人生で、はじめてひとりでJazz Barへ行ったことを思い出した
その日は、きっと飲み足りなかったのでしょう、酒は弱いくせに。
就職して配属は大阪支店。
初めてミナミへ行って、道頓堀の辺りから心斎橋筋の細くて長い商店街に、人が溢れるように歩いている様子はいまでも思い出す。
1988年の春。後から考えるとすでに時代はバブル。
街はいつでもお祭りみたい。
「きょうはお祭りなの?」
「縁日みたいじゃん」
とは同期のセリフ。
「お祭りの縁日」心斎橋の第一印象はまさにそれ。
そんな喧騒とした心斎橋筋から1本2本と東へ行くと、心斎橋のギラギラとした灯はなくなり、落ち着いたというより少しさみしい雰囲気になる。
角にあるビルの4階。
いつ乗っても独特の匂いのするエレベーターを降りて左側にそのバーがあった。
”Jazz Bar K's"
その奥にある店には、会社の同僚や先輩など数名と行ったことがあった。
おおきなソファーが並んでいてくつろげる洒落た感じだけど、なにか馴染めない。
その店の入り口は、木製のドアにすりガラスをはめこんであって、ガラスには店名。
隙間から覗くようにして、ようやく見える店内は、カウンターがあってレコードジャケットがいくつも飾ってある。
今度ひとりときにここに来てみよう。
そう思って、何週間か過ぎた、多分金曜日の夜。
いつものように、同僚とミナミでその週の打ち上げ的飲み会。
その日は意外に早めに解散になって、
「ああ、きょうならあの店に行けるな」
と思って、足を向けた。
店内に先客はなく、カウンターは気後れをして、奥のテーブル席へ。
「いらっしゃいませ」
低い声で店主が奥から顔を出した。
おそらく180cm以上はあるのかもしれない。
身長が高く髭を蓄えていて、少し強面。
」メニューを差し出され、ページをめくるが、学生の頃も社会人になってからも、こうしたタイプの店に入るのは、かなり稀なことで、当たり障りなくウォッカソーダかなにかを頼んだ気がする。
Jazz Barだから当たり前だが、店内にはジャズが流れていた。
正面にはJBLの大きなスピーカー。オーディオは詳しくないけど、重低音もしっかりしていて、かなりいい音だ。
なんとなく1杯だけ飲んで、その日は帰った。
また来よう。
次に訪れたのはそれほど間をおかずに、休日の早めの時間だったかもしれない。
その日から、現在に至るまでの長い付き合いが始まった。
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