2001年イギリス留学とインターネットの話
高校3年生の夏から1年間、イギリスの高校へ留学した。
当時のコミュニケーションツールを振り返ってみれば、スマホがある今の時代からは想像できないことも多い。インターネットはあった。けど日本にいる家族や友達と連絡を取る時は電話か手紙がメインだった。
当時は国際電話もそんなに安くなかったので、家に電話するのは何か問題があった時とかどうしても話す必要がある時くらいで、1ヶ月に1、2回程度。友達への電話はもっと少なかった。
日本にいる時は携帯(J-PHONE)を持っていたが留学中は持っていなかったし、日常の生活で日本語でやり取りする頻度は圧倒的に少なかったように思う。向こうの高校生はだいたいみんな携帯を持っていた気がする(大抵あのノキア製の紺色のやつ) が、私のように持っていない子もたまにいた。
留学する少し前、はじめて自分のメールアドレスを作った。hotmailのアカウントだ。丁度その年くらいにみんながMSNメッセンジャー(チャットツール)を使いはじめたのを覚えている。
イギリスで使うパソコンは日本語がタイピングできないことが多く、日本語のフォントをインストールして設定するだけで結構な手間と時間がかかったので、日本語で来たメールをローマ字で返信したりしていた。
(メールをもらう方はとても読みにくかっただろうと思う)
自分のパソコンなんてものはなかったから、インターネットができるのは学校のPCルーム(結構混んでいる)か、電車 orバスで30分以上かけてわざわざ週末にいくマンチェスター市街のインターネットカフェだけだった。
毎回同じパソコンを使わないこともあり、いちいち日本語ができるように設定するのはとても面倒だった。もし何か日本語で調べたいことがある時は、ローマ字でまずワード検索して、そこに出てきた日本語サイトの文字をコピペしてもう一回検索し直す、という方法でしのいでいたりした。(なんという手間だろう)
あの頃、何かを予約したりする時はいったいどうしていたのだろう?
帰りの荷物を送る船便の手配や、旅行で行ったバルセロナ行きのチケットなどはインターネットで調べ、メールで予約をしたように思う。
けど結局航空券のコンファメーションは電話でしなければならないシステムだったような気がする。予約番号を空港のチケットカウンターで伝え、航空券をもらう。けどその2−3日前に必ずこの日の便で行きますよ私は、という確認の電話が必須だった。携帯もなかったので、街の公衆電話を使った。
そんな日々だったこともあり日常で日本語を使う機会は圧倒的に少なく、もしかしたら英語はその分上達していたのかもしれない。
1年ぶりに帰った日本では、違いすぎる世界に逆カルチャーショック的な症状があった。(よく覚えてないが1〜2週間くらいおかしかった)
スタバとかカウンターでする注文で日本語がすぐ出てこない、東京の人の多さで電車が怖い、周りみんな背が低くて頭がでかくて足がみじかい!マスコット人形みたいだ!とショックを受ける(自分のことは差し置いて)、などなど自分でも自分が心配になるくらい育った国に異世界感を感じたのをとてもよく覚えている。
SNSももちろんまだなかった。 (mixiが流行ったのは大学入ってからくらい)そんな自分の経験を考えてみると、スマホを持って留学するっていったいどんな感じなんだろうか。きっとあの頃とは全然違う体験になるんだろうということだけはわかる。
自分が見たもの感じたことをすぐ写真や動画(もちろん日本語)でシェアできて、友達からの反応も見ることができる。わからないこと、こんな時はどうするんだろう?という疑問はすぐに調べられる。WikipediaになければきっとYahoo知恵袋とか誰かの体験ブログとかがヒットするだろう。電話代を気にせず人と(しかも顔を見ながら!)話すことだってできる。
きっとホームシックになった時の対応もだいぶ違うのだろう。
その当時の私には、マンチェスターの中華街まで行って何か醤油ベースぽいものを食べる(通話料金気にしながら)家族に電話する、日本から送ってもらったインスタント味噌汁を飲む、友達が送ってきてくれたMDを繰り返し聴きながら泣く、くらいしか考えつかなかった。
少なくともこんな風に逆カルチャーショックを受けることはもしかしたらもうないのかもしれない。けど絶対に言えるのは、「情報量は圧倒的に少なかった」ということだ。何がどこにある、いつどんなイベントがある、この場所には実はこんな歴史があった、などなど きっと多くのことを知らないままに過ごした。それはそれで惜しいことをしたとも言える。
どちらにせよ、日本語でのコミュニケーションをこんなに制限された日々を送ることはもうこの先自分には起こらないだろう。そのことだけでもとても貴重な経験だったのだと思う。
写真1)ホームステイ先の近くの道。少し歩くと湖があった。
写真2) 毎週のように通っていたマンチェスター。同じ家にステイしてたフィンランド人とベネズエラ人の友人。いつもこの3人で行動してた。
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