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光男の枠下人生〜第6章〜 サイモン&唐揚げ

「大体わかって来た、、」
光男は日曜日の夕暮れ時、暗くなった部屋の灯りも付けないままそうつぶやいた。
光男は「フォーク世代」では無いが、偏見でフォークは悲壮感漂う男女恋愛の象徴みたいなイメージを持っていた。
4畳半のボロアパートの一室で汗だくになりながら貪り合う二人。
そこにサイモン&ガーファンクルだったり、南こうせつ、かぐや姫、森田童子の曲が流れてるようなイメージ。
光男はこのしめっぽい感じが割かし嫌いでは無かった。
そして、青春に年齢は関係ないこともわかってきた。
なんだろう、同世代でアパート独り暮らしでひっそりと、そしてどこか陰の有る、だけどもエロい女は居ないだろうか?
そういう女性は大抵は悪い男にひっかかるものだ。
しかし光男は「オレはそんな愚か者ではない、相手を怖がらせたり、DV気質だって無い、せいぜいPLAYの時に臀部をスパンキングするくらいだ」
と、スパンキングPLAY経験がほぼ無い光男は鼻を膨らませながら部屋の壁に向かって訴えかけていた。
結論、独りの時間も大切にはしたいが、独りぼっちのままでいると考えても答えの出ない物事でクヨクヨ悩んだ挙句、疲弊するだけなのだということがようやっとわかって来たのである。
その「道ずれ」になってくれる相手はいないだろうか?
光男は本当は横柄とまでは言わないが、比喩表現が口汚かったりする。
それは育った環境のせいもあるだろうが、三つ子の魂百までではないが、横柄オブ横柄ザイヤー連続受賞者だった母や祖母のDNAは残念ながら引き継がれてしまっているようだ。だがしかし平凡なサラリーマン人生を選んでしまったのでそんな奔放な生き方をしては母や祖母と同じ末路になるのは嫌だったのでそうして静かに暮らしているだけだった。そうやって順応していくうちに気が付けばただひたすらに謝り倒す土下座外交みたいな人間になってしまった。
いや、元々が臆病だったのだろう。母や祖母もそれは同じで、中身がすっからかんの俗物で、そのままでいれば世間の端っこに追いやれてしまうほど弱い生き物だったので虚勢を張ってオラオラやっていたのだろう。
そういう意味ではある種闘争者だったのかもしれない。
しかし所詮、修羅の道に安堵は無く、より強い者に一度でも敗北してしまえば本来の臆病な命が露呈し、蓮の花の中に隠れてしまうのである。
だので「じゃあ最初から隠れていればいい」と光男は考えたのだ。
それからは何処へ行っても「ごめんなさい」が口癖になってしまった。
ラーメン屋で自分の額の汗がどんぶりに落ちるところを見掛けた金髪のバイトに鼻で笑われても、小学生達にのどかな公園で襲われても、会社のエレベーターに乗り合わせた若い大卒男女グループに何もしてないのに鼻で笑われても「す、すいません、すいません」と謝り続けていた。
その内「すいません」と「ありがとうございます」だけ言っておけば喧嘩になったりクビにはならないだろうという事以外は深くは考えなくなった。何故ならそんな目に遭おうとも、帰宅後のほっともっとの特からあげ弁当さえ食べられるならばそれでいいと思っているからだ。自分がそんな悲壮感とアホ丸出しの恥晒しスタイルでいるのは全てほっともっとの特唐揚げ弁当の為だという、それはもう執念を通り越して怨念に近いものがあった。同時に、似たような怨念レベルまで練り上げた唐揚げ女性がこの世にいないだろうか?
お笑い芸人のハリウッドザコシショウのコントキャラクター「狂 益男」が東京都知事選の公約で「通貨を廃止して取引は全て唐揚げにします」に涙を出して喜ぶ光男であった。しかし現実はこの日曜日の夕暮れ時に薄暗い部屋に独りうずくまっている、サイレントオブサイレントが流れて来そうな悲壮感を打破する切り札はもはやほっともっとしか無い。
「よし、特唐揚げ食べた後はホテルウーマンのパンティの紐を解く作品にしよう!」
希望の光を見出した光男はまた「大体分かってきた、、、」と呟いた。



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