パートナーの変化は怖い
自分の体験がすべてとは思っていないので、私はそうだったという話です。
パートナーや親い人が変わろうとすること、変わっていく、よくなっていく感じがすることはすごく怖いことです。
もちろん前からそう自覚していたわけじゃくて、自分がその状況の中で抵抗しているときにはそんなことはわかりませんでした。
その時はそれを自覚することも怖いので、その恐怖から怒ったり、ひどいときには発狂みたいになりながら跳ね返すのが精一杯でした。
自分の弱さや、
足りないところや、
ましてや何かを我慢していることとか、
自覚しないことでなんとか「社会」に適応していると、そこを自覚するのは本当に恐怖です。
当時のこの恐怖についてカウンセラーさんに相談したときに言われことがあります。
「戦場にいるとして、最前線で、疲れたとか、痛いとか、死ぬかもって思っていられないですよね。
そうやって「生きるため」に命懸けで感じなくしている横で、
誰かが、
もう疲れて動けない!もう死ぬ!とか、
痛い!痛い!痛い!とか、
死にたくない!!!やめよう!逃げよう!って叫んでいたらどうですか。
それはとてつもなく怖いですよ。
ノブさんはこの状態です。」
ガーーーーーん!
自分が生きるため命をかけてフタをしてないものにしていることを、
「いやいや!ここにあるじゃん!」
と見せてくるんだから、そらいやだし、怖いわと思いました。
もしこれで冷静でいられる人がいたなら、
感情に鉄壁のフタがされていて完全麻痺か、
現状を完全受容出来るているかどちらか。
後者であるなら、恐怖に怯える人をも受容して、その恐怖に怯える人も落ち着いていくだろうと思うのです。
でも多くの人はおそらく前者。
少なくとも私はそうでした。
挙げ句の果てには外で「いつも冷静ですごいですね!」とか言われてイケてると勘違いしてました(失笑)。
戦場と同じく、人生の中のいろいろな状況で「現状は受け入れられないけど家族のためにやるしかない」と頑張る方向が、感じることを麻痺させる方に向かうことは多くあることだと思っています。
その横で、この現状はおかしい!、もっと違う生き方がある!私はもう我慢して生きるのはいやだ!って人が出てきたらそれは怖い。
私の場合は、変化したい!って一見同じように思っているのにも関わらず、
パートナーとの純度の違いや、
覚悟の違いみたいなところで変化の恐怖を超えられなくて、すったもんだしてました。
50男が、その恐怖に直面して、
震えて泣くほど怖かったし、
土下座してもう勘弁してくれと懇願したこともあった。
この「恐怖」っていうは、、、、
積み上げて来たものがすべて消え去るような、
とにかく何もかもなくなる絶大な不安のような、
そんなのがあるのか知らんけど「生きながら死ぬ」みたいな恐怖です。
まじ怖かった。
なので自分もまだ怖いことがあって、さらに怖がる人がいたら、
「えー!まじか!俺もガチ怖い!」
というところから始められる存在になりたいなぁ。
いつでも目指せゼロポイントです。