見出し画像

4、いよいよ支局へ  ⑤先輩が入院!! 近所で殺人事件!!

4、いよいよ支局へ  ⑤先輩が入院!! 近所で殺人事件!!

支局には、本当に楽しい思い出が沢山ある。
その一方で、苦しい事も次々に起きた。特に、この2件は、本当に辛かった。決して忘れる事はない。

産経新聞社多摩支局には、昭和末期、基本的に兵隊と呼ばれる若い記者は3人しかいなかった。そして、毎日仕上げる多摩版・武蔵野版の新聞紙面は、見開きの二面。それはそれは、毎日はとんでもなく大変で、走り回ってネタ探しをしていた。しかも、私は多摩地区の中でも街ネタが多いはずの武蔵野地区を担当していたから、余計にプレッシャーがあった。3交代で多摩版トップ記事を書くより、頻度は高かった。結構、これが毎日プレッシャーであり、それこそ「手ぶらでコースケさんを帰らす訳にはいかない」ではないが、手ぶらで、支局に上がれない状態だった。
さらに悲劇は起きた。立川方面など、多摩地区の比較的中央部分を担当していたK先輩が、倒れて入院してしまった。支局に私が行って3カ月ほど経った時だったろうか。K先輩は中途採用の先輩でもあり、年齢的にも30代半ばを越えていたように記憶する。なので、その存在は、デスクの下のキャップ並みに、頼りになるものであった。本社と違って、色濃いライター陣のオバサマ方、一筋縄ではいかない通信員のオジサマ、若いパンチャーなど、実に種々雑多な人間がいる中間管理職的な役割を果たしていた。プロ野球の巨人軍が大好きで、勝つとゴキゲンだった。息子さんは、真剣に甲子園を目指すほど、野球が上手だった。いわゆる越境もして、てっぺんを目指したが、かなわなかった。
そんなK先輩、結局、手術も必要になってしまい、1カ月前後は不在の時間が続いた。

これがまた、しんどかった。この期間は、まさに自転車操業。Hと私の新人2人で、ほぼ毎日、多摩版のトップを書き続けた。KのエリアはHがカバーした。が、ネタが溢れ出てくる地域でもないので、このK不在時間は、本当に支局時代でも、苦しい時期だった。

事件でも、悲しい発生があった。小学校6年生の少女が同じマンションに住む20歳の青年に殺害されてた。いたずら目的だった様子だが、騒がれてしまい、手を染めてしまった。本当に少女や、少女のご両親の気持ちを思うと、無念でならない。捜査本部は調布警察署に置かれ、社会部の警視庁捜査一課担当、サブも出動して来た。
このような際には、指示系統が2つになってしまい、兵隊は混乱しがちだが、支局のKデスクと、警視庁髪の毛ペッタリOサブの連携は素晴らしかった。
こうした大きな事件は、多摩地区でも警視庁チームにカバーされる。この時も、Oが前線指揮を取ったように記憶する。
多摩地区は、第8方面として位置づけられている。支局を出る時も、必ず警電を入れていた。

この事件、逮捕まで実家で待機が多かった。発生から数日は、現場で待機だったが。そして、パトカーのサイレンが鳴ると、家を飛び出し、自転車で現場に駆け付けた。捜査本部が置かれた警察署にも自転車で乗り付けた。

驚いた事に、悲しい事件現場は、実家からとても近いところで起きてしまったのだった。支局にいると、自分の住まいもその管内にあるので、このような事例はままあるのだろうとは思う。

今でも、そのマンションの前を通るたびに、事件を思い出す。
小学校6年生だった少女。
今も元気に生きていたら、小学生の母親だっただろうなぁ。

支局時代、窃盗、詐欺、老人ホームの火災など様々な事件を担当した。
が、発生して、担当した殺人事件は、本件が最初で最後だった。

<写真キャプション>
殺人事件の記事の写真にも、びっしり個人名なので、おもいで深い井の頭公園の動物園の飼育担当“おやじ”の記事。

いいなと思ったら応援しよう!