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【アマチュア大学生レコードデビュー】

エレキ合戦でグランド大会に優勝した番組放映直後に、石原プロモーションという会社の方から連絡があった。「社長が、俺の後輩だから面倒みようじゃないかと言っておりまして」というのだ。そういえば確かに石原裕次郎さんは慶應の先輩だった。
 裕次郎さんがテイチクレコードだったから当然そこからの発売となるのだけれど、テイチクレコードと言えば当時キングレコードと並んで演歌や歌謡曲のヒット作を飛ばす二大国内資本系の会社で、そう言えば聞こえは良いけれど要は洋楽に強いとはあまり言えない会社な訳で。
音楽業界、レコード業界にはまるで無知な僕達だったけれど、ビートルズや、ベンチャーズなどが東芝レコード(のちの東芝EMI)から出ているのは知っている。やはり、ロックやエレキはそっちでしょ、と思ったけれど、何はともあれ石原先輩がせっかくお声をかけてくれたのだから(東芝からは声がかからんかったし)良いじゃないか、そこからエレキバンド「ザフィンガーズ」はデビューだい、と受けることにした(というより内実はハシャイデいた)

 テイチクレコードの録音スタジオへ楽器を持って向かった。いよいよレコーディングだ。
まだマルチトラックの無い時代のレコーディングというのは2チャンセーノの一発録りだから、まず一回録ってプレイバックをしてサウンドの確認をするのだけれど、楽器の音色やバランスなどは殆どミキサーの人にお任せだから、ミキシングエンジニアこそサウンドプロデューサーだったわけだ。勿論レコード会社のディレクターはいるし、石原プロが立てたアドバイザーがいるのだけれど、その人達は新しいエレキインストの音をどうすればよいのかを良くわかっているとは思えなかった。
エレキ合戦の時だって審査員に寺内タケシさんがいてくれるとありがたいなと思ったけれど、ジャズギター(!)の大御所、澤田駿吾さんがいる時もあったくらいだから、当時のエレキサウンドの制作レベルは推してしるべしだ。しかし、彼らも歌謡曲とは言え音楽業界のプロフェッショナルを自認する人達だから、アマチュア学生バンドの若僧なんて相手にしない。レコーディングはどんどん進んでしまって、全然納得できない演奏なのに次々とOKが出てあっという間に完成だ。まあ、プロが言うのだからこれで良いのかと思ったけれど、何とも素早いレコーディングだったな。
 今はYouTube で聴くことが出来るのでうっかり聴いてしまい、恥ずかしくて二度と聴かないようにしている。いくらあの時代だから、アマチュアバンドだからと言っても恥ずかしいものは恥ずかしい。
あの時、成毛滋がその出来に本気で不満を言っていたのに、バンドリーダーの役目だと思って宥めていた自分が、今、恥ずかしくて隠れてしまいたい。どこかに入れる穴はないだろうか。
 このフィンガーズのデビューシングルはベストテン入りこそしなかったけれど、ある日車を運転中にラジオを聴いていたら、「ザフィンガーズの灯りのない街!」って10何位だかで流れてびっくり大ショックした。番組パーソナリティは「ま、この曲はここまでだろうけど」って言うのでムッとしたのを覚えている。本当にそのあと下がって消えてしまったのだが、成毛滋は「それで良いんだ。あれがそんなに売れたら困る」ってクールに言った。
あいつは正しかったな。えらい奴だった。
 それにしてもその時の2枚目のレコードジャケットの写真、なんと生意気なことに濃紺のスーツのユニフォーム姿だ。メンバーの蓮見が「どうせそろそろちゃんとしたスーツを他に着る機会も増えるんだから、作っちゃおうよ」ってんで、ファッションにうるさかった蓮見がデザイナーになって紳士服屋で生地を決め、ちゃんと仮縫いをするオーダーメイドで作ったもので、これだけを見たらとてもアマチュアとは思えん。そのファッションアドバイザーがまだ高校生の幸宏で、蓮見と趣味が合って仲が良かったから、ふたりで「ジャケットのシルエットは矢張りこうだ」とか、「パンツはどうだ」とか、まあうるさかったな。
 矢張りお金持ちお坊ちゃんバンドだったんだなあと思われるかもしれないけれど、アマチュアでもこのバンドはダンパー(ダンスパーティーね)や、コンサートに引っ張りだこで結構稼いでいたのだよ。で、スーツ代を親に出してもらったのではなく自分たちで払えた訳で。でも全員親の家に住んでいて食費も含む生活費がいらないので、ギャラは自分の小遣いにしていたから矢張りお坊ちゃんバンドか‥。
 ちなみに1967年3月のデビューシングルが「灯りのない街」、2枚目が「零戦」、3枚目が「チゴイネルワイゼン」と、1年弱の間に3枚のシングルを出した。
テイチクレコードにとってはおいしくないアーティストだっただろう。新人演歌歌手の方がよっぽどやりがいがあったと思うし、時代は急速にエレキブームからグループサウンズブームへと移りつつあったから、エレキバンド、ザフィンガーズのテイチク時代は終わりを告げることになった。
 折しも僕達は大学の卒業時に差し掛かっていた。メンバー全員がプロになってこのまま音楽を続けるのか、親父の言う「大学を卒業してまともな社会人になる」のかを決めなくてはならない。そしてこの時期に合わせたように、今度は成毛滋の親戚にあたるシャンソン歌手の大御所、石井好子先生の事務所からお呼びがかかった。事務所と契約を結び、れっきとしたプロにならないか、というわけだ。人生、ターニングポイントというのはあるもんだね。僕にとって何回目かのそして最も大きな岐路に立つことになった。

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