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「荘子」を読む
人生というものをあからめたい
人生というものをあからめたいと思ってきました。
これからどうやって生きてゆけばよいのだろうと思ったとき、何もなかった。
一瞬にして激流、あるいは、静寂・無に放り出されたような。
思考した瞬間に絶対的な孤独に放り込まれたような。
「荘子」を読む
あれからもう30年経ったでしょうか。
あれやこれやとやってきましたが、ようやく「荘子」を読むときがきたようです。
荘子のイメージとしては、自由。天衣無縫。そして、無為自然。
しかし、荘子という書物は、全体として首尾一貫まとまっているわけではないようで、
本当に荘子が言ったことなのか、怪しいものも多いようです。
それでもまぁ、ひとまずは読み進めてみようと思います。
※なお、「天衣無縫」の出典は『霊怪録』とのことです。
今回購入したのは、下記の3つ。
老荘思想というくらいですから、「老子」も読んでおかねば。
森三樹三郎[訳]『荘子Ⅰ』(中公クラシックス)
森三樹三郎[訳]『荘子Ⅱ』(中公クラシックス)
蜂屋邦夫[訳注]『老子』(ワイド版岩波文庫)
まだ全然進んでいませんが、
内篇のうち、逍遥遊篇と斉物論篇は確かなようですが、それ以外はゴミも混ざっているようです。
井の中の蛙、大海を知らず
最近、「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉に触れることがありました。外篇の中の秋水編にあるようですが、まだ読んでません。
話の流れから言うと、
「もっと外を見てみたいと思いませんか?あなたも見た方がいいよ」というお話だったと思います。
うん、そうですね。
もっといろんな場所に出掛けていって、いろんな人と話して、いろんな発見ができるといいな、と思います。
でもふと、荘子が果たして、そんな意味で言ったんだろうか。
と思いました。
「見識が狭い!もっと外を見聞して、広い視野を持って考えなさい」なんて道徳的なことを、荘子が言うだろうか。
ほんとうは、大海を知れなどということではなくて、
自分というものは井の中の蛙のようであって、大海など知る由もない。
しかし、大海を知らなくても、自分は井の中にあって自然に生きることができるものだ。
そんなことを言ったんじゃないだろうか。
参考文献
これまでいろんな本を読んできましたが、とくに印象深いのをあげてみます。
『ブッダのことば スッタニパータ』
『エックハルト説教集』
『無我の体験』
『素直になる 雨宮第慈講話録4』
『不滅の意識』
『誰がかまもんか?!』
『対称性人類学』
それでは、また。