僕の夢物語 理想の町4 ~芸術にあふれる夢野市~
吾一は、芸術の分野にも新たな付加価値を付けながら、整備を進めていった。
まずは、創作活動をするための住居の整備を行い、全国から芸術家の卵たちを呼び込んでいった。
芸術家の生活を支えるために、惜しみなく資金を提供し続けた。
芸術家達の要望は余すところなく聞き入れ、陶芸窯をはじめ必要な施設を次々に整備していった。
芸術家の卵たちは、生活のことを心配せず、創作に打ち込める環境を手に入れ、創作に没頭し、次々と作品を制作していった。
一方、芸術家が自立した生活ができるよう、作品の発表や販売を目的としたテナントの整備を進めた。
吾一の親交のある画商を呼び寄せいくつかの画廊を作り上げ、更に美術館を建設した。
芸術家の卵たちの絵画や陶芸は、次々と展示テナントに並べられるようになり、遠くからも、その購入のために人が訪れるようになってきた。
芸術家の卵だけでは、集客力に限界があると思われたが、有力な画商の呼びかけで、高名な陶芸家や画家が夢野市で創作活動を始めていたので、その作品も展示されたことにより、集客は大きく伸びていった。
美術館や展示場、若手育成の住居や生活資金の提供など、多額な資金を投入していたが、数年もたたないうちに、芸術家たちの活動により、夢野の新たな観光の目玉として市外から多くの人が訪れ、新人たちの作品を買い上げ、投資した資金の回収はおろか、新たな産業として、発展していく気配を見せ始めた。
吾一は芸術とともに積極的にアミューズメント施設の経営も手掛けていった。
人口の少ない地方ではとても考えられないような規模のアミューズメント施設が次々に展開されていった。
遊ぶ施設の無いことが若者の田舎から離れる大きな要因になっていることは、地方の国立大学に過ごした吾一には十分すぎるほどわかっていた。
東京の大学に行った友人から届く都会の自由で遊びに溢れた生活には羨望を禁じ得ず、その魅力に憧れを抱いたこともあった。
そんな都会に対するコンプレックスにも似た憧憬を払拭するように、過分に過ぎると思われるようなアミューズメント施設を次々と誕生させた。
その施設は観光事業にも活用され、多くの誘客により投資以上の経済効果が得られることとなった。
まさに吾一の目論見通りであった。
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