効果的に言語を習得するための心得/6ヶ国語を習得する過程で行った言語習得方法とその手順
まず始めに、外国語を習得することは、想像する程に複雑ではないということを伝えたい。
日本で生まれ育った子供は、当然のように日本語を話すし、ロシアで生まれ育った子供も、苦労することなくロシア語を話す。アメリカで生まれたメキシコ系の子供でも、英語に触れる機会がある限り、英語を話すようになる。
本来人間には、言語を理解し上手に使いこなしながら、コミュニケーションを取れるようになる能力が備わっているのである。フランスで生まれ育ちフランス語に毎日触れていたのに、間違えてイタリア語を習得してしまった、なんてことは起きない。母国語に関しては、「なに人であるか」ではなく「どの言語に触れてきたか」で決まるのだ。
英語は日本語のイギリス・アメリカ版だし、ロシア語は日本語のロシア版だ。(文の構造や音節にはかなり違いがあるが、ここで伝えたいのは、日本で育った人間が日本語を上手に扱うように、イギリス人も英語を上手に扱うということ)つまり、その言語に触れる機会があり、正しい順序で言語を学べば人は必ず言語を習得できるようになるというのが僕の考えである。
ここで「ちょっと待ってくれ。自分は何年も言語を学んでいるけど、全く習得できないぞ」と思ったあなた、一旦最後まで付き合って欲しい。
バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーション
まず始めに、コミュニケーションというものを分解していこう。コミュニケーションの形は、大きく分けると2種類ある。それは、バーバルコミュニケーションと、ノンバーバルコミュニケーションと呼ばれるものである。前者は言語を介すコミュニケーション。後者は言語を介さないコミュニケーションだ。
バーバルコミュニケーションは、会話や文字を通したものなど、言語的なコミュニケーションを表す。noteを通して、今僕が伝えようとしている作業もバーバルコミュニケーションとなる。
反対に、ノンバーバルコミュニケーションは、顔の表情や声の大きさや、視線、身振り手振りなどによる言語を介さないコミュニケーションだ。心理学者であるアルバート・メラビアン博士は、話し手が聞き手に与える印象がどのような要素で形成されるのかを測定した。その結果は、話し手の印象を決めるのは、「言葉以外の非言語的な要素で93%の印象が決まってしまう」というものだったようだ。
具体的な数字で表すと、
意外かもしれないが、「言語」だけで与えることができる印象は7%しかないのである。
それよりも、僕たち人間は「非言語なコミュニケーション」で情報を受け取っている。
たとえば、普段の日常生活においても、背中を丸め、眠そうな顔に、小さな声で「今日はとても楽しいです」と言ったとしても、「楽しい」と言葉では言っているが、非言語的な部分では「楽しくありません」と言っているように映る。
なのでその様子を見た人間は、本当に元気なのかを疑問に感じてしまうというわけだ。
「顔に書いてある」と言うフレーズを使ったことはないだろうか?僕たち人間は、口に出さなくても、表情から感情や意図を読み取ることを日常的に行なっている。それは、言葉以外の部分で多くのコミュニケーションを行なっている表れでもあるのだ。海外旅行の際、その国の言葉が分からなくても、買い物ができたり、地元の人と軽いコミュニケーションが取れるのも、非言語的なコミュケーションを取れているからなのである。
たとえ言語ができなかったとしても、海外旅行で買い物をしたり、地元の人とコミュニケーションを取ることはできる。そのレベルで言語をできればいいよ、と言う人はここから先を読む必要なはないだろう。
しかし、海外に住んだり、海外で学んだり、仕事をしたりしながら、海外の人と深い関わりを作りたいなら、どうしても「言語」が必要になってくる。正確な情報を得て、最適な行動をするためには「言語」を通したコミュニケーションは欠かせない。
下の状況をイメージして欲しい。
あなたは、イギリスに留学をしに来て2週間がたったところだ。今日は学校で知り合ったマイクの家に遊び来ている。マイクはあなたに何か料理を作ってくれているが、あなたは邪魔をしないようにソファーでくつろいでることにした。
10分後、テレビを見ていたあなたに、何やら忙しそうなマイクが「○△□×○△□×○△□×○△□×......」と言った。しかし、彼の英語がとても早くて聞き取れない
彼の言っていることが理解出来なかった瞬間、2つの反応を取ることができる。
一つめは、マイクが話した言語だけに注目した場合だ。この場合は、マイクの口から発せられた音のみで発信者の意図を理解しようとしているため、受け取った側(あなた)の言語能力がない場合、コミュニケーションが不可能となる。
また受け取った側は、発せられた音のみでコミュニケーショを取ろうとしているが、その音の意味を理解できないのでテンパってしまう。この方法は、理解できる言語に対してのみ取ることをお勧めする。そしてこの現象は、日本人によく起こる。私たちは他言語に触れる際、理解できていない対象言語に意識を集中してしまい、他から得られる情報をシャットダウンしてしまうのだ。
もう一つの反応は、言語以外の情報に注意を向けることである。
ここで、あなたの状況を整理してみよう。
・あなたはマイクの家にいる。
・マイクは何か料理を作ってくれている。
・あなたはソファーでテレビを見ている
・忙しそうなマイクが「○△□×○△□×○△□×○△□×......」と言った。
状況に対して目を向けて欲しい。ソファーでテレビを見ているあなたにマイクが、料理をしながら「○△□×○△□×○△□×○△□×......」と言ったのだ。そうなると、「」内の部分の言語を受け取れなくても現在の状況から、マイクはあなたに何か手伝って欲しいんだな、と推測することができる。推測できればそこからは難しくない。彼の元に行き、手伝うそぶりを見せるのだ。
あなたがイギリスに来て2週間しか経っていないこと、まだ英語を理解しきれないこと、を知っているマイクは、詳しく説明しながら身振り手振りで「あなたが何をすべきか」を伝えてくれる。
また、そんなあなたに料理で重要なポイントは任せない。
あなたが逆の立場でも同じだ。日本に来てまだ2週間の外国人の友達が家に来て、料理を手伝って欲しい場合、簡単な作業を身振り手振りで伝えるだろう。このように、言語以外の情報に注意を向けることで、言語を介す必要性があまり高くない簡単なコミュニケーションは成立する。
ここであなたに伝えたいのは、「言語以外の情報に注意を向けること」で簡単なコミュニケーションを取ることは可能だが、あくまでも簡単なコミュニケーションのやり取りしかできない、ということだ。それで十分なら、次からは是非この方法を試してみて欲しい。しかし、簡単なコミュニケーションを取ること以上を目標とするならば、先まで読み進めてみて損はないだろう。
ここから書くのは、僕が0から新しく言語を習得する際に行っている大まかな方法だが、言語学習中級者や言語学習で行き詰まっている方に向けても参考になるものを書いたつもりである。この記事が、自分の学習スタイルを見直すきっかけになれば幸いである。
文字が発する正確な音を理解する
僕は「言語は音のパズル」だと考えている。
音の抑揚や組み合わせにより、伝わる意味が変わるからだ。ここでいう言語とは、人間が口に出して話す言葉だと思って欲しい。
反対に文字によるコミュニケーションは、音ではなく文字の羅列、複数も文字の集合体に意味を与える行為である。よって、「聞くこと話すこと」と「読むこと書くこと」は全く別の作業なのだ。
ここで、日本人は読み書きはある程度できるが、なぜリスニングに苦手意識を持つのか、という問題を僕なりに考察してみた。
僕たち日本人が日常的に使っている、ひらがなや、カタカナ、漢字を理解しようとするのと同じように、アルファベットや外国の文字を理解しようとしているところに問題があると考える。
たとえば、日常的に使っている以下の文字を見て欲しい。
そう、ひらがな「あ」である。
改めて意識したことはないかもしれないが、この文字の名前は「あ」であるし、この文字の音も「あ」と発音する。
「当たり前なこと言うな!」と思っているそこのあなた、文字の名前と発音が同じことが本当に当たり前だろうか?
ここで、アルファベットを見てみてほしい。
たとえば、
「A」の文字の名前は「エー」だが、この文字の音は「ア」である。文字の名前と発音されるのは同じではないのだ。
もそうである。文字の名前は「アール」だが、この文字の音は「/r/ 」であるし文中の「R」を「アール」と発音することはほぼない。(日本語で表せる文字がなかったので、発音記号で書いた)
このようにして外国語は、文字の名前と音が違うことがよく起こり、その音を表す文字が日本語がそもそもないのである。また「文字の名前と音が違うこと」は日本語では起きえないため、音を理解することの重要性がなおざりにされているように思う。
下記の単語を読んでみてほしい。
・Heureusement
・Trabajar
・Real
・Scherzo
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
正確に読めただろうか?
上記の単語に該当するの言語を学んでいる人は理解できたと思うが、上記の単語は全て別の言語である。
カタカナで読もうとすると、上から
・オウレズモン=幸いにも(フランス語)*「レ」は喉の奥でうがいをするような音を鳴らす
・トラバハール=働く(スペイン語)
・ヘアウ=ブラジルの通貨名称(ポルトガル語)
・スケルツォ=冗談(イタリア語)
と発音されるのだが、その言語特有の文字の発音と、発音の決まり事を知っていなければ、会話中にこれらの音を聞いたとしても、文字で理解するのは不可能である。
僕たちはひらがなや、カタカナ、漢字の音を主としたデータベースで外国語を理解しようとしているが、そもそも外国語のほとんどは、日本語の音では表すことができない。なので、外国語を学ぶときにまずすべきことは「対象言語の文字の発音」と「文字が単語になった時の発音パターンを理解すること」なのである。対象言語の音や、音の組み合わせのソフトウェアを新しく頭にインストールするイメージだ。
対象言語言語特有の文字の発音と、発音の決まり事さえ理解できれば、対象言語を理解しきれない状態であったとしても、音を聞いただけで「どの文字が使われたのか」、「どこからどこまでが単語の塊か」が分かるようになる。
身近な例を見てみよう。
日本の学校教育で行われる英語のテストでは、英文をある程度読み書きできる。しかしいざ会話となると、相手が何を言っているのか聞き取れなかったり、逆にこちらの発音を相手に聞き取ってもらえない、といった経験はないだろうか?
その問題は単純なところにある。
「自分の思っていた音が、実際の音とは違かった」ということだ。それぞれのアルファベットが表す正確な音をできておらず、思い込みで音を捉えているのだ。子供が言語を習得する過程を見てみよう。
ほとんどの場合子供は、大人が話した言葉の音を聞き取り、真似をしながら言葉の意味を段々と理解していく。意味ファーストではなく、音ファーストで言語を習得するのだ。後からその音に意味付けをしていくなかで段々と言語が表す意味の理解できる範囲を広げていき、その言語を使いこなせるようになっていく。大切なのでもう一回言う。言語は音ファーストなのである。
文法を学ぶことはもちろん大切だが、言語の根源は音なのだ。
言語特有の発音を体に染み込ませ、音を聞いただけで文字に起こせるようになるのが最初のステップである。音や単語のくぎりを理解できるということは、言語をしっかり聞き取れているサインであるため、意味がわからない単語に出会っに際に自分で意味を調べれば解決する。動画や映画で理解できない単語があれば、メモをしておいて後で聞いたり調べたりすればいいのだ。
子供が大人に「○△□の意味ってなに?」と聞くように、わからない単語に出会ったら辞書や翻訳アプリ、ネイティブスピーカーに聞いてみようではないか。新しく言語を学ぶ際は、まずは「一つ一つの音を聞き取れる状態」目指し、その後にTPOに合わせた話し方ができるように文法を学んでいくと学びがスムーズになる。
対象言語をある程度話せるという人も、もう一度「文字の音を完璧に理解できるようにする」ところから見直してみることをお勧めする。
そうすることで、自分の語学力を一段階上げることができるはずだ。
言語内で使用頻度が多い単語とフレーズを覚える
音を聞き取れ流ようになったら、次にすべきことがある。日常的に使用頻度が高いフレーズや、自分がよく使う言葉、単語を覚えてしまうことである。そこに、文法がどうこう、なぜそういうのか、をこの段階で覚える必要はない。
ただ「言語に現れる単語の順番や表現方法」などの大きな枠組みは押さえておこう。大事なところを押さえながら、使用頻度の高い物をひたすら覚えていくのだ。
例えば、
「私は〜です。」「あなたのお名前は?」「〜したい、〜が欲しい」
「〜はどこ?」「上、下、右、左」「今日は〜する」「今日は何をするの?」「今日は〜をした」
などの文の形や、形容詞など、使用頻度の高そうなものを学んでいく。
ある程度それができるようになってきたら、「しかし」「または」「そして」「それでも」など文を繋げることのできる接続語のバリエーションを増やすといい。接続語を覚えていくと、コミュニケーションの中で、自分が一度に使用できる単語数や文の数が増えていくので、上達を感じやすい。
自分の成長を感じながら学ぶことで、語学学習は有意義なものになる。そのため、勉強する際は「自分がどれだけ変化することができるか」を基準にトピックを選定すると良いだろう。
名詞10個、形容詞10個、動詞10個を覚えるだけで、1000通りの文章が作れるようになる。そして接続語が使えるようになれば、そのバリエーションはより豊富になる。
新たな単語を学んだら、それらを組み合わせて使ってみようではないか。さまざまな表現ができるはずだ。言語を学び、その言語を使えるようにするのはとてもクリエイティブなプロセスである。
感覚を掴めば誰にでも可能だし、語学学習を始めるのに遅すぎるということはない。
対象言語を日常に取り入れる
使用頻度が高い単語や、よく使うフレーズが理解できるようになった段階では、言語学習を楽しめていることだろう。楽しみながら学ぶことを継続させるために大切なことは、勉強しているという意識を持たないこと。
個人的な意見だが「対象言語を日常に取り入れる」という態度で生活すると、言語の習得が早くなった感覚がある。「勉強しなくては!」という義務感を持ちながら言語を習得するより、遊び感覚で自然に学んでいく方がずっといい。
ちなみに、僕がイタリアに住んでいた時にしていたのは、Youtubeで好きなサッカー選手のインタビューを見ることである。好きなサッカー選手が何を言っているのか、を知りたいという好奇心があった。なので、分からない単語はメモをし辞書で調べ、その選手と同じように話せるよう練習していた。
朝起きて、仕事に行くの準備をしている間に、学習中の言語でラジオを聞いてみるなり、学習中の言語で音楽を聞く際に「なんて言っているのか」に注目してみてはいかがだろうか。
そのようにする1番の目的は、意味や文法を理解することではなく、言語のリズムや雰囲気に触れ、言語に慣れることである。歌やラジオで出たフレーズを、そのまま口ずさんだりできれば最高だ。このように言語を日常に取り込み、それに繰り返し触れ続けることが大切だ。少し高いレベルにチャレンジしてみたいのあなたは、スマホやパソコン、ゲームの言語設定を変えてみるのもいいだろう。
理解可能かつ、話せる領域を広げる
日常に取り入れた対象言語を理解でき、使用頻度の高い単語とフレーズを使いこなせる段階に到達したら、理解できて話せる領域を広げていこう。日常に必須の単語やフレーズからはみ出して、自分が興味を持っている分野の単語を学んでいくのだ。
料理・スポーツ・政治・経済など、どの分野でも構わない。ここでポイントなのは「自分が興味を持てる分野である」ということ。興味がない分野や、自分に関係のない分野で学び進めても、頭に入ってこないし途中で飽きてしまう。
自分の興味と言語を関連付けることによって、自発的に学ぼうとする仕組みを作ることが大切だ。Youtubeなどの動画サイトで、それらの分野に関する動画を見てもいいし、ある分野の専門雑誌や小説を学習中の言語で読んでみてもいい。
また、Netflixなどで好きなドラマを音声と字幕の両方を学習中の言語で見るのもいいだろう。
この段階のスタート時では全てを理解できることはないし、80%以上が理解できない可能性もある。しかし、それでいいのだ。多くの人は、言語学習を「始めから理解しなければいけない」と思い込んでしまうので、理解できない事柄が多くなった時に学びを辞めてしまう。ここの段階でやるべきことは、理解できなくても、自分の好きな分野に学習中の言語で触れ続けること。
ドラマを見ているなら、ぜひ最後まで見続けて欲しいし、雑誌や本を買ったなら、わからなくても、単語を調べながら最後まで読み進めて欲しい。すると、不思議と中盤から終盤にかけて、言っていること、書いてあることが、少しずつ分かるようになってくるのだ。
ある分野の話しにある程度ついていけるようになったら、その分野を深掘るもよし、他の分野に行くのも良しである。このように、地道なプロセスだからこそ、自分が興味を持てる分野であることが重要である
新しい言語を学び始めたばかりの時期は、その言語の中では赤ちゃんも同然だ。継続して学び、赤ちゃんから子供、青年、大人に成長していく必要がある。
不完全な自分を受け入れる
最後に伝えたいことは、自身の不完全さを受け入れることである。「1つの言語を完璧に話す」までの道のりはとてつもなく長いし、終わりがない。なのにもかかわらず、「完璧になるまで話したいくない」と決めてしまい、チャンスを逃すのは勿体無い。
外国語を話す際に完璧を求めてしまうのは、日本人特有の悪い癖だ。自分の人生で受けた国語のテストは全て100点満点だっただろうか?
普段自分が発する日本語は日本語的、文法的に全て正しいだろうか?おそらく、上記の2つの質問に対して「はい」と答えられる人はかなり少ないであろう。
僕たち日本人でも日本語を完璧に操ることは難しい。もちろんそれは外国語のネイティブスピーカーも同じである。自国の言語すら完璧に話せない人間が、異国の言語を完璧に話そうとするのは不可能に近い。しかし、いざ外国語を話すとなると、完璧を求めてしまう。
だから、完璧を目指すこと、完璧であろうとすることを今すぐ捨てて欲しい。会話中に内容や意味がわからなかったら、素直に「わからない。どういう意味か?」と聞いてみよう。大切なのは、言語を完璧に話すとこではない。相手が伝えようとしているメッセージを受け取ろうとすること、自分が伝えたいことを正確相手に伝えること、が大切なのである。
それらの情報をうまく受け取るために、記事の冒頭部分にも書いた、話し手や周囲の状況に目を向けてみることが重要だ。
言語はただのコミュニケーションツールである。実際の生活では、完璧に話すことが大切なのではなく「コミニュケーションを円滑に進めるために言語を上手く使うこと」が大切なのだ。
言語を習得することは、スポーツやプログラミング、動画編集などのスキルと手に入れるのと同じこと。適切なプロセスと動機さえあれば、誰にだって習得できる。
楽しみながら学べる方法を見つけ、それを継続してみようではないか。日本人は継続することに長けているが、楽しみにながら学ぶという視点が圧倒的に足りないように思う。
継続して楽しみながら言語学習に取り組めば、バイリンガルもトリリンガルも、マルチリンガルも夢ではない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?