「このままじゃ小卒」宣言→校内きっての劣等生→高校に行けないかも!→お情けで高校に入れた帰国子女 後編
校内きっての劣等生として惨めな中学時代を送り、心身共に傷つきボロボロになっている中、日本の高校の帰国子女入試を受けました。受けたのは1校だけで、父がいずれ帰ることになっていた地域にある学校を、入寮希望で受験しました。
事前に学校側から聞かされていた入試についての説明は、事実と少し違っていました。でも、親も私もその説明を真に受けてしまいました。辺鄙な所に住んでいて日本語補習校や日本人向けの塾に通えなかったし、ネットが無い時代だったので、日本の受験の情報が何もなかったんです。
それで、学力試験以外の対策を何もせずに受けました。その結果、学力試験の結果は良かったのに別の理由で「自宅通学希望なら合格だったんですが、あなたは入寮希望なので不合格です」と言われて落ちました。
唯一受けた高校を落ちた私は、「高校に行けないじゃないか!」と親に怒鳴られました。同じ学校のみんなはそのままインターのハイスクールに残るので、高校を受験する必要はありません。高校受験をしたのは私を含めた日本人3人だけで、落ちたのは私一人でした。3人はそれぞれ違う地域の学校を受けましたが、他の2人は有名な高校に合格しました。対して私は「父の赴任終了と同時に高校を中退しなければならないかも」という状況に…。
一人だけ入試に失敗した私は、みんなから冷ややかな目で見られました。なんてったって私は校内きっての落ちこぼれでしたから、「やっぱり。どうせろくに勉強しないで受けたんだろう」と思われてたんでしょうね。勉強は、もはや立派な病人と言えるくらい弱ってる体に鞭を打ってかなり頑張ったんですけどね。まさかそれ以外の理由で落とされるなんて…。
結局、親戚宅から通える所にある中高一貫の学校を、学校に頭を下げて受験させてもらいました。その学校は転校生の受け入れもあまりしておらず、まして帰国子女なんて本当は受け入れたくなかったと思いますが、特例という感じで入れて頂きました。と言ってもちゃんと通常の編入試験を受けて、良い成績を取れたのですが、私としては「本当は自分は高校に行ける人材ではないのに、特殊なルートでお情けで入れてもらった」という気分でした。
高校では虐められたりすることはありませんでしたが、どうしても私は異端の存在で、他の生徒とは違うよそ者という感じになってしまいました。自分は本当はこの学校にいるべきでない存在だ、といつも感じていました。本来私のような生徒は入らない学校だったので。
しかも私はそれまで、特に中学時代にあまりに異常な生活をしていたので、他の生徒と全く話が合いませんでした。他の子は比較的裕福な家庭の子が多かったし、都会生活が長くて、そしてみんな同じ学校で中学生活を送ってきている。対して、私は小学生の時もド田舎に住んでたし、中学時代は本当に何もない辺鄙な所、自分に理解できるテレビや本や雑誌もなく言葉も通じない所で、ろくに人と会話もせずに過ごした。生きてきた世界があまりに違いすぎて、共通のものがほとんど無かったんです。
しかも私は高校に入って間もなく薬害による手の症状が悪化し、字を書くことを含め、手を使うことすべてが普通にできなくなりました。でも当時はその原因がわからず(今でも病院では正しい診断が受けられません)、自己流のリハビリに毎日追われ、いつも手の事ばかり考える生活をしなければなりませんでした。
勉強だの何だのと言う前に、まず字を書く練習が必要でした。不自由な手ならではの字の書き方を身につける必要があったんです。授業中のノート取りもテストで答案を書くのもとても大変で、毎日が苦行でした。
勉強以外でも、手が普通に動かないとなるとできることはかなり限られます。でもそんな悩みを抱えている子は周りにはおそらくいなくて、裕福な家庭の子が多かっただけにほとんどの子が趣味などを伸び伸び楽しんでいたので、私はますます孤独を感じました。
本当は私は高校時代、ピアノを練習したかったです。中学時代薬害で挫折したフルートにも再挑戦してみたかったです。学校に吹奏楽部はなかったので、個人で。でも手が動かしづらくて日常生活すらままならず、とても楽器どころではありませんでした。学校にはピアノを高校まで続けている子が多く、フルートを習っていた子も私が知っているだけでも何人もいました(普通科の高校です。念のため)。私が望んでも望んでも手に入れられないものを当たり前に持っている子達に囲まれての高校生活。私は孤独に手のリハビリに励む毎日…。
そんなわけで、中学高校と特殊な存在として過ごしました。多感な時期にこれはかなりきつかったです。しかも私、幼児期からのトラウマ持ちなのに。
「本当は私はこの学校にいるべきでない存在だ」と感じなくて済む青春時代を送ってみたかったです。あと、中学でも高校でも、環境や薬害のせいで趣味や部活に打ち込む経験ができなかったのも悲しいです。私の青春時代はちょっと色々特殊過ぎたと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。