僕の夢物語 理想の町8 ~スポーツシティ夢野~
夢野市は、吾一の企業に後押しされながら、充実したスポーツ施設を更に整備し、スポーツを軸にした観光事業を次々に展開していった。
まず取り組んだのが高齢者のグラウンドゴルフを通じた観光誘致であった。
全国的に高齢者の間で流行りつつあったグラウンドゴルフに目を付け、陸上競技場と隣接されている多目的広場を会場として、全国大会を開催し、全国から高齢者を誘客する取り組みを始めた。
国体開催時に整備された陸上競技場は,地方都市にはもったいないほどの規模を誇っていたが、十分な活用がされないままでいた。
全国の陸上競技場は、Jリーグなどの公式ゲームを開催するなど盛んに活用されていたが、人口の少ない夢野市の陸上競技場は見向きもされないでいた。
その陸上競技場と隣接するソフトボールのコートなら優に5面は取れる広さのある多目的広場を全面芝生化して活用することにした。
グラウンドゴルフ大会の工夫としては、誰でも参加できる大会ではなく、参加できることがステータスであると思わせるような権威付けを行った。都道府県を基本にエリア分けして予選会を実施し、それを勝ち上がったものが夢野市で行われる全国大会に参加できる仕組みをつくった。
予選会に参加してもらうために、予選会から豪華な賞品を準備するとともに、本選参加者には、更に驚くような豪華な賞品が準備されていた。
これは大会スポンサーの吾一の企業から提供されたもので、大会運営者でさえその破格の賞品には驚きを隠せなかった。
大会参加者には、優勝の副賞の豪華客船による世界一周旅行をはじめ、全員に信じられないほどの豪華な賞品が準備され、高齢者の歓心を買うような取り組みが行われた。
これが功を奏した形になり、夢野市のグラウンドゴルフ大会参加を目指し、日本全国で予選会が盛況に行われた。
回を重ねるうちに、夢野市はグラウンドゴルフの聖地といわれるようになっていった。
破格の景品や豪華な参加賞に加え、有名な歌手やお笑い芸人など豪華ゲストを招いての前夜祭や後夜祭も盛大に行われた。まずは一度夢野に行ってみようという気にさせる多種多様な企画が行われていた。
一方、吾一は、陸上競技場のある運動公園に隣接した場所に、新たに、テニスコート20面を整備し、併せてテニススクールを創設した。
一部には、こんな田舎でスクールが成り立つのか疑問視する声もあったが、吾一の親交のあるトッププレーヤーが一線を退き、後進の育成をしたいと当地にやってきたことで、がぜん注目を集めることとなり、キャンプの申し込みも予想以上になった。
テニスコート整備と並行して、すぐそばに、ホテルを建設し、その中にレストランや観光業者が入居し、キャンプの誘致やイベントの支援体制も整えていった。
最近の傾向であるのか、ペンション経営に興味を抱く者も現れ、吾一の協力を得て、運動公園からほど近いところにいくつかのペンションもオープンされることとなった。
恵まれた自然環境を活用して、キャンプやレジャー目的の誘客が盛んに行われていった。
テニスのキャンプは大学や社会人の競技団体はもちろん、趣味のサークルへの勧誘に力が傾注された。
特に、平日は高齢者など時間の余裕のあるサークルをターゲットに様々なイベントや大会が企画された。
グラウンドゴルフの全国大会同様、参加できることのステータスを持たせる工夫と、実際に提供される豪華な賞品や参加賞により、夢野市シニアテニス大会は全国屈指のシニアテニス大会として盛況を極めていた。
年を追うごとに大会やイベントは専門雑誌にも掲載され、夢野市に行けば何かあるぞといった雰囲気が愛好家の間では話題になっていった。
大会への参加に加え、キャンプや観光ニーズの高まりにより、ホテルやペンションなどは予約でいっぱいの状況になっていった。