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文化と現代化の乖離
これは動画編集を始めたきっかけのお話でもある。
学生時代に突如現れた透明な壁
4年前。
4年も経った。
(ここからしばらく回想のため、飛ばしても大丈夫👌)
全世界を襲った新型コロナウイルスの蔓延により、
学生時代だった自分は現実と夢を砕かれた真っ最中だった。
当時の自分はアカペラサークルの代表を務めており、
2月末に控えた定期演奏会の準備に夢中だった。
1年間念入りに準備してきた定期演奏会。
サークル全体の実力も上がってきており、大学公認化も進められ、
その年の定期演奏会にかける思いは特に強かった。
定期演奏会を中止したのは本番2日前だ。
それからというもの、サークルを引退、
学部4年生になって、就活も何も手をつけていなかった。
所謂、お先真っ暗状態だった。
とりあえず、理系だったこともあり、
進路としては大学院に進学も一つの手であった。
そのため、必死に勉強する日々が始まった。
朝9時から夜9時まで。
まるで大学受験生。
いや、大学受験の時より勉強した。
「院進ってこんなに難しいのか」
そんなことも考えながらひたすらに勉強していた。
勉強し始めて、はや4ヶ月。
受験に無事合格。
そこで、次の問題が出てくる。
「暇だ。」
この「暇」はHSP&多趣味の自分からすると、
「忙しい」よりも恐ろしいものなのだ。
まるで布団に包まれているような温もりを感じつつ、
そこから先に動くことのできない、
透明な壁のように当時の自分の前に現れた。
自分の使命は何か?
両親は音楽家だ。
だが、普通の音楽家ではない。
父親は尺八。
母親は箏・三味線。
読者の中でこのような家庭に育った方はどれだけいるだろうか?
ほとんどゼロだろう。
不自由ない教育を受けさせてもらって、
幸せな家庭だったと思う。
だが、どこか自分の満たされない想いがその時あった。
それは、下の記事の中の
「意義を見出せること」だったと思う。
当時、緊急事態宣言のため、
我が家の収入は激減した。
父親は仕事が全てキャンセルになり、ずっと家にいる。
母親の仕事も整理され、家にいる時間が増えた。
姉は入社の年だったが、初めの半年くらいは同期にも会えず。
自分は院進を決めて、「暇」と戦っていた。
我が家に不満がなかったというと嘘になるかもしれない。
父親と母親との関係も完璧に良好かというと、そうとも言えない。
「普通になりたい」と何度考えたことか。
しかし、何もしない時間が増えた我が家で過ごしていくうちに、
自分ができること、自分にしかできないことを認識した。
「ああ、この当たり前のように感じていた暮らしは、
ある人にとっては当たり前ではない。
というか、和楽器奏者の子なんて、そもそも普通ではない。
この「普通ではない」という文化を世の中に広めなくては!」
動画という手段で伝統を守る
和楽器奏者の息子というのは普通ではないと思う。
そうだよな。うん。そうだと思う。
もう普通がわからないが。
大学生時代に簡単に触ったことのあるPremiere proを
思い出しながら触ってみることに。
そこで初めて作り上げたYouTube動画がこれだ。
自宅で撮影して、カメラは何台か使用。
音声は別で質の高い録音機を使用して後でくっつける。
これだけだ。
ありがたいことに、チャンネル登録者は1000人を超え、
収益化条件をクリアできるようにはなった。
しかし、このチャンネルで収益化は考えていない。
文化を世の中に広めたいだけで行なっている。
このチャンネルを始める時に、一番困難だったことは、
両親を説得することであった。
文化と現代化との乖離
ここで、自分は文化と現代化との乖離を実感することになる。
今まで、このようなチャンネルは演奏動画
いわゆる、MVがメインであった。
しかし、私が両親を説得した内容はそこではない。
文化の伝承に対しての説得であった。
このような文化は基本的には師匠という存在がある。
父親も母親も業界の中では大師範の存在である。
その師匠の下について、何年も修行を重ねて、
やっと芸を身につけられるような世界なのだ。
簡単に言うとそういうものだ。
しかも流派もある。
この話は自分も詳細を掴みきれていないため、省略。
そのような文化の伝承の作法が存在している中で、
その作法を属人的にし過ぎてしまうのは、
コロナ禍・将来の日本文化を考えた際に
とても勿体ない事だと自分は感じたのだ。
しかし、オンライン発信となると、
今まで師匠に習って何年も修行してきた弟子さんの立場がない。
その点で両親とは何度も話し合った。
果たして、このような文化の伝承は正しいのか?
これは和楽器の世界に限らない。
全ての文化伝承に対して当てはまる課題だと思う。
ここに文化と現代化の乖離があると感じた。
文化とは
文化とは何だろうか。
自分自身、人一番身近で感じて育っているはずなのに、
言葉で表すのはとても難しい。
1.
世の中が開けて生活水準が高まっている状態。文明開化。
2.
人類の理想を実現して行く、精神の活動。技術を通して自然を人間の生活目的に役立てて行く過程で形作られた、生活様式およびそれに関する表現。
Googleで調べるとこのように出てくる。
しかし、どこか抽象的すぎて、わかるようでよくわからない。
文化とは何か。
私の人生全体をかけても、それを全て表現することは難しいであろう。
しかし、生み出す、伝え続けることはできるのではないかと思う。
文化とは人工物だ。
人々が今までの知恵や経験によって、何かを表現し続けてきたものだ。
その「何か」は何でも良い。
絵・音楽・彫刻・本・建築・飲料水・家具……
しかし、これら全てに共通することがある。
それは、先代からの情報である。
全くもって新しいものを作ることは簡単ではない。
むしろ、ある程度の文化の形は出来上がっていると感じることもある。
しかし、それらは先代からの情報がないと成り立たない。
その情報を伝えていくこと自体が文化なのではないかと考えている。
そのため、先述のYouTubeを始めることにしたのだ。
これから
これからは、色々な活動を通しながら、
この文化をどのような形でも伝承し続けていきたいと考えている。
noteもその一つとして使っていければ良いなと考えている。
ご興味があれば、ぜひフォローをお願いします。