"逃げる"手段で選んだ大学進学①
いつだったか...。
父親が居ないことを実感したのは。
中学一年生の時、体育の授業でソフトボールをすることになった。
2人一組のストレッチを終え、"肩慣らし"で始めたはずのキャッチボール。
そこには、上手くボールを投げられない自分がいた。
「なぜ、皆んな授業で習ったこともないキャッチボールが当たり前に出来ているのか」
そんな僕の質問に、首をかしげながらクラスメイトは答えた。
「小さい時、お父さんや兄弟とやらなかったの?」
休日、クラスメイトの家に遊びに行った後、自宅に帰って来て感じる違和感の正体が分かった気がした。
そうだ、僕にはその経験が無かったんだ。
僕には、父親が居ない。
兄弟も、居ない。
帰ったら、家にはいつも誰も居なかった。
その日から、お隣さんの壁がキャッチボールの練習相手になった。
何故、僕には父親が居ないのか。
その理由を家族に聞くことは出来なかった。
聞けるような関係性すら無かったように思えた。
僕の家族は、自宅に母が一人。
少し離れた場所にある本家には、祖父母と叔母の家族が住んでいる。
母子家庭だった為、母は殆ど家にいなかった。
「今日からお父さん」という人も1人居たが、気付いたら居なくなっていた。
何を会話したのかも、特に覚えていない。
実家での思い出なんて、殆ど無かった。
むしろ夕食の時間になると本家に行き、祖父母や叔母夫妻、従姉妹たちと食卓を囲んだものだから、
そっちの方が本当の家族なのでは?と思うほどだった。
特に祖父母には、色んなところに連れてって貰った。
女系家族だったので、初孫の男子である僕は特に祖父に可愛がられた。
従姉妹の2人姉妹とも小さい頃はいつも一緒にいたから、近所の人にはよく三人兄弟だと思われていた。
当時は身体も貧弱で、それを見兼ねた学習塾の先生が中学二年生の時に筋トレを教えてくれた。
その筋トレは30代中盤に差し掛かった今でも欠かさず毎日行っている。
受験生になった僕は、母から呪文の様に言われていた地元進学高校の普通科を当然の様に受験し、合格した。
高1からは心身を鍛える為、地元の空手道場に通うようになり、大学受験を見越した学習塾にも通い始めた。
夏は地元スーパーで惣菜売りのアルバイトをした。
淡々と過ぎていく高校生活。
筋トレと、空手、ちょっとした夜遊びが生き甲斐。
家に帰れば母から『国公立大学の医学部か、それがダメなら有名私立の法学部に行き、将来は医者か弁護士になりなさい』と呪文の様に言われるのが嫌だった。
その反動なのか、週末には年の離れた先輩の車に乗って県内有数の繁華街に遊びに行ったものだ。
母は短大卒だったので学歴にコンプレックスがあり、それを僕に押し付けていた感があった。
親や先生を黙らせる為、一応、全国模試では上位にラインクインこそしていたが、生活態度はひどく、内申点はお世辞にも良いとは言えなかった。
一刻も早く、この家から抜け出したい。
そんな気持ちが日に日に強くなった高三の秋。
今まで張り詰めていたものが、プツンと切れる音がした。
受験勉強や学校生活、その他諸々が全て面倒になった。
とは言え、進学せず就職となれば地元に残り、実家で毎日を過ごさなければならない。
と、なると残る選択肢は一つしかなかった。