見出し画像

『雪女を記録した男』 #時を縫う奇瓢譚


むかしむかし、山奥の村に「雪女伝説」があった。雪女は夜の大雪の中、一人で歩く者の前に現れる。そして、その者をどこかへ連れ去るという話だ。彼女に遭遇した者は二度と戻らないが、彼女に「遭遇しかけた者」がいたことで、その伝説が語り継がれていた。ある老人がかつて雪女に出会いかけ、彼女の声を聞いて逃げ帰ったというのだ。その老人の話はこうだった。

「彼女は冷たく笑いながら、『一人で歩く者だけを連れていく』と言った。追い払われたわけじゃない。連れていく価値がなかっただけだ」

それ以来、村人たちは雪女を恐れ、雪の夜には誰も外出しなくなったのだった。


ある年の冬、都会から来た若い研究者がその村を訪れた。彼は「雪女」の正体を科学で解明しようとしていた。伝説の真偽を明らかにし、迷信を終わらせることが目的だった。男は監視カメラやセンサーを山中に設置し、雪女の存在を追い求めた。村人たちは彼に忠告した。

「雪女に近づくな、そんなことをすれば、この村に災いが起こる」

しかし、男は忠告を鼻で笑った。

「伝説なんて迷信だ。科学で証明すれば終わりだろう」

大雪の夜、男のカメラが反応する。画面には白い影が映っていた。それは徐々に人の形を成し、ついには白い着物をまとった女性⋯⋯雪女の姿がはっきりと映し出された。男は興奮しながら現場へ向かった。雪深い山中、彼はついに雪女と対面する。

雪女はじっと男を見つめて動かない。彼女の透き通るような瞳に、男は立ち尽くした。白く冷たい指が差し出され、その手には一枚の古びた紙が握られていた。男は恐る恐るその紙を受け取った。そこには文字が書かれていた。

「お前が私を追った夜、この村では多くのものが消えた」

男は恐怖で手が震えたが、その意味をすぐに理解することはできなかった。そのとき、彼のスマートフォンが異常に鳴り響いた。通知を確認すると、そこには奇妙な情報が次々と表示されていた。村の住人たちの名前が「行方不明」としてリスト化されている。さらに、村の家々の写真や地図、村の存在を示すデータが一斉に「削除されました」と表示されていた。

目の前で起きている出来事に、男の頭は混乱する。村全体が、現実そのものから消されている。そうとしか考えられなかった。紙に目を戻すと、文字が変わっていた。

「お前が村に戻るとき、この村には何も残らない」

男は急いで村へ向かった。しかし、村はもぬけの殻となっていた。家々は静まり返り、人の気配はどこにもない。家具も、写真も、生活の痕跡すらも消え失せていた。村の存在そのものが「空っぽ」にされていた。

そのとき、雪女の冷たい声が背後から響く。

「記録を求める者は、その代わりにすべてを失う」

男は雪女の姿を見ることなく、ただ逃げるように村を離れた。そして都会へ戻ったが、そこで異変は続いていた。人々の顔や声がどこか曖昧で、現実が薄れていくようだった。話しかけても相手がまともに認識せず、まるで「彼自身の存在」がこの世界から消えつつあるかのようだった。

雪女はただ人をさらう存在ではなかった。彼女は「記録そのもの」を消し去り、人々の記憶や存在、そして痕跡すべてを奪い去る力を持っていたのだ。

その後、男は何度も村について語ろうとした。しかし誰もその話を信じなかった。それどころか話を聞く人々の顔が次第にぼやけ、薄れていくように感じた。そして、彼を知る者すらいなくなっていった。

最後に男は悟る。記録を求めたことで、自分自身もまた「存在そのもの」を消されつつある運命にあることを。



いいなと思ったら応援しよう!