。


プラットフォームにはクンブメーラのオレンジ色の人たちが列車を待っている。


待っていると物乞いが何人かやって来た。見た目ではみすぼらしく見えない人も物乞いをしていた。

誰を信じたらイイのかの判断が難しい。優しい人もいるけれど、詐欺師だと思いながら接しないとならない。この辺が難しい。


なんとか列車に乗れた。


自由席なので凄い座席争いだった。争奪だった。先頭で待っていてホームから後ろから押されるのが怖いので3番目くらいに並んでいた。列車がプロットホームに止まるとドアが開くまでも開いてからも、席を確保するまでもカオス、カオス、カオス。

力でなくギリギリとクライミングの様に進んでいく。前の人が動いたら、隙間を作らない様にギリギリと前に少しずつ進んでいく。座席には座れないが通路には座るスペースを確保出来た。


座席客車なので山手線のラッシュアワー程ではないけれど大変な混み状態だ。人混みで空気も悪い。自分は通路になんとか座れた。荷物も棚にも置けたけれど、荷物を見張らないとならない。初めてインドに行った時は相方のザックからカメラが無くなる事があった。


列車が走り出すとあの争奪争いは消えて、みんなのんびりしだした。


あと8時間ある。

この客車は後方なので安定な場所にある。以前の以前の最初のインドの放浪では、自分の乗る1本前の列車が正面衝突を起こした。自分の乗っている列車も事故の影響で動けなくなった。バスで移動する事になった。バスは屋根にまで人が乗る状態だ。バスは渋滞の道路を走り出す。やじ馬も事故現場駆け付けようとして渋滞に拍車が掛かる。インド人は好奇心が旺盛だ。何にでも首を突っ込んでいく。

バスが事故現場の側を通った。列車の残骸の脇にはたくさんの白い布に包まれたご遺体が置かれていた。世界中のニュースになった。日本に戻った時に家族もそのニュースを知っていた。


ご冥福を祈った。


列車は混んでいるけのだれど、賣屋さんが売りにその混沌とした中をチャイチャイと売り声をあげて売りに来るいる。掻き分け、掻き分け水やお弁当やチャイの賣屋さんがひっきりなし売りにくる。その都度、立つ事になる。時計までも売りに来る人もいた。こんな中で本物か偽物かも分からないのに時計を買う人がいるの不思議だ。


家族で海水浴に行った時も賣屋さんが弁当や冷凍みかんやお茶をこんな感じで売りに歩いているのを思い出す。


汽車でトンネルを潜る時に窓を閉めたのも思い出す。汽車なので煙が窓から入ってくるのでトンネルの度に窓をみんなで閉めていた。


小さい頃の家族での旅は列車だった。この列車は昔のそれを思い出す。

高度経済成長の日本人の旅行は列車が多かった。自動車を持っている人たちは上流階級だった。家族との旅行は年に1回有るか、無いかだった。


江の島に電車での日帰りが楽しかった。江の島を泳ぎながら1周する。1日で一周する。アワビを捕った事もあった。江の島には2ヶ所は泳がないと渡れない所がある。

自分が中学の頃になると汚染が問題になった。赤潮の中を泳ぐのは気が引けた。空気の汚染や海水の汚染。


高校の時に三宅島に行った事がある。東京の上空はキノコ雲の様に汚染された空気が鎮座していた。あの空の下で暮らさないとならないかと思うとうんざりした。


父は北海道の帯広の出身なので、当時としては高級なレジャーだったスキーに連れて行ってくれた。母はミシンが得意なので、ナイロン生地を買ってスキーウェアー作ってくれた。売り物よりも防水の機能性がイイらしかった。

妙高高原だったかな。宿の脇を流れている水路で宿の人がお皿を洗っているのを思い出す。小学生の時にスキーに連れて行って貰ったので、大学でのスキー教室に行った時は直ぐに上級クラスになれた。自転車もスキーも小さい時に経験しているのといないのではかなり上達に違いがある。

自分はカヌーを退職の5年前から始めたので、カヌーはただ乗るだけ。インディアンクロールが出来ない。


自分は体育会の役員をしていたので、とても安くスキー教室に参加出来た。スキーもタダで借りられた。松明を作って夜にゲレンデから燃えた松明を持って滑って行く催し演出もした。


日本は戦後の混沌とした復興からさほどの時間は掛からなかった。

所得倍増も当初の目標の10年も掛からなかった。日本人の国民性も有るのかもしれないが、アメリカの朝鮮戦争やベトナム戦争の要因も大きいと思う。


日本は明治維新も戦後もかなり問題は残したけれど上手く切り抜けた。

今の政治家にあの頃の力量があるのだろうか。世襲制は止めて欲しい。


コレからの日本は人口が減って行く。日本の政治家は世襲議員が多いのがとても気になる。安倍晋三も麻生太郎も親の光を受けて生きてきた。豊かな家庭環境で成長したのに違いない。なのにあの偏差値の私立大学しか受からないのは、頭が悪いとは思わないが良いとは言えないと思う。


世界史をしっかりと勉強してきたのだろうか。もしかしたら、日本史しか勉強しなかったのかと思う事もある。


今のウクライナやガザ地区での戦争で儲かっているのは何処の国、どの企業なのだろう。


戦車や軍艦やロケットを作れるのは頭のイイ人たちなのに、その組織はとても倫理観が欠けている。不思議だ。なんで兵器を作りだすのだろう。人を殺す機械が自分の職場て作られているのを見て何を感じるのだろう


ウクライナは何処からどの様に戦費を調達しているのだろう。借りていたならば、そのお金を返すのは、戦争を決めた大人ではなく、子どもたちなのだろう。悲惨な幼児、子ども時代を過ごして、負の遺産までも背負う。


自分も東南アジアに放浪をする時はいつも大日本帝国が作り出した負の遺産を感じながら放浪をする。


自虐史観をしっかりと教育されて育った。


石原莞爾の事を知ったのは退職間近だ。歴史は長い。ペルー来航までもさかのぼるあの歴史観は衝撃だった。

その人が中国のアヘン戦争を模倣して満州を建設したのも衝撃だった。


安倍晋三は岸信介から何を学んだのだろう。


因みに東南アジアは大東亜戦争で大日本帝国が占領した地域を指すらしい。


ロシアの兵士を殺さないで、どうせ人を殺すならば情報を掻き集めて戦争をやると決めたプーチンとその側近だけを狙えはいい。

戦争をすると決めた人は生き残っていて、子どもや女性、そして最前線に送られる兵士が苦しむのはいかがなものか。


防衛大臣が戦争地区の最前線に行って戦争にならない様に取り組んで欲しい。会議室で駒を動かしていないで、自らが戦場にでむいて欲しい。昔は戦国時代では先ずは大将が最前線に向かうのが普通だった。ゲームの様にモニターをみて駒を動かすのではなく、戦争を止める行動をして欲しい。戦争をする為の正義は幾らでも作れる。戦争をしない工作を練って欲しい。


ソ連が崩壊した時にNATO を何故解散しなかったのだろう。北欧諸国はなんでNATO に加入しだしたのだろう。


こんなに情報が発達した現代なのに、なんで、なんで、なのだろうがとても多い。


戦争を肯定する人はあまりいない。

だけれど、自衛隊は強くしたい人はかなりいる。


不思議だ。


自分の様な自衛隊も軍隊も必要ないと言うのは平和ボケとして流されてしまう。


先進国でホントに戦争をしたい国はどんな国なのだろう。中国はロシアの様に戦争をしたいのだろうか。

中国が日本を攻めてくる、くる、くると言うがどの様に何処をせめてくるのだろう。防衛大臣はその情報を把握しているのだろうか。

防衛大臣は中国が攻めて来た時に、戦争命令をする前に自らが最前線に兵士と共に行ってその攻めてくる兵士と話し合って欲しい。


昔の大将が先頭を切って立ち向っていった様に自分の目で、肌で、心で兵士に話し掛けて欲しい。そしたらアッチの大将もメンツを感じて最前線までやって来るかもしれない。ホットラインではなく、最前線で何日も話し合って欲しい。


今は大将は会議室で駒を動かしている。

戦闘も人差し指で遥か遠くからボタンを押すだけ、それでは自分の犯した罪は後悔として後から悔いるだけ。


人差し指でボタンを押して解決するのなら、経済大国が勝つに決まっている。戦争で解決しても問題は解決しない。


尖閣諸島を占領して何になるのだろう。竹島と変わらない様に思う。尖閣諸島なら、戦争して殺し合うよりは取られてしまた方がましに思う。

人の住んでいる沖縄や対馬に攻めて来たら、戦争をすると決めた人たちがみんなでそこには向かえばイイ。住んでいた人たちは移民として皇居などで暫く暮らせばイイ。

その姿を世界中に報道すれば、日本は平和を愛している事が解って貰える。世界に訴えかける事が出来ると思う。

今のロシアもウクライナも何かとんでもない事を繰り返している気がしてならない。


東京や大阪を占領しようと海を越えて元寇の様に攻めてくるとしたら、戦わないで、暫くは戦後にGHQが日本を占領した様に征服されればイイ。


時が経てば今の日本とアメリカの様な関係になるかもしれない。殺し合って、東京が崩壊するよりはイイと思う。

しかし、そんな事になるほど愚かな先進国は無いと思っていたがプーチンはしてしまった。長期政権が問題だと思う。長期政権をした理由の1つが安倍晋三の国葬の理由らしい。そんなのは異常だ。



ウクライナとの戦争はロシアが終止符を打つのか、ウクライナが終止符を打つのか、ウクライナが終止符を打つとしたら、とてつもない負の遺産を子どもたちが引き継ぐ事になりそう。

ロシアが終止符を打つとしたら、次のプーチンが出てくるだけなのか、それとも共産党の崩壊か。

どっちにしても、どちらの国も負の遺産を作ってしまった。

この遺産は消えない。


インドのこの列車の混沌とした状態は昔と変わらない。


日本の敵国は、敵は誰なんだろう。日本の自衛隊に勝てると考えて、日本を攻めてくる、海を越えて侵攻して来る国はいるのだろうか。


日本を征服している国はアメリカだとも言う人もいる。日本はアメリカに新植民地化されている感じもする。

征服しているのか、仲良しなのか。

中国はお金で日本の土地を買い占めているとも聞く。

日本もアメリカの国債を買ったり、途上国にお金を貸し付けているとも聞く。

殺し合うよりはましに思う。真綿でジワジワと縛り付けられてどうしようもなくなるのか。

他の手立てが取れないとはとても思えない。


日本は食料もエネルギーも資源も無い。貿易が維持される様に、海上封鎖されない様にするにはどうすべきなのか。日本は平和を大切にする国である事を言葉でも、行動でも示して行く事が大切だと思う。巨大な軍艦で商船を護衛する必要があるのだろうか。日本以外にも安定した貿易が出来る事を望んでいる国々と仲良くすればイイ。


なのになんで軍費を2倍にするのだろう。


首相が防衛オタク。


チャイを誰かがこぼした。そのチャイが通路に流れてきた。みんな立つしかなくなった。

自分は年寄りに見える。年寄りなので席を代わってくれた人がいた。


駅に着いてホッとする。


列車の混み方は昔と変わらない。違いはみんなスマホを観ている。


☆アニース


がサシーと連絡くれたを取ってくれて、バイク屋のお金も払ってくれた。


☆サシー


と会えた。サシーの家に泊めて貰う。途中は野良牛や野良犬やロバまで道でウロウロしていた。22:30。


家は3階建で部屋がたくさんある。父、母との3人で住んでいる。


焼き飯、パン、野菜を出してくれた。たくさんでゆで卵はパス。肉類は食べないのでイヌの朝食になる。


もうすぐ満月。月の南中高度が日本よりも高い。ニューディリーは緯度28。東京は緯度35。


2025.01.11土


朝は少し寒い。サシーがチャイをくれた。その後、体を洗う。バケツにお湯。ゴシゴシタオルで洗う。洗濯もする。


ティカー おでこの御化粧


ゴルジマラ ネックレス


正に、お上りさん。

ヒンディーのパンツをきて、顔にはお化粧をして街に出発。


ビィデイ コマール 父 78歳

ケミストリー


ダヤ 75歳 母


兄 エンジニアの先生 

弟 AIプログラミング



映画「文豪ストレイドッグス」「人間・失格」

「平家物語」「源氏物語」

セシーはバイクをかなり飛ばす。レーサーの様に飛ばす。絶対に前を走る者は許さない様に抜いて行く。そんな公道をレース場と勘違いしたレーサーがたくさん走っている。前方からも走ってくる。左車線も右車線も関係なく、もの凄い勢いで突っ込んでくる。巧みな運転さばきだけではなく、相手の1cmぐらいの動きを察知して、お互いにテレパシーでやり取りをして、この危険地帯をすり抜けて行く。渋滞を抜けるとスピードは更に上がる。滑りそうな鉄板の上を、凸凹の道を駆け抜けて行く。ヘルメットも被っていないし、転べばととんでもない事になるのは解る。セシーのバイクはスピードを緩めない。

バイクを停める。サシーは知り合いかそうでないかは解らないが、一服をして誰とも会話をする。この会話の時間があるなら、ケムリの時間があるなら、スピードを緩めて欲しい。今度はのんびり走ると言っても、暫く走るとまたレーサーに変身している。こんなギリギリな移動がこれから2ヶ月続けられるとはとても思えない。


ラムギリマラージ


ハラギリマラージ

象がいた。綱渡りの少女もいた。親が滑った時の為に補助をしていた。トランスジェンダーのテントに行く。左翼のテントに行く。警察にパスポートとビザの写真を撮られた。テロを警戒したのかも。


昼になると半袖で可能の気温になった。トレーナーの中に着込んでいたフリースとダウンを脱ぐ。


ラクダがいた。


トランスジェンダーのテントはまだ作っている最中だった。女装の人が多かった。男装の人は違うテントなのかもしれない。胸を整形している体形の人もいた。


小学生ぐらいの少女が綱渡りの大道芸をしていた。父親はサポートをするのだろうが、娘を見ていない時のが多かった。父親は殆どボケ~としているだけだった。お客の呼び込みもしていなかった。そんな綱渡りの親子が5組くらいいた。みんな綱渡りをしているのは小学生ぐらいの少女だった。


定食を戴く。上手い。


演説みたいのをズーと聴いている。日本人が珍しい様でみんなが注目している。英語で話し掛けてくれる人もいた。アジアの中で、日本人は今の所は好かれている国になる様だ。同じ有色人種だからなのか、戦後は日本は戦争をしていないからなのか、アニメが評判だからなのか。パスポートではシンガポールとビザ無して入国が出来る国の1位を争っている。

この事は正の遺産だと思う。現状を守りたいと思う。その為にも戦争しないで欲しい。軍費を増やさないで、削減して欲しい。こんなに日本は少子化で経済的に大変な国になっているのに、何で今まで以上の軍費にするのだろう。日本を攻めて来る国などあるのだろうか。


警察も質問して来た。テロの心配なのかな。パスポートとビザを写真に撮られた。


TV のインタビューも受けた。スタジオの様な所に移ってインタビューして貰った。

ヒンディー語のナマステしか知らない日本人がワザワザ不思議なサドーを観に来たのが不思議と言う内容らしい。ホントはナマステ以外にも少しは覚えて来たのだけれど。


クンブメーラはもう少しで始まるが、雰囲気はもう始まっている。この場所は夏に成ると川の深水が1mぐらいの所らしい。そこに電気や道を引っ張ってお祭りの様にしている。周囲が50kmあるらしい。1辺か10km以上の正方形の中に鉄板で敷いた道が将棋盤の目の様に張り巡らされて、その目の中に無数のパビリオンが建っている。そして、そのパビリオンにはインド中から集まってくる不思議な不思議なサドーやバラモンが1ヶ月以上も修行をする。

それを観にインドだけでなく世界中から観光客や大道芸人や貧しい人も集まっている。

正にお祭りが始まる前から混沌とした世界が繰り広げられて行く。


「ディス イズ 印度」と英語で書くと削除される。気を付けないと。日本では問題でない事も問題になるらしい。


現地に来ないとこの混沌とした巨大な空間は理解出来ない。

テーマパークのようだけれど、とてもデカイ。テーマが宗教のテーマパーク。あらゆる階層が集まる。周囲が50km。1辺が12.5kmにもなる。とてつもなくデカイ。それなのにその中で人間か引き締めあっている。そして1ヶ月以上続く。現地に来ないとこのデカさは理解出来ない。

この様なテーマパークは世界最大なお祭りだと思う。

商業化されていない。そんなお祭りが維持出来るのもインドだからなのだと感じる。

インドにはまだまだ神様がいる。


クンブメーラはお伊勢参りの様な業なのかもしれない。

引っ越す前の部落でも出羽三山にお参りをしていた。指定のお宿もあった。昔は部落単位でイロイロな行事があった。絆を作って治水を守っていた。

何年かに1回の共同田のダムの水抜きがあった。一抱えもある鯉が捕れた。何日か泥抜きをしてその鯉を食べた。食用蛙もその場で絞めてたき火で焼いて食べた。今はそんな部落は無くなった。年寄りがひっそりと質素に暮らしている。

共同田は法律の関係で今は税金だけを払っている。良く解らないが永遠に税金を払うらしい。


今日が今回のクンブメーラの初日だ。この混沌さが自分の常識を破壊しているのを感じる。今も車が無意味なクラクションを鳴らして通り過ぎていく。


ライトを点けてまたレースが始まる。ダウンタウンでのレースがとても怖い。


家に着いてようやっとチャイと一服。


熟睡。




身体を清めにいく。人混みが半端でない。サドーの沐浴を見にいくらしい。

サシーから離れたら戻れなくなる。混みすぎて沐浴は見れなかった。

トランスジェンダーのブランチもいた。男のリーダーはいるが、女はいないらしい。


クライミング教は身体でどのくらいの修行をしているのかがすぐに解る。クライミング教にどのくらいはまり込んでいるかが直ぐに解る。海外に行くと、生活もなおざりにしてクライミング教にはまり込んでいる人も多い。サドーの様にクライミングに身を捧げている。自分は出家はしなかったけれど、在家としてクライミング教にはまって日が長い。グレードは全くだけれど、クライミング教にはまっている長さは長い方になっている様に感じる。

クライミングはどのくらい続けられるのだろう。海外では自分よりも年配の方々がキャンピングカーで放浪している。老夫婦の方々の優雅な放浪がとても印象的だ。


インド人の身体は9年前に比べると変化している。ガリガリの人がいない。お腹が出ている人が多い。お金持ちはみんなお腹が出ている。中流の人たちも太りだしている。


3人でバイクに乗って街に向かう。サシーのバイクは直っていない。22:00。街は混んでいなかった。たくさんの人が歩いてクンブメーラに向かっていた。


橋から観る夜景がキレイ。クンブメーラの大きさが解る。端から端が見えない。


オームナムナラ


寒くない。


2025.01.12日


インドの気候にも慣れてきた。


アチャーィ good

ダダ 父


のんびり起きて、身体をお湯で洗って、洗濯をして、食事をして、ガンガを見に行って、朝の一服。


馬がいた。馬に乗って青年が川を渡っていった。馬が生活に溶け込んでいる。馬はとても大切にされている。毛並みが整えられている。


川の側のお寺では村の人がお寺の清掃をしていた。ババジが一緒に写真を撮ってくれた。


肺がケムリで侵されていく。タンが出てくる様になってきた。その内にみんなの様に咳も出てくるのだろう。ケムリを吸ってもタバコを吸わない自分はなかなかエフェクトが来ない。しかし、肺が侵されていくのは感じる。


サルがいた。


ハルハール、マハラージ


サシーのバイクがパンクした。あんな砂利道をあのスピードを出して走ればパンクはするよな。

中学生くらいの男の子が修理をしてくれた。とても丁寧に、手際良く直していた。その横では小学生くらいの男の子が見様見真似でタイヤを直していた。

学校には行っていないのだろうか???


クンブメーラに行く道は凄い渋滞だ。車もバイクも隙間があればドンドンと割り込む。車もバイクも動きようが無いのにクラクションを鳴らして隙間を見つけては凄いスピードで入り込んでいく。接触しないのが不思議でならない。順番に列を作っていけばスムーズに流れる様に思うのだけれど、2車線の所を3車線にも4車線にもして走っていく。そして車線がゴチャゴチャになって結局は動けなくなってしまう。更にどうしようもなく渋滞する。それにバイクが拍車を掛ける。にっちもさっちもいかなくなる。

クラクションを鳴らしてもこの渋滞は解消されないのにクラクションをどこもかしこで鳴らしはじめる。反対車線を走りだすバイクもいる。カオスだ。

反対車線からはクラクションの騒音に拍車を掛ける様に、今度はパトカーがサイレンをけたたましく鳴らしてやって来て去っていく。中にはパトカーと同じクラクションを鳴らす車もいる。

和を感じない。日本にいると和が煩わしく感じる事があるけれど、このカオスは和の心があれば、かなり解消されると思う。

車とバイクの渋滞の中を歩行者が今度は横断していく。縦にも横にも神経を張り巡らさないとならない。排気ガスと土ホコリと騒音。インド人は普段はさほど急ぐ生活をしていなさそうなのに、車やバイクに乗ると時間を争う様な状態になる。排気ガスと騒音と土ぼこり。道路がだけがカオスになっている。そのカオスとは無縁の様に、路上では人も犬も牛も脇道で時間の過ぎて行くのをのどかに待っている。ひなたぼっこをしている。


インドだ。


日本ではTVを観たり、次の計画に向けて何かをしている。のんびりと時間だけが過ぎていく空間は存在しない。

犬も牛もお腹が空いているようだけれど、不安はあまり感じていない様に感じる。


因果応報よりも運命で生きている。競争をしないでもなんとかなる。ならなければ、それが運命なのかもしれない。


冬のパチンコで食料が無くなり敗退した事がある。最後のアメ1個を食べても悲壮感は無かった。お腹が空いて動けなくなったら、それはそれでそんなに苦しい事ではない様に感じた。飢餓はそんなに苦しくはないのを知った。寒さも疲れて雪の中で大の字で寝ていると、寒さは感じなかった。このまま横たわって自分の身体も冷たくなっていくのもそれはそれで仕方ない事の様に感じた。


この世の中は煩悩を捨てればなんとかなるのだろうな。未来なんてなる様にしかならない。


色即是空。


昼食はサシーは普通の定食。自分は胃がもたれているので、少しだけにした。美味しいが胃液が変な事に成っているのを感じる。水分をたくさん飲む。


渋滞を抜けた。良く解らないが渋滞が酷い時は街に車が入れない様に警官がバリケードを車道に設置するらしい。サシーはバイクでそのバリケードを通り抜けて走っていく。


クンブメーラに着いた時に雨が降り出した。テントで雨宿りをさせて貰う。紙で巻くのではなく路上で販売していたパイプでのケムリを戴く。


パイプでの吸い方を思い出した。


パイプでの大勢での吸い方には儀式がある。日本の茶道の様な感じだ。パイプが回ってきたら、1回か2回吸って隣の人に渡す。そんな感じだ。お寺だとグルーが1番最初に吸うのだけれど、ココはテントなので儀式さは余り拘らない。 


肺が壊れてきている。みんな肺が壊れている。みんなゴホゴホしている。


ハリギリババジはマハラージに住んでいるらしい。お寺も持っているらしい。マハラージの人たちが団体でクンブメーラに来ている。ハリギリババジに礼拝に来ていた。お伊勢様参りの様な感じなのかもしれない。


キリスト教がカソリックとプロテスタントに分裂した。教会の運営の仕方の意見の違いがあって分裂した。

団体の運営にはお金が掛かる。


免罪符。


宗教を運営したり、広めたりするには資金が必要になる。


どの様に資金を集めて、土の様な組織を作り出したっていくか。その均衡を上手く決めるのはとても難しい問題だ。お祈りとお金とのバランスが難しい。


サドーは服も何もかも捨てて裸になる。お金やお布施は自分には残らなくとも、サドーの左から右にお金が動いていく現実がある。

組織が大きければ、大きいほどお金は掛かる。そして組織の力は大きくなる。

組織の人数がその団体の雰囲気に表れてくる。


イスラム教を信じる人数がキリスト教を追い抜く日も近づいているらしい。

仏教、プロテスタント、カソリック、イスラム教の順番に組織は大きくなり、国家に近くなっていく様に思う。

イスラム教は商人から始まった。その事により、イスラム教は国を運営するのに利用しやす宗教とも言われている。

偶像を禁止しているので、視覚的にもどんな民族にも受け入れられていくらしい。

イスラム教とだとその人間関係により、商売がしやすくなるらしい。

ユダヤ教はユダヤ人だけの選民思想だったのをキリストが全ての民族に受け入れられる教えに変化させた。その事に寄ってイロイロな民族でも1つの国民としてまとめる事が出来やすくなったらしい。


国民としてまとまる手段としてキリスト教は便利だったらしい。


イスラム教は更に便利にした。キリスト教の様に欧米人の様なキリストが貼り付けられた十字架でもなく、歳よりも若々しいマリアでもなく、偶像を禁止した。それにより更に他の民族にも受け入れ易くなったらしい。偶像でなく、幾何学模様の抽象を神として崇めた。


創価学会に入ると商売の輪が広がるらしい。商売がしやすくなりやすい。


イスラム教も商売がしやすくなるらしい。


中国は多民族国家だけれど、儒教や共産主義で国をまとめ様としているらしい。

自分には中国は力でまとめている様に感じる。また、天安門の様な事が起こるのかな。香港も大変だし、台湾も不安に感じる。

民主主義と独裁主義。


ハリギリババジに大勢の人が参拝に来る光景はとても不思議に感じた。ハリギリババジが神に見えた気がする。日本のお寺の仏像の様な感じで、みんながハリギリババジをお参りをする、そんな感じだ。ハリギリババジが多神教の中の1柱な感じに思える。


ハリギリババジが自分の事をファミリーだと言ってくれた。澄んだ目をしている。穏やかな表情。

コックさんのガガにも会った。自分の事を覚えていてくれた。まだ元気だった。人懐こさも変わらない。


宗教は覚悟なのだろう。宗教に自分の人生をどのくらい捧げるかなのだろう。人生を捧げる毎日の生活が教えになるのだろう。教えは文字では理解出来ない。生活を通して理解していくのだろう。


ハリギリババジはサドーになっていた。9年前はまだババジだった。今は服を着ないで、灰を体中にまとっている。服も捨て、何もかも捨てたサドーになっていた。

ハリギリババジには覚悟を感じる。ヒンディーの人たちもその覚悟を感じて、この様にハリギリババジを神として拝みにくるのだろう。


別れてから9年間はハリギリババジはインドを放浪していたらしい。その放浪で一緒にいた小学生くらいの少年は何処で何をしているのだろう。もう、大人に成ってハリギリババジとは別の放浪をしているのだろう。

ハリギリババジも少年も両親を知らない。親に捨てられて、ババジに育てられたらしい。9年前に会った時に、ハリギリババジはこのまま放浪を続けて、駅の構内で最後を迎えて、川に流されるのが夢だと言っていた。何もかも捨ててヒンディーに身を捧げている。

その覚悟がヒンディーの人たちに伝わり、信仰となって、この様にハリギリババジにたくさんの人が集まるのだろう。


今、ハリギリババジがしている事はなんなのだろう。お参り来る人たちに灰を与えている。コレも修行なのかもしれない。大乗仏教と小乗仏教の違いの様なものかなのかしれない。ハリギリババジが囲炉裏に座って来る人来る人に灰を与えているのは似つかわしくない感じがする。

9年前は歩き回っていた。


覚悟が宗教の教えの重要な要素の1つだと思った。


自分がインドで最初に会ったサドーはバナラシで会った。完全に目がアッチの世界に入り込んでいた。お寺に住んでいる小学生くらいの年齢の少年がそのサドーの事をイロイロと教えてくれた。その少年は肺が悪い様で咳をしていた。英語がとても上手かった。とても暑い日だったので、何か飲まないかと言うとコカ・コーラが飲みたいと言った。寺院の日陰でとても美味しそうにコーラを飲んだ。

そして、瞑想の時間になったと言ってお寺の奥の方に消えて行った。サドーも何処かに消えていた。


今回のクンブメーラでは少年を見かけない。前回のクンブメーラではその人の持っている炎が見える少年がいた。良く解らなかったけれど、ごく普通の人なのに炎を持っている人を教えて貰ってエネルギーを授かりにいった。放浪をしないでテントで生活をしている人たちばかりなっている様に感じる。

前回のクンブメーラは川の畔にお葬式をする場所があった。お金持ちは薪を燃やして仏様を供養していた。貧しい人は白い布に包んで川に流していた。沐浴をしていると白い布に包まれた仏様が流れてくる事もあった。お金持ちのご遺体は翌日にその灰を川に流す様にだった。


ハリギリババジがハッシシをくれた。ガンジャよりも高級らしい。9年前にハリギリババジはケミカルもしていた。今のハリギリババジは麻薬をあの頃よりはしなくなっている様だ。

ハリギリババジの9年前の目はとても鋭く輝いて光っていた。

今のハリギリババジの目もとても輝いて光っているが、澄んだ、穏やかに輝いている様に感じる。違う光り方を感じる。


9年の長さだな。


9年前にハリギリババジが観光客に乞食との罵声を浴びせられた。その観光客に汚名を晴らそうと立ち向かって行った。その時の事を今でも思い出す。あの時の目も輝いていたが、今の目の輝きは人を落ち着かせる輝きに感じる。


日本の戦国時代の侍は自分の命よりも名誉を重んじて生きていたらしい。汚名を被る様な問題が起こった時には、汚名を背負って生きるよりも、躊躇する事なく切腹をしたらしい。


ハリギリババジに引っ切り無しにヒンディーの人たちが参拝にやって来る。


第3の目をオデコに付けてあげたり、灰を手のひらに載せてあげていた。


宗教は理論でない。覚悟な様に思う。とても大変な業に感じる。

朝からズーと参拝に来た人たちに恵みとして灰をあげている。まだクンブメーラは始まってもいない。コレから1ヶ月間もこの様な生活が続く。この対応も修行に感じる。


2025.01.13月


サシーはとても疲れているので、今日はバスでクンブメーラにいくらしい。サシーのバイクの運転は怖すぎる。昨日の帰りも危うく転びそうになった。


身体をお湯で洗う。そして一服。


散歩。


サシーが食べ物をくれる。残すのは勿体ないので食べてしまう。そして胃がもたれてくる。

サシーは食事でストレスを発散している所がある様に感じる。

サシーは仕事を辞めてババジに成るらしい。サシーの母はサシーの未来をとても心配している。

サシーも疲れている。

自分も疲れた。今日は昼間もズーと寝ていた。


フェースブックに「コレが印○」と英語で書いたらそのコメントが削除された。ココは外国なので気を付けないとならない。


ハリギリババジは昨日に会った時はとても穏やかに思えたが、お酒の量が多いらしい。定かではないがハリギリババジのテントに泊まるのはお金がかなり掛かるらしい。

ハリギリババジは自分には泊まるのも食べるのもフリーだ。問題はないと言ってハリギリババジのテントに泊まる事を勧めてくれる。

ハリギリババジはラムギリババジの兄弟弟子か、弟子にあたるらしい。自分はラムギリババジの弟子なので、ハリギリババジのテントに泊まるのは問題があるらしい。複雑な人間関係があるらしい。そこにモンクに成ろうとしているサシーも入ってくるので複雑過ぎる。


ガンジャよりもアルコールはめちゃくちゃ高いらしい。ガンジャは肺に悪いけれど、アルコールは高価なので貧しい人たちは肺に悪いのは解っているがガンジャをするらしい。ガンジャよりも高価なのがハッシシ。アルコールはハッシシよりも更に高価らしい。


ラムギリババジとは連絡が取れない。


持ってきたテントをサシーに見せたら、コレがあるなら問題は解決したと言っていた。安く泊まれるらしい。


3人でクンブメーラに向かう。22:00。道路は空いていた。歩いてクンブメーラに向かう人たちの間をバイクで抜けていく。車は通れない様だ。


橋の上からの夜景がキレイだった。遥か遠くまで夜景が広がっていた。クンブメーラの大きさがどのくらいなのかがこの夜景を観ても想像出来ない。夜景はズーと続いていた。モヤが掛かっていて、端が何処なのかが見えない。辺り一面がテーマパークの様に輝いている。


テントに着いた。


ハリギリババジは寝ていた。


自分らもテントにそ〜〜と入って寝る。自分のシラフを物珍しそうにみんなが見ていた。イロイロと話し掛けてくれる人もいた。


はれはれおーむなばしばーれ

 

日本人に興味を持ってくれている。日本人は嫌われてはなさそうだ。中国とは国境問題もあるので中国は好かれてはいなさそうだ。


2025.01.14火


4:30に起きる。


水で身体を清める。寒かったが身体の水を拭くと温かくなってきた。


のんびりしてみんなで沐浴に向かう。30人ぐらいいで向かう。オレンジのあの服をみんな着ている。ハリギリババジは裸なのだが花輪をイロイロな所に巻きつけている。

呪文の様な声をみんなで出して小走りで沐浴に向かう。はぐれない様に人混みの中をなんとか付いていく。ココではぐれたら迷子に確実になる。とんでもない事になる。

沐浴の場所は混んでいて入れなかった。どんな沐浴をするのかを見れなかった。

他にもサドーのたくさんのグループが沐浴に向かっていた。見物客の間を進んでいく。見物客も声をあげて応援してくれる。みんなが興奮している。それにしても凄い人数だ。


沐浴の所はとても混みすぎていて入れなかった。


トランスジェンダーのグループもいた。男らしい。女はいないらしい。


テントに戻ってのんびり。ケムリがたくさんやって来る。

チャイや甘いお菓子もやって来る。


少し昼寝。


ラムギリババジの所へ行くのはどうなるのだろう。


沐浴からみんなが帰ってきた。のんびりする。ケムリが回ってくる。と言うよりも、ケムリをしていない時がないくらいケムリがやって来る。


昼寝もする。サシーも疲れている様だ。熟睡していた。


寒い。人間観察をする。日本人が珍しいのか、みんなが声を掛けて、ケムリを回してくれる。


街をサシーと散歩。


ラムギリババジの建物に行けた。ラムギリババジが建物の外に出て待っていてくれた。


挨拶をして、今晩はこの建物に泊まらせて貰う事になった。静かな建物だ。人も15人ぐらいしかいない。


サシーはハラギリババジの所に戻っていった。


シラフに潜り込む。ラムギリババジに会えたので落ち着く。


すぐに熟睡。


2025.01.15水


熟睡。疲れが残っている。目が覚めても寝っ転がっていたい。


少し寒い。チャイを貰った。

ラムギリババジに朝の挨拶。

みんなは帰っていく様だ。昨日の沐浴を観に来たらしい。


ラムギリババジの建物はとても広くて、新しい建物だ。


カッシー たぶん、ラムギリババジの村。


サシー、ハリギリババジ、ラムギリババジはそれぞれがイロイロな理由で仲良くなれない様だ。


自分は何処に泊まれば良いのだろう。サシーと約束をしたので、サシーと動く様になると思うのだけれど、クンブメーラは始まったばかり。あと1ヶ月以上ある。3人と上手くやるのはかなり難しい様だ。


インドも経済発展して、お金に翻弄されてきている。9年前はもっとゆったりとした時間の流れを感じてい様に思う。


朝の水浴びはパス。寒い。


お腹が空いてきた。


サシーが来て、身体の洗い方を教わる。きいろい布をラムギリババジから貰った。水は地下水らしく冷たくなかった。


サンティ サドー ババジ 神に近い順番。


オーム ナラ マライ。 こんにちは かな。


アクシェ 写真が趣味。


買い物に行く。トークトークを貸し切りにして買い物。


10000₹、5000₹をATMで降ろす。インドのルピーは円に比べると弱いな。まだインドは発展途上国に感じる。


胃の調子は良くなったが、マッチ棒のあの茶色い不思議なのは何かのお腹に関係する薬らしい。不思議な薬はカリーと言うらしい。身体に良くないらしい。なんか、便秘になっている感じがする。


ラムギリババジの建物に戻る。サシーは家に戻るらしい。バイクはまだ直らないらしい。


路上でドネイトのご飯を貰う。


夕食。ラムギリババジ、ババジ、買い物、白と自分。食べ終わると食器を洗う。石けんも使用する。食事への衛生にはかなり気を使う。

しかし、食べる前に手を洗わずに食べた後に洗うのは変に感じる。


お皿は紙で使い捨て。昔はバナナの葉っぱだった。1回目のインドの時の地主の家での食事の食器はバナナの葉っぱだった。給仕の人が側に立っていてジャガイモを分けてくれたり、水を足してくれたりしていた。

チャイの器も今は紙が多いけれど、素焼きのコップもある。環境を意識しているのかもしれない。2回目の時はプラスチックが多かったが今はプラスチックは見かけない。お皿も、コップも紙になっている。しかし、袋はプラスチックだな。


昔の昔は素焼きとバナナの葉っぱが、昔はプラスチックのコップとお皿にになった。そのゴミが自然に還らないのを知った。その事により環境への影響を考えて、今はプラスチックを止めだしたらしい。


ゴミをゴミ箱に捨てる文化は余り浸透していない。普通にポイ捨てをする。このポイ捨ての習慣を代える必要をとても感じる。


昔は夏目漱石でも列車の旅では食べ終わった弁当箱を車窓から投げ捨てていた。

日本人が街でゴミ箱にゴミを捨てる様に意識が変化したのは東京オリンピックかららしい。

自分は環状7号線と青梅街道の交わる地域で育った。自転車で環状7号線を走るのがとても嫌だった。排気ガスで目も痛くなった。


インドはカーストが根強い。掃除をするのはその身分のカーストがする事になっている。なので、上流も中流も掃除にあたる様な行動はしない。ゴミは普通にポイ捨て。ゴミ箱にいらなくなった物を捨てる意識も少ない。その辺に投げる。ゴミが散らかっていても気にしていない感じがする。しかし、食事の時は衛生に気をつかっている。チャイのコップは1回こっきり。使い回しはしない。


台湾ではマイカップや毎チョップスティックを持っている人がかなりいた。


ポイ捨てをするとそのゴミは清掃人がはいて集める。清掃のカーストの人たちはズーと掃除をしている。ゴミをはいてキレイにしても、またゴミが捨てられる。ひたすらその繰り返しが街の風景として繰り返される。


カーストは根強い。


ITがインドにも入ってきた。ITにカーストは存在しないので、ITに就職をする人が出てきた。カーストが無くなってきたと言うが大きな間違いだと感じる。

カーストの下級の人たちは路上生活をしている。学校に通っているのは靴を履いている子どもたち。裸足や裸の幼い子どもたちは路上で1日を生きる為にウロウロしている。たぶん、文字は読めない。読書階級にはなれない。

路上のお店番をしている子どもも多い。学校には通っていない様に思う。賢そうな子は英語が話せる。字も読めて計算も出来る。この子たちぐらいの階層になってもこのカーストからは逃れられない様に思う。上には上の階級がある。


インドの夜明けはまだ遠いい。


ゴミをゴミ箱に捨てる習慣が身に付かないとインドの夜明けはない。


インドで列を作る風景が多く見られた。9年前は窓口にみんながお金を握って腕を伸ばしていた。お金を受け取って貰えるのは運命だった。窓口の人のさいはいで運命は決まった。力の無い者は弾かれてしまう。

外国人は別な窓口がある事を知ったのはそれから暫くしてだった。

イイ事ばかりでない事もあった。外国人は入館料も特別な美術館やお寺も会った。100倍の値段を払わないとならないお寺もあった。

日本にも地域の人たち用の料金のある温泉もあるな。


大道芸の綱渡りを親と一緒にズーと丸1日している子どもいる。少女が多い。親は落ちた時のサポートする様だけれど、あまりしっかりと見守ってもいない感じがする。

昔の昔に、少女が太鼓の音楽でトランス状態になる大道芸を観た。最初は緩やかなトランスが最後の方は身体も精神も壊れてしまった様に飛んでいた。大道芸が終わると少女はその場で意識を失って路上に横たわってしまった。父親がドネイトを集めて回っていた。こんな生活では長生きが出来ないのを感じた。


少年は自転車のパンク修理や単純な肉体労働をしている。路上で大きな石とハンマーでひたすら石を砕いている少年もいた。コンクリートの砂利を作っている。少し大きく成ると鉄骨や土砂袋を運ぶ。肉体労働からはなかなか抜けられない。


この階層からは抜けられない。


インドの上流階級の人たちの生活はどんなのだろう。


クンブメーラに行く途中で裁判所を通った。黒い服に白い幅の広いネクタイをまとって、胸には万年筆を3本入れている人たちがいた。裁判所の関係らしい。地位のある人たちなのだろう。セシーがその中の1人と話をしだした。セシーが最初に雇われた人らしい。

この様な人たちでもまだ上流階級ではないらしい。


2回目のインドで道端で寝た時の事だ。小学校の低学年の少女と仲良くなった。片目に障害を持っていた。路上のベンチで生活をしていた。父親は昼間なのにベンチの横で酔っぱらって寝ていた。ケムリかな?

自分が絵を描いていると少女は覗きにやって来た。紙と鉛筆を渡すと絵を描くのではなく、文字の様な線を書きだした。路上では同じ年代の子どもがカバンを背負って学校から家路に向かう。少女は勉強しているかの様に、紙に文字の様な線を書いていた。書き続けていた。鉛筆を持つ事も無いのかもしれない。絵を描いて欲しいので別な紙を渡そうとするが、少女は楽しそうに何行も何行も書き続けていた。

その少女は翌日、父親の乗る自転車を嬉しそうに押していた。コレからの街に仕事に行く様なジェスチャーで教えてくれた。父親が働き出したのが嬉しそうに自転車を押して街に消えて行った。


因みに、1回目のインドに行った時に、1メートルぐらいの円形の板をロクロにしてチャイの素焼きのコップを作っている所を目にした事がある。10分ぐらいで乾燥の板に作られたコップが30個ぐらい並ぶ。どの様に焼くのかは分からなかった。


今のチャイのコップは模様も付いている。ロクロで作っていなさそうだ。


2025.01.16木


トイレに行く。あのマッチ棒に付いたカリーを舐めてから便秘になっていた気がする。カリーは体調にイイのか、悪いのかは解らない。

日本ではヨーグルトか納豆を毎日食べる様にしていたが、このカリーは不気味に感じる。いったい何の為にカリーを勧めるのだろう。


建物に電気がやってきそうだ。電線から勝手に電気を導いているようだ。あんなに簡単に電気を導ける物なのか不思議だった。フックにコードを曲げてそれを電柱の電線にぶら下げるだけ。ショートしないのが不思議だ。


サシーが来た。


食事を取ってから


ダウンタウンに行く。

ポスターと写真を作る。


写真を枠に入れるお店にも行く。とても手際良く写真を写真の枠に収めていた。


サシーの家に行く。


ウイスキーを買う。乾燥物をオツマミとして呑む。


ドリンクをして、将来の話をした。モンクになるのも大変だな。


キリスト教も教会を維持するのにお金が掛かる。そのお金を作るのに免罪符を発行する。お金で罪が無くなるのは変だ。しかし、教会を維持するにはお金がいる。大きな教会であればあるほどお金がいる。教会は大きければ大きいほど権威や権力が得られる。

キリスト教は世界中に広まった。イスラム教はキリスト教よりも広まる要素を持っているらしい。


組織をそんなに大きくしないで、アニミズムぐらいの組織の大きさでいれば、宗教改革も権力争いも起こらないと思う。


中国もソ連もアメリカも多民族、多宗教、多人種をまとめようとして歪が出ている。EUも歪が出ている。EUでのキリスト教とイスラム教の対立は根深いらしい。

人間は100人ぐらいが適度な集団なのかもしれない。その様な集団の大きさで縄文時代は何万年も続いたらしい。

農耕が出来て文字が出来て読書階級が生まれた。そして、地域や民族を超えた宗教が生まれた。

縄文時代よりも神話を作ってきた時代は短い。なのに人間は神話を越えて月にも到達し、生命さえも作ろうとしている。

人間は神にも成ろうとしている。


多様性は発展に効果があるが、それによって歪も出てくる。


日本は島国なので、無理して発展する必要も無いと感じる。


日本の村社会的な初等教育を受けていないと歪が出て来るのは当たり前だな。


グローバル化の中のコレからの日本が問われる。少子化をどの様に対応するかだな。

議員さんは票の多い年寄りに喜ばれる政策を上げていてはダメだな。


自分が就職したのは81年。その時から日本は高齢化や少子化になるのは解っていた。自分も生徒の人数の減少で少子化をしっかりと実感していた。なのに今でさえ年金などの政策は後回しにされている。少子化なのにクラスの生徒の人数は変わらない。教師の負担は増えるばかりだった。


ドリンクの後はサシーの母と父も参加して食事。


トイレにいって熟睡。お腹が良くない。もしかしたら、ケリーの効き目が切れたのかもしれない。腸が正常に戻ってきているのかもしれない。


2025.01.17金


朝はサシーの家でも寒い。


オールダーブラザーとミルクを貰いに行く。

街を散歩する。イロイロな人に日本からきたと紹介された。日本に興味を示してくれる。


トイレ。便秘ではない。でも何かお腹の調子が違う。


家に戻ってお湯で身体を洗う。第3の目を付けて貰う。


クンブメーラに向かう。ポスターと写真を入手。ポスターは作られていなかったので出来上がるまでかなり待つ。お店の人が話し掛けてくれる。ポスター作りのお店を個人で運営しているらしい。まだ大学を卒業して間もない女性だ。賢そうな生き方をしている。インドにもこの様な女性の生き方が出来る時代になっているのを実感した。


写真フレームを作るお店にも行く。お店が路地の奥に入り組んでいる。地元の人でないとお店を探せない路地の奥にあった。


ミルクを買ったり、食事をしたりして、ラムギリババジの建物に着く。


電気が通じていた。明かりがついていた。


のんびり。


サドーの20人ぐらいの集団や音楽集団がやって来る。


2025.01.18土


少し疲れている。起きて動き出したら、その疲れは治った。お腹はイマイチ。


身体を洗う。洗濯もする。


サシーと歩いて観光。


第3の目を付けてくれるお店があった。モンクが付けてくれる様だ。誰でも第3の目を付ける事が出来るのではないらしい。


路上では小学生の低学年ぐらいの子どもが物乞いをしている。働いている。その横ではその子どもよりも幼い幼稚園ぐらいの子どもが戯れている。無邪気に未来の不安も感じていない様に本能に従って戯れている。

この子たちは自然淘汰されるのだろうか。この子たちが戸籍に登録されているとはとても思えない。


まともに学校に通っている子どもを見かけない。子どもは働いているか、遊んでいる。知識を身に付ける活動はしていない。明日でなく、今を生きている。不安もなさそうに戯れている。


街で見かけるのは大人か子どもで、高校生ぐらいの年代を見かけない。老人も見かけない。


川では沐浴をしていた。トランスジェンダーのグループもいた。観光のスポットなのでたくさんの貧しい人たちが物乞いをしていた。障害を負っている人も何人かいた。


お布施の感覚が自分には無い。

お布施によって障害のある人たちは生きていける様に感じる。所得の再分配ではなく、感覚で運命が決まる。理屈ではなく運命で生かされている。

川の流れに身を任せるしかない。この川は深く広い。この川に堤防やダムを造る事は月に到達するぐらい難しい。

人間は月に到達し、太陽にも向かっている。


自分には所得の再分配は国がしてくれるとの思いがある。

チップの考えもない。食品の値段にチップが含まれているのが当然の様に生活をしてきた。

関西人の様に値切る事もしない。値切る代わりにより安い値段で売っている所を探した。

所得の再分配もチップもシステムに当然の様に仕組まれている中で過ごしてきた。人間関係よりもシステムが出来上がった社会で過ごしてきた。


ATMで10000₹を降ろす。お金があるとサシーは買い物をしたくなる。買い物でストレスを解消しているのかもしれない。


蝋燭立、リストバンド、花輪、梨を買う。ハリギリババジの所に行くのは止めて、ラマギリババジの建物に戻る。


ハリギリババジが道にいた。買い物をドネイトする。ラ厶ギリババジとサシーは少し和やかに会話をしだした。会話は大切だな。


陽が差してきた。洗濯物が乾く。服がほこりまみれになってきた。


トラックで荷物が運ばれて来た。毛布やお米など。運ぶのを手伝う。更に、ほこりまみれになる。


サシーが家に戻って行った。


建物の内装をしだした。あまり計画性もなく適当にカーテンの様な生地を建物に付けていく。ハシゴが頑丈そうでないので怖そう。試行錯誤しながら完成。自分てしては装飾をしない方がシンプルに思うのだけれど、それでは味気ないらしい。インドには独特の価値感がある。理屈ではない宗教が存在する。


インドで生まれた仏教はインドには無くなったらしい。仏教は哲学に似ていて、自分で考えていかないとならない。

ヒンディーは信じれは救われる。合理性寄りも神話が優先される。神を信じ生活をしていく過程で真理に到達していけるらしい。


お腹の調子が少し良くない。寒いのでシラフに入ってのんびり。


ラ厶ギリババジはモンクになる儀式に出かけていった。


22:00頃に食事。


熟睡。少し、運動不足を感じる。体力が減退している。指力も無くなっている。脚力ぐらいは付けないとダメだな。


クライミング教はとても健康的な宗教に感じる。小乗仏教に近い。しかし、パートナーとの交流がとても密なので、その密な人間関係が世界平和に役立つと思う。

ヒンディーと違うのは身体の鍛え方だ。ヒンディーは偉い人になるとお腹が出ている。クライミングは体形でその人のレベルが推定出来る。ヨガをすればイイのだけれど、ヨガに真剣に専念している人は見かけない。


クライミングバムをしている人たちの生活はとても魅力的だ。まるでサドーの様に生活よりも宗教に身を捧げている。クライミングバムの人たちはクライミングに身を捧げている。未来よりも今を大切にしている。


その生活はとてもシンプルだ。ヒンディーと違う所はお布施をしてくれる人がいない。ボルトも自分で購入する。社会的従属がない。クライミングをしている人たちは世間では異常な感覚の持ち主に見られている事が多々あった。駅の構内で普通に宴会を開く。

社会的承認も少ない。世間の人たちは5.14がどんなレベルなのかとか、冬の剣がエベレストよりも大変な事も解らない。

自己実現に向けてひたすら人生を捧げている。

別の自己実現を探そうとしても、なかなか見つけられない。

自分としてはモータースポーツも楽しそうに感じられるのだけれど、お金が掛りそうだし、運動神経も鈍ってきているので危険に感じる。

モータースポーツはアイスクライミングと同じ様にお金を掛けるか描けないかで楽しさがかなり変わってしまう。

映画や水彩画もイイのたけれと、身体が鍛えられない。

まだ今の自分はクライミングで自己実現に向かった生活が送れそうに思う。クライミングをしていけそうだ。

クライミングはパートナーが必要なので、そんな人間関係も楽しい。自分の様なレベルでも遊んでくれる人たちがいる。そんな人たちの生き方を見るのも楽しい。

海外には歳を重ねてもそれに適したルートが見つけられる。老夫婦がキャンピングカーでクライミングバムをしながら豊かな老後を楽しんでいる。


2025.01.19日


寒い。身体を洗う。お腹はまだ完全ではない。


散歩。あまり複雑に歩くと帰れなくなるので気を付けての散歩。ヒィンドー文字が解らないのでかなり気を使う。迷子になったら大変だな。


内装が終わって、靴は外に置くことになった。前のインドではサンダルが何回もなくなったので少し心配。


サシーが来た。


モンクが20人ぐらいラマギリババジのテントにやって来て儀式をした。


サシーとドネイトの食事をハシゴして、ハラギリババジの所に行く。ハリギリババジがアルコールをくれた。インドではアルコールは高価らしい。アルコールはガンジャよりも危険な物として見られているらしい。ガンジャのが肺にかなり悪い様に感じられる。みんなゴホゴホしている。


ハリギリババジもラムギリババジもお金に振り回されている感じがする。前回のインドではあまり感じなかったが、今回のインドではかなりインドの経済発展がクンブメーラにもとても影響しているのを感じる。たぶん、貧しい人たちにしわよせがよっている様に思う。インドの国民総生産は何処に回されているのだろう。


ラムギリババジの建物に戻る。


のんびりしていると火事が近所で起こった。プロパンガスが何個か爆発している音がする。テントから荷物を持って出る。100mぐらいの所でケムリと炎が見える。コッチにも火が来そうなので逃げる。さほど広ろがらないで澄んだ様だ。消防車が何台もやって来た。

1時間ぐらいで火事は収まった様だ。ラマギリババジのテントに戻る。普段の生活をしていた。


プジャ 飛行機関係


お腹が良くないので寝る。みんなが気を使って声を掛けてくれる。


夕食はパス。


熟睡。


2025.01.20月


体調は良くなった。

身体を洗う。

霧が出ていない。晴れそうだ。


サシーとハリギリババジのテントに歩いて行く。ようやっと地図が掴めた。


ハリギリババジに泊まる様に言われる。


サシーとダウンタウンに行く、政党の友人と会う。ヒィンドーの政党らしい。本をくれようとした。


お菓子やご飯を食べに行く。

お皿などの買い物。720₹。お金を払い過ぎだ。サシーのお金の感覚を崩している気がする。


ラマギリババジの建物で休んで、街にテントとマットの買い物。


6500₹を渡して、

10000₹を降ろして、

6500₹を渡す。

13000を戻される。


3000₹を渡す

16000₹を渡される。


サシーの家にテントを建てる。クンブメーラに参拝の来る人たちが15人くらい泊まる。

らしい。


街では小学生や中学生が下校していた。制服を着ていた。保護者は付いていない。自転車やバスや徒歩で自宅に向かっていた。欧米の保護者付きの登下校なが不思議なのかもしれない。ヒジャブを被っている人たちもいた。黒いヒジャブで厳しい宗教に感じる。ダウンタウンは民族も宗教も混沌としている。歪はあるのだろうか。


タンがでる。風邪かも。ほこりまみれだ。土ぼこりが凄い。


2025.01.21火


やばい、風邪だ。ノドが痛い。寒気もする。昨日のほこりまみれが良くなかった。


オールダーブラザーとミルクを貰いに行く。のんびりとイスに座って牛のウンチで暖を取る。


サシーの友だちが2人やって来てテントを建てていた。自分は寒さと咳で寝込む。歳だな体力が無い。


サシーや父や母が咳の飴や生姜の飲み物をくれる。心配してくれる。風邪が移るのが心配。


ナガサドー。


オームナラナマシバ。


さつそく、このテントに泊まる人が出てきたらしい。


2025.01.22水


まだ、ノドがイガイガする。咳も出る。悪寒は無くなってきた。


サシーの服を借りる事にした。洗濯機で洗濯をしてもらう。服はたまには洗わないとダメだな。洗濯機の水がドロドロになった。ホコリまみれだ。この乾燥したホコリまみれの気候は日本には無い。石の文化なのかな。3匹の子ブタはイギリスの話らしい。木の文化やワラの文化もそれはそれで一長一短がある。木の文化は融通が効く。いい感じで朽ちていく。

石の文化は何世代も残る。


オールダーブラザーとのミルクはお休み。朝食を取って街に向かう。パーミッションを取る為なのかイロイロな所をウロウロする。結局、パーミッションは取れたのかどうかは解らない。


疲れて、サトウキビを飲む。美味しい。


違うテントに行く。ババジが自分の事を覚えていてくれた。お布施500₹。


ハリギリババジのテントに行く。


ラムギリババジのテントに着く。疲れていたのでズーと寝ている。食事も取らなかった。


ポスターは住所が間違っていたので貼らないらしい。


サシーは家に戻った。


2025.01.23木


風邪は治ってきているが鼻がたまる。タンも出る。寒さは少くなっている。身体を洗う。


サシーが来た。サシーがお寺を案内するのに着いて行く。行列が出来ていた。まるでスプラッシュマウンテンの様に凄い列になっていた。サシーと自分はパスして街をウロウロする。


みかんジュースを飲む。40₹。美味しい。


ハリギリババジのテントに行く。20₹の花輪をお布施する。


ラマギリババジのテントに戻る。15人ぐらいのデイリーからの女の団体さんが来ていた。みんな太っていた。夜にラマギリババジが歌を歌ってみんなと交流をしていた。

軍人さんが話し掛けてくれた。船で世界を回っていたらしい。


2025.01.24金


4:00みんなが帰り支度をしだした。

身体を洗いに行く。


2人に沐浴に誘われる。

沐浴の場所にはトイレがたくさん設置されていて衛生に気を使っている。

9年前のクンブメーラではトイレが少く沐浴の近くでトイレをしている人がいた。

沐浴の水は少し冷たいぐらいでなんとか沐浴は出来る。


有明の月。夜が明けてきた。


のんびり。


ハリギリババジがドネイトを要求しているらしい。自分が写真やポスターや食器のお金を払っているのを知らないのかもしれない。

断りきれなくて、軍人さんとドネイトのミルクや果物の買い物に行く。500₹ぐらいかな。軍人さんがお金を出そうとしたが断った。

日本人からしたら、大したお金ではないのだけれど、自分がインド人のお金の価値感を壊している様で気が引ける。


なにかのボタンの掛け違いがありそうだ。ココを離れるか、ハラギリババジの所に行くか、全く別のテントに行くか、悩む。


大きな声を出しても人の心は変わらない。力でなく、人間には教育や合理性や神話や啓蒙が有効に感じる。


それにしてもインドの階級性は根深い。

自分もこの9年間でかなり変化しているのだろう。体力が落ちて風邪まで引いた。

ココで何かを身に付けるとしたら何なのだろう。


サシーが来たがラマギリババジと上手くいかなく暫くすると去っていった。自分は動くのはいつでも出来るのでもう少しココに留まる事にしてみる。何かを得てからでも遅くない。


のんびり。

水彩画もしてみる。

水を買う。30₹。

ドネイトの食事が美味しく感じられない。胃の調子が悪そうだ。


2025.01.25土


元気な事は元気なのだけれど、咳が出る、タンも出る。ノドがヒリヒリしている。


団体さんが20人ぐらい来ていた。


3人で沐浴に行く。

有明の月。


ラマギリババジのテントを出て、ハリギリババジのテントに移る事にする。


荷物は置いて歩いて行く。まだしっかりと地図が掴めてなさそうだが、迷う事なくハリギリババジのテントに着いた。


挨拶をしてのんびり。食事も頂いた。参拝に来る方々がたくさんいる。


のんびりしているとサシーが来た。

バイクで街に出てポスターを入手。街をウロウロして、サシーの家に向う。

のんびり。

エネオスのカードが届いた様だ。郵便局から引き落とせる様にして貰う。


まだ咳もタンも出る。


サシーがパーミッションを取りに行く。自分は大人しく寝る事にする。


2025.01.26日


晴れ。寒さはないけれど、咳が出る。


モンクが来るので家を掃除。お湯で身体を洗う。


友人2人が食事を作っている。チャパティを練っては油で揚げていた。


花輪を上げる係りをする。


モンクは9年前に自分と会ったと言っていた。


食事をしてクンブメーラに行く。サシーは道案内役なのに車も三輪車もドンドンと抜いていく。コレでは車は付いていける訳がない。何回も見失って戻る。そしてまた車も三輪車も追い越していく。何故か付いてくる車の前をゆっくりと車に合わせて道案内をしようとしない。前に車や三輪車が走っているのを許せない様だ。


クンブメーラに入る時は100mを通り抜けるのに1時間ぐらい掛かった。一方通行にしてしまってもイイかと感じる。隙間が空くとバイクも車もその隙間に割り込んでくる。そして、誰も動けなくなる。


ラムギリババジのテントに着いた。ラムギリババジは2日間泊まらなかったのを怒っている様だ。サシーがお客さんを迎える事は知っていると思うのだけれど、その辺を察しようとしていない様だ。


夕食は 食べないでみんなの食べ終わるのを待つ。


熟睡。



2025.01.27月


ノドはまだまだ治らない。咳をすると体力が無くなる。



7人で沐浴に行く。かなり混んでいる。フロートの橋はクンブメーラに入れない様に閉鎖されている様だ。それでもこの人混みは凄い。


みそか月。


インドカラーの太陽が上がってきた。


テントでのんびり。


ハラギリババジのテントに行く。参拝者がたくさんいる。ブドウ150₹をお布施。のんびり。サシーが来た。歩いてラムギリババジのテントに行く。


食欲が無い。のんびりと寝ている。サシーに沐浴を誘われたけれど、寝ている。体力を回復させないと!咳が出て体力が失われていく。は




2025.01.28火


まだ身体が治らない。回復が遅い。目やにも出て目が痛い。ココの空気の土ぼこりが凄い。


充電が出来ない。


沐浴に8人で行く。


のんびりして、街をウロウロしたら、道を失った。反対側に向かってしまった。ココの地軸は自分には合わないらしい。なかなか地図が頭に出来ない。

スマホのは充電も残り僅かなのでかなり焦った。


なんとかラムギリババジの所にたどり着いた。水の値段が良く解らない。


ブドウもかう。


絵を描いてくれと言われた。それも3人を。疲れているし、3人はとても難しくてごめんなさいになってしまった。ペンを何故かくれた。


スマホの充電がなかなか出来ない。


ゲホゲホ状態は完治はしないが回復はしている。ベナレスに誘われたのに断ってしまった。精神も落ち込んでいる。


2025.01.29水


沐浴は休んでのんびり。

クロックスが無くなっていた。通りをブラつく。人混みは増している。スリッパが落ちていた。色もサイズも違っているけれど買わなくて済んだ。その方が無くならない。


沐浴で30人の人たちが亡くなったらしい。良く解らない。それにしてもこの人の多さは異常だ。



テントに戻るとクロックスがあった。


女性が自分を描いてくれと言われた。お化けになりそうなので途中で断念。写真を観ながら修正をする。絵がどす黒くなってしまう。


ネットが繋がらない。


2025.01.30木




体調は完治はしていないが悪化はしていない。体力が無いのを痛感。精神もネガティブになってしまう。生活をするのが修行だと考えて生活をしているのだけれど、9年前の太陽の輝きが欲しい。寒い。ホコリまみれ。食欲がわかない。

ラムギリババジとハリギリババジとサシーの人間関係に巻き込まれてイロイロと大変だ。お金がかなり関わっている感じがする。


ハリギリババジの所に行く。


映画「ロボットドリーム」


フルーツをお布施として買いにテントの前を歩いて通り過ぎ様としたら呼び止められた。


13:00サシーがきた。4000₹を戻してくれた。


絵を描く。ペン画にすると透き通った色を残せるのだけれど、目指す方向では無い様に思う。


サシーの家に泊まる事になったので、ラムギリババジに挨拶をして必要な荷物を持ってくる。


サシーののでWi-Fiや充電のストレスは無くなった。サシーの体力はサシーの食欲にある。一緒に食事をしていては胃がもたれてしまう。

サシーに腹七分を説明するのだけれど、なかなか通じない。

「勿体ない」が浸透しない。


アルコールは全部は呑まないで済んだ。オツマミはかなり残してしまった。


体調はかなり良くなってきたが、ゴホゴホは続く。


2025.01.31金


ゴホゴホでの体力の消耗が少くなってきた。少しは肺がキレイになっている感じがする。


ヨガをする人たちはガンジャはしないのだろうか。ダルとチャパティとお米だけではカルシュウムもタンパク質も足りなくならないのだろうか。


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1月が終わる。


インドのクンブメーラはかなり肉体的にも精神的にも打ちのめされた。

たぶん、こなメラーは人工的に作られた河川の中に作られたテーマパークだからなのかもしれない。この土ぼこりと人間の多さは自然ではあり得ない。


肺がやられている。後1ヶ月のクンブメーラと1ヶ月の放浪が待ち構えている。かなり、ネガティブになっている自分がいる。


フィリピンやカナダやアメリカもある。その間に中国からの旅行者もやってくる。


なる様にしかならないので、無理をしない事だな。 

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