【懐かし洋画劇場】『底抜け西部へ行く』 (56年)追悼・志村けんさんが大好きだったというコメディ映画
悲報が飛び込んできた。日本が誇る名コメディアン、志村けんさんが、新型コロナ肺炎で死去したのだ。
ドリフ世代のぼくにとっても残念無念。現在のテレビ界は、喋り芸で持たせるものが多いが、志村けんさんだけは、動いて見せて笑わせる芸にこだわっていたと思う。
新型コロナ肺炎の感染は、これからもっと深刻な事態になるかもしれない。そうなった時に日本人を腹の底から笑わせてくれる志村けんさんのような人が必要だったのに。日本にとって大きな損失だと感じる。
追悼をしたくて、志村けんさんが大好きだったという映画『底抜け西部へ行く』(56年)を棚から引っ張り出してきて鑑賞した。今見ても本当に笑える。こういう洒落てて上出来のコメディが好きだったという志村けんさんのセンスは素晴らしいと思う。
Reference YouTube 『底抜け西部へ行く』予告編
映画について、少しだけ解説しよう。
ディーン・マーティンとジェリー・ルイスが共演した映画は日本では「底抜けシリーズ」として50〜60年代に公開され人気を博した。
ストーリーは、別々の環境で育った、かつて西部の牧場を経営する相棒だった男たちのそれぞれの息子スリム(ディーン・マーティン)とウェイド(ジェリー・ルイス)が、牧場と街を悪党から救うため、西部へ戻り大活躍するというもの。
この『底抜け西部へ行く』はコンビとしても終盤にさしかかった頃に製作された。原題は“Pardners”といい、”パートナー“の昔風の言い方だ。映画のラストで、マーティン&ルイスは、二人は仲良しだから、次の作品も見に来てね🎵と歌うが、実際の二人は仲が悪く次の作品『底抜けのるかそるか』(56年)がコンビの最終作となってしまう。
志村けんさんが大好きなジェリー・ルイスは、バカっぽく変な顔の芸とちょっとナヨナヨした都会的な立ち振る舞いで笑わせるタイプで、映像に映った時にどんな顔をするかとか、動く時のカメラワークはどうするかとか、そのあたりを参考にしていたのだろうと推察する。寄り目にして口をあける仕草などそっくりだ。「バカ殿」「変なおじさん」など、その影響があっただろう。
ジェリー・ルイスは60年代を代表するコメディアンで、マーティン・スコセッシ監督が『キング・オブ・コメディ』(82年)でキャスティングし、この作品はホアキン・フェニックス主演『ジョーカー/JOKER』(19年)に影響を与えた。
ぼくは80年代に、ラスベガスでジェリー・ルイス&サミー・デイビス・JRのショーを見る機会があり、その際近くの観客と話したが、アメリカでのルイスは毎年ラジオで24時間チャリティをやる尊敬されるコメディアンだった。
70歳で亡くなった志村けんさんが、アメリカン・コメディに影響を受けたのは時代的に容易に想像できる。氏はソウルミュージックにも造詣が深く、昔「JAM」という雑誌にアルバム批評を書いていたほど。その勉強熱心な中で、ヒゲダンスの曲を見つけたのだと。
最近になって志村さんに可愛がられていた千鳥の大吾が、志村師匠に会ってからの印象をこう語っている。
「お笑いの教科書でいうと10ページ目から始めちゃってんのよ。ダウンタウンさんのページから始めて、ダウンタウンさんのページに憧れて芸人の世界入ってるから。実は20年、お笑いの1ページ目をやらずに育ってきたわけ」
そして、志村師匠にあってから「その最初の10ページが大事だとわかった」のだと。
志村けんさんは、気に入った後輩にそういう大事なことを教えてきたのだろう。その最初の1ページには、チャップリンやマルクス・ブラザース、そしてこの『底抜け西部へ行く』といった〈古典〉に学べと話していたのかもしれない。
黒澤明の『七人の侍』(54年)の中で、明るく人を笑わせ、苦しい時に重宝な男と言われた平八(千秋実)が戦(いくさ)の前に銃弾に倒れる。リーダーの勘兵衛(志村喬)が「苦しくなるのはこれからだが」と嘆く場面がある。
志村けんさんの訃報を聞いた時、ぼくはこのシーンを思い出した。何度も書くが、本当に残念無念である。
『底抜け西部へ行く』は、字幕はないですがDailyMotionで全編観れます↓
“Pardners” (1956) Full Movie