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英語ができなかった帰国子女~親や周りの協力がなかった私の場合 ⑬

もし私が、英語力に関係なくできる体育や芸術科目が得意だったなら、そこで認められて少しは自尊心を保てたのかも知れません。ですがあいにく私は運動が苦手です(薬害で幼少期から全身の筋力が低下しているせいもありますが、恐らく元々運動音痴なのだと思います)。

芸術科目は、1年目は音楽と美術を自動的に取らされましたが、英語が何もわからなかったのでボロボロでした。

2年目は吹奏楽のクラスを取りましたが、私は薬害で口の筋肉も正常に機能していなかったので(当時は自覚していなかった)、希望した楽器でどうしても音が出せませんでした。同じ楽器を希望した子はみんな音が出て全員その楽器になったのに、私だけ先生に「他の楽器の方がいいかも」と言われ、辛うじて音が出た別の楽器になりました。その別の楽器も、音は何とか出せても、やはり口の筋力低下でうまく吹けませんでした。そのことでも他の日本人の子から馬鹿にされましたし、「あの子って何をやらせてもダメだね~」という目で見られました。

余談ですが、大人になって薬害の症状が一時的に小康状態になった時、私はその最初に希望した楽器を教室で習い、アンサンブルでも吹いていました。その時は最初からすぐに音が出たし、大して練習しなかった割にはそれなりに上達しました。つまり中学時代吹奏楽で苦戦したのは、完全に薬害のせいだったことになります。

インターの話に戻ります。どこのインターでもそうなのかはわかりませんが、私が行っていた所では英語力が全てという雰囲気がありました。英語力で学力が決まるのは当然として、非英語圏出身の場合は人間性も英語力の高さで測られる傾向があるように感じました。ですから、英語ができない私は酷い劣等生で怠け者のダメ人間という扱いを受けていました。

勉強でも学校きっての劣等生、運動も楽器もダメ、人間性もダメ。何かで認められたことが、海外時代は一度もありません。

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