僕の夢物語1 テニスプレーヤー Vol.3(完結編)
西日本テニス大会は、その成長が実証される結果となった。
並みいる強豪と戦いながら、試合の中でも成長している自分を感じ取ることができた。成長するというのはこうゆうことかと実感しながら、更に対戦をすすめ、西日本大会をあっさりと優勝してしまった。
周りの驚きは、僕の想像を遥かに超えるもので、60歳の老人が20代の選手を打ち負かす様を現実のものとして受け入れられないでいた。特に、親しい人ほど、僕のあまりの変わりようをどう捉えていいのか戸惑っていた。
そのはずである。
わずか数か月前は、自分たちとさほど違わない初老の僕が、県下の実力者を次々と下して優勝してしまうなど、夢を見ているどころの騒ぎではない。彼らには今でも僕が60歳の老人に見えているのであろうから無理からんことである。
僕自身は、20歳の体と有り余る体力を持ち活力に満ちていた。
そして次なる目標として全日本テニス大会の優勝を目指した。
流石に全日本の優勝までは難しいかなと思ったが、この3か月の成長ぶりを考えると、不可能ではないことは僕自身が一番わかっていた。
全日本の予選はほどなく行われ、圧倒的な強さで県予選を優勝し、全日本テニス大会の切符を手に入れた。次第に、周りの人びとも西日本大会の優勝がフロックではなく、僕の実力であることを理解するようになっていた。
テニス関係者には僕の県予選の優勝がそれほど驚くほどの出来事ではなくなっていたが、マスコミは違っていた。
たまたま取材に来ていた地方局のニュースで取り上げられるとたちまち多くのメディアの知るところとなった。モーニングショーやワイドショーは、この手のサクセスストーリーを好むところにあり、連日、複数のテレビ番組で、軽佻浮薄を旨とするタレントコメンテーターが大げさなコメントを繰り返していた。
どこにでもいる平凡な初老の人間が短期間のうちにかくも実力をつけていったことの不思議さと、一方では、練習風景や日常の生活を取り上げ、その努力する姿や継続して練習を続ける能力を余すところなく繰り返し放映していた。
継続することの大切さや集中力の大切さを力説するスポーツコメンテーターや評論家も多くいたが、誰一人として、この初老の男が20歳の肉体と運動能力を持つ存在であることを見抜くことはできなかった。もっともそんな非科学的なことを言おうものなら評論家の職を投げ出さなくてはならなかっただろう。
かくして、マスコミ注視の中で全日本テニス大会は行われた。日本各地から、中でも東京に居住するプロテニスプレーヤーが多く参加する中、僕がどこまで勝ち上がれるか、「シニアの希望の星」などとマスコミは煽りたて、関心を持った高齢者が大挙して大会観戦に訪れ、僕を応援してくれた。
流石に、全国大会でのテレビ中継やワイドショーのカメラの前で、僕も平常心を保つのに苦労したが、多くの声援に後押しされ、トーナメントを勝ち進んでいった。1試合ごとにさらに力をつけ、いよいよ日本一に王手をかけるところまできた。
決勝は、身長2メートル近くある新進のプロテニスプレーヤーで、最近は世界のツアーにも参加し始めた選手である。流石に勝負にはならないとの前評判であったが、試合が始まると前評判とは大きく違い、僕のリターンが冴え第1ゲームをブレークし、序盤から優勢に試合を進めることになった。これまで対戦してきた選手と違い、高い打点から繰り出されるサーブは、とても返すことは難しいと思っていた僕ではあるが、何とかラケットにあて、相手コートに返球し、その後のラリー戦を制して、優勢を維持した。すでに観戦に来ていた高齢者は、興奮の極みに達しており、相手がかわいそうになるほどに僕の応援に声を荒げていた。興奮は絶頂を極め、最後は、僕のはなったサーブが相手コート深くコースを突き、そのまま相手選手の横を通り抜け、僕の優勝が決まった。
何ということだろう。日本中が驚き、ワイドショーのリポーターはこの信じられない光景をこの上ないほどの興奮状態で報道していた。
暗いニュースが多い中で、格好のニュースとなった。
おかげで僕は時の人になり、厄介なことにテレビカメラに追い回されることになった。ウィークエンドプレーヤーが、60歳になり退職し、その後1年も経たないうちに日本一になったのであるから、驚かないのが不思議である。
なぜこのようなことが起こったのか、僕以外に真実を知る人はいない。もっとも、僕自身にしても、ある日目覚めると若い肉体と驚くべき運動能力、更には、明晰な頭脳を手に入れていたことなど信じようもないことであった。
ワイドショーは、はじめ興味本位のニュース素材として扱っていたが、取材を通して、その継続して努力する姿に触れ、教育的観点からの切り口で報道することも多くなっていった。
若い肉体や驚くべき運動能力はさておき、努力し続けて、瞬く間に日本一のテニスプレーヤーになったことは賞賛すべきことである。
まさに時の人となった僕は、戸惑いながらも、この想像を大きく超えた日常を歓びの中に受け入れていた。
しかし、僕は感じ取っていた。
きっとある日、元通りの60歳の自分に帰るということである。
それが明日なのか、1年後なのかわからないが、元の自分に帰る準備はしておかなければならないと思っている。
それまでは、思いがけず手に入れた若い肉体と明晰な能力を最大限に生かし、自分の人生を力いっぱい生きていこう。
僕だけが感じ取れる変化は、まさに自分を信じることによって生じた奇跡なのかもしれない。
そんなことを感じながらある日起きれば60歳の自分になっていることを何の疑問もなく喜んで受け入れられるよう、それまではテニスフリークとして遊び暮らしていこう。
老いを受け入れ、その中でモティベーションを可能な限り持ち続け努力していくのは何も若い肉体を手に入れなければできないことではない。
リンク
僕の夢物語1 テニスプレーヤー Vol.1
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