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機会損失恐怖症からの脱却と、人生後半の戦略

先月、ひさびさに体調を崩しました。

子供の手足口病がうつり、40℃の熱が出て仕事を2日も休みました。

こんなことをつぶやきました。

実は今週、また体調を崩しました。

こんな短いスパンで体調を崩すのは初めてです。今回は半日休みで済みそうですが、もう少し疲労が溜まっていたらきつかったかもしれません。


なぜ止まれないのか?

僕は、がむしゃらに走り不備が出始めてから補修するタイプです。

なので「頭痛がする」「身体が重い」くらいで仕事や、イベント、柔術の練習を休むことはありません。

というのも、放っておいても治ることの方が多いからです。

たまにしか起きない故障のために不必要に予防するって馬鹿げているとも思っていました。

予防は大事です。でも、不必要に予防をすることで、失うものもあります。

いわゆる「機会損失」のことです。

たとえばこういうもの。

  • タスクを完了できなかったせいで、新しい案件を逃した

  • 事業にヒントをくれる人に会えたかもしれない飲み会を逃す

  • 本屋に行く時間が取れず、出会うべきだった本を見逃す

柔術の練習も機会損失を恐れている

ヘトヘトの状態でもジムには行きます。妻から「休めば?」とよく言われますし、ジムで「顔色悪いですが大丈夫ですか?」と言われることもあります。

どんなにヘトヘトでも数本スパーリングをやれば調子は元に戻り、1時間フルでスパーをやるとスッキリして元気になることが多いです。でももしかしたらサウナと同じで「スッキリする=麻痺してるだけ」かもしれません。いや、多分そうです(笑

柔術のスキルが純粋にy=ax+b(練習量xに比例して実力yも伸びる)ではないことは確かです。

ある練習でたまたま気づいたこと、ひとのスパーリングを見てハッと気づくことがあり、そこから上手くなるということが多いです。

僕はまだ青帯なので上級者と比べると、ヒントに出会う確率も高いと思っています。なので、できる限りジムには出るようにしています。

「もしかしたら強くなるのは今日かもしれない」。僕の好きな言葉です。

見えないことの恐怖

損にもいろんな種類がありますが、個人的には機会損失が一番の損だと思っています。

というのも、機会損失は見えないのです。

本当に起こっていたか、起こらなかったかはわからないのです。

もちろん何もしなくても損はしなかった可能性もあります。

でも、

  • 機会を増やしたおかげで、たまたま知り合った人から仕事の話がつながる

  • そこまで仲良くなかった人と関係が深まる

  • 新しいアイデアが生まれる

こういう経験を何度もしてくると、やはり休むことへの恐怖心は染み付いている気がします。

年齢と競うのはしんどくなってきている

20代⇒30代になるときはほとんど変化はありませんでした。気持ちの変化もなく。

しかし、30代⇒40代への変化は単なる延長線と捉えてはダメかもしれません。

僕はもともと文化系な人間ですが、気づけば元体育会系の人たちより「体力、量がすべてを解決する」を狂信的に実践しています。

それくらい体力というのは万能な武器です。

ですが、人生で初めて陰りが見えはじめ、年齢に勝てないというのはこういうことなのか、と実感しています。

賢く転換をはかる

先日この本を読んで、学ぶことが多かったです。

ざっくりいうと、

  • 人生の前半期はキャリアを中心に設計して問題ない。しかし後半期(30代後半〜50代前半)で必ず仕事のパフォーマンスは落ちるし、それにあらがうことはできない。不可逆。

  • 若い頃のパフォーマンスを求めることで、無理をして、健康や人間関係を崩すことになる。

  • 特に男性はキャリアを中心とした人間関係になることが多く、キャリアの落ち込みと共に人間関係が希薄になり、孤独になりがち。

  • 実践者から指導者に移行する(スポーツなら選手⇒監督・コーチ)

具体例がたくさんあるのでおすすめです。

「年齢なんて人間が決めたものさしにしか過ぎない」と信じてきましたが、いずれ限界が来ることはわかっているので、早めに移行します。

30代もあと10ヶ月。準備と武器を整えて、人生後半戦を迎えます。

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