赤い公園とレッパーさんと私
はじめに
この記事は、2021年5月28日に活動を終えるガールズバンド・赤い公園と、〈日本一赤い公園を愛するファン〉だったレッパーさんのファンを公言する私が、レッパーさんの活動とその功績について、ファン目線からまとめたものです。必ず、レッパーさんご本人のnoteをお読みになった上でご利用いただけますよう、お願いいたします。
まず最初に、私は、赤い公園とチアキとレッパーさんを敬愛する、ただの一般人です。
(ちなみに一番好きなバンドはふくろうずです。レッパーさんのファンだからといって、彼と同じように赤い公園マニアかというと、そうではありません…)
私が赤い公園に出会い、ファンになり、彼女たちのことについて調べていくうちに、Twitterを通じて、レッパーさんというすごいファンの人の存在を知りました。赤い公園を応援する傍ら、その人のツイートを追うようになり、いつしか赤い公園と同じくらい、レッパーさんのファンになっていました。
しばらくの間、フォローせず隠れてファン活動をしていましたが、ある時ご本人に「ファンです」とリプライしてしまったことから交流が始まり、今はファンという身ながら、友人のようにお話しさせていただけるようになりました。
もともと私は自分の意見を発信することが不得意で、Twitterも見る専門、目立たず密かに応援していたいタイプだったのですが、レッパーさんとの交流を通して、発信すること、自分の気持ちを書いて記録することの大切さを知り、この記事を書こうと思い至りました。
記事を書くにあたり、今回私はレッパーさんに貴重なお時間をいただき、インタビューすることに成功しました。
テーマを「レッパーさんの赤い公園ファンとしての活動の総まとめ」とし、これまでのファン活動を振り返っていただき、色々お話しを伺っています。
冒頭にも記載しましたが、私はレッパーさんと違い、インタビュー経験も編集経験もない、ただのファンです。だからというのもなんですが、途中、インタビューというより、ただファンが推しについて語るだけになっている部分が多々あります。そこはどうか目をつぶっていただけたら幸いです。レッパーさんのnoteには書かれていない、貴重な津野さんとのエピソードも伺うことができましたので、ぜひ最後までお目通しください。
赤い公園は「初めて双方向で認識ができたバンド」
ーー(『このnoteについて』の冒頭に書かれている〈2021年5月、おかげさまで全体で120000ビュー、3000イイネを突破しました。ありがとうございます〉の記載を見ながら)まず、note 12万ビューと3000イイネ、おめでとうございます。
レッパーさんのnoteを読まれている方の多くは赤い公園のファンの方だと思うのですが、最近ファンになられた方たちは、レッパーさんが現役で活動されていた時代をご存知ないと思うんですね。なので今回のインタビューで、レッパーさんはこんなにすごかったんだぞっていうのを、昔からのファンの方々には懐かしんでいただいて、最近ファンになった方々にはその魅力を余すことなくお伝えできればいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ーーまずは赤い公園に出会ってからファンになるまでを振り返っていただきたいんですけど、その頃の感覚として〈ものすごくハマりそうだな〉っていう予感ってありましたか?
「ここまで熱烈なファンになるまでには何段階かあって、まず最初が黒盤を聴いた時。これはファンになろうって思いました。その次が、白盤のリリースパーティーの動画配信を観た時。早く生でライブを観ないといけないなと思って、すぐ次のライブから、行けるのは全部行くようにして。それで生で観て良かったのが三段階目で、SNSを始めて、会話したり認識されたりするようになったのが四段階目で…っていう風に、いきなり最初からすごくハマったというより、徐々に徐々にです」
ーーそれまで好きだったバンドにハマった時と比べて、赤い公園にハマった時って、何か決定的な違いってあったんでしょうか?
「やっぱり身近で、会いに行けるっていう感じがした。それまでハマってたユニコーンとか東京事変にも会いには行けるんだけど、アーティストと自分の間には完全に見えない壁があって、こっちが一方的に見てるだけだった。赤い公園は初めて、アーティスト側に認識された、双方向で認識したって感じがあって、本当に会いに行ける、お話しに行ける。そこが違ったと思います」
「日本一のファン」といろんな人に言われるようになった
ーーそうやってどんどん赤い公園沼にハマっていく訳ですが、ある時からレッパーさんは〈日本一の赤い公園ファン〉と名乗るようになりますね。
「いや、俺は名乗ってないよ?〈日本一赤い公園を愛する〉ファンね。それも過去形かな…」
ーーえ?そうなの?
「Twitterのプロフィールに書いてたのは、いろんな人に言われるようになったからそうしただけで、自分から言い張ってた訳じゃないです」
ーーなるほど…大変失礼しました。いろんな人から言われるようになって、〈いちファン〉から〈日本一のファン〉に変わった訳ですよね。そのタイミングって、いつ頃だったんですか?〈日本一〉になる、何か明確なきっかけなどはあったのでしょうか?
「赤い公園のファンって、最初はおじさんが多くて、そのおじさんたちが、だんだん赤い公園に興味がなくなっていって、どんどん脱落していくんだよ。ライブに全部行ってて、かつ、雑誌とかテレビとかラジオとかも全部チェックしていて、ふと周りを見た時に、ここまで熱烈に好きな人がいなくて…いなくなってて。noteにも出てきたあみこっていう俺より古いファンがいるんだけど、あの人が最初に、〈レッパーが日本一のファンだよ〉って言い出したんだと思う。〈あ、そっか、ありがとう〉って感じ。それがいつかは覚えてないな…あ、『のぞき穴』におまけでついてきたおみくじが全5種類あって、それを全部集めた時かもしれない。きっかけは、それかも」
すごいのに、抜けてるところがあって、せっかくのいい所が伝えらないと思った
ーーそれほどまでにハマるようになった一番の理由って何だったと思いますか?
「二つあって、その二つは落差のあることなんだけど、一つは音楽やライブはめちゃくちゃすごくて、どんなバンドよりもかっこいいというところ。もう一つはマネージャーを含めたメンバー全員がどこかで抜けていて(笑)、誰も正確な情報を発信していなかった。それじゃせっかくしてきた活動の全貌とか、赤い公園のいい所が伝えらないぞって思った。とにかくメンバーが全員おバカだったんだよね…今はすごいしっかりしてるように見えるかもしれないけど、本当に普通の女の子だったから。今でもスクショがいっぱい残ってるんだけど、ひかりさんとかうたこすに秒で間違いをつっこんでる。こういう感じ。伝わるかな?これ載せていいよ」
ーー伝わります(笑)。
「メンバーがすごいぬけてて、まあ揚げ足取りと言えばそうなんだけど、やっぱり自分が雑誌の編集してて、雑誌って一度間違えた情報載せると直せないから、すぐに自分で確認してツッコミ入れてっていうのが、もう癖になってたんだね。そういうのを繰り返しているうちにかな。あとは逆にメンバーが知らないようなこともメンバーに教えてたし。〈この雑誌に出てたよ〉とか、〈ラジオ始まる時間書いてなかったけど今から始まるよ〉とか。それでなんか〈オフィシャルより早い〉とか言われるようになったのかも」
ーーレッパーさんの活動において、とにかくTwitterでの活動は本当に素晴らしかったと思います。
「アカウント消しちゃってすいません(笑)」
ーー(笑)。先ほどのスクショに見られたように、本当に間髪入れずにメンバーに対してサポートというかアシストをしていて。例えるなら、テレビの副音声ってあるじゃないですか。目の不自由な方のために解説が流れるやつ。私にとってレッパーさんのツイートがそれだと思っていて。赤い公園を知る上でレッパーさんのツイートがものすごく助けになったんです。情報が早いし、リサーチも半端ない。あと本当にすごいのが、全部はネタバレしないんですよね。たとえば掲載雑誌なら、ツイートを見た人が〈その雑誌、今すぐ買いに行きたい!〉って思うような、絶妙なラインを攻めてくる。先ほどおっしゃられていたように、メンバーやスタッフ以上に、そういうのがすごくうまかったなと思います。
「ありがとうございます(笑)。ミッツとそういう話をしてたことがあるんだけど、マネージャーってめちゃくちゃ大変で、例えば長距離を運転しなきゃいけないけど、その間はツイートできないでしょ。だからどうしても遅れちゃうことがあるから、〈助かってるんだよ〉って言われたことがある」
ーーご自身でもツイートされてましたけど、〈OKAMOTO'Sに最近何があったかはレイジくんのTwitterのいいね欄を見れば分かるし、それの赤い公園版はあなたのいいね欄だと言われて、なるほどと思いました〉っていうのにすごく共感して。それってなかなかできることじゃないと思います。本当にすごいです。
「そんなこと言ってたっけ(笑)。ありがとうございます」
ーー自他共に認める〈日本一のファン〉になった所以は、その辺りにもあるんじゃないかと思います。レッパーさんは赤い公園界の人間国宝です。重要無形文化財。
「(笑)。でも〈日本一〉っていうのは、過去の話なんで。今はもう、どうだかわからないけど」
ーーnoteでは〈Twitterをやってた頃の自分はよく否定的なことも言っていた〉とか〈良いところは全力で好きになるし、これはちょっと…と思うところは否定するし、そういうところも全部全部ぜーんぶひっくるめてファンでした〉とあります。ただ褒めるだけじゃない。レッパーさんの否定的な意見にはちゃんと理由があって、その根底には赤い公園がもっと良いバンドになってほしいという熱い思いがありました。だからこそファン同士だけでなく、メンバーからも信頼されていたのではないかと思います。ツイートする上で心がけていたことや、苦労したことなどお聞きしたいです。
「心がけていたことは、暇があればTwitterを開いて『赤い公園』で検索するってことだけ。でも、心がけてはいたけど、それは苦労とは思ってなくて、完全に癖になってました。苦労したことは…苦労じゃないけど、変なファンの人に嫌われる(笑)。なんか2ちゃんねるで名前を出されたり、友達のさらに友達で俺のこと嫌ってる人がいたって話を聞いたり、めっちゃマウント取ってくる人がいたり便利屋として使われたり。今でもいるけど醜いなあって思いました。でも、それ以上にいろんな情報が集まってくるから助かってもいたよ」
全曲考察は「理子ちゃんに読んでもらいたくて書いてた」
ーーTwitterでの活動と同時進行で、noteでの全曲考察が始まった時は、すごく盛り上がりました。『凛々爛々』リリースの2019年8月21日に始まって、『消えない-EP』のリリースの2019年10月23日までに、旧体制でリリースされた全曲の記事を書くという、素晴らしい企画でしたね。どの曲も、ライナーノーツやインタビューなどの情報量にただただ圧倒されたし、歌詞や曲についての解説・考察もすごかった。今もたまに読み返してるんですけど、読むたびに涙が出る記事が沢山あります。書いていた頃を振り返って、印象に残っていることなどありますか。
「noteにも書いたんだけど、あれをやったのにはいくつか理由があって。でも、一番は、いつか石野理子さんに読んでもらいたいなって思って書いてた。たぶん3人は曲についてそんな説明したりしないと思うから。演奏とか歌唱的な説明はしても、この曲はどういう曲なのかって説明まではしないと思うから。俺が知ってることとか思ったことを、理子ちゃんに読んでもらいたくて、書いてました。そのあとの『津野さんと僕』とかも、実は結構、石野理子さんに読んでほしくて書いてるところがある。だって理子ちゃんからしたら、3年くらいしか一緒にいなくてさ、たぶん整理できないところとか、知らなかったこともいっぱいあると思うから。あとは昔を知らないスタッフにも知ってもらいたかったし。自分のためとか、新しくファンになった人のためってのももちろんあるんだけど、そういうことを考えてました。自意識過剰な気もするけど(笑)」
ーーそうだったんですね…。やっぱり、赤い公園のことを第一に思っていたんですね。
「自己満とかもあるけど。やっぱり、すごさをちゃんと言語化してる人がいなかった。三宅(正一)さんとか鹿野(淳)さんとかも、いいこと言ってんだけど、もっとちゃんと自分の言葉で言いたかった。できれば全く話題にならないような曲のすごいところとかも、ちゃんと書き記しておきたかった。最初の質問の答えに似てるかも。すごいのに、わかってあげられる人が少ないとか、すごいのに支える人がいないとか。そういう気持ちかな。…ムンクの叫びの話ししたっけ?あれって、真ん中のハゲてる人何してるか知ってる?」
ーー叫んでるんじゃないの?
「普通の人ってそう思うじゃん。でもあの絵って実は、大自然を貫く果てしない叫びに耳を塞いでるんだよ。おじさんは耳を塞いでるだけで、叫んでるのは、自然なの」
ーーええっ?…知らなかった!
「あの絵ってたぶん大人ならみんな知ってるし、なんかわかんないけどすごいって思うけど、本当の意味って、解説を読まないと知らないんだよね。赤い公園の曲も、〈なんかわかんないけどすごい、でも意味は分からない〉ってのが多くて、それを〈きっとこういう意味なんだよ〉みたいに読み解くことで〈あ、そういうの意味だったの?〉って思ってもらえたらいいなって思ってた。…なんかさ、古典の授業とかでやらなかった?〈この句はこの句にかかっています〉とか、和歌の掛詞とか。〈あっ、こんな仕掛けがあったんだ〉みたいなことを、赤い公園でもやりたかった。でも、だんだん津野米咲が書く歌詞ってわかりやすくなってきちゃって、わざわざ読み解かなくてもいい曲が増えてきたから、だんだん困ってはいたけど(笑)」
ーー全曲考察が終わって2か月ほどして、レッパーさんはTwitterを引退されましたね。当時は寂しかったですが、10数人の2代目レッパーさんが代わる代わるツイートしているのを見るのはとても楽しかったです。その頃を振り返って今思うことなどお聞かせください。
「みんな結局やりたがらなくて。〈消さないで〉〈じゃあ代わりにやってよ〉〈いいけど〉。で、やってもらったら〈やっぱ難しいわ〉って人ばっかりで。〈でしょ?だからいいよ、もう消そう?〉って。その頃はやっぱり赤い公園が…迷走してるじゃないけど、ちょっとあれっ?て思うことが何回かあったし、さっき〈すごいのに支える人がいなかった〉って言ったけど、もう充分支える人出てきたし、いっかな、って。それに別にTwitterを辞めても支えることはできるだろうし、Twitterだけが自分じゃないし」
「何かに取り憑かれたようにひたすら、本の山を漁った」
ーーそれから約半年後に、レッパーさんのTwitterのアカウントが完全になくなります。それからまた半年ほどして、津野さんが亡くなって。その時の心境は、noteに残されていますね。(『津野さんが亡くなってしまった』)
そしてその後公開された『津野米咲さんの人生』の記事がまたすごくて、読んでいて胸が苦しくなってしまうくらい、津野米咲という人のすべてが詰まっていて。一文字一文字から、くるくると表情を変えて生き生きと語る津野さんの姿が浮かび上がってくるようで。いつまでも読み終わりたくない気持ちになる、本当に素晴らしい記事でした。赤い公園を愛するすべての人に読んでもらいたいです。書いている時はどんな気持ちでしたか。
「亡くなったことはめちゃめちゃ悲しいけど、それを実感しないようになのか結構無心でやってた。今もたまに更新してて、懐かしいなとかはあるけど、そこに感情はないかな。何かに取り憑かれたようにひたすら、本の山とかツイートを漁って。いろんな本に出てるし、Twitterも結構やってたから、発言が残っててありがたいなと思う。研究する方としては、ラクって言い方は変だけど、記録が何でも残ってるからあとはまとめるだけっていうか」
賛否両論あって、それが正しい
ーーそれからまた半年ほどして『赤い公園・津野米咲さんと僕』というタイトルで記事が更新されました。この一連の記事については、私は何も言うことがありません。記事に書かれていることを真摯に受け止めます。書いてくださって本当にありがとうございます。反響はいかがでしたか。
「どういたしまして。反響は、自分の中である程度予想はしてたんだけど、最初の方はすごいすごいって言って、だんだん、ちょっとみんな黙り始めて。最後らへんには〈レッパーさんはこう言ってるけど、考え方は自由でいいよね〉とか。みんながちゃんと考えるようになってくれて、ある意味正しいなって思いました。賛否両論あって、それが正しいよなと思いました。でもやっぱり、俺の見えないだろうなってところで陰口を言ってる人もいて…それも予想できたけど、モヤモヤっとはした。もうちょっとスッキリするかなと思ったんだけど、意外とモヤモヤは残りました(笑)」
ーーそのあと、津野米咲ワークス全集、赤い公園ライナーノーツ集、赤い公園好きにオススメの本・漫画、全曲T予想、グッズ全集と、赤い公園を知る上で重要で貴重な情報を、時系列を追ってまとめた記事が続きます。こういう記事にこそ、Twitterで様々な情報を逐一わかりやすくまとめて発信してくれていたレッパーさんの実力が、遺憾なく発揮されていると思います。赤い公園についてより深く知るためには本当に有益な記事なので、これから何十年何百年と、私の子どものそのまた孫の世代くらいまで、なんらかの形でずっと消えないで残ってほしいし、一人でも多くの人に読まれてほしいです。
「(笑)。ありがとうございます」
ーーそして先月から始まったのが、赤い公園についてレッパーさんがご友人たちと語り合う『赤い公園と私』の企画です。個人的に、津野さんとレッパーさんの記事を読んでいた時から思っていたのですが、この『赤い公園と私』の記事を読んで、さらに思いが強くなったことがあって、それは、昔って本当にファンとメンバーの距離が近かったんだなあということです。それから、面白い企画が沢山あったんだなとも思います。私はほとんどイベントに行かないタイプのファンだし、これはあくまで個人的な、偏った意見ですが…変な話、記事を読むまで私の中での赤い公園の企画って、『サイダー』のMVキャッチコピー募集とか、菜穂ON AIRとかの、実現しなかった企画の印象の方が強かったんです。新体制になってからは、企画自体そんなになかったような気がするし。なのでレッパーさんの記事のおかげで、私の中でそういうイメージが払拭されてよかったです。面白い企画がいっぱいで、メンバーとも気軽にやり取りできた、楽しかった頃の赤い公園を、レッパーさんはきっと他のどのファンよりも深く愛していて、その頃の充実していたファン活動のことをずっと残そうとしている。そしてそれは、その時代を知らない私たちにとって、かけがえのない宝物になっています。ありがとうございます。
「その頃だけじゃないけどね。その頃も、今のことも、残したいと思う」
ーー私は『赤い公園と私』の記事が更新されて読むたびに『贅沢』って曲の最後のフレーズが浮かぶんです。〈楽しいを思い出す たくさんの贅沢だね〉。レッパーさんにとって、赤い公園との思い出で一番の贅沢って何ですか?
「『MAT BLUE』って未発表曲があって、ライブで何回かやったことがあるんだけど、一回だけ配信で放映されたことがあって。それを録画して何回も何回も見て聴いたんだけど、昔の難解な歌詞だし、ちーちゃんも何歌ってるかわかんない部分が多くて。でも歌詞をなんとか全部メモったのね。それをいつもの呑み屋で津野さんに会った時に見せて〈『MAT BLUE』の歌詞起こしたんだけどこれで合ってるかな〉って言った時に〈あ、ここはこうじゃないよこうだよ〉〈え?じゃあちょっとここに歌詞書いてよ〉って言って、たまたま持ってたチケットの半券かなんかに『MAT BLUE』の歌詞の一片を書いてもらったことがあって。で、自分の似顔絵かな?を書いて〈ほい〉とか言って渡してくれたんだけど。その時に『MAT BLUE』の歌詞の意味をちょっとだけ聞いたんだけど、その時が一番贅沢だったかな。他にも歌詞の意味聞いたことはあるんだけど、歌詞まで書いてくれたことはそれだけだったから。俺がTwitterのプロフィールにずっと書いてた〈幾度覚めても夢の中〉って歌詞とか。めちゃくちゃ難解な曲で、いまだにどういう意味の歌なのかはわからないし、この曲だけは全曲考察書いてって言われても書けないくらい難しい歌詞で、何回も読み返してる。その時が一番贅沢でした」
ーー贅沢つながりでいうと〈当たり前の毎日が贅沢〉という表現が、『絶対零度』にも出てきますよね。レッパーさんにとって赤い公園って、もはや生活の一部で、それこそ、あって当たり前の存在だと思うんです。そんな赤い公園の解散が、数週間後に迫ってまいりました。今の気持ちをお聞かせください。
「うーん。難しい…。やっぱり津野さんが亡くなった時と一緒で、一言で言えないような気持ちです。寂しさもあるし、お疲れ様とか、がんばってねとかいう気持ちもあるし。もともと配信で観るつもりだったとは言え、やっぱり、最後は生で観られないのかっていう気持ちもあるし、〈生で観られない〉って言ってるファンが沢山いることに対してちょっとモヤモヤする気持ちもあるし、だから複雑です。さっき誰かがTwitterで〈ご家族も含めて赤い公園なのだからご家族の方には絶対観てもらいたい〉みたいな、たぶんコロナで中止とか無観客とかにならないようにっていうことだと思うんだけど、そういう発言をしてる人がいて、〈じゃあメンバーと家族だけが赤い公園なの?〉っていう気持ちになって。関係者やスタッフだって応援してる。でもそれ以上にたくさんのファンだっていて、みんな含めて赤い公園じゃん?こないだのnoteで文々さんは〈メンバーが納得いくかたちで終わらせられればいい〉って言ってて大人だなって思ったんだけど、メンバーだけじゃなく全員が本当に満足できる形で終わらせられるのかな?って思ってます。もちろんメンバーが第一だと思うし、コロナだから叶わないこともいっぱいあるし、全員が納得いく形なんて無理なんだけど、とにかくいつからかファンの方は向いてないと思うようになったのも事実で。こういうこと言うと、また最後なのにケチをつけるなとか言われるんだけど、お前も俺にケチをつけるなよっていう(笑)。だから本当、一言じゃ言えないっすね。複雑です」
ーー最後に、このインタビューを読んでいるすべての赤い公園ファンのみなさん、そしてレッパーさんのフォロワーのみなさんに、何か一言お願いします。
「津野さんが亡くなってから、人生って意外と短いんだなって思うし、人ってあっさりいなくなっちゃうんだなって思ってて。例えば俺は、ひいおじいちゃんが何をした人かも知らないし、ひいおばあちゃんがどんな人だったかも知らないし、数十年とか百年とかしたら、意外とみんな忘れちゃうんだな、知らなくなっちゃうんだなって思って。それでこういう、残す活動みたいなことをしてるんだけど。今結構そういう…自分のことを見てくれたのかそうじゃないのかわかんないけど、いろんな方向から赤い公園のことを残そうとしてくれる人がいて。もっとみんなもやればいいのになって思います。そしたら、何年も後の人も〈こんなバンドいたんだ〉って思うかもしれないし。まあ、忘れるからいいこともあるかもしれないけど。〈嫌なこととかまで残すなよ〉って言う人がいるのも、その気持ちもわかるけど」
ーーいいことも嫌なことも全部ひっくるめて、赤い公園ですもんね。今日はありがとうございました。
ーーいちおう、用意してた原稿は全部読み終わったんですけど、個人的に聞きたいことがいくつかあって。まだいいですか?
「どうぞ」
ーー赤い公園から影響を受けたことについてお聞きしたいです。
例えば、全曲考察で言及されていた〈諸行無常感〉というのは、もともとレッパーさんの人生のキーワードとしてあったものですか?それとも、赤い公園を聴いて意識するようになったのですか?
「うっすらとはあった。でも、赤い公園を聴いて、強くなったかな。津野さんってやっぱ考え方が独特で、人を否定しないっていうかさ…なんだろうな…七夕のツイート見たことある?
たぶん普通の人だったら99%〈みんなの願い事が叶いますように〉って言うと思うんだけど、この人は叶わないことも想定してるんだよね、いつも。考え方が一個上のレベルから見てるっていうか、俯瞰的に見てるっていうか。そういうのも歌詞にある気がして。諸行無常感と同じくらいそれも好きな視点で。『スーパーハッピーソング』とか『楽しい』とかもそうだけど」
ーー〈ネガティブを知っているがゆえのポジティブ〉!
「そうそうそう。昔から音楽聴いてて、例えば〈愛してる〉とか〈永遠の愛〉とかそういう歌もあるけど、現実は続かなかったり薄れていく愛のほうが多い訳で、そういう曲聴くとちょっとバカにしてたのね。でも津野さんは、必ず〈ダメでもいいことあるよ〉とか、そういう言い方をしてて。なんか本当の優しさってそういうことだなって思ってる。例えばさ、占いで〈今日はお金が儲かります〉とかって言って、儲からなかったらそいつ嘘つきだし、信じた人は〈なんだよあいつ〉ってなるじゃん。でも〈みんなの願い事が叶えばいいし、叶わなくても、なんかいい感じになるといいよね〉って言い方をすれば、そこには絶対嘘はないし、みんなが幸せになる。それが本当の優しさかなって。そういうところが好きだったし、自分もネガティブだからこそ、そういうことが言えるようになりたいなって思ってて。今ってコロナもそうだし、ネットが便利になって、みんな傷つけてばっかりじゃん(笑)。すぐマウント取りたがったり、論破したがったり。自分もそういう負の感情に負ける時もいっぱいあるんだけど、そういう時に〈津野さんどうしてたっけな〉って、ふと思い出すんだよね」
ーーこんないい話のあとにする質問じゃないけど…レッパーさんがルービックキューブ好きなのって津野さんからの影響?
「(笑)。それは昔から好きで。ちょっと変わったルービックキューブをあげる約束してたんだけど、結局あげずに終わっちゃったね。でも俺、津野さんの好きな数独とかクロスワードはあんまり好きじゃないし、合いそうで合わないよ。結構いろんなゲームの話ししたけど、あの人は、お釣りをいかにきれいに出すかっていうゲームをずっとやってたり、脳みそをずっと動かしてるのが好きだった気がする」
ーーなるほど。そうだったんだ。
「そういえばさ、なんか最近また赤い公園のTwitterの雰囲気変わんなかった?うたこすかもしれないけど、中の人変わったのかな?ファンのツイートにまたいいねつけ出したりして。そういうのをやると、〈あの人はやってもらえたのに私のはやってもらえない〉って思うから、やめた方がいいのになーって思う。さっきのラストライブに当選した落選したの話もそうだけど、そういうところこそ〈みんなに優しい〉津野イズムを継承してないなって思っちゃう。さっき話そうと思って話さなかったことがあるんだけど、メンバーやスタッフの入れ替わりもあって、ファンとの距離感やファンへの態度、SNSの使い方とかも変わる必要があったのは分かるよ。だけど、変えちゃいけないところ、もっというと〈赤い公園らしさ〉みたいなところまで変えちゃうと、迷走してるって思われちゃうんじゃないかなって。少なくとも俺はそう思った。まあでも、メンバーもかわいそうだなって気持ちもある。やっぱり信頼が置けて、赤い公園らしさとか津野イズムをちゃんと理解してる大人が一人でも、ずっとそばに居てくれればよかったのにななんて思うよ。そういうのも全部含めてメンバーが納得してるならいいんだけど。…他に聞きたいことある?」
ーーいっぱいあるんだけど…一番好きな曲は?
「『木』じゃないかなやっぱり」
ーーいちばん印象に残ってるライブは?
「これもどっかで書いたかもしんないけど、藍坊主とクリープハイプが出た『〜赤鬼 VS 藍鬼 VS 栗鬼〜』っていう自主企画で。(2014年3月27日@LIQUIDROOM ebisu)」
ーー(ライブレポートを読みながら)『社会の窓』やったんだ!ちーちゃんの〈余計なお世話だピョン〉観たい!!
「それね、本人たちはめちゃくちゃふざけてんだけど、観てるみんなめちゃくちゃ泣いてたんだよ。この時津野さんが、〈初めてライブハイ的なのになった〉ってツイートしてる。で、その直後に俺が〈赤い公園のライブで初めてあんな涙出たわ〉って送ったら〈でた〉って返してて。そのあとに〈108を初めてやりました〉〈きっかけを爆発させることができました〉〈交信もできた〉って言ってて。この時本当ね、神がかってた。客がボロボロ泣いてて、俺も泣いてて。
たぶん『のぞき穴3』っていう自主企画をやる前に津野さんが活動休止になっちゃって。自主企画がずっとできなかったんだけど、活動再開後初めての自主企画がこの日だったんじゃないかな。それでなんか…」
ーー感極まったというか、爆発した。
「それもあるし、じゃなくてもライブがすごいよかったし。で、あとから聞いたんだけどこの日津野さんとひかりちゃんが高熱出してて。本番ギリギリまで、うたこすとちーちゃんとは別のところで缶詰になってたらしくて。っていうのも後から知ったんだけど、どこか異様な感じがしてすごかったんだよ、この時は。『社会の窓』の時に、〈小川〉って書いてある紙を俺の背中に貼っつけて、ふざけてて。で、その紙もらったんだけどどうしたんだっけ…あ、別の人と交換したんだ、ちーちゃんの直筆の絵と」
ーーほんとだ、ライブレポートに書いてある!〈津野米咲(G)が背中を見せると「小川」と書かれた紙が貼ってある。ギターの小川幸慈のことだろう。続いて4人が背中を見せると全員何故か「小川」と書かれた紙が貼られているという場面も〉だって。面白いね。
「ちーちゃんのFacebookにも〈お客さんが泣いてるの見て我慢できなくなった〉って書いてある。コメントも〈レッパー泣きすぎだよ〉とか書いてる。本当泣けたんだよな。なんでだったんだろう。この日を超えるライブは結局なかった、その後」
ーー本当に終わっちゃうんだね…
「だから、いっそのこと無観客にした方が不平を言う人もいなくていいんじゃないって思ったこともあったよ。まあ関係者も大勢呼ぶんだろうから無理だろうけど」
ーー私も最初からそう思ってた。
「昔だったらそういうことを考えるスタッフもいたかもしれないけど」
ーーなんかそういうのも、会社によって色が出るよね。
「すごく出ると思う。でもそういうところもファンにバレずにうまくやらなきゃダメじゃんって思っちゃう」
ーー本当そうだよね…。でも他のバンドやアイドルのファンの人のツイート見てても〈運営が推せない〉って言ってる人結構いて、どこもそういうものなのかなと思う。
「でもね、やっぱり売れてるアーティストのスタッフって、大抵感じいいんだよ」
ーーそこだよね、売れるか売れないかの違いって。売れてる人たちだけじゃなくて、全部が全部そうであるべき。嫌なもの見せちゃいけないと思う。
「前Hさん(黒盤白盤の時のディレクターさん)と飲んでた時に言ってたのは、運営側に何か落ち度があった時に、それがメンバーに向かっちゃうのが一番つらいって言ってて。運営にミスとか落ち度があるとメンバーが批判されちゃうのが一番つらいから、それだけはあってはならないって。まあ、でもミッツの時のいっぱい落ち度あったんだけど、あの人は人情とか愛でカバーしてて。今はよくわからないな」
ーーしてたね。お人柄だよね。……なんかそういう大人の事情みたいの全部取っ払って、みんなやりたいことやってほしいなって思う。レッパーさんはこれから、やりたいことはありますか?
「一応このnoteをまとめて本にしたいということと、津野さんのお墓参りをしたいということ、あといくつか小さなやりたいことはあるんだけど、大きな目標は見つからなくって。人生で物心ついて初めて、大きな目標とか追いかけたいものがない期間なんだよね。だから何か見つけたいんだけど、〈もう楽しいことは何もない~〉〈あの頃はよかった~〉って言いながら〈あの頃はよかったおじさん〉になって死んでいくのかもね(笑)」
ーー(笑)。解散ライブが終わってからも、またお話し聞きたいなと思います。今日は本当にありがとうございました。
「ありがとうございました」
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