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“天才”ライターの軌跡12 小林信也 消えた天才ライダー伊藤史朗の幻
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27歳になる春、オートバイ雑誌から連載を頼まれた
旧知の編集者・高城さんから、「頼みたい仕事があるから、編集部に来てもらえないか」と電話があったのは、1983年の春、27歳になる少し前だったと思う。指定された南青山の住所を訪ねると、新しく開いたばかりの事務所で高城さんが迎えてくれた。高城さんとは、彼が鎌倉書房のスポーツノートというシリーズの編集をしていたころ、「フリスビー編」でインタビューを受けたことがある。それが最初の出会いだった。その後、僕がNumberのスタッフになり、「別冊エアロビクス号」をデスクの西川さんとほとんど二人で作った時、西川さんが高城さんに数ページを依頼した。それで一緒に仕事をした。けれど、それ以上の親しい付き合いがあったわけではない。高城さんは思いがけない話を始めた。
「今度、新しいオートバイ雑誌を創ることになって、私が編集長になるんだけど、信也君にやってほしいテーマがあるんです」
オートバイの知識はまったくない。どんな仕事をしろと言うのだろう。すると高城さんは言った。
「伊藤史朗(ふみお)という消えた天才ライダーがいるんだけど、知ってる?」
僕は、ある出来事を思い出して、曖昧にうなずいた。
「日本人で初めてオートバイ・レースの世界チャンピオンになった天才ライダー。ところが、ピストル不法所持で逮捕され、その後失踪してずっと行方がわからないんだ」
ポパイ編集部で小耳にはさんだ、幻の天才ライダーの話
思い出した出来事というのは、大学を卒業してまもないころ、何かの用でポパイ編集部を訪ねた時、隣の席で編集者たちが交わしていた雑談だった。一人の編集者が言った。
「いま伊藤史朗を追いかけて、もし本人を見つけてインタビューできたら、すごいスクープだよね」
「消えた天才ライダーの?」
「そう、もう15年くらい、ずっと行方不明なんだ」
その話は、嫌でも僕の耳に入ってきた。そして、大いに胸を高鳴らせた。そんな人がいるんだ……。伊藤史朗の名前はその時初めて聞いた。追いかけて見つけたら……、触発されるものはあったが、何の手がかりもない。オートバイの知識がないこともあって、それ以上関心を寄せることもなく、それっきり忘れていた。そのの名が高城さんの口から出て僕は驚いた。
居場所を推定する手がかりは一切なかった
「幻の天才ライダー・伊藤史朗を追いかけて、見つけてインタビューしてほしいんです」
高城さんは言った。
「伊藤史朗は、大藪春彦さんの書いた小説『汚れた英雄』のモデルじゃないかと言われている人。実際、作中に世界王者として実名が描かれています」
映画の題名を聞かされて、僕の中では俄かにリアリティーが色濃くなった。『汚れた英雄』ならその前年(1982年)に草刈正雄主演で公開された話題作。角川映画の第一弾作品だった。そうか、あれは伊藤史朗をモチーフにした作品だったのか。静かに昂奮する僕に向かって、高城編集長が言った。
「追いかける間の出来事は連載で、見つかって会えることになったら単行本にもしたい。なんとか1年くらいで見つかるといいね」
駆け出しのスポーツ・ノンフィクション・ライターにとっては、夢のようなオファーだった。高城さんがその日くれたのは、古いオートバイ雑誌の記事と当時付き合いがあった関係者の名前くらいだ。伊藤史朗の居場所を推定する手がかりは一切ない。成算はまったくない。けれど、一日も早く何者かになりたかった、作家として天下に狼煙を上げたいと意気込んでいた僕に断る理由はない。確証はまったくないまま、僕は高城さんの依頼にうなずき、意気揚々とサイクルワールド編集部を後にした。いまから42年前、1983年春の午後だった。
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