![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130105160/rectangle_large_type_2_ca977ea9e6073b6abbe441e427852b5b.png?width=1200)
今年でライブハウス 福生チキンシャックは50周年
僕の働いているライブハウス、福生チキンシャックは1974年に開業し、今年の4月29日で50周年を迎えます。
現在44歳の僕より5歳年上という事になる訳です。
福生市は東京都の西側にあり、埼玉の入間や所沢に近いイメージの場所です。福生にとって切っても切り離せないものは「アメリカ空軍横田基地」があり、アメリカ文化が空軍米兵の影響で強く根付いている土地柄であります。
チキンシャックは通称「赤線」のど真ん中にあります。1974年開業当初はベトナム戦争(1955〜1975)の終戦間近ではあるものの戦争の匂いが色濃く立ち込めている時代でした。
赤線には性風俗的な意味合いの場所以外に、米兵を中心にしたコミュニティカルチャーが数多く出来上がり、赤線にはいくつものディスコやライブハウスの様な箱が誕生しました。その中でも1970年代から存在し、現在でも営業しているのが福生チキンシャックと東福生にあるライブハウスUZU(赤線の少し横田基地がですが
)そして昨年12月に取り壊しになったDISCO EDDIE'Sです。DISCO EDDIE'Sは元々の建物は無くなってしまったのですが、同じ赤線内に場所を変えて近日オープン予定です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130107400/picture_pc_612fb7a4ec6500069bafec116f00e30b.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130107000/picture_pc_67752ec9a51267ac299478bda6d9f81d.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130107006/picture_pc_9df217fe6f6ae4f0c873b5b9eaf203b1.png?width=1200)
※入り口は入るとカウンター その奥がライブホールにないっている
僕は16歳の1996年に初めて福生に遊びに来て以来、17歳から丁稚奉公スタイルで二十代前半までチキンシャックで働き、その後、音楽レーベルと音楽制作会社を立ち上げ独立しました。
2020年に福生チキンシャックに戻り、自分の会社と兼務しながら現在も働いています。
自分の音楽人生の大半を決定づけた福生チキンシャックが遂に50周年を迎えるにあたって、
ここで今起きている事
過去に起きた信じられない事(書ける範囲で)
を思い出せる範囲で書いて行きたいと思います。
今このnoteの記事 を書きながら、目の前でブラックファンキーなバンドがリハーサルしてるんです。
2024年2月7日PM 15:00 頃 福生チキンシャックにて
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130107367/picture_pc_3bc67355cccae6f84e130bf87a742dc3.jpg?width=1200)