なぜ日本人はカエルの唄を愛でるのか?|唄は農につれ農は唄につれ⑤
『季刊地域 vol.57』から始まった、前田和男氏(ノンフィクション作家)による連載「唄は農につれ農は唄につれ」。このたび公式Webサイト「季刊地域WEB」に加え、「農文協note」でも読めるようになりました!どちらもお楽しみください。
*第一話はこちら*
前田和男(ノンフィクション作家)
生き物との相互依存に無自覚な人間たち
「農の営み」と相互依存の関係にある生き物が、地球上には数多く存在する。
しかし、われわれ人間は生き物との持ちつ持たれつの関係で命をつないでいる最終受益者であるのに、その自覚がほとんどない。
それどころか、農薬の大量散布と大型機械で生き物の生活を破壊、その結果が巡り巡って「農の衰弱」をもたらしていることに気づいてもいない。
そんな人間との関係は、生き物からしたら理不尽きわまりないはずで、「世」ならぬ「農」につれる唄たちは、それを問わず語りに語り歌ってきたのではないだろうか?
そう思いあたって、今回からは、その検証にチャレンジしてみたい。
まずは、農の営みに関係のありそうな生き物をモチーフにした唄を予備調査してみたところ、それを読み解くには質量ともに恰好な生き物が浮かび上がってきた。それはカエルである。
以下、読者の耳に聴き馴染みのある唄たちを、制作年代順に掲げ、モチーフがカエルであると明示される一節を付した。
カエルが「好ましい生き物」なのはなぜ?
では、これらの唄たちから、何が見えてくるのか?
いずれの唄からも明らかなのは、日本人にとってカエルは「好ましい生き物」であることだ。
しかし、よくよく考えてみると、ここには大いなる謎が潜んでいる。果実など農作物の受粉を手伝ってくれ蜂蜜までもたらすハチならば、あるいはカエルを食用にするフランスや中国ならいざしらず、日本ではカエルがなにか人間に目に見える利益をもたらしてくれているとは思えないからだ。
ぐらいで、先に挙げたカエルの唄たちとくらべると、量的にはるかに及ばない。それどころか、後者ではカエルとちがって「哀れで無残な生き物」にされている。
鳴き声が「好ましい」のは日本だけ
さらに謎なのは、カエルが「好ましい」とされるシンボルが鳴き声であることだ。これはどうやら日本人に特有な受容のされ方のようだ。というのも、海外ではカエルの鳴き声は必ずしも心地よいとは受け止められていないからだ。
ちなみに英語で、 I have a frog in my throat.(直訳すると、喉にカエルがいる) とは、風邪かなにかでガラガラにしゃがれた声のことだ。この後には、たとえばこんなフレーズが続く。I can’ t speak at the meeting(だから会議ではしゃべれない)
ところが、日本では、典型は「蛙の笛」だが、 ♪コロロ コロコロ なる笛は……あれは蛙の 銀の笛 とまで持ち上げられる。
この内外の落差は、いったい何ゆえか?
鳴き声が農に恵みの雨をもたらす?
私の推理はこうだ。
春から初夏にかけてのカエルの鳴き声は、学術的には交尾の相手を求めるためとされているが、わが日本ではそれだけではない。農の営みにとっても役に立つからである。
根拠は、カエルと雨の関係にある。「ちゃっきり節」にも、 ♪きゃあるが鳴くんで雨ずらよ とあるように、日本では古くから「カエルが鳴くと雨が降る」と信じられてきた。
カエルが鳴いて雨を予知すると、なぜ農の営みにとって好ましいのか? それは、農作業の重要な指針になるからだ。
文部省唱歌の「茶摘み」(1912〈明治45〉年、作詞作曲不詳)に、 ♪夏も近づく八十八夜 とあるように、その時期に茶を摘むのが農作業の常識・通例とされてきた。
「八十八夜」とは、立春から起算して88日目の、春から初夏の変わり目にあたり、現在の新暦でいうと5月2日頃。また、二十四節気の一つである穀雨(4月20日頃から5月4日頃)の最中になる。穀雨は字が示す通り、茶だけでなく米を含む五穀豊穣をもたらす「恵みの雨」を意味している。それゆえに、昔から農の営みにとって、「♪夏も近づく八十八夜」は、茶摘みだけでなく、播種や育苗には最適の時期とされてきた。
そして、まさにこの時期に、カエルが一斉に鳴き始めるのである。
つまり、農民たちからすると、カエルの鳴き声とは、そろそろ田植えに備えて、田んぼに水を引き入れ、土をかき起こす「代かき」を始める合図にほかならない。
だから、カエルの鳴き声は好ましい極上の「銀の笛」(童謡「蛙の笛」)として、唄にうたわれてきたのではないだろうか。
以上が私の推論である。われながらなかなか説得力のある仮説に思えるが、いかがだろうか。
「カエルが鳴くと雨がふる」確率は3割にすぎない!?
ところが、どっこい、さらに調べを進めると、わが推論は「当たらずといえども遠からず」でしかないことが判明した。
そもそも、大前提である「カエルが鳴くと雨が降る」の確率は3割程度らしい。
2008年の日本気象協会「お天気百科」には、愛知教育大学が行なった「アマガエルの鳴き声はどの程度雨を予知するか」の研究調査が紹介されている。それによると、アマガエルが鳴いた翌日に雨が降った確率は約36%。いっぽうアマガエルが鳴かなったにもかかわらず翌日雨が降った確率は11%だった。
さらに、もうひとつ残念な「反証」がある。
「カエルが鳴くと雨が降る」を国民的伝承として定着させる立役者となったのは、おそらく「ちゃっきり節」の各節のエンディングでリフレーンされる ♪きゃあるが鳴くんで雨ずらよ だと思われるが、作詞をした北原白秋がカエルの鳴き声を聞いて着想を得たのは、農の営みがスタートアップする節目となる「穀雨」の時期ではなく、調べてみると、なんとイネの刈り入れがとうに終わった晩秋だったのだ。
その経緯はこうである。
今から100年近くも前の1927(昭和2)年、地元の静岡電鉄が、阪急電車の宝塚を模範にして、大飛行塔やお猿電車などのアトラクション施設、動物園・植物園、レストラン、温泉ホテルを併設した当時の日本では珍しかった複合レジャーランドを計画、そのPRソングの作詞者に北原白秋を起用。
しかし、詩想を練るべくご当地へとやってきた白秋は、徳川最後の将軍・慶喜が大政奉還後に住まいとしていた料亭で大歓待をうけながら、さっぱり筆をとらない。逗留はひと月に及び、業をにやした静岡電鉄がキャンセルを検討し始めた矢先だった。白秋が遊郭の2階で夕刻から酒を飲んでいたところ、芸者が窓を開けるなり、地の言葉でつぶやいた。
「きゃあろが鳴くんで、雨ずらよ」
これを耳にした白秋は、やおら原稿用紙に向かうと、一晩で一気に30番までを書き上げ、約束を果たしたのである。
いやはや、カエルが鳴いても雨が降るとは限らず、カエルが鳴くのも春から初夏にかけてとは限らない!?
そうなると、
「カエルが鳴くと雨がふる→それを合図に農民は田植えに向けて代かきを始める→だからわが日本ではカエルの鳴き声を愛でる唄が数多く生まれた」
という、わが自信の立論は、もろくもくずれてしまうではないか。
さて弱った、困った。
次回では、今一度スタートラインに立ち戻って、カエルの唄と農とのつれ具合について検証し直そう。
(この項つづく)
著者:前田 和男(ノンフィクション作家)
1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。近著に『昭和 街場のはやり歌』(彩流社)。
*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌では3回分を一部要約してお届けします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?