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これからも、ミスチルとともに生きていく。


自分にとってMr.Childrenがどれだけ大きな存在か、気がつくことができた。


レンタカーで九州を縦断した、GWの男4人旅。いまのクルマにはあたりまえのようにUSB端子がついていて、スマホを充電しながら、車内に音楽を流すことができる。ということで今回の旅行では、スマホを充電をするものがDJとなり、車内の音楽を担当していた。

ぼくのiPhoneには、大好きなミスチルしか入っていない。基本的にミスチルしか聴かないし、他のアーティストはYouTubeやAmazonミュージックから拝借しているため、あまり必要性を感じていないのだ。

とはいえ、ぼく以外の友人たちはそうではない。当然、ミスチル以外の音楽も、積極的に幅広くたのしんでいる。だから、ぼくがDJとなったとき、ミスチルしかかけられないことに申し訳なさを感じた。気の置けない仲間ではあるものの、せっかく久しぶりに再会したわけだし、アルバム曲をかけてぼく1人だけが満足するのは、ぜったいに違った。しかし頼みのYouTubeやAmazonミュージックはというと、通信環境が安定せず機能不全。けっきょくベストアルバムをかけることで、なんとなく乗り切った。


…わけなのだが、ぼくはひっそりと、自分にとってのミスチルの大きさに気がつき、なんだかウキウキしていた。もう何年も、ミスチルを聴いて生きている。200曲以上あるから、まったく飽きない。それどころか、聴けば聴くほど「この言いまわし良いな」とか「この感覚わかるな」などという”発見”があるのだ。


ちなみに今は、15年前に発売されたアルバム『シフクノオト』収録の「PADDLE」にハマっている。とくに2番のあたま

ときどき誰かが僕の人生を操っているような気がする

が好きだ。操られてはいない、ということにホントは気がついているんだけれども、人生の責任をどこか自分以外の場所に降ろしたい。現実からいったん目を背けたい。「ときどき」と「気がする」というふたつのワードから読み取ることができるし、ぼく自身、こういった瞬間に強く共感できるのである。


という具合に、ぼくは勝手な解釈と共感をくり返している。ときには勝手に背中を支えてもらっている。自分のセンスを磨いてもらっている気分にもなる。

だれかと時間を過ごすときは、すこし気持ちが落ち着かないけれど、これからもぼくはミスチルと共に生きていくのだろうなぁと、GWの旅行を通じておもうことができた。総じて、とてもポジティヴな話である。



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大村 昇@宮城県美里町
いつもいつもありがとうございます〜。