ピアノへの憧れ -私のピアノ歴- 4
高校入学と同時に帰国しました。これで念願のピアノが弾けるはずでしたが、すぐにピアノを再開する元気はありませんでした。中学時代は非常に過酷な生活をしていたので疲れ切っていた上、編入試験から高校入学まで数日しかなかったため休む暇もないまま、今までとは全く違う環境に放り込まれたからです。以前日本で住んでいた所から遠く離れた地域の高校に行くことになったので、慣れるまでそれは大変でした。
それに中学時代ピアノを弾いていなくて指がなまっていたので、もしすぐに習いに行ったらバイエルからやり直しさせられるのではないかと思いました(おそらくそんなことはないと今ならわかりますが、当時はブランク後に再開した人の話を聞いたことがなかったので…)。だから習う前に少し勘を取り戻そうと思って、小学生の時弾いていた曲を時々弾いてみたりしていました。とは言えきちんとピアノをやっているとは言い難いまま、半年ほどが過ぎました。
高1の秋に、ようやくピアノのレッスンを再開しました。ところが小学生の時からあった薬害の症状がこの時期に一気に進み、指に力が入らず、開かず、正常に動かせないのが酷くなってしまいました。ピアノどころか日常生活もままならなくなり、字を書くことや箸を使うことも難しくなりました。
この時はそれが薬害のせいだとは気づかず、成長期にピアノを一旦やめて突然再開したせいだと思いました。実は元々、小学生の時母に「あんたはピアノの弾き方がおかしいから(=指を伸ばして弾いてるから)、もう指がおかしくなって直そうとしても直らない」と怒られたことがあったため、自分の指がピアノでおかしくなったと中学生の時から信じ込んでいたのです。「変な弾き方のせいで」おかしくなっていた指に3年のブランク後の再開は負担が大きすぎたのだ、と絶望的な気持ちになりました。
親戚には「海外から帰国して突然手の使い方が変わったんだから、変になるのは当たり前だ」と言われました。私もそれも理由の一つだと思い、高校がいわゆる帰国子女受け入れ校ではなかったから手に負担がかかっておかしくなった(=日本語を書くなどの動作に徐々に慣らすのではなく、いきなり一日中やらされたのが良くなかった)と思い込みました。
鍵盤がうまく押さえられないのをなんとかしたくて、机の上などで正しいフォームで指を動かす自己流のトレーニングをしました。ところがそのトレーニングをした時期が薬害の症状がどんどん進む時期とたまたま重なったので、私は「変なトレーニングをしたせいでますます手がおかしくなった」と思い込んでしまいました。この頃は利き手の右手だけ症状がひどく、左手はまだそれほどひどくなかったのですが、これについては「右手の方が器用だからトレーニングに敏感に反応したんだ」と思いました。実際は、薬を右手で塗ることが多かったので右手の方が薬の影響を強く受けただけなのですが…。
練習しなければとピアノの前に座ってもどうやって鍵盤を押さえればいいかわからず、途方に暮れる日々でした。無理に押さえたらますます指が変になりそうで怖くて、何も弾かないままピアノの蓋を閉じることが続きました。
そんなことをしていても苦痛なだけなので、私は家でピアノに向かわなくなりました。当然レッスンでは何も弾けず、いつも先生をイライラさせていました。練習しない本当の理由は恥ずかしくて言えませんでした。変なトレーニングをして自分で自分の指をおかしくしたと、その時は思いこんでいたので。