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陶芸家 野口悦士さんを訪ねて

こんにちは、のぶちかです。
さて久し振りのnoteは陶芸家、野口悦士さんについてです。

 私自身、修業時代から中里隆先生の種子島(焼き)が好きだったのですが、野口さんがその隆先生のお弟子さんであられたという事に加え、野口さん流の種子島(焼き締め)の雰囲気、そしてここ数年において変貌していく作品の魅力に強く惹かれ、去る3月某日、念願叶いようやく初訪窯させて頂きました。

 野口さんの作品はこれからJIBITAの常設としてラインナップさせて頂く事となり、2023年9月には初個展も開催予定ですので、ぜひこの記事が鑑賞の際の参考になれば嬉しいです。

◆手仕事への目覚め

鹿児島の工房にて

 学生時代は神奈川県に住んでいたという野口さん。
サーフィンを始めた事がきっかけでサーフボード作りにも興味がわき、最終的にはサーフボード工場でアルバイトを始める様に。

野口さん
「ボード作りはすごく職人仕事なんですよ。最後は手じゃないと。やっぱりその職人さんの考え方もありますけど、職人さんによって仕上がりが当然ちょっとずつ違ってたりして。そこが面白いなぁと思ってました。 
 人と対するというよりは対自分で作業している環境が好きでした。皆、爆音で好きな音楽を聴きながら黙々と作業する環境も。サーフィン好きが集まった工場だったので、どんなに忙しくても波が来ると昼間から仕事を中断して皆、サーフィンに行っちゃうんですよ。
 もう『最高だな!』と思って働いていました。」

イメージ

◆種子島へ

Question
 最初に種子島に行かれた理由は?

「3年間アルバイトした後、大学卒業後もその工場でサーフボードを作ろうかとも思いましたが、今度は天然素材でものを作れる焼物や木工などの伝統工芸的な仕事へ興味が向き始めたんです。そのタイミングで本で見た中里隆先生の種子島の作品に惹かれて種子島に決めました。
 で、もうひとつは種子島行ったらサーフィンしながら焼物の勉強ができるかな?みたいなそういうノリで行ってしまったと(笑)。もうその時は何も考えてないです。5年後も10年後の事も。ただサーフィンしながら陶芸勉強みたいな。
 で、行ってからどんどん焼物にハマっていくにつれ、海には行かなくなりました。種子島に住んでいながらサーフィンは全然しなくなっちゃったんですけど(笑)。」

鹿児島の工房にて

◆師 中里隆

 種子島で焼物を始めるも我流だった為、3年位経過した頃にはちゃんとした人に学びたいという気持ちが芽生え、陶芸を始めるきっかけであり陶芸家としてファンでもあった中里隆先生の門をたたく(2003年)。

 しかし「弟子はとりません」という回答から一度断られるが、その後は唐津へ招かれ短期間ほど手ほどきを受ける機会を得た事を皮切りに、隆先生がアメリカや岐阜など唐津以外で仕事をする時には連絡を頂ける様になり、助手としてついて行かせてもらったり、逆に隆先生が種子島に来られた際に一緒に仕事をして勉強させてもらったそう。

野口悦士 焼きしめ片口

野口さん
「住み込みで修業するみたいな内弟子ではないんですよ、僕は。でも師匠と思っていますので、隆先生の作品で好きな部分でもある口造りなどがどうしても似てしまう作品もあると思います。ただ、助手をさせて頂く様になる前に隆先生のファンになっていたので、最初は猿真似じゃないけど一生懸命に真似して作っていたので、やっぱりその名残はあるかもしれないです。」

◆KH Würtz(コーホー ヴューツ)

 野口さんは2016年に種子島を出た後、今度は以前から行きたかった北欧を目指します。デンマーク、スウェーデン、フィンランドと候補がある中、アーティスト・イン・レジデンスで受け入れてくれる所がデンマークにあった事から2017年にデンマークへ。
 その際、デンマークへ行ったら必ずここは行きたいと思っていたのが、陶芸スタジオ「Würtz」。
 Würtzはデンマーク・コペンハーゲンのレストラン「noma(ノーマ)※」でその器が採用された事をきっかけに世界的に有名になったスタジオですが、そこで生み出される器に以前から惹かれていた野口さんは早速Würtzを訪ねて行きます。

野口さん所有  Würtzの皿

野口さん
「Würtzさんを訪ねる時に一応メールをしたんですね。『僕は日本で焼物している者で…』って。そしたら日本の陶芸って結構リスペクトされてるところがあるみたいで、それだけの理由で受け入れてくれたと思っているんですけど(笑)。凄い歓迎してくれて、全部色んな所を見せてくれて。それで『せっかく来たんだからなんか作っていかないか?』みたいに言ってくれるから、30分位どんどんロクロまわして作ったらとても喜んでくれて。そしたら『あなたみたいな人が手伝ってくれたらなぁ』って言うので、『じゃあ来月、来ますよ』って(笑)。そんなノリでまた行く事になって。」

 その後、Würtzでは昼になんでも手伝うから、朝や晩、週末などは好きなものを作らせて欲しいという条件で受け入れてもらい、工房にある部屋、風呂トイレ、キッチンを借りて、近くのスーパーで買い物をして自炊。1回の滞在期間を約1か月半として2~3回/年のペースで2020年のコロナ前の頃までWürtzへ通う様になります。

野口さん
「Würtzですごく勉強になったのが、彼らもバリエーションが結構あるんですけど、基本的には土は1種類で釉も3つかな。白・黒・透明とか。それの組み合わせ方とかでバリエーションを出していて、それが凄いなって。て思ったら僕も今の土と電気窯でもやれる事はまだまだ無限にあるなって気付かせてもらって。すごく影響を受けています。」

野口悦士「白釉6寸平鉢」
美しいフォルムと釉調

Question
 海外は日本と違って自由というか、ロクロにしてもひき方が違ったりとにかく自由に形にしてくイメージを勝手に持っていますが、何か技法的な点で日本との違いを感じた事がありましたか?

「人にもよると思うんですけど、隆太窯でもそうでしたが僕達の中の基本が同じ形のものをがんがん作るというのに慣れていたのでそれが当たり前だったのが、アメリカだとみんな1点ものというかもっと言えば食器は作らないとか。でもデンマークに行って意外だったのが、特にWürtzなんですけどこれ(目の前の皿を指さしながら)を作る職人さんはこれしか作らないんです。
 (そのあり方は)昔の日本の(分業制による)窯元みたいだなと思って。現代の日本の個人作家の方がもっと色んなものを作っていると思うんですけど、(Würtzでは)釉薬掛ける人は釉薬掛けるだけとか、大物ひく人は大物ひくだけみたいな感じで。それが逆に新鮮でした。
 意外とデンマークはクラフトというか手仕事というのが残っているみたいで。もちろん日本ほどの規模ではないですけど、ロクロで引いて削った木の器とかガラスとか意外とやっている人がいて。日本は他の国に比べてクラフトで生計を立てている人が圧倒的に多いと思うんですけど、でもデンマーク、特にWürtzは僕達以上に職人だなって思ってびっくりしました。
 例えば彼らはレストラン仕様のお皿なんかはがんがん作っていくんですよ。もうそればっかり作っている職人さんは朝来て半日でお皿とか150個とか作ってましたね。本当にもう僕達より年季の入った職人さんだなぁと。(20㎝前後の)こんなお皿ならひとつ2分掛かって無いかもしれないです。」

Louis Poulsenの照明。御自宅の応接にて。

Question
 (話は逸れますが)たくさん作るなら型とか鋳込みをイメージしますが、Würtzの皆さんはなぜロクロが良いんでしょうか?

「まぁロクロの方が早いっていうのがあるんですよね、実は。型って意外と時間が掛かるんですよ。ロクロが早くとなるとたぶんロクロが一番早いですね。まぁそれだけじゃないとは思うんですけど。型では出ないピッとしたエッジだとかはやっぱりロクロじゃないと出ないので、そういうところも彼らは考えているんでしょうけど。」

Question
Würtzで築窯されたと聞いて驚いたのですが、どんな経緯だったのでしょうか?

「Würtzに通う内に『ウチにも薪窯欲しいんだよね』って言われて。『だったらこんなのどうですか?』ってスケッチ描いて見せたら『いいねぇいいねぇ、やろうやろう!』ってなって。で、また行った時に簡単な設計図を見せて一緒にレンガ組んで。向こうで焼いた薪の作品もあったんですけど、もう無くなっちゃいましたね(笑)。」

左 「白錆小花入」 / 右「緑釉オーバルボトル」 


◆現在

 種子島2基、アメリカ1基、デンマーク1基、信楽1基、イタリア1基、鹿児島1基と、各地で薪窯を築窯されてきた野口さん。私の知る限りでは作家としてこれほど多くの薪窯を作って来られた方を知りませんが、このエピソードだけでも野口さんの陶芸愛を強く感じます。
 最後はこれまで陶芸に対して好奇心の赴くままやりたい事を実行してこられた野口さんの現在に触れます。

Würtzと同じ規格の薪窯

~薪窯について~
「焼き締めを焼く時はこれを使うんですけど、この薪窯はWürtzで作った窯と全く一緒なんです。薪窯としてはたぶん最小サイズだと思います。薪窯って小さいと逆に焼きにくいんですよね(薪が入らない為)。以前は月に2回位焼いてましたが今はほぼ電気窯で焼くので、屋根を開閉式して焼く時だけ開けてます。」

薪窯上部にある開閉式の屋根

~緑青について~
「種子島時代に大きな窯で焼いていた時、薪をいっぱい投げ込む所の近くで焼き上がったものに灰の中に埋まった状態で窯出しされるものがほんの一部あったんですけど、その表情がすごく好きでそれを意図的にやるにはどうしたら良いかと考えて焼いているのがこの緑青です。ただ、いかに人工的に見せない様にするか、という事は考えながら焼いています。
 テクスチャは本当に色々で、サラッと焼き上がるものもあれば本当にゴツゴツでどうしようもないものもあるんですけど(笑)。」

~砥石で手入れされる前の緑青の皿や壺~
表情全てに個性がある

~土について~
「今は種子島の土だけではまかないきれないので、性質のよく似た土を使っています。きめは細かいです。だからギュッと焼き締まりますし、焼き締めにもできる土ですね。還元で焼くと黒くなって、酸化で焼くと赤くなります。更に言うと酸化と還元が入り混じった色もできます。これもWürtzさんの影響があるんですけど、1種類の土でもやれる事はまだまだ無限にあるんだと思って。」

素焼き前は黄土色の土が酸化焼成で赤くなる
酸化と還元が混ざった色の皿


~作風について~
デンマークで勉強してきた事を日本でもやるとか、あとは焼き締めもいまだに少しは焼いていますし、緑青は緑青で試行錯誤しながらどんどん変わってきているんですけど、今はそれぞれを大事に制作している状態です。

「白錆小花入」
出土品の様な佇まい
アウトラインも美しい
「焼きしめ片口」
土物でありながら薄くエッジの利いた野口さんらしいロクロ
「緑青7寸平皿」
複数回焼きを重ねる事で生まれる色の複雑性が目を引く




野口悦士 プロフィール

1975年 埼玉県生まれ
1999年 陶芸を志し、種子島に渡る
2006年 中里隆氏に師事
2018年 デンマーク・KH Wurtzに薪窯築窯
 現在、鹿児島市にて制作


※「noma(ノーマ)」
英国のレストラン誌が選ぶ「世界ベストレストラン50」の第1位を過去4度獲得。


⇩JIBITAオンラインショップ


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