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その人の未来にお金を払う

引っ越し前に住んでいた岡山県真庭市。
そこのスーパーに並ぶ野菜は、
生産者名が知人のことが度々あった。
そのとき、少し値段が高くても
知らない人が作った野菜よりも、
知人がつくったものを食べたいと思った。
何よりわずかな金額でも、
その人の応援になると思うと
気持ちよくお金を使えた。

私の支払うお金が、
その人が新しく
野菜をつくる上での資金になり、
また美味しい食べ物を
口にすることができる。
これは、何かを買うために
お金を支払うというより
循環させることのように感じた。

これは「買う」という行為で
とてもインパクトのあることだった。
それまで私が何かを買うとき
相手は知らない人
というのが基本だったため、
なるべく安さなど
条件がいいものを購入していた。
だけど、何かを買うという行為は、
その人の未来に対して
支払う行為でもあるのだなとわかった。

それ以来、通常の買い物のときも
どれを買うか迷うときは、
多少の金額の差よりも
その企業を応援できるかどうか
という視点も加わった。

そして、現在、
他人のnoteを購入したり、
メールマガジンを購読したり、
お芝居を観に行ったりするのも
基本は、この応援したいかどうか
という気持ちの有無が大きい。

例えば、応援したい人なら
お芝居のチケットを買って
完全に自分の好みじゃなくても構わない。
その人自体、
もしくは、その人の生み出すものに
惹かれるものがあるがあるならば、
お金を払うには、十分な理由になる。

その人の中に
きらりと光るものを感じるので、
未来の可能性込みで
支払ったと思っているから。

そういう風に
何かにお金を払うことを捉えると
見えてくる世界がぐっと変わる。

応援には、様々な形があり、
出せる金額には限りがあるけれど、
やっぱり実際に何かを購入しての応援は
創り手にとっては、
最も大きなモチベーションの
一つになると思う。

応援したい人たちがたくさんいるので、
奈良からでもできることとして
私はもっと稼いで、
どんどん演劇や芸術の世界に
循環させていきたい。

そうして、未来に素敵な作品が
たくさん生まれるのを想像すると
とてもわくわくする。

ブランド品を買うよりも
高価なホテルに泊まるよりも
いいなと思う人たちが
心躍るような何かを
生み出す姿を観ていたいなと思う。




サポートしてくださったお金は、観劇や交通費に使います。その刺激を、新しい創作や芸術作品の届け方のアイディアづくりに生かしていきます。