カルト、正統派のキリスト教を見分けるには

「スポーツ系サークルで大学生同士、交流会をもちました。気がつくと、参加者の大半がクリスチャンだと言っていました。そのまま宗教活動に半ば、強制的に参加することになりました。学業より宗教活動を重視すべきだと言われ、窮屈さを感じました。」
これは大学時代、あるカルト宗教の勧誘を受けた男性の体験です。幸いにも、男性は早期に違和感を感じて、カルト宗教から抜け出ることができました。

そもそもカルトとは?

そもそも「カルト」とは何でしょうか。「カルト」とは、ラテン語の Cultus(崇拝)からきた言葉です。20世紀前半から、新興宗教を指す用語として使われてきました。最近では、神秘的な教え、教祖を中心とした独裁的な組織体系をもつ団体の問題点が指摘されています。そのような問題ある団体を「破壊的カルト」と呼んでいます。
「破壊的カルト」では、信者から多額の献金を募り、経済的に搾取します。ブラック企業並みの過酷な条件のもと、若い信者に奉仕活動を強要します。特に大学生には学業を放棄させ、組織に献身するように要求します。

教祖や団体への絶対的な服従を求め、逆らえない心理状態に追い込み、反社会的な活動を行わせることもあります。信者の人格は破壊され、基本的人権も侵害されます。
本物があれば、偽物も出てきます。「キリスト教」を名乗りながら、実質はまったく異なる異端・カルト。その問題点と、プロテスタント教会との違いを紹介します。本稿では、以下の三つの質問にお答えします。
1.カルト 何が問題か?
2.マインド・コントロールとは何か?
3.同じ聖書なのに、何が違うのか?


1.カルト 何が問題か?

大学やSNSでは、異端・カルト宗教の勧誘が盛んに行われています。彼らは若く、エネルギッシュな人材を求めています。異端・カルトの最大の問題点は「偽装勧誘」です。
偽装勧誘
異端・カルトは、全国の大学で「偽装サークル」を持っています。キリスト教とはまったく関係がない、スポーツ系、語学系、ダンス、文化交流などのサークルにカルトが潜んでいます。在校生の信者が中心となって、大学生が関心を持ちそうなサークルを運営しています。表向きには普通のサークルなので、不審な点はありません。
しかしサークルメンバーは、カルト信者となった大学生や卒業生です。皆とても親切で、優しい人たちです。ルックスもよく、魅力的に見える信者が「偽装勧誘」に駆り出されています。
サークル活動で信者と親しくなると、次第に宗教活動に引き込もうとします。時間をかけて油断させ、親密な関係を作ります。信者との依存関係を築くと、簡単には抜けられません。
最近ではSNSでの布教も盛んです。カルト宗教は、ターゲットである大学の学生のアカウントを常にチェックしています。SNSの投稿を見ると、その人の大体の年齢、性別、興味・関心がわかります。相手の興味に合わせて、個人的にメッセージを送るのです。
「僕はこの大学のOBです。このサークルに所属していました。」
「大学生向けの就活セミナーを開催しています。良かったら相談に乗ります。」
近年SNSを通じた勧誘から、カルトに入信する大学生が増えています。多くの大学では、このSNSを用いた「偽装勧誘」に警戒を強めています※1。
偽装に注意!

自分たちが宗教であることを隠して、人々を勧誘する行為は、日本では不法と認定されるケースがあります。人をだまして布教する「偽装勧誘」は、公正ではありません。
人を偽装サークルに誘い込み、本人も気づかないうちに、人の思考パターンを操作する「マインド・コントロール」をすることは大きな問題です。異端・カルト宗教の布教について心当たりがある方は それ 教会? もあわせてご覧ください。
では教会では?
ではキリスト教の教会では、どうでしょうか。教会でも英会話や、コンサート、交流会、社会福祉やボランティア活動を行うこともあります。しかし大きな違いは、最初から「キリスト教」の活動であることを明言していることです。
イベントの案内にも、主催者である教会名、宣教団体の名称を明記しています。「キリスト教の活動」「聖書研究会」とイベントの目的を明確にしています。
むしろプロテスタントの教会や宣教団体では、自分たちの組織や個人名以上に、参加する皆さんにイエス・キリストに親しみをもってもらいたいと願っています。
それは、イエスを信じることで、人の人生が変えられるからです。自分が体験したイエスをもっと多くの方が知って、生きる意義を見出してほしいと、クリスチャンたちは願っています。
このイエスこそが、人の人生を内側から造り変える方だからです。そのために、聖書のメッセージをだれにでもわかる方法で紹介したいと願っています。しかしイエスを信じるか、信じないかは、あなたご自身の判断です。ご自分でよく検討して、判断してください。
当サイト Student in Japan は、皆さんに本物のキリスト教、聖書の内容に親しいでいただきたいと願って、運営しています。心理学的な効果や、潜在意識に働きかけるような、特殊な技巧も用いていません。
皆さんが、理性的に納得できる証拠をシンプルに提示するように務めています。ご自分のペースで、神について、人生について、探索してみてください。


2.マインド・コントロールとは何か?

カルト宗教は「偽装勧誘」で人を誘い込みます。そして、本人も気づかないうちに、人の思考・行動パターンを「マインド・コントロール」(心の支配)しようとします。
「マインド・コントロール」に関連した用語に「洗脳」があります。「洗脳」とは、暴力や強い精神的圧迫で、相手の思考・思想を支配することです。かつて共産圏の国々で、人の政治思想を変えるために「洗脳」が用いられていました。
一方「マインド・コントロール」では、暴力や圧力は使いません。本人が気づかないうちに、特定の思考・論理パターンを、頭に埋め込みます。冷静に自分で調べることをあきらめさせ、自ら決断することを放棄させます。そして、団体に盲従する信者を生み出していくのです。
カルトから抜け出た元信者の多くが、自分の理性や意志に反して信仰を持たされ、考え方まで「マインド・コントロール」されていたと証言しています。
マインド・コントロール
「偽装サークル」に参加し続けると、「聖書勉強会」に誘われるようになります。信者たちがルームシェアするマンションの一室で、「聖書勉強会」が行われることが多いようです。
共通の動画を鑑賞して、そのあとディスカッションをします。聖書のことばも出てきます。しかし教祖の教えに引き込むために、巧妙に計算されています。教祖の教えを受け入れるため、独特の思考・論理パターンで、聖書を学びます。
教えられた論理パターン以外のアプローチで聖書を読み、自ら調べることは許されません。他の信者とルームシェアをすることで、外部との連絡も遮断されます。
信者でない家族は「悪魔だ」と教えられ、両親との関係も断たれます。外部の友だちや家族のアドバイスを受けて、冷静になる機会は完全に奪われます。
だれもが陥る危険
人は周囲の人に信頼を寄せることで、心理的な安心を得ている部分があります。周りの人々に同調することで、自分の価値や立ち位置を確かめるところがあるのです。
仮に、あなたがあるカルト・グループの集まりに参加しているとします。信者以外の人との連絡が取れない状況です。集まりの最中、全員が「私の行為のため、先祖が地獄で悲しんでいる」と言ったとします。
心では「どこか変だ」と思っても、皆が口々に同じことを言うと、彼らが正しく、自分が間違えているように感じます。
熱狂的な信者の仲間意識に飲み込まれると、「違う」と思っても、反証する勇気すら失います。団体の教えに反感を感じる自分の方が間違えていると、考えるようになります。「もう自分で考えることをやめよう。団体の教えに従う方が楽だし、安心だ」と考えるようになります。
思考停止

日中は、ブラック企業なみの条件のもと、無償奉仕に忙しく駆け回っています。夜の集まりでは、もう思考も停止します。理不尽なことがあっても、あえて反論する余裕すらなくなります。
無報酬で長時間働かされても、疑問すら感じなくなります。平気で嘘をつき、人を騙しても疑問すら抱かなくなります。こうして、霊感商法の担い手に仕立てられていくのです。
人格破壊 そして回復
破壊的カルトの「マインド・コントロール」から抜け出すように説得するのは、容易ではありません。特別なカウンセリングが必要です。
「マインド・コントロール」が解けるのには、多くの時間と労力、特別なケアーが必要です。異端・カルト宗教から抜け出せても、精神的に燃え尽き、人格は極度に破壊されています。一般の社会生活に戻るには、長い年月が必要です。
聖書教育もマインド・コントロール?
それでは、教会で行われる聖書教育はどうでしょうか。よく「教会の聖書教育も一種のマインド・コントロールなのでは…?」と質問を受けます。確かに教会にも「聖書研究会」がありますが、「マインド・コントロール」ではありません。聖書は「マインド・コントロール」的な手法を、明確に禁止しています。
聖書は、神が全人類に与えた「ラブレター」です。聖書には「神がどのような存在か」「人はどのように生きれば良いのか」「神の全人類に対する計画は何か」について語っています。
聖書をあなたが自ら読み、学び、冷静に検証することを、神は願っています。そしてあなた自身の「自由意志」でイエスを信じることを、神は待っています。ここで、聖書全体が伝えるメッセージを簡潔に、ご紹介します。
自由意志
聖書では、神が人を創造したと書いています。神は、私たち一人ひとりを特別な存在と考え、愛しています。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」※2
神は、人を信頼して、選択する自由、「自由意志」を与えました。神には確かに「あなたがこう生きたら良いのでは…」という計画があります。しかし神はその愛ゆえに、ご自分の計画を無理やり押し付けることはありません。
確かに神は、人が神の計画に従うことを期待しています。神の計画は、あなたにとって最善の計画だからです。しかし神は、あなたが神の計画に従わない「自由」も与えたのです。
エデンの園

神が人を創造したとき、人が住むのに最適なエデンの園も造りました。そして「人はエデンの園のあらゆる果実を食べて良い」と神は語りました。しかし園の果実の中で「善悪の知識の木から食べてはならない」と命じました。なぜなら「その木から食べるとき、…死ぬ」からです※3。
人が「善悪の知識の木の実」を食べないことが、神の計画でした。同時に「食べてはならない」という命令の結果、この木の実を「食べる」という選択肢も生じたのです。
人には、物事を自ら判断し、決断する「自由意志」が与えられました。神は人をロボットのように、自らの意志もなく、ただ指令に従う存在には造らなかったのです。
神は全人類を信頼し、期待しました。神の計画に背く可能性があっても、自らの判断で神の計画を選んでほしいと願いました。そのため、あえて神の計画に「従わない」という選択肢も設けたのです。
残念ながら、人は神の計画に背き、「善悪の知識の実」を食べてしまいます。その結果「罪」が入ってきたのです。すべての人が罪人となったのです。「すべての人は罪を犯して、神の栄誉を受けることができず…。」 ※4
人の状態
人は本来、神の愛の中に生きるものとして創造されました。しかし神に背を向け、神の計画を拒みました。神が願うことよりも、自分中心の生き方をしたいと願うようになったのです。
罪の結果、自らの価値や人生の意味がわからなくなり、人は多くの問題を抱えるようになりました。人が神から離れて、神に対して失礼な態度を取り続けている状態を、聖書では「罪」と言っています。
聖書はこうも語ります。「罪の報酬は死です。」※5
ここで言う「死」とは、神との交わりが断絶されている状態のことです。
人が罪を犯した結果、神と人の間には、越すことのできない関係の断絶ができました。人は、人間的な努力を積み重ねて、この断絶をうめようとします。異端・カルト宗教の信者が、宗教活動、自己修練に熱心になるのは、自分の努力で、何とか「罪」の問題を解決しようとするからです。しかし人がいくら頑張っても、神との断絶をうめあわせることはできません。

神からの応答
人の「罪」のために、神が用意した解決が、イエス・キリストです。神であるキリストは今から約2000年前、人となってこの地上に来ました。人となったイエスはこの地上で、神の愛と計画を伝えました。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。…父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」※6
しかしイエスは、十字架で死刑になりました。このイエスの死は、私たちの罪の身代わりでした。
「しかし、私たちがまだ罪人だったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」※7
イエスは十字架から3日目に、よみがえりました。多くの人々が、死から復活したイエスを目撃しています。イエスの復活は、イエスが神であることを証明しています。
「キリストは…私たちの罪のために死なれ…葬られ…三日目によみがえられ…五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。」※8
人の努力ではどうしようもできなかった神と人との断絶に、神が橋渡しをしてくれました。イエスの身代わりの死と復活によって、私たちの罪のつぐないがなされ、死(神との断絶)の問題が解決されました。神が、身をもってご自身の愛を示されたのです。

私たちの応答
あなたもイエス・キリストを信じることで、神の愛を知り、体験することができます。
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物(プレゼント)です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」※9
ここでいう「信仰」とは、「恵み」すなわちイエスご自身を、信じることです。イエスを信じるとき、罪の刑罰から救われます。神の子どもとなる「新しい関係」が始まります。
「しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」※10
イエスが神のひとり子であり、私たちの罪のために十字架で死なれたことを、単に知識として認めるだけでは、十分ではありません。特別な感動や宗教的な体験が必要なわけでもありません。ただ聖書の約束を信じて、イエスを人生に迎えることを、あなたが決心すれば良いのです。
信じるだけで救われます。
神は、あなたの心を見ています。どんな言葉で祈るかよりも、どのような心で求めているのかが大切です。もし今、イエスを信じてみたいと願うならば、以下の祈りを、神に祈ってみてください。
「神さま、私はあなたに造られ、愛されていることを聞きました。私の罪をゆるすため、罪のないイエスさまが代わりに死に、よみがえられたことを感謝します。今、あなたに信頼します。どうぞ、あなたとの新しい関係の中で、私の人生をともに歩んでください。アーメン。」
イエスを信じるとき、私たちはクリスチャンになります。イエスがあなたの人生をともに歩んでくれます。あなたの罪はゆるされます。神の子どもとされます。死んだ後も、永遠に神とともに天国で生きるいのちが与えられます。新しい人生をスタートさせることができます。
あなたの決断が大切

「イエスを信じるか」「今はまだ信じないのか」は、あなた自身に決めてほしいのです。あなたの決断を、神は愛をもって、待っています。神は強制も、無理強いもしません。あなたの心を操作することもありません。
教会も、あなたの決断を尊重してくれるはずです。強制も、無理強いもしません。ご自分のペースで、神について、人生の疑問に関して、答えを探してください。当サイト Student in Japan も、そんな皆さんの助けができたらと願っています。


3.同じ聖書なのに、何が違うの?

キリスト教系の異端・カルト宗教も、聖書を読み、信じています。しかし、なぜ信じる結果は、こうも違うのでしょうか。聖書を信じているのに、なぜ異端・カルトの信者は霊感商法に手を染めるのでしょう。なぜカルト宗教は、人を束縛するのでしょうか。なぜ家庭を破壊し、信者の人格は破壊されるのでしょうか。
聖書は一つの教科書?
異端・カルト宗教も聖書を用います。しかし異端・カルトには、まず第一に教祖の教えがあります。聖書は、教祖の教えをバックアップする教科書の一つに過ぎません。
例えば、統一協会(正式名称:天の父母様聖会・世界平和統一家庭連合)では、聖書についてこう教えています。「聖書は真理それ自体ではなく、真理を教示してくれる一つの教科書」です。聖書自体を「不動のものとして絶対視してはならない」とも教えています※11。
「教祖が神から直接受けた」とされる教えの方が、聖書よりも優先されるのです。教祖の教えがまず存在します。その教祖の教えに合わせて、聖書の一部を切り取るのです。しかも、その聖書の引用も、聖書全体の文脈を無視して、好き勝手に切りはりします。
異端・カルト宗教が自らを「キリスト教」と名乗っても、聖書とはまったく別の教えです。信者がそのまま聖書を読むと、教祖の教えとの矛盾に気がつくので、「マインド・コントロール」をする必要があるのです。
聖書は神のことば
一方、プロテスタントの教会は、聖書についてどう捉えているのでしょうか。聖書信仰の教会の多くが、聖書は「無謬の書かれた神のことば」だと信じています。日本で一番信徒数が多い日本基督教団では、聖書は「信仰と生活との誤りなき規範」だと告白しています※12。
当サイト Student in Japan を運営する日本キャンパス・クルセード・フォー・クライストでは、聖書は「信仰の唯一の基盤」だと信じています※13。

「神のことば」としての正典は、新旧約聖書66巻だけです。他のキリスト教の書籍も、聖書を説明しているに過ぎません。信じている内容も、聖書に書かれたそのままです。プロテスタントの教会で、聖書研究会に参加するとき、聖書の内容そのものを学びます。聖書の歴史的根拠については 聖書はなぜ信頼できるのか をご覧ください。
人は何を信じるのかで、行動が変わります。生き方が変わります。聖書は歴史的にも、多くの人の人生を変えてきました。聖書を信じる人々の貢献で、人類社会は良い方向へと変革されてきました。聖書の人類社会への貢献については イエスの独自性 をご覧ください。
本物があれば、偽物も出てきます。世間を揺るがす偽札事件。ほとんどの場合、偽札が発見されるのは、銀行なのだそうです。銀行員は普段から、本物の紙幣を見ています。偽の紙幣が混じっていても、すぐに発見できるのです。
破壊的カルトを見破る、最も効果的な方法は、本物である聖書を知ることです。ぜひ聖書そのものを読んでみてください。
先入観や偏見を捨てて、聖書を読んでみてください。聖書は世界のベストセラーです。皆さんも必ず、聖書の内容が理解できるはずです。皆さんが聖書から、イエス・キリストの本当の姿に出会えるように、お祈りいたします。
脚注:(1) 大学におけるカルト宗教の勧誘に気をつけてね(2) イザヤ43:4 (3) 創世記2:17 (4) ローマ3:23 (5) ローマ6:23 (6) ヨハネ1:14 (7) ローマ5:8 (8) 1コリント15:3-6 (9) エペソ2:8,9 (10) ヨハネ1:12 (11) 『キリスト新聞』2022年8月1日号 「宗教リテラシー向上委員会」統一教会とは何なのか (12) 日本基督教団信仰告白 (13) 日本キャンパス・クルセード・フォー・クライスト信仰告白

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