知ることから始める環境問題への取り組み〜Because there is no planet B〜
先日、JR名古屋タカシマヤでエコアルフさんとMOTHER岡清華さんのイベントがあったので、馳せ参じました。
トップの写真には、「1キログラムのリサイクルコットンを使うことで7700リットルの水の使用を減らせる」とあります。イベント時に購入したスウェットに付いていたタグの言葉です。
インスタに、当日聞きたてホヤホヤでまとめたのですが、少し時間が経ってこの日をきっかけに思うことがあったので、今日はそちらについて書きたいとおもいます。
1.Because there is no planet B
第二の地球はないのだから…というエコアルフさんの言葉です。
イベント時にSayakaさんが仰っていたことの繰り返しになりますが、地球は1つしかなく代わりはない。当たり前に分かっていたような事ですが、改めて考えると私はハッとします。
今ある地球上で、全てのものが循環している。水も植物も人も土も動物もとにかく全部。
人間は地球上に生を受けて生きて、死んでいきます。私はみんなそうであるように産まれた時は何も持たず裸で産まれました。死ぬ時はおそらく最小限の装束と小物と一緒に火葬されるでしょう。
多くの動物は、裸で産まれてずっと裸で、裸で死んでいきます。
それが、持つべき物の数で、自然を邪魔しない姿なのではないかなぁ…と、イベントから数日間考えています。
だからといって、現代の日本で生活するのに裸で暮らすとか、何も持たないというのは非現実的なので、イベント後になんとなく自分の中に浮かんできた一旦の方向がありました。
2.じゃあ、私はどうするの?
2-1.60歳までに服を減らす
私の持ち物の中で一番多いのはおそらく洋服やバッグ、靴、小物などの身に付ける物です。物持ちがいいこともあって、20年くらい着ているものもあったりしますし、社会人になったのがアパレルメーカーでの販売職からだったので、その3年弱で沢山の服が増えました。お給料の半分は自社の服や他ブランドの服に使っていました。もともと服が好きなこともあり、人からも頂くものも多く、幾度か断捨離していますが、まだまだ色んなものが沢山あります…
60歳までに、今の1/3から半分くらいの【タンス1個と掛けるラック1つ分】くらいの適正量にしたいなぁと思っています。かといって、今持っているものをやみくもに捨てるわけではなく、リユースに廻したり、傷んだものはウエスにしてお掃除に活用したり、縁あって私のところに来てくれた服たちを使い切って仕舞おうと思っています。
エコラップにするのもいいなぁと思っています。
2-2.シルクについて思うこと
エコアルフさんとSayakaさんのイベントに行ってから思い出したことがありました。
シルクのことです。
私は長い間勉強不足で、シルクは蚕が作った繭をめくったりして人間が頂くけれども、同じ蚕が何回も繭を作って、最後は羽化して天寿を全うする…とある時までずっと思っており、シルク製品を使うことに何ら罪悪感は持っていませんでした。
数年前に旅行で群馬県の富岡製糸場に観光に行った時にシルクの糸の作り方の説明があって、それで繭ごと煮て糸を紡ぐことを知りました。当然、中の蚕は死んでしまいます。
静かに深いショックを受けました。シルクは繊維としてとても優れており、体温や湿度の調節もしてくれるし、肌にも優しい。そしてもちろん天然素材。蚕を殺していることを知らなかった時には、お財布が許せばなんならエコだと思ってためらいなく買っていました。
しかし、それらは蚕を殺してまで作った糸だった。蚕1匹はとても小さいですよね。ということは、例えばシルクのシャツ1枚に、何個の繭が必要で何匹の蚕が犠牲になっているのか…と思ったら、気が遠くなりました。
自分が心地よい、素敵な光沢のある布を纏うために、他の生き物を犠牲にしていることが、不自然なことだとその時思いました。(もちろん、シルクの布としての格の高さから、誰かに向かっての敬意を表す意味で纏う場合などは、感謝の心とともに着させていただきたいです。)
これから先、今手元にあるシルク製品は大切に使わせていただきます。でも、新品のシルク製品は自分では手にしないような気がしています。もしかしたら古着やリユースのもので気に入ったものがあったら手にするかもしれませんが、新たに殺す必要のない他の生き物の命を奪わないことを選びたいです。
蚕が羽化した後の繭を使う「アヒンサー シルク」というものもあるそうなので、そちらについても学んでいきたいです。
2-3.似合うものを知ること。自分知ること。情報に振り回されないこと。
テレビ、ネット、雑誌、書物。あと、人との雑談、会話、対話。これらから毎日たくさんの情報が入ってきます。その中で、どの情報に意義を見出して実践するかは、自分の意思で選べます。
例えば、とある流行があったとして、それが好きだったり似合ったら、取り入れればいいと私は思います。でも、流行しているからといって、好きではないし似合わないけれど取り入れた場合は、ふと鏡を見た時に自分のことを魅力的だと思えず落胆してしまって、その落胆を埋めるために何らかの消費行動が生まれる気がしています。(落ち込んだからチョコレート食べるとか、似合わなかった服を捨てて新しいモノを買うとか…)
人からの反応を気にしすぎる場合もそうかもしれません。私は結婚したての時、【これからは主婦っぽい格好をしなければ!】と意気込んで主婦っぽい雑誌を買い、主婦っぽい服を買い、周りに溶け込もうと必死でした。しかしその行動は自分を萎縮させ、どんどん正解が分からなくなり、結果浪費が増えました。似合うや好きより、周りからどう見られようとするかに重きを置いた結果を反省とともにシェアさせていただきます…
美塾を経て自分に似合う系統が分かるようになり、アーユルヴェーダを学んで自分と対話し始めた今は、その時々に合わせて自分も快適で、似合うものを身に付けると気分がいい♪と思っています。
気分がいい♪ということは、そのままで快適に過ごせるということで、いつも自己完結できます。ということはムダなものをわざわざ買う時間もお金も労力もモノが作られるエネルギーも材料もぜんぶ使いすぎずに済むということだなーと思います。
そのような服やメイクの種類はたくさんは必要無いことが分かってきたので持ち物を適正な量に近づけるように学びながら過ごしていきます。
3.細く長く続けたい
ここまでで、イベントに参加してから数日間で私がこれからしたいなぁと思っていることをまとめましたが、それは全部一朝一夕にはできないということばかりです。
ということは、続けることが必要になりますよね。ということは…ゼロヒャク思考にならないことがとっても大切なのではないかと思っています。
ゼロヒャク思考とは、白か黒か!1か0か!とも言い換えられると思いますが、完璧な状態を望みすぎることだと思います。完璧とは聞こえはいいですが、そこに重きを置きすぎると何も始められなくなったり、いつまで経っても何も認めることができなかったりという弊害を生むと思います。
その時に「あーあ!もう台無し!」と思って全てやめにしてしまうか、「そういう日もある。これを学びにして、明日からまた始めよう」と思えるかが、継続できるかの分かれ道になるかと。
エコボトルと保温の水筒はほぼ毎日持ち歩きはじめましたが、手作りの温かいチャイを会社に持っていって飲むことで、間食が減るという嬉しい副産物もありました!
何の情報を選んで、どのように生きるかに迷いが無くなったのはアーユルヴェーダの学びのお陰です。
地球の一部として、この地球を大切にできるように、学びながら実践しながら発信しながら過ごしていこうと思っています。
今日も読んで下さってありがとうございました。
よかったら、みなさまの環境や地球に対するアプローチも伺ってみたいです🤍