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僕の夢物語1 テニスプレーヤー Vol.2
いよいよ初めてのテニス協会主催の公式大会だ。
最近急激に驚くほどの上達を見せている僕に、クラブの仲間たちからも、「頑張れば勝てるよ」といった激励をもらった。
ノーシードの僕は、初戦から県のランキング上位のシード選手に当たることになった。
初戦の南さんは30歳前後のプレーヤーで、県内のテニス仲間でもその実力は認められていた。
現役のシード選手と60歳のシニアプレーヤの勝敗はやる前から容易に想像できていただろう。
誰もが、僕が勝つなど努々考えてはいなかっただろう。
僕自身1か月前には考えられないことであった。
しかし、この1か月の練習を考えればそれが夢ではないことは僕が一番よくわかっていた。
いくら練習をしても疲れない体と、驚くほどの運動能力、そして、一流選手の動画を見ることによって試合の戦略、ポジショニングなど、プロレベルの技術を吸収し、それが即時に実践できている。
練習し、学習し、実践し、その繰り返しにより、短期間のうちに驚くほどの成長を遂げてきた。
いよいよゲームスタート
トスの結果、僕のサーブゲームで始まった。
僕は大きなフォームからファーストサーブをアングルに強打した。これが見事、ノータッチエースになった。
相手の南さんはあっけにとられ、バックフェンスに転がるボールに目をやっていた。まさか初老の選手からこれほど強烈な高速サーブが繰り出されるなど、とても現実として受け入れ難く、キツネに抓まれたように呆然としていた。
信じられないのも無理からぬことであった。
実は南さんとは、数年前、一度練習したことがあった。もちろん練習といっても余りにレベルが違い過ぎ、練習試合などできるものではなかった。何度かロングストロークやボレーストロークの練習をしたに過ぎなかった。
明らかにレベルの違う相手であることをその記憶の中に南さんは覚えていたのだろう。だからこそ、この現実を受け入れられずにいたのだろう。
驚きも冷めやらぬうちに、2ポイント目のノータッチエースでポイントし、そのまま簡単に第1ゲームを取りきることができた。
第2ゲームは南さんのサービスゲーム。
力強いファーストサーブが入ってきた。しかし、僕は難なくフォアに回り込み、跳ね上がるサーブを高い打点で叩いた。
強烈なクロスリターンは南さんの横を通りすぎノータッチのリターンエースになった。
この後も、南さんのサーブを打ち返し、ブレークすると完全に流れは僕に来て、この試合を6-1で勝ち切ることができた。
勝敗はもとより、明らかに実力でも南さんを大きく超えていることを僕は実感した。
驚くほどの上達は僕自身未だ信じがたいものではあったが、一方では、確信に満ち溢れていた。
驚くほどの運動能力を身に着け、この1か月の練習に裏打ちされた自信は、陳腐な言に過ぎるかもしれないが、「練習はうそをつかない。」を体現したものでもあったし、この勝利でその思いは揺るぎ無いものになっていた。
その後の対戦でも県のランカーをことごとく打ち負かし、決勝は、高知県ナンバーワンの乾さんと対戦することになった。
流石に県ナンバーワンの相手に対して、出だしはポイントを取ったり取られたりの戦いになった。
それでも、明らかにレベルは僕が上回っていることは、2ゲームを戦う中で実感できていた。
第3ゲームがターニングポイントになった。
相手のパターンや戦略を見抜き、どこに打つかあるいはどのショットを選択するか、驚くほど正確に予測することができるようになっていた。相手の動きが手に取るようにわかり、優勢に試合を展開していった。
その後は、ゲームはおろかほとんどポイントを失うこともなく、一方的な展開となり、あっさり勝ち切ることができた。
ゲームをするたびに明らかにうまくなっている。驚くほどのスピードで刻々と実力が向上しているのはもはやまぎれもない事実として、当然のごとくに自分でも受け入れることができている。
60歳のシニアが、ましてやこれまで、テニス協会が主催する正式な大会に参加したこともないプレーヤーがいきなり優勝したことに、主催者はもちろんのこと関係者のほとんどは、心底驚き、現実を受け止められないようであった。
県代表をかけたこの大会を優勝したことによって、晴れて僕は西日本大会の参加資格を得ることができた。
西日本大会は2か月後に広島で開催されることになっていた。まだまだ今の実力では勝ち切ることは難しいレベルなのかもしれない。しかし、疲れを知らない若い肉体と運動能力、そして、常に向上しようと沸々と湧き上がるエネジーがある。2か月もすれば、さらに向上するのだろうと僕は確信していた。
それからの2か月も、やはり、テニス漬けで、練習は少し遠出をして、県のランカーとの実践や時には県外に出て、日本のランカーとも練習を繰り返した。はじめは、勝てなかった相手にも試合をこなすごとにいい戦いをすることが出来るようになり、次第に勝つことができるようになっていった。
急激な上達に自分でも驚き、更にそれが成長へのモティベーションになり、練習を重ねることで、さらに成長するという好循環ができていた。
僕の夢物語1 テニスプレーヤー Vol.3(完結編)へ続く