写真好きの一人言『カラー脳とモノクロ脳』
先日、こんなnoteを書いた。
モノクロで現像することは好きだったが、いざテーマとして撮るとなると少し考え方が違ってくる。
好きに撮って現像する
その流れでモノクロにすることはあったのだが、あえてそうすることを前提として撮ることはなかった気がした。
以前に考えたことがあったが
色を少なくするということは、写真を通して自分が伝えたいことが色以外で表現できるということだろう。
そうなると撮る時に色々と考えるようになる。
【コレだ!】と思っても果たしてそれは色の美しさで良いと感じたのか、それとも姿・形に惹かれるものがあったのか。
カラーの世界に生きているのだが、モノクロだからこそ感じやすい明暗差のグラデーションが良いと思ったのか。
それらを伝える為にどうすればいいのか。
色が無いからこそそれ以外で表現しなければいけない。
ただ【これが良い】と感じていた被写体をさらに掘り下げて見るようになった。
現実は様々な物に〝色〟がついている。
写真はそれを記録・記憶として写しとることができる。
だが、同時に見えている世界を変えることもできる。
普段見えている世界をとらえている頭の中と違った考え方を持てるようになるのは、写真の楽しみの一つだろう。
色のついた世界を認識する【カラー脳】と、そこから色情報を抜き取った世界を認識する【モノクロ脳】の使い分け。
正直、できてもできなくても生きていく上で問題はない。
しかし、自分の考え方の幅を増やして損はない。
趣味として写真を始め撮ってきたが、明らかに物の見方が変わってきたと感じる。
被写体探しをする中で、季節をより感じ取れるようになった。
さらに、天気・気候にも敏感になった気がする。
それに加えモノクロの世界を知るために、今まで以上に〝光〟を考えられるようになった。
私の頭の中に新しく作られた【モノクロ脳】から感じられる世界。
そこから得られる刺激をこれからも楽しんでいこう。