僕の夢物語 理想の町11 ~中心市街地活性化~
日本全国で、中心市街地が寂れている。人が集まり盛況を誇っていた商店街でさえ、今ではシャッター通りと揶揄されるような状況になっているところは少なくない。
寂れたとはいえ、中心市街地は、行政や病院、郵便局など様々な機関が歩いていける範囲に集積しており、車に頼らないで生活することのできる恵まれた環境であるともいえる。
高齢者にとっては生活しやすいことは間違いない。
中山間に住む高齢者は介護支援が必要になっても、簡単に支援も受けられず、一人暮らしに不安を感じるため、自宅での生活が困難になっていた。
吾一は、このような高齢者のために、中心市街地に高齢者住宅を整備していった。高齢者住宅は、介護が必要な人だけでなく、郡部での生活に不自由を感じる人が低料金で入居できる住宅として整備されていった。
1階には、介護保険の対象となる要介護高齢者用の部屋と訪問介護支援事業所を整備し、2階3階には、比較的元気な高齢者が入居できる部屋を整備した。
介護が必要になっても、慌てて病院施設に入院しないでも、同じ高齢者住宅に常駐しているヘルパーの支援を受け、安心して自由な生活が送れる環境が整っていた。
夢野市では、中心市街地に介護付きの高齢者住宅が多数整備されたことによって、医療費を高騰させていた社会的入院が急激に減少していった。
訪問介護事業所も同じ建物にいる高齢者を効率的に介護できることから、安定した経営ができた。
更に、工夫されたことは、高齢者住宅にいる元気な高齢者をヘルパーとして雇用したことである。3級ヘルパーは一定時間講義を受け、実技講習を受ければ誰でもとれる資格である。
少ない年金に加え、お小遣い程度でも稼ぎたいと思っている高齢者には格好の仕事である。
元気のある高齢者は、社会から必要とされ、社会の役に立つことで生きがいを感じることもできる。自分のキャリアを活かし仕事のできるヘルパーの職ほど高齢者に向いているものは少ないだろう。ある意味若い人以上に有能ぶりを発揮することも少なくない。
また高齢者住宅のすぐ近くには、デイサービス施設や老人保健施設、グループホーム・特別養護老人ホームなど介護施設を次々に作っていった。
その結果、吾一のグループだけでも、必要があればどんなサービスもすぐに受けられる体制が整えられていった。
一部には、介護者の抱え込みであるとの非難もあったが、介護を必要とする人々が安心して生活できる体制を作ることが如何に大切であるか、何より、サービスを必要とする高齢者には有り難いことであった。
このような介護施設が整備されたことによって雇用の場が広がり、更に、施設を訪問する家族や園児や児童はじめ各種のボランティアで、中心市街地はにぎわってきた。
人が集まりだすと活気が生まれ、件のシャッターの降りた店も次第に再開し、更に人が集って楽しい空間ができてきた。
吾一はさらに不足する商店や雑貨店を整備した。中心市街地は、高齢者を中心とした新しい街として活気を取り戻し、歩いて暮らせる町として甦っていった。
これまでシャッターを閉ざしていた店も盛んに活用されはじめた。
新鮮な野菜や魚を取り扱う産直市もでき、周辺地域から送迎バスでやってくる高齢者は自分が作った野菜や手作りの弁当を持ち寄り、産直市で販売した。
大型のモニターテレビが設置され、ケーブルテレビで放送される映画や時代劇など自由に終日視聴できる場所も設けられた。
つい最近まで一人として人影のなかったアーケードには、人があふれ、その人を目当てに新たにたくさんの店が開店し、活気はますます大きくなっていった。
おばあちゃんの原宿として有名な刺抜き地蔵商店街のような賑わいのある商店街が夢野市にも現れ、「高齢者が主人公」をコンセプトに、毎日のように様々なイベントが行われ、お祭りのようなにぎわいが続いていた。
中心市街地に来るための交通手段も整えられた。
送迎バスを定期的に周辺地区へ運行するとともに、介護保険サービスを利用した介護タクシーも稼働し、高齢者住宅に入居した要介護高齢者が1割の負担で自宅に行き来することもできた。
中心市街地の周りには、自由に利用できる無料の駐車場が整備された。
中心市街地を駅と見立て、周辺に駐車スペースが設けられたことによって、市外のショッピングモールに行っていた人々も、中心市街地へ車で来るようになってきた。
駐車スペースがなくアクセスの悪さから、車社会で敬遠され置き去りにされていた中心市街地にも人が集まるようになってきた。
高齢者を核とした中心市街地の活性化がなされた町として全国的にも大きく取り上げられ、夢野市の中心市街地に全国からさらに多くの人が訪れ続けられるようになった。
僕の夢物語 理想の町12(最終話) ~新たな街づくり~ へ続く
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