あの時 諦めなかったことへ ありがとう
わたしは両親にあまり顔が似ていない
その代わりに、祖母に似ている
ちょっと長めの鼻とか下がり眉毛とか 細めの目とか、祖母の若いころの写真をみたときに 特にそう思った
そんな祖母は今年で 93歳 元気だけど少し足が悪い いつも「日本一の暑さ」をかけて埼玉県熊谷市と競っている岐阜県のある町に住んでいることもあり、数年前から夏の間の丸々2ヶ月間は 涼しい長野の避暑地軽井沢へ滞在することにしている
今年は少し短めの1ヶ月半だけ 祖母はいつものように軽井沢へ来ていた
祖母がいる間は大抵だれか一緒にいるのだけど、この間たまたま祖母が一人になってしまう週末があったため 急遽わたしが一晩だけ軽井沢へ泊まりに行くことになった
夜、はじめはリビングの横の和室で一人で寝るつもりだった
夕飯をたべているとき
「もう来年は来られないかもねえ」
という祖母のさみしそうな一言を聞いて え、そんなこと言わないでよ、と返しながら そのあとなんだかわたしも不安になって まあせっかく来たんだし と祖母の使ってる寝室の隣のベッドで一緒に寝ることにした
祖母はいつも夜寝るのが遅く、朝もそんなに早くない (年寄りにしては)
ベッドに入って電気を消してからもわたしたちはなんとなく話をつづけていた
祖母が昔 20代の頃 流産をしたことがあるという話をちらっと耳にして(しかもなぜか最近きいた)そのことについて気になっていたので 質問してみた
わたしの母は三人兄弟の長女で、妹と弟が下にいる 祖母が流産をしたのは母が生まれる前だったらしい
「子供ができても3ヶ月くらいたつといつも流産しちゃってね、なかなか赤ちゃんができなかったの。4回も流産したんだよ」
え、、、、
4回、、、、?
わたし「え、それって、、原因は何だったの?」
祖母「腸が卵巣とか子宮の方に出てきちゃう病気でね、はじめはなかなか原因がわかなかったの。おかしいなあおかしいなあって 思って大きな病院で見てもらったらそれが原因だってわかって、お母さんがお腹にいる 3ヶ月目くらいの時に手術してもらったんだよ。そしたら生まれたの」
その話をきいて 4回という回数にももちろん驚いたんだけど その時代にお腹に赤ちゃんがいる状態で手術とかしたりするんだということにも驚愕だったし あと自分の母が生まれる前にそんなことがあったなんて初めて知ったし
何より人生においてそんなに悲しいことが4回もあったのに、それでも子供を諦めないでくれた(その後3人も産んでくれた) おばあちゃんとおじいちゃんがほんとうにすごくて 2人に対して感動と感謝の気持ちしか浮かばなくて
気づいたら目尻からじんわり涙がながれ 頭の方に伝ってきた
「大変だったねえ、」
「うん、大変だったよぉ」
「けどそのあとお母さんたちができてよかったねえ」
「ほんとだね、よかったよ」
「そのとき手術もうまくいって よかったねえ」
「うん、ほんとに よかったよぉ」
祖母の咳を横にききながら わたしはいつの間にか眠りについていた
翌朝、ぐっずり寝ている祖母を起こさないように静かに部屋を出て、感謝の気持ちをいっぱいこめた朝ごはんを作って、ふたりで一緒に食べた
なんだかこの夜、祖母と話したこの時間が 自分の中でとても大切で 忘れられない出来事になって、軽井沢に行く前は1日だけ行くのとかちょっと面倒だなーとか少しでも考えた過去の自分を叱りたくなった
誰かと会う約束をして 実際に会って時間を過ごす って とても面倒な行為だと思う
でもその時間がもしかしたら うっかり一生忘れられない出来事になるかもしれないし、まあならないかもしれない
(可能な範囲でできるかぎり機会があれば)人と会う約束をして 一緒に時間を過ごす というこの行為を これからは 面倒くさがらずに 続けていけたらいいなあ と少し思うようになった
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