見出し画像

「47年経ってもキミが好き」#3 将来は〈小林〉になりたかったK子

初デート、ノブヤの呆れた失態
代々木公園にK子がフリスビーを見に来た別れ際、「明日、吉祥寺で会おうよ」と初めてのデートに誘った。K子ははにかんだ表情でうなずいた。僕は天にも昇る気持ちだった。実際それで僕の一生は決まったのだから、スキップして空を飛ぶくらい有頂天になるのも仕方ない。けれど、実は大変な問題を片方に抱えていた。そういう時の自分の精神状態、判断力はたしかにおかしい。いまでもK子がしばしば言うように、
「ノブヤは底抜けのバカだから。本当に大学を出ていてよかったね。そうじゃなきゃ、世間の人はみんな相手にしてくれなかったと思うよ」
その夜、自宅に戻った時点で、僕は30円くらいしか持っていなかった。
故郷を出てから、月6万円の仕送りをしてもらっていた。そこから2万7千円の家賃を払い、原宿への通勤定期を買い、光熱費と新聞代など払うといくらも残らない。アルバイトに家庭教師もしばらくしていたが、フリスビーに熱中してクビになった。食費は毎日300円程度でやりくりしていた。
どうしてもとんかつが食べたくて、何度も恵比寿駅前のとんかつ屋さんの暖簾の前を行ったり来たりした思い出がある。もちろんあきらめて、その地下にあるスーパーでもやしを買って帰った。もやしは、おひたしと油炒めと味噌汁の具になった。
さて、翌日、約束の時間に間に合うようアパートを出た。最初のミッションは、初乗りの電車賃を確保することだ。当時、井の頭線の初乗りは60円。どうしても50円はゲットする必要がある。渋谷までは定期で行ける。乗り換える時に切符が必要だ。僕は足先に鋭い視線を向けて歩いた。そして見事、駅まで半分くらい歩いた路上に50円玉を見つけた。あの時の達成感はなんとなく覚えている。
(これでK子に会える!)
(オレはやっぱり、やれる男だ)
みたいな妙な自信で意気揚々とした。
次のミッションは、吉祥寺駅の改札だ。電車を降りた後、たくさん落ちている切符の中から改札を通れる切符を見つけて拾うこと。まだ自動改札もスイカもないから、定期券以外の人はみんな切符を買って電車に乗っていた。キセルをする人も少なからずいたのだろう。競馬場の外れ馬券ほどではないが、要らなくなった切符がホームには結構落ちていた。それらしいものを爪先で裏返し、当たり券を探した。さすがに這いつくばって探すわけにはいかない。ごく自然に歩く姿勢で視線を落とし、目当ての切符を見つけなければならない。
改札の向こうにK子の姿が見えた。不思議そうに僕を見ている。早くK子の元に行きたい。が、超えるべきハードルがある。そして運よく、当たりの切符を見つけ、ササッと拾った。
僕は満面の笑顔。K子は不審な戸惑い。
その時になって、本当はいちばんの難問に僕は気づいた。いま思い返せば、それをあまり問題だとは思っていなかった自分がいる。なんとなく、
(K子に頼めばいいや)
わりと安易に考えていた。だって、K子に会いたい、K子だって僕に会いたいはずだ。その思い込み、自己肯定感が素晴らしい……。
駅舎から通りに向かう途中、さすがに冗談めかして僕は訊いた。
「キミ、今日、お金持ってる人? 僕、お金持ってない人」
その時のK子の反応は覚えていない。さすがに、顔を見ては言えなかったのだろう。
K子はその時、呆れ果てた、変な人だなと思った、と後年になってつくづく言っていた。普通なら、その段階で愛想を尽かされても仕方がない、だが僕はなぜか、そんなことでK子と別れることになるとはまったく考えなかった。K子が言う。
「ワタシもバカだよね。変な人だと思ったら、別れたらよかったのに、なんでだろう?」
そう、おかしいのは僕だけとは限らない。K子もそういう人だから、きっと波長があったのだ。
「大学生が高校生にご馳走になるなんて、おかしいでしょ」
いまになってK子は言うが、そう、K子がまさか高校生とは思わなかったのだ。ま、それは言い訳にならないけど。ともかく、衝撃の告白を受けてK子は、ほとんど何も言わずサンロードを左に曲がり、東急百貨店に向かう途中、左側の階段を昇った。2階に、ひげを生やしたおじさんがやっている家庭的なイタリアン・レストランがあった。そこで僕はK子からスパゲッティをご馳走になった。大満足のデートになった。
 
ミドリちゃんへの憧れ
付き合い始めて40年になろうとするころ、
(K子の気持ち、確かめたこと、なかったなあ)
ふと気がついた。断られるのが怖かったのか、勢いで巻き込んじゃえ、という無意識の怖れだったのか。ファーストキスも、付き合う合意も、事前の承諾は得なかった。雰囲気、勢い。ぎこちない感じで始まり、もたもたしながらゴールにたどりついた。K子は拒まなかったし、無理を強いたつもりもないので、今さら「不同意」で訴えられないと思うが、現行法だと僕の立場は微妙かもしれない。
「僕のこと好き?」とか聞いたこともないし、K子は、
僕は毎朝毎晩「好き」と言い続けてきたけれど、K子は自分からそんな言葉は発しない。案外、恥ずかしがり屋だから。というか、〈昭和の男〉みたいな性格だから、そんな甘い言葉は滅多に口にしない。かれこれ40年、K子の気持ちを確認していないことに60歳を過ぎて気がついた。
そもそも、僕みたいなダサい人間、田舎育ちのあか抜けない男はK子の視野に入らないはずなのだ。無理に視界に入ってもすぐ目を逸らされるタイプ。長い付き合いでK子のそんな価値観と嗜好はよく理解できている。それでなくても、最初のデートからして驚愕だった上に、
「付き合い始めたころ、ノブヤが得意気に着ていたベージュのコーデュロイ・ジーンズと、黄色とエンジの縞模様のラガーシャツ、恥ずかしかったよね」
「初めてアパートに行った時、机の上に福助のパンツのステッカーが並べて貼ってあったのに引いちゃった。貧乏くさくて、何この人、と思った」
と今でも言うくらいだから、付き合えば付き合うほど幻滅していたはずだ。それなのに、なぜ離れなかったのか。それほど自宅に帰るのが嫌で、「父親に小言を言われるくらいなら、貧乏くさいけどノブヤといれば気が休まる」と思ったのだろうか。
いや「事実は小説より奇なり」とはK子のことだ。数年前のある日、K子が息子に小学校時代の思い出話をしている場面に居合わせた。若いころは自分の話を好んでする人じゃなかったので、僕はK子の子ども時代、小中学校時代のことを聞いた経験がそれほど多くない。
K子は、自分が憧れていた同級生の女の子の話をしていた。
「ノートを取るのがすごく上手で、綺麗な字で書く姿にずっと憧れていた。私はそんなに上手く書けなかったから。その子の名前がコバヤシミドリちゃん。私は自分の苗字が好きじゃなかったから、私も将来〈小林〉になりたいなあ、とずっと憧れていたの」
そんな話を息子にしていたのだ。
「えーッ!?」
それは意外すぎるほど驚きの告白。この世に、将来〈小林〉になりたいと憧れている女性がいるなんて、思いもしなかった。むしろ、
(僕と結婚する人は、小林なんて、ありきたりの名前になって申し訳ない)
とかなり本気で思っていた。「年上の女房は金の藁を履いてでも探せ」と言われるけれど、「小林になりたい女性」は日本全国を探しても二人といないのではないだろうか。そもそも探そうとさえ思いつかない超貴重な女性と僕は運命的に出会っていたのだ。
いやあ、そんな前段があったなんて。そしてK子は夢見るような表情でこうも言った。
「出会ったころ、ノブヤがいつも緑色の軸の水性ボールペンで原稿を書いていた。原稿用紙にすらすらと書くノブヤが素敵だな、すごいなあと見惚れていた……」
うーむ、そうだったのか、そこに惚れてくれたのか、ちゃんと僕はK子を魅了していたのだ。ぺんてるの水性ボールペンをそのころ好んで使っていた。ボールペンと違って滑りがいい。筆圧がいらないから、長く書いても手に負担がかからないので書きやすかった。
そうか、〈コバヤシ〉と〈ミドリのペン〉。そして文章を書く姿が僕とK子のキューピッドだったのか。
人生、何が幸いするか、わからない。でもまあ、僕には47年間、ずっとK子に好かれ続ける理由がちゃんとあったのだ。

いいなと思ったら応援しよう!