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似たような話。疲れてるんだよ
誇りが高すぎるのはクソ。そんな自分が、大嫌い。でも、愛おしい。
今日も矛盾をもっちゃもっちゃと消化しながら、オモローを探し求めてオモローと共に生きている。この世、クソ・オモロー。
夏の盛りが過ぎた頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は朝の光を浴びようと思ってベランダに出たらセミファイナル×2がいてとっても怖かったよ。キレそう。セミに敗北する三十路、ダサすぎ。
まあプライドが高い割に可愛げがある(注:自称)私としては、無心でセミ(存命)を掴んで捨てるやつな鉄仮面みたいな人間性じゃなくてよかったなと思ってる。流石に怖いじゃんね。私は蝉を怖がれるような怖くない人間だよ。
ということで適当にプライドと矛盾の話でもするかと思ったが、行間の読める人間には言いたいことは概ね伝わったと思う。
プライドが高い人間は大概なんかしらの葛藤を抱えておりそのギャップに人間らしい味がするよな。
あと、プライドは「無い」か「高い」かのどちらかなんだけど、プライドがない人間ってのは裏もないから、人間の捲れる部分がない。まぁ無理に心の奥が見たい訳ではないけど、掘っても何もない人間は薄いからなぁ。
自分大嫌い且つ大好き人間からすると、所謂プライド高くて扱いづらい人間は主食であり、幸せそうな顔を見たくてうずうずしてしまう。ほっといても幸せそうな人間とか、こちらが誠意持って干渉する意味、無いからね。
人の想いを味わっていると自然と仲良くなれる。私が美しいと思ったものに対して美しいと言ってるだけで、別に、そこに深い意図はない。自分がやられたいことをやったら人から好かれるのは心地が良い。
でも多くの人間は人の本質なんて見えないし見ようともしない。行間を読めない人間は上辺で見えるものでしか判断できない。
表面上に出てきているものがどれほど矛盾してようが、奥にあるものは変わらないのになぁ。自分自身に対する解像度が荒いと、見えないんだろうか。
行間といえば、エヴァとか行間お化けの作品で、庵野秀明があまりにもオタクの行間を読む能力が皆無すぎて設定やストーリーラインに終始しておりブチギレてた話は本当に好き。
その辺の女と寝りゃいいってもんでもないけど、寝てないと「そう」とわからない描写しかないのだが、そらまぁその辺の女口説いて寝たことない人間があれ見てもわからないんだろうなと。
庵野秀明は「自分の経験の中にしかオリジナルはない」って言ってるし、あれはもうほぼほぼ何のための、誰のための作品かってのは「観ればわかる」んだが(シンエヴァ通してほぼほぼ同じことしか言ってない)、皆が評価するのは映像の部分なんだよなぁ。
まぁそれが凄いんだけど。本質だけでは他人に伝わらない。私は人に伝える能力がない。汲み取る方を研ぎ切ったけど、まだそこを伸ばしたいとも思っていない。
だから伝わらなくてブチギレるのは客観的に見れば、理不尽なのは重々承知していて、それ故に怒りたくなくて抑えて腹の中のブチのギーレィポイントが加算されてプライドが上がる。うーーーーん。愚か。
まぁそれでも私は何も書かずに、言わずに、何かを伝えれる人間で在りたい。伝わらないのは力量が足りてないんだと戒めながら適宜ブチギレて生きていきたい。
その積み重ねからしか見えないものがあるから。