声優業界で、上手くいくと思ったのですか?
答:はい。十分なチャンスがあると思いました。一般の人たちによく知られていない世界です。根拠の分からない権威やヒエラルキーがあります。声優の力を借りたいお客さん(クライアント)はお金を払った上、業界独自のルールに従わなければなりません。面倒なことが多いんです。その面倒を何とかすれば、やっていけるんじゃないのか。今回は、私がこのような直観を得られたエピソードを紹介します。
前回の記事でお話した通り、webコンテンツを作るベンチャー企業で働いていた頃のことです。私は初めて"声優"の世界に触れました。当時はいくつかのプロジェクトに足を突っ込んでいましたが、その中に新人アイドル声優を起用したソーシャルゲームがありました。アイドルマスターのシンデレラガールズがヒットし始めたころで、新人声優を絡めてゲームからライブに水平展開してゆこうという、当時は雨後の筍のように乱立していたサービスの一つです。ある日、この作品のプロデューサーである同僚の先輩に「"打ち入り(プロジェクトをスタートする時に実施される宴席)"をやるから、一緒に行かないか」と声を掛けられます。私はアシスタントとしてついていくことになりました。
連れられて来たのは、新宿駅の新南口にあるラウンジ?一人ではとても訪れる機会のなさそうな、きらびやかなお店です。ギラギラした内装の広いフロアには、大きなテーブルが二つありました。既にあらかたセットされており、代理店の方が席へ案内してくれます。プロデューサーは、奥のテーブルの中央に案内されました。彼を取り囲むように、出演者の若い女性声優が4~5人ずつ左右に席を占めます。私はもう一つのテーブルに通されました。中央の席には音響監督と呼ばれる方がいます。その方を囲むように、スーツを着た若い男性たちが大人しく座っていました。後で知ったのですが、この若い男性たちは、女性声優たちのマネージャーだそうです。
向こうのテーブルからは、プロデューサーと女性声優たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきます。こちらのテーブルでは、マネージャーの若い人たちが音響監督にお酌をし、タバコを取り出せばスッと火を付ける。実に甲斐甲斐しく接待をしていました。代理店の方は両テーブルを往復し、音響監督やプロデューサーに絶えず気を遣っています。私はテーブルの隅の方で、ミキサーの方と音響機材の話をしながらビールを飲んでいました。実に気楽です。
私は、初めて触れる異文化を好奇の目で眺めていました。プロデューサーだった同僚は声優の世界に詳しかったので、帰り道に色々と教えて貰えました。どうやら、純全たるヒエラルキーがあるようです。一番偉いのは、音響監督。キャスティングの権限があるので、新人声優を売り込みたい声優プロダクションのマネージャーは絶対服従です。睨まれると仕事を貰えません。代理店も音響監督に忖度します。あちこちに引っ張りだこの人気声優を連れてくるには、音響監督の力が必要です。人気声優も昔から使ってくれた監督に恩があり、所属事務所も別の新人を使ってもらうために付き合いを大切にします。こうして、当時は音響監督と呼ばれるポジションの方に権力が集中するという構造がありました。
ふむふむ、なるほど…と殊勝に耳を傾けていたのも束の間。「なんじゃそりゃ」と、さすがに耳を疑いました。この宴会の費用を全額、私たちの会社が負担していると聞いたのです。音声を導入するためにお金を払っている、つまり客側である我々が代理店に接待されているのか、もしくは全員会費制のようなカジュアルな集まりだと思っていました。そうではなく、本来は雇われてサービスを提供する側の方が、私たちに接待されている。この偉い人の機嫌を取らなければ、仕事が前に進まない仕組みなのでしょうか。
けしからん、と抗議をするような正義漢では、私はありませんでした。所詮は自分のお金ではなく、会社の判断で拠出された会社の金です。プロデューサーになって女の子にちやほやされたいとか、音響監督になって人の金で飲みながらふんぞり返りたいとも思いませんでした。一番に感じたのは「え?こんないい加減なやり方で、仕事になるのか」。皮肉ではありません、新たな発見です。
もしこの時、すごく行き届いたサービスが提供され、客として100%満足させられる仕事を目の当たりにしてしまったら。私は何の疑問もなく宴会を楽しみ、ビールを味わい、帰宅して布団に入っていたと思います。声優の世界に参入しようだなんて微塵も考えなかったはずです。仮に参入しても、隙がありません。一方で、自らの慣習を優先して客を蔑ろにすることが横行しているとすれば。この世界では、客を満足させるサービスが十分に提供されていない可能性があります。上手くいくだろう、という確信を得ました。業界のことをよく知る前に、客(クライアント)の目線で見られて幸運でした。
伝統的な力関係を守り、優れた芸術作品を提供し続ける、という考え方もあると思います。客に媚びるなんてとんでもない。そこに畏敬の念を感じるお客さんもいらっしゃるでしょう。特殊な慣習も納得してくれるはず。しかし私は、この仕事を"サービス業"にしたいと考えました。お客さんが望むサービスを提供し、対価を得る。お客さんを第一に考える、当たり前のサービス業が出来ないかと考えたのです。もちろん、声優やクリエーターであるスタッフにも尊厳があります。そこは死守します。お客さんの言うことを何でも聞けというわけではない。そのバランスを考え、両者の間で対話を続けてゆくことが、私のような者の仕事なのです。
何だか偉いと言われる人はいる。そこに威光を感じる人もいれば、面倒だなと思う人もいる。私は断然に後者です。同じような後者の人たちと、これからも一緒に仕事をしてゆきたいです。外からの目線が大事。周りの人たちと話をして、少しずつ変えてゆきます。
例えば挨拶。声優の世界には昼でも夜でも「おはようございます」という習慣があるようなのです。新人声優の方がお昼過ぎの収録現場にやって来て、立ち会いに訪れていたお客さんに「おはようございます!」と元気よく挨拶する。これはよくないな、と思っています。他のキャストやスタッフ、現場の人間であれば構いません。内輪ですから。しかし、立ち会いに来られているお客さんは外の世界の人たちです。朝でもないのに「おはようございます」という挨拶は一般的ではありません。狭い世界の慣習です。その慣習を外の世界の人に、ましてやお客さんに押し付けるなど言語道断。失礼な振る舞いなのです。音響監督や声優の先輩を優先し、お客さん(クライアント)を蔑ろしてはいけない。気を付けたいです。(実際には「おはようございまーす」と挨拶をされると、つい「おはようございまーす」と返してしまうのですが・・・)
私は"声優"と呼ばれる人たちが、特別な存在でなくなればよいと思っています。子供たちの憧れの存在だったり、好奇の目で見られたりしていますが、もっと普通の存在になればいい。キラキラしなくていい。地方の飲み屋で"声優です"と言えば、「へーそうなんだ」と無視されるくらいに。"音響監督"や"マネージャー"も、プロジェクトや事業の役割分担を示す言葉で、偉いも何もない。憧れの対象になるということはつまり、よく知られていないということです。どういう社会で生きて、どういう生活をしているのか。専門学校や養成所を作って若い人の将来にレールを敷いているのに、それはまずい。もっと世の中に、この世界の実情を知ってもらうことが大切だと思います。私の記事もその一端を担えたら、と。
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