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小林信也 僕が創って・手放してきた宝物日本スポーツ“裏通り”の出来事    第二話「オンヨネ・ベースボール・ウエア」

野球のアンダーシャツに革命を!
日本のスポーツウエア業界、とくに体育衣料の販売には閉鎖的な商慣習があった。いまも同じかもしれない。
中学校、高校の体育着といえば、ダサい集団着の代表というイメージがある。プライベートなスポーツウエアは年々ファッション化するのに、体育着だけが前時代的な素材とデザインで変わらない。その背景には、業界の暗黙の了解があったという。業界というより、業者と学校の、といった方が正しいだろうか。体育着や体育用のシューズをメーカーは大量に生産し、リニューアルせず、毎年繰り返し供給する。学校はそれを延々と受け入れ続ける。そうすれば売れ残りの心配がなく、無駄を排除できる。毎年のようにデザインを一新したら、前年までの在庫はデッドストックとなり、無駄が生じる。そんなリスクを回避するため、長年同じ商品を供給し続けていると聞かされた。
しかし、欧米の新しい流れは押し寄せてくる。20年ちょっと前、いまも人気のアンダーアーマーが日本に紹介され、感度の高いアスリートたちが使い始めていた。当初は、極端にピッチリした素材で賛否両論あったが、アメリカンフットボールのスーパースターたちが愛用しているイメージ効果とその商品の斬新さでスポーツ界の刺激的な話題になった。

故郷の会社「ONYONE」からの相談
故郷・長岡に本社を置く衣料品メーカーのONYONE(オンヨネ)から相談を受けたのは、ちょうどその頃だった。
「我々は関野吉晴さんの“グレードジャーニー”に協力し、上は摂氏40度、下はマイナス40度までの環境に対応できるウエア開発に成功しました。素材を提供してくれたのは東レさんです」、営業マンの古賀さんが言った。「せっかくこの素材があるので、他のスポーツにも応用できないか、アイディアを伺いたくて来ました。サッカー日本代表のユニフォームにはもうこの素材が使われています」
聞かされてすぐ浮かんだのが、野球のアンダーシャツだった。
野球のアンダーシャツもほとんどリニューアルされず、古い綿の素材が大半だった。化繊もあったが、当時の化繊は汗を吸わず、価格は安いが気心地は悪いものという認識があった。
高校時代、投手だった僕は、夏の大会の日には大きな遠征バッグに最低8枚くらいアンダーシャツを畳んで入れて球場に出かけた。試合前に2度は着替える。試合が始まると、1イニングか2イニングおきに着替えた。そうしないと汗で重くなって動きにくい。冷えた汗がまとわりついて身体を冷やす心配もあった。寒い季節はもっと面倒だ。着替えずにいて、味方の攻撃が長くなれば濡れたアンダーシャツが身体を冷やす。自分の打席が回ってくると、着替える余裕もない。
オンヨネのアンダーシャツは、こうした悩みを解消した。夏、汗をかいても着替えなくていい。すぐ発散して乾くからだ。身体も冷やさない。寒い時は体温に反応して素材が温まる。「着るエアコン」のキャッチフレーズどおり、暑い日には涼しく、寒い日には温かく身体を包んでくれる。
他の商品で言えば、ユニクロのヒートテックに近い。しかもオンヨネの素材は、体温が上昇したらそれを発散・放熱する効果が高い。ずっと熱いままにならない。とにかく快適で、いまも僕は普段からなるべく愛用している。

日本のスポーツを変革する《チーム4U》の開発プロジェクト
僕がこの商品の開発に情熱を注いだのは、物販に意欲があったからでも、スポーツ用品販売で一儲けを企んだからでもない。
新しいムーブメントを創りたい。日本のスポーツ環境を変えたい。その使命感が僕を衝き動かしていた。その頃、全国の熱心な高校野球監督たちとの勉強会《チーム4U(フォー・ユー)》を立ち上げて、盛んに活動していた。年に何度か、甲子園出場経験を持つ名将と呼ばれる監督たちも顔をそろえて研修会を開催した。この《チーム4U》をさらに機能させ、根本的な変革を起こしていきたい。そのためには活動資金が必要だ。そして、画期的なベースボールウエアをチーム4Uの仲間たち(監督たち)と一緒に開発すること自体が意義ある活動だと考えた。
1年ちょっとかけて試作し、チーム4Uの仲間である監督たちのチーム(高校野球部)に試着してもらって改良を重ねた。いよいよ発売の準備が整うころ、僕は『プロスペクト』という販売会社を設立、オンヨネと販売代理店契約を結んだ。このベースボール・ウエアは、プロスペクト以外からは販売しないという専任代理店契約だ。
その代わり、営業・販売も基本的に我々が引き受ける。主にチーム4Uのネットワークを活用し、かなり短期間で全国に普及した。発売が開始されたその年の甲子園大会にはもう数チームがオンヨネのグランドコートで出場してくれた。大ファンになってくれる監督もいた。東北高校のダルビッシュ有投手も着てくれた。
プロ野球選手からもオーダーが届き始めた。居酒屋さんで旧知の高校野球監督から見せられてすっかり気に入ったという千葉ロッテ(当時)のエース渡辺俊介投手がプロ第一号だった。代金を自ら振り込んで、ちゃんと購入してくれた。その後、東北楽天の田中将大投手、広島の緒方孝市選手、黒田博樹投手ら、プロ野球のスター選手が続々と使ってくれた。
販売数や売上のスケールではアンダーアーマーに叶わなかったが、信用と愛着の深さでは負けていなかった。いまもそう思う。

創業者・開発者の歴史を語り継ぐ記録はない
僕はその商品ラインの総合プロデューサーであり、株式会社プロスペクトの創業社長だ。けれど、いま同社のHPを見ても、僕がその誕生に関わったという記述はない(苦笑)。過去の人、とはそんなものなのだろう。
販売開始から1年も経たないころ、営業部長と相談役から要請を受けて、僕は会社を離れた。そこまで下地ができたら、物書きである僕が会社にとどまる理由もなかった。
幸い、いまもプロスペクトはオンヨネ・ベースボール・ウエアをはじめ、多角的に事業を拡げているようだ。高校野球界で話題になっている「リーグ戦」という新しい動きの旗を振っているのもその関連だ。
オンヨネ・ベースボール・ウエアは僕の手を離れたが、僕自身これからも愛用するだろう、それほど気に入っているし愛着がある。快適な商品を世の中に送り出せたことをうれしく思う。


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