陶芸家 岩崎龍二さんの事。
こんにちは、のぶちかです!
さて久し振りのnoteは大阪の陶芸家、岩崎龍二さんについて綴っていきます。尚、岩崎さんの作品は2021年1月22日(金)21時よりJIBITAオンラインショップにて初めて販売を行いますので、御購入前に少しでも岩崎さんの世界をこの記事でお伝えできればと思います。
それでは早速参りましょう!
邂逅
⇧マスクの岩崎さんとアトリエ工房 兼 御住居
初めて岩崎さんの作品を拝見したのは、2016年に山口県立萩美術館で開催された「現在形の陶芸 萩大賞展」での事でした。
色相の深い独自の「黄檗釉」をまとい高さ70㎝はあろうかというその美しい雫型の作品は、数多並ぶ素晴らしい作品の中にありながらも自然とのぶちかをその場に立ち止まらせ、しばらくの間その美しさの秘密について観察させる力がありました。
そして2020年8月。
遂にのぶちかは思い立ち、初めて工房へ訪問。
念願だった実物に触れる機会を得て、お取引が始まったという経緯です。
軌跡
保育園(4、5歳)の頃から油粘土遊びが好きだったと振り返る岩崎さん。その好きが高じて高校卒業後は美術の専門学校へ進学。
しかし、
専門学校のカリキュラムはまだ陶芸に特化するというよりは広く浅く、粘土以外の異素材のものにも触れる機会が多く、ロクロに触れた期間も2か月程度だったとの事。
そんな中でも岩崎さんが一番好きな素材はやはり粘土だった様なので、きっとこのあたりから無意識的にも陶芸家という選択肢が心のどこかに住みつき始めたのかぁ、とも想像できます。
専門学校卒業後は何もしない期間が3ヵ月続いたそうですが、丁度その頃、街で見かけた陶芸教室スタッフ募集の文字からスタッフとして働く事を決め、また改めて粘土に触れる機会を得られたとの事。
陶芸教室スタッフ時代は、就業時間が夕方に終わりそれから夜10時までは好きなだけロクロを回して良いという環境から、
「ひたすらロクロをひきまくった」
と語られ、それからわずか3年位で大きな鉢などを制作し公募展への出品を開始するもの、岩崎さんを象徴するとも言えるあの美しい釉薬に関しては、意外にもスタッフとして働き始めて10年経ってから本格的に研究を始められたそうです(驚き)。
ロクロ
公募展では最初、鉢をメインに制作。その後、釉薬の研究を本格的に開始してからは壺系のフォルムに移行した、と岩崎さんは語られます。
理由は、
「釉薬は動いて初めてその美しさが出るから。」
その為には、釉薬を流す土台としての器物を美しくひけるロクロの技術が前提となり、それがあってこそ多くの人が魅了されるあの釉薬の美しさが叶う、という理屈です。
つまり釉薬研究以前に、陶芸教室スタッフとして働きながらずっとロクロをひきまくった経験が今の作品の美しさをより引き立てる事に結び付いているという事。
この事実は釉薬の美しさにとらわれて見過ごしてしまいそうになる部分ですが、岩崎さんを語る上ではかなり重要なポイントと捉えています。
釉薬
「一番集中するのは施釉」
岩崎さんはそう言って、釉薬に関して語りだしてくれました。
「ロクロは無心になれるからまだ楽。焼成もデータが溜まればそれに基づくから楽。でも釉薬だけは本当に難しい。」
と。例えば、
・窯出し後にパキパキ割れていく
・大きな作品ほどブク(釉薬弾きやクレーターの様な穴など)が出る
などの例を挙げてくれましたが、それどころか一度完成したかに見えた釉薬すら再度失敗する様になる事もしばしばで、なぜ失敗したのか原因が全く分からないという沼にはまり込み、
失敗➡割る➡捨てる➡ヒアリング➡仮説➡実験➡失敗➡割る➡捨てる・・・
の延々ループを繰り返し、先が見えずに心が折れかける事も数多くあったそう 汗。
またその原因のひとつとしては、岩崎さんの基礎釉自体がまだ釉薬としての歴史が短い為、レシピや先行するデータが薄く、ほぼイチからテストを重ねていく必要があったからだそうです。
特に岩崎さんの釉薬にはスズ、リチウム、コバルトなど高価な原料で構成されてある為、その意味でも失敗の継続による消耗度合いは大きかったと思われます。
そんな岩崎さんは8年前(当時はまだ教室スタッフ)に今の工房兼住居を建てられたのですが、その時にそれまで焼成していた陶芸教室の窯に加え、御自身の窯が追加されます。
ちなみに窯が違うと同じ焼成方法で焼いても違う焼き上がりになってしまう、というのは陶芸あるあるなのですが、それが分かっていても別の窯で再現させる事はとても難解なのも陶芸あるあるという事で…。
そこで、
・公募展用の大きな作品 ➡ 教室で制作・焼成
・器類 ➡ 自宅の窯で制作・焼成
と、焼く物ごとに窯を分けて進めていった結果、ようやく以前よりも安定感を手に入れられたとの事でした。
余談ですが、
その結果だけを知ると「最初からそうしておけば」と考えがちですが、窯の違いで焼き上がりが変わる事は分かっていても、その誤差をどの様に調整すれば再現できるかはテストを継続する事でしか果たし得ないポイントなので、ここに補足しておきます。
そんな苦労を乗り越えられて岩崎さんは言います。
「実験、失敗の集積で今がある」
今の作品の美しさが妥協による安定感(歩留り)の確保ではなく、攻め続け、追い求め続けた結果という事だけにこの言葉には重みを感じますね。
焼成
釉薬表現にも直結するのが実はこの焼成工程です。
なぜなら、
「焼いとるのは土や石。同じものはずっと無い。」
と、そもそもいつまでも自然相手の原料が均一の成分で手に入る筈がない、という前提から、
「(最終的には)コントロールできない」
と、もう腹を括られているかの様に岩崎さんは語られます。
また焼成は素地となる粘土が持つ雑味(鉄分等の鉱物成分やガス)を引き出す為、それが釉薬に思わぬ影響を与える事から、
「原土・釉薬・窯」
の相性が作品作りの上でとても重要だとも。
ちなみに先述の「パキパキ割れる」原因は、土と釉薬の相性から始まり、窯の冷まし方なども大きく影響するとの事。
素人感覚だと、
「土A×釉薬B×焼成C=こんな色質感!」
と安易に考えてしまいますが、それぞれに相性が介在する場合、有効な相性以外の掛け合わせでは永久に完成形には辿り着かない事が分かります。
「あとは焼けば終わり」
という所まで行っても、焼成が相性チェックの最終検問となれば、これまで多くの作家から、
「窯出しが一番気が重い…」
という台詞を聞いてきた事の意味も分かるというものです。
また、せっかく相性をつかみ取っても発注した土や釉薬自体の成分が予告無く変わり(陶芸あるある)、また微調整や再調合をイチから行うという事も日常茶飯事だそうです汗。
ここで急にのぶちかは焼成に関するあるエピソードを思い出す訳ですが、もう10年近く前に唐津の川上清美さんの所に伺った際、
「弟子には土もロクロも釉薬も全て教える。でも焼きだけは私の窯でいくら教えても(弟子が)独立したら自分の窯で焼かなきゃならない。だから、全てのプロセスを教えても俺には問題ない。いくら教えても、私の窯と(弟子の窯)は違うから。」
というお話をお聞かせ頂いた事がありました。
つまりそれほどまでに焼成工程というのは難解だ、という事を教えて下さったのだろうと思うのですが、
その時ののぶちかは、
「焼きよりロクロ技術や釉薬レシピを盗まれた方が大変じゃないか?」
という半ば懐疑的な思いがよぎった(←何様やねん!)事に加え、素人感覚の先入観で、想像していた陶芸の難しいポイントとは別の御指摘を受けた事が印象的で、その頃から
「焼成はなぜ難しいのか?」
という疑問がずっと頭から離れずにいたのです。
焼成は当然、窯や素材の種類によっても難易度は変わると考えられますが、岩崎さんのお話を受けてようやく川上さんのおっしゃられた焼きの難解さに関する疑問が少し解けた事でスッキリしました(笑)。
それと同時に、素材(≒釉薬)が複雑であればあるほど焼成の影響を受けやすいという事から、岩崎さんの表現にかかる御苦労も鑑みられる訳で…。
挑戦する理由
岩崎さんに、
「なぜそんな大変な事に挑戦するのですか?」
とお聞きしたところ、
「他の事(異ジャンルの仕事や技術)だって大変。(自分の)釉薬表現は大変やけど、どちらかと言うと興味や好奇心の対象。えぇもんができる瞬間に次につながるヒントが沢山ある。大きく変えるのじゃなくちょっとの変化で大きく変わるから、自分自身もやっていて楽しい。」
と、これまでの苦労話以上にそれにあたる際の充実感を語ってくれました。
「努力を努力と思わない」
岩崎さんは今、そんなフェーズで作陶を楽しまれているのでしょう。
のぶちかのひとり言
そう言えば岩崎さんの作品の大きな特徴のひとつに、「暗さが感じられない」という点が挙げられます。
もしかするとそれは陰ながらの努力や苦労に増して、岩崎さんがシンプルに陶芸を楽しむ気持ちが勝り、その気が器に宿っているからなのかもしれないと思う訳です。
そしてここ数年は料理の世界ともつながりが広がる岩崎さんですが、きっとそれも器の美しさだけでなく、器が持つ明るい気が多くの料理人と共鳴するからなのだろうと。
ややスピリチュアル的になってしまいますが、のぶちか的には
「ものが持つ気」
というものを信じています。
そこにのっとって岩崎さんの作品を観ると、なんと清々しい気をまとっている事か。
その点で岩崎さんの器は混迷し殺伐とした現代において、食卓にあるだけで私達の心に幾ばくかのあかりを灯す事ができるものと思っています。
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