読書メモ:リスク、不確実性、利潤
「米国経済学の源流にして良心の礎」フランク・H・ナイト。富を生み出すこと、自己実現、人間の生きる意味、そして他者との合意に基づく社会。
「リスク、不確実性、利潤」
ナイトが「リスク、不確実性および利潤」を刊行したのは1921年である。当時においては資本主義の下で社会の矛盾や対立が大きく顕在化していた。また市場経済が激しく不安定化し、価格論や均衡論に基礎を置く従来の古典派経済学に対する信任も大きく低下していた。そのような背景の中で、本書は不確実性論を基礎に置き経済学の再構築を試みる。そして、社会制度のあるべき姿を議論する道筋を考える、それが本書の大きな目的となっている。
市場経済における不確実性
ナイトはまず、現実の市場経済は本質的に高い不確実性を前提として機能していることを指摘する。生産活動を例にとれば、生産に必要な資源の調達と生産された製品の販売には時間差があり、販売時点の市場での製品需給や価格などは生産資源を調達した時点での想定とは大きく乖離し得る。顧客である消費者の行動や嗜好の変化の動向もまた不確実である。このように人々の将来における行動が不確実であるとの主張は、古典派的な均衡論を揺るがすものである。これらの学説が主張する、ある条件のもとでの人々の行動が社会的に望ましい状況への均衡をもたらすという、理論的枠組みを否定することになるからである。
なお、ナイトがここで言う「不確実性」とは、ある事象が発生する確率が、特定の数学的な確率モデルに同質と見なせる場合(アプリオリな確率)や、統計的に信頼のおける確率の推定が可能な場合(統計的確率)などとは異なり、数量的な把握が困難な場合を指す。このような不確実性には、(統計的な評価を行う前提である)発生する事象を予め特定し集合化することの論理的困難も含まれている。
企業家と利潤
市場経済の下で、このような不確実性を受け入れ生産などの事業活動(投資)を実行する主体となるのが企業家であり、その企業家を動機付けるのが利潤である。
企業家は、不確実な事業に労働を提供する被雇用者に対しては賃金、生産に必要な設備、材料、資金の提供者には賃料、代金、利子など、それぞれの支払いを保証する。そして生産された製品を市場で販売し、これらの支払いを実行した後に残余として発生するのが利潤である。当然ながら市場経済の不確実性の下では、利潤は個々の事業毎にプラスともマイナスともなり得る。さらに経済全体での利潤の総額も、市場の状況やその他の要因によって変動し得る。しかし、経済全体での利潤の総額は傾向としてはマイナスであることが関連研究では示唆されている、とナイトは指摘している。
こうして利潤の総体的な期待値は傾向としては概ねマイナスである一方、個々の事業が成功した場合には大きな利潤が発生することが期待される。企業家は、利潤が持つこのようなリスク特性を選好するリスク許容的ないしリスク愛好的な主体とされる。しかし、一般的にも同様なリスク特性(高い確率での小さな損失と低い確率ながら大きなリターン発生の可能性、例として宝くじの購入など)が選好されることは必ずしも特異なことではない。
不確実性の下での企業家の意思決定
不確実性の下で企業家はどのように意思決定を行うのであろうか。人間の能力に限界があることを前提とすれば、不確実性の下で無限の選択肢が存在する中では人間が合理的な意思決定を行うことは到底不可能である、とナイトは指摘する。このような限定された合理性を持つ企業家が不確実性に対処する方法は、「事例の集合化に基づく確率判断を通じて不確実性を減少させる」ことである。事例の集合化に基づき有限の意思決定空間を設定し、それぞれの集合ごとに分類された経験と観察に基づき確率判断を行う、という戦略である。
このような頻度論的な確率論に基づく戦略は、そもそものナイトの不確実性の定義とは矛盾するものであるように見える。しかしナイトは不確実性とリスク(アプリオリな確率、統計的確率)の間は、明確な境界線というよりは、グラデーションであることも指摘している。実際、集合化や分類の基礎すら求められない全くユニークな事象は稀有である一方、統計的確率においても完全に同質的な分類が必ずしも成り立つわけではない。従って重要な点は、このような集合化に基づく確率判断が、不確実性の下で企業家にとって十分に満足し得る意思決定戦略となることである。その意味で、この確率判断は数量的である以上に主観的である。
不確実性に対処する方法と組織化
企業家はこのような意思決定戦略をより有効に機能させるために、組織による分業と専門化を活用する。そこでは、事業全体を業務プロセスや対象で分業することによって、(事業のユニークさを解消し)意思決定の対象をより単純で普遍的な要素に還元する。さらに専門化により、意思決定者は特定の分野に集中する。これらによって経験と観察の頻度を集約することで、確率判断の信頼性を高めることが可能となる。従って、企業家は事業に関わる全ての特定分野での判断能力を持つ必要はないが、「ある人物が特定の分野で持つ判断能力」を判断する能力が必要とされる。これは、極めてあり得ること、とナイトは指摘する。
このように企業として組織化することによって、不確実性の下での判断の信頼性を高めることが可能になるとともに、企業規模の拡大に応じて複数の事業を並行して取り組むことで不確実性による影響を分散し管理することが可能になる。
不確実性の下での市場経済の均衡
このような企業家が主体となる市場経済は、市場における不確実性の程度に影響を受ける。例えば、不確実性が高まれば、事業活動(投資)の実行は手控えられるであろう。一方で、その場合には、事業活動の結果得られる利潤の期待値は高まる可能性がある。なぜなら、労働力を含め生産に必要な資源は市場で調達されるが、これらへの需要が低下し調達コストが低下すれば、結果として利潤が発生する余地も拡大すると期待されるからだ。とすれば、企業家はより高い利潤を予測し、事業活動に踏み出すように動機付けられる。
このようにナイトは、不確実性の下で市場における経済活動が不安定となる要因と安定化させる要因のバランスを示唆するが、均衡のメカニズムがどの程度有効に機能するかなどの踏み込んだ分析や見解は示していない。ナイトは市場の均衡回復を目的として政府が経済に介入することには反対の立場ではあるが、そのような介入には、果敢な企業家の投資機会を奪い意欲を削ぐことで市場に埋め込まれた回復力を弱める、と見るのであろう。
市場原理と道徳原理の分断
ナイトが構想する不確実性に基礎を置く経済学は、不確実性を受け入れ事業活動(投資)を実行する主体となる企業家、そして企業家を動機付ける利潤に着目する。ここでナイトが想定する「利潤」においては、「労働」はあくまでも市場で調達される生産資源の一部であり、特別な位置付けは持たない。これはスミスやマルクスなどの労働価値説による利潤の捉え方とは大きく異なる。また、このような利潤を求める起業家の投機的な動機に基づく市場原理と道徳原理とを統合し得る哲学を形成することは困難である、ともナイトは指摘する。ナイトは、市場経済の現実と自身が抱く道徳観との対立を強く自覚しているのである。
ナイトの道徳観と既存制度への消極的擁護
ナイト自身は既存の社会制度の柱である私有財産制、自由企業そして家族制度を「消極的」に擁護する立場にある。これら既存の制度が多くの問題や矛盾を抱えることを認識しながらも、社会の持続性を考慮すれば、これらを改編する議論には慎重であるべき、という意味での消極的擁護である。ナイトの道徳観の核心には「一人ひとりの個人に責任と選択の自由が与えられ、より広い自己実現の領域が認められるべき」との個人主義的自由の重視があり、他の制度(社会主義体制、あるいは主要産業の国有化などにより管理が強化された社会体制)の下ではその実現が困難である、との認識がある。
自由経済の下で企業家が主体的に活動する自由を与えられる一方で、現実の社会において企業に雇用される労働者の状況については、ナイトは強い憂慮を示す。それは「自由」(個人にとっての選択の範囲、ある意味で能力と同義)と「契約の自由」(自己が所有するものの処分において形式的な制約がないこと)が混同されていることであり、現実の社会では「自由」ではなく「契約の自由」のみが擁護されている、と批判している。「契約の自由」の下では、所有する物を持たない者はいかなる能力も持ち得ない(自由を売り渡すしか生きる術がない)のである。
人が社会に参加するまでの訓練と教育を家庭が担う私的家族制度の下では、真の機会平等は実現し得ない以上、機会平等を根拠として競争の結果によるいかなる格差も是認する能力主義(自己責任論)の正当性もまた成り立ち得ない(しかし、格差は際限無く拡大している)。ナイトはそうした問題や矛盾を指摘しながらも、社会の持続性を考慮すれば、社会秩序の基盤である私有財産制や家族制度などの改造については「慎重かつ謙虚であるべき」との言葉で本書を終えている。
感想
本書の刊行以降、1930年代の大恐慌の時代を経て、世界の経済学の主流はケインズ派に移ることになる。ケインズ派は、ナイトと同じく不確実性論に基礎を置きながらも、民間投資の不確実性による有効需要の不足から非自発的失業そして不況が発生するメカニズムを解明し、対策として政府による経済への介入の必要性を主張した。その主張は、米国においてニューディール政策として世界に先駆けて採用された。さらに第二次世界大戦後は、社会主義体制の台頭を受けて、欧州の西側諸国においても主要産業の国有化などの福祉国家論を軸とした経済運営が引き継がれた。
一方の米国ではナイト以降、自由主義的な経済学が主流となり、経済理論はミクロ的、均衡論的そして数学的な展開を見ることになる。こうした米国の経済学は、米国の経済的覇権の拡大を背景に、世界の主流となっていった。ただし、このような米国の経済学の展開に及ぼしたナイトの影響力、という点については評価が別れているようだ。
実際、経済学の分野でナイトが高い評価を得ているという印象はあまり受けない。それでもナイトの名前が広く知られているのは(少なくとも金融業界では)、ブラックマンデーやリーマン危機など株式市場の暴落が起こる度に、ナイトの不確実性の議論が引用されるからではないだろうか。確かに、こうした通常の想定のレンジを超えた市場の変動は、株式市場の本質がリスク(統計的確率)の支配する市場ではなく、不確実性が支配する市場であることを我々に思い起こさせてくれる。
しかし、本書からは改めてナイトの理論の革新性に気付かされる。第一に、市場経済における経済活動の主体として企業家に着目したこと。さらに、企業家は実際に主体性を持つ唯一のアクターであると同時に、その行動原則が経済的合理性ではなくリスク選好の特性によって特徴付けられる、など従来にないモデル設定であり、行動経済学の先駆けとなる着想とも言える。企業家に着目したことは、後の起業家研究にも様々な面で影響を与えている。特にリスク選好については、当初は起業家の特性の一つとして研究の対象とされたが、実際にはリスク愛好的な特性は特定されず、むしろ熟達した起業家の行動原則にはリスク回避的ないしリスク限定的な特徴が見出されるなどしている。第二に、不確実性の下での企業家の意思決定の方法や組織化を通じた不確実性への対処などは、ハーバード・A・サイモンによる限定合理性や経営組織における意思決定の研究につながる着想を与えていると思われる。これら経営学的な分野へも強い影響を与えたことは、経済活動の主体として企業家に着目した研究の視点からも、当然なことかもしれない。