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雑草考 侵略者あつかいされてる植物も本当は慎ましいのです @セイタカアワダチソウの場合


セイタカアワダチソウの歴史

最初は園芸種として

明治中期に観賞用に導入されたのが初めとされていますが、これは正確にはオオアワダチソウといってセイタカアワダチソウとは別の品種です。
偶に背の低いセイタカアワダチソウみたいな植物が早くも初夏に花を咲かせていることがありますが、葉を触ってみるとザラザラしないので、それがオオアワダチソウなんだろうと勝手に思っています。
この種はあまり群生せず、花も美しいので野生化してからもあまり冷遇はされなかったようです。

オオアワダチソウ?端に写っているセイタカアワダチソウの葉とは明らかに違う葉を持ち初夏に花が咲いている

嫌われ者になったのは高度成長期

昭和40年代、東京砂漠ではブタクサと一派ひとからげにされて、セイタカアワダチソウの増殖が俄かに社会問題となったことは、当時小学生だった私もよく覚えています。
既に帰化していたオオアワダチソウより背が高くなるのでセイタカアワダチソウ。
埋立地に大群生して綿毛が舞い上がる映像がテレビに映し出されていましたが、あの頃にセイタカアワダチソウ=ブタクサという誤解が生まれて、セイタカアワダチソウにアレルゲンであるという濡れ衣が長らく着せられることになりました。
セイタカアワダチソウがどのように日本に持ち込まれたかについては、進駐軍が本国から運び込んだ物資に付いて来たというのが有力なようです。
終戦から20年以上が経ち、一見して生活には戦争の影は何も見えないように思っていましたが、小学1年生の冬には援助物資の最後の脱脂粉乳を飲まされ、そんな物資に付いて来たセイタカアワダチソウが埋立地に活路を見出して大群生し始めたのですから、太平洋戦争はまだ私たちの暮らしに影を落としていたわけです。
それから50年ほど、セイタカアワダチソウはいわれなき誹謗中傷を浴び続けながら日本中に勢力を拡大していきました。
令和の時代になって、セイタカアワダチソウはアレルゲンではないということが広く知られるようになり、みつばちの越冬前の大切な栄養源として、化粧品やエステ材料の原料として、掌返しの「いいね!」をもらえる事態になっています。

大群生させたのは人間

耕作放棄でススキがもどった

セイタカアワダチソウが優勢となったことでススキが減ったと言われています。
面白いことに、私の住んでいる島では耕作放棄地でススキが反転攻勢をかけています。
何が言いたいかというと、人間が何もしなければセイタカアワダチソウは劣勢になるんじゃないかってことです。

人為的攪乱

生態学でいう攪乱というのは、普段使う攪乱という言葉からはあまりピンとこない用語で、生態系のバランスを壊す現象を「攪乱」と言います。
火山の噴火の後は草の根一つ無くなります。山火事の後、地上部には生物は見られなくなります。他にも洪水、山崩れなど、自然現象によっても攪乱は起こりますが、人間の行為によっても数々の攪乱が起こります。
例えば開発、道路建設、伐採、埋め立て、有害物質汚染などです。
昭和40年代にセイタカアワダチソウが大発生した東京湾の埋め立て地は、人為的攪乱により生み出されたものと考えます。他の植物が何もない状態というのがセイタカアワダチソウにとっては生きやすいようなのです。

除草も時と方法を誤るとセイタカアワダチソウの味方

里山が生物多様性の宝庫であったのは、人為的攪乱を程よく行ってきたからと言われています。
程よいのだから攪乱ではないのではないかと私は思います。
農耕や林業という人の営みは季節や生育に合わせて、経験則とはいえ合理的に生態系を保持してきました。
でも、経験則を軽んじて利潤のために好き勝手に振る舞い、自分たちが販売できるもの以外の命をぞんざいに扱い始めてしまえば、それはやはり攪乱です。
イケイケドンドンだった頃の日本はそんな感じでした。
いまだに自社の利益のことしか考えていないかのような企業は存在します。
脱線しました。
程よい人為的攪乱の例として、除草作業があります。
日本の農業は基本稲作ですから、水田の作業スケジュールに除草作業も組み込まれています。毎年ほぼ決まったスケジュールで除草が行われてきました。
これも近年は休耕田が増えて決まったスケジュールで除草する必要がなくなり、さらに除草すら誰もしなくなって耕作放棄地と呼ばれる土地が増えました。
耕作放棄地は悪であると思われがちですが、生物多様性に限って言えば休耕田の方が貧困だったりします。先に述べたように耕作放棄地ではススキが戻ってきたのです。
休耕田がセイタカアワダチソウに覆いつくされている姿はどこにでも見られる風景でした。
春から夏、セイタカアワダチソウはグングン伸びていきます。真面目な人は春から除草に励んでいましたが、結局また生えてきて秋には休耕田が真っ黄色に染まってしまいます。
春の除草は意味ないわ、秋にやろうということになるのですが、秋は秋で稲刈りで忙しいし雨もよく降るので、気が付くとセイタカアワダチソウの黄色い花は種になってしまっています。
その段階で除草するものだから、綿毛が舞い上がって風に吹かれて飛んでいきます。
セイタカアワダチソウの綿毛は風に吹かれたぐらいでは飛ばないのですが、刈払い機で倒していくと激しく揺すられて舞い上がります。
こうなると駆除してるんだか広げているんだかわかりませんね。アレルゲンだとまだ信じられていた時代ですから、近所から苦情も来ます。
こらアホらしい、枯れるまで置いておこうということになります。
冬が来て、いくらなんでもそろそろ刈っておこうと枯れたセイタカアワダチソウを刈ります。
ところが冬の草刈りは気を付けないと、越年草やすでに芽吹いている春の草まで刈ってしまいます。
セイタカアワダチソウにとってみれば、他の植物を駆除してもらって生育しやすい状況を作ってもらってるんだから「ありがとう」なんじゃないですかね。
そしてまた来る春にセイタカアワダチソウは、他の植物が成長する前に田んぼを埋め尽くすことができるというわけです。
下手に除草するくらいなら何もしない方がマシ、ということは耕作放棄地が物語っています。

右にセイタカアワダチソウ、左奥にススキ、左手前はチガヤ


だからって放棄もできない

耕作放棄地を田んぼに戻す苦難

東京から移住して自然農を始めたKさん、地域のお年寄りに知恵や道具を借りながら農業経営を軌道に乗せ、若い農業者として彼らの信頼も得ています。
去年、Kさんが作りすぎて植えるところがない苗を廃棄しようとしたところ、近所のおばあちゃんが「もったいないから、うちの田んぼ使って」と言ってくれたのですが、おばあちゃんの田んぼは除草もしてない耕作放棄地でした。
田んぼにはセイタカアワダチソウとススキが繁茂。
大変だったのはセイタカアワダチソウではなくススキの駆除だったそうです。
セイタカアワダチソウは簡単に抜けるけど、ススキの根は手ごわかったとか。
スポーツウーマンのKさんはやりきっちゃいましたけど、そうとう大変だったと思います。

イノシシの隠れ場所

島の北部には鹿はいませんが、イノシシの被害には苦しめられていて
電気防護柵は必須です。
イノシシは夜行性で、昼間は姿を現さないものなんですが、人の背丈ほどにもなるセイタカアワダチソウの茂る休耕田では昼間でも歩いていたりします。
畔を歩いていたらガサゴソと音がしてうなり声が聞こえたとか、うっかり出くわしたという話を聞きます。
我が家のの裏の田んぼがセイタカアワダチソウで埋め尽くされていた頃には、ベランダから見下ろすとセイタカアワダチソウの中をイノシシが縦横無尽に走り回っているのが見えました。
人間が餌を作ってくれている田んぼの近くにいい隠れ場所があると、夜の出勤には好都合でしょうね。
電気防護柵も完ぺきではなくて、稲のイノシシ被害は毎年あります。
我が家の裏の田んぼは一年に一度除草されていた頃はセイタカアワダチソウで埋まっていましたが、その後放棄されると次は笹薮になりました。
笹薮でも同じようにイノシシが隠れながら歩いていました。
耕作放棄して植相が変わったとしても他の丈の高い植物が繁茂してしまうと都合の悪い生物もやって来てしまいます。

多様性保全が解決策

昔からやっていたことを見直す

除草という一見簡単で生産性のなさそうな作業ですが、いつやるのか、抜くのか刈るのか、どこまで刈るのか、奥が深くて、重要な作業です。
昔からやって来たことを「無駄だ」とか「エビデンスが無い」だとか馬鹿にする人もいますが、長い経験のなかで「やめると悪影響が出る」から続けられてきたのだと私は思います。
地域によって自然環境も作る作物も違います。
科学的などという呪文に騙されて画一的な方法に従う前に、この地域で行われてきたことを今一度見直す必要があるんじゃないでしょうか。
それを知る人も少なくなっています。今80歳代の方たちにとっても子供のころの記憶になってきました。
文章や映像で残っている部分もあるでしょうが、各地域の生の話を聞けるのは今が最後のチャンスかもしれません。

よそ者は先住者にはかなわない

今回はセイタカアワダチソウについて書きましたが、外来種は総じて在来種との競争は苦手なようです。
ベニバナボロギクというアフリカ原産の戦後帰化した植物があります。
普段は遠慮がちにひょろっと一株生えているのを偶に見るだけなのですが、大々的に伐採するといち早く出てきて繁茂します。他の植物が出てきていないと元気になるのです。

伐採地に現れたベニバナボロギク

同じような名前のダンドボロギクも北アメリカ原産の帰化種です。普通は群生はしないのですが、シカの食害で裸になった山にはおびただしく見られます。鹿はダンドボロギクが嫌いらしく食べません。

鹿の食害に悩む山に生えるダンドボロギク、周囲のハスノハカズラとヒオウギも鹿が食べない植物
里山にポツンと生えるダンドボロギク

偶々いい時にいい所へ来てしまったセイタカアワダチソウ

アメリカに占領されてアメリカ本国から運び込まれた物資についてやって来たと言われているセイタカアワダチソウですが、それが援助物資という性格上すぐに全国各地に運ばれて行ったと思われます。
そして、日本政府は人口を農村の一次産業から都市の2次産業へと意図的に誘導しました。
都市の臨海地帯は工業用地として埋め立てられ、既存種の存在しない土地をセイタカアワダチソウに提供しました。
若い担い手が減少した農村には省力化のために除草剤の散布を推奨しました。さらに農村人口の減少と減反政策は休耕田を増やしました。
都市部でも農村部でもセイタカアワダチソウが群生するお膳立てが整っていきました。
援助物資に付いて全国に広がったとしても、多様性の保たれた場所ではこんなにも優勢にはなれなかったでしょう。
まず埋立地や開発した更地にいち早く繁茂することができて定着し、後に多様性が衰えていった農村部でも優勢を誇るようになったのだと思います。

ひとり勝ちはありえない

自然界では特定の種が長期にわたってひとり勝ちするという事はありません。
人間社会においても「驕る平家は久しからずや」です。
2025年初頭の今は、かつて業界でひとり勝ちしていた企業が時代遅れなコンプライアンス意識を露呈させて窮地に立たされています。
人間の思いがけないアシストでひとり勝ちが長く続いたセイタカアワダチソウも、いずれは日本の風土の中で生きる生物の一員として慎ましやかに生きるようになるはずです。
それまでに、駆除するために良かれと思ってやってたけどかえって助長させていた行為は、もうやめた方がいいと思います。
この問題のみならず、生物多様性の保全に努めることが数々の問題を解決していくと信じています。


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