何が好きで何が嫌いか
「好きなことをして生きていきたい」
そういう割には自分の本当に好きなことがわかっていなかった
そして、好きなことはひとつだけだと思い込んでいた
好きなことで生きていくなら、好きなことを明確にする必要がある
物事に取り組んでいくことで、好きになっていくこともあると思う
今よりも自分の好きがわかっていなかった自分へ
好きなことの見つけ方を残す
とにかく体験する、情報収集する
好きなことを見つけるためには体験をすること
実体験に越したことはないが、今は調べればほとんどのことを知ることができる
体験してもいないのに、調べてもいないのに好きも嫌いもないだろう
実体験や知り得た情報から自分自身が何に対して、興味関心を持つか、心動くかを分析する
例えば私はキャンプが好きだ
自然の中で過ごすことが好きで、自然の中は空気が澄んでいて、緑が多く、電波も届かないのでデジタルデトックスができる
一方で祭りが苦手だ
人混みや大きい音が苦手で、自由が効かない
ただ静かな場所で祭りの雰囲気を味わうのが好きだから、外に出ることや祭り自体が苦手なわけではない、祭りでの食事も粉物に囲まれて好きだ
という感じで、思いついた好きや苦手を挙げていく、好きなことをして生きていきたいというテーマだと自然と仕事もテーマに上がってくるので同じことを行う
全てのことは体験はできないから、情報収集に偏るトピックもあるかもしれない
この時に気をつけたいのが情報に惑わされないということだ
特に知らない領域のことをウェブで検索すると、その領域で読まれやすい記事が優先的に表示される
そのためネガティブな情報もポジティブな情報も鵜呑みにしてしまいがちだ
トレーニングが好きだからパーソナルトレーナーを始めたらゴリゴリのサービス業で自分はトレーニングを教えるのではなく、することが好きだったことに気づくというのはよくあることだ
その体験も良い体験ではあるのだが、好きの解像度が低かったり情報不足だと上記のようなことは起こりうるだろう
情報収集はネットで調べるだけでなく、専門家に聞くということもできる
講演会に参加するでもよいだろう
好きを見つけることは意外と労力がいるものだから、そこは面倒くさがらず頑張ってほしい
田舎と都会の情報量の差
情報収集のしやすさにおいて地域差は間違いなくあると思っていて
これは私が田舎出身で成人してから上京したので強く感じることなのだ
都会は無意識に入ってくる情報量がとてつもなく多い、田舎は情報量が少ない
購買を煽る広告も田舎の方が少ない、ショッピングできる場所も映画館なども都会とは比べ物ならないくらい少ないのだ
だから自分で情報を取りいく必要がある、興味を持つきっかけとなる体験も少ないのだ
一方で時間はある、考える時間はあるのだ
学校帰りにディズニーにいくことはできないけど、情報や体験を反芻する時間はあるのだ
何もどちらが良いとか、悪いという話ではなく情報や体験には地域差があるので都会っ子はたくさん体験と情報に触れながら「引き算」を意識する
田舎育ちは逆に「足し算」を意識するくらいがちょうど良いかもしれない
両方を体験したことがないが生きてる世界は大きく違うと考えている
わかりやすく田舎と都会で分けたが、自分が認知している情報量は環境に左右されるので一定期間情報がアップデートされないなら情報や体験を取りに行き、逆に消化不良なら静かな時間をつくり反芻するというのがよいのではないだろうか
好きを一つに絞るのではなく、好きを育てる
好きは一つでなくてもよい
「本当に好きなもの」「一番好きなもの」を見つけようとすると好きを見つける難易度が上がる
なので好きを集めることを私は推奨する
ぜひそうしてほしい
一番好きなもの以外は、本当に好きではないという謎理論を持っていた時期があり、今思い返しても大変残念なのだが
好きを集めて、育てる
その中からよく育ったものの優先順位を上げて、人生を構築していくのはどうだろうか
ご存知の通り、綿密に計画してもその通りにいくことは稀である
少しでも人生が好きに傾くように、自分の好きを把握して育てる
すると好きなことで生きていくの幅が広がるだろう
ただ好きなことで生きていくことと、自分勝手に生きることは少し違ってこの話はまた別の記事に書くことにする
好きの解像度を上げていこう
まとめると好きを育てたり、解像度を上げようということになる
どうしても今回の好きの見つけ方で見つからない時は、反対に嫌いの解像度を上げて、嫌いを避けるという方法も推奨する
この方法が現時点での正解で数年後は変わってるかもしれないが、きっと変わらないことは何事もやる前から嫌わず、ひとまず一生懸命にやってみることやイメージで語らないことは大切にしていきたい