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「野武士、脱藩編part1」
どうも。野武士です。入社して7日目。
これで記事は15本目だ。
以前、「野武士が日記を書く理由」について書いた。
そう、実は、自己紹介が目的なのだ。
なので、コアな部分になるかと思うので、書こうと思う。
残った部分は、TEDでまた詳しくお伝えしたい。
(アルバイトだけどw)
・・・・
私は、この4月、新卒入社した会社を脱藩した。
そして、野武士になったのでした。
・・・・
そして、入社時の私はこちら。
あんず先生、その通りです。
この風貌で、結婚式の会社に入社した。
かなりぶっ飛んでいると自分でも思う。(よく採用してくれた)
大学生時代は、いわゆる意識の高い学生で、得意のタフメンタルと行動力でガンガン活動をしかけていた。
(そこで、大洋さんとたけるさんに出会う)
・・・・
そして、入社1年目。
正直に言えば、地獄のような日々だった。
単に仕事がきついわけではなく、結果が残せなかったからだ。(やったことは多いが残せたことは全くない)
ポテンシャルを活かせるようにと、かなり気を使わせたと思う。
(結果的に3ヶ月ごとに異動をした)
しかし、いまになって思えば、こんな風にかっこよく書いているが、
当時の自分は、「俺を活かせない会社が悪い」と本気で信じていた。
同期は、どんどん力を付け、職種を極めていくのを横目で見ていた。
自分は異動続きだからと強がっていたけど、内心どうしたらいいか全くわからなかった。
そんなことだから、
できることもない × 他責 = やばいやつ
になってしまっていた。
・・・
当時の自分は、今までやってきたことができる(=採用や人・組織など)と勝手に思い込んでいた。
しかし、気持ちとは裏腹に、とにかく現場に出まくっていた。
拒否権は別にない。そのため、とんでもない数に出た。
want というより have toで入ることの方が多かった。
それでも、自分なりに意味づけをしながら、なんとか歯を喰いしばって過ごしていた。
そんな姿勢を評価してもらえて、信頼残高がちょこっと貯まる。
「なんでこんな大変なことしなきゃいけないんだ!」と他責爆発をして、
信頼を残高を引き落とすの繰り返しだった。
・・・
もはや、1年目の自分に向けて書いている。
これだけは伝えたい。
1年目は、やれることがまじで少ないのだ。そして、信頼もないのだ。
・仕事を1人で終わらせられない
・何が成果かもわからない(=貢献って何?美味しいの?)
・何が求められているか?がわからない(=1年目が求められる仕事って何?)
など、ないない尽くしなのだ。
素敵な勘違い(=自分はできる)は大事だが、貢献の幅が極端に少ない段階だという現実だけは、理解しておこう。
・・・
こうして、信頼の貯金を使い果たしてしまったとき、僕の1年目が終わった。
そして、大阪異動の辞令が出たのであった。
大阪が間違いなく、野武士の人生を救ってくれた。
その物語は、また今度の機会に。
終わり